妹だってお兄ちゃんが好きだし、お兄ちゃんも妹が好きに違いないのです

白日朝日

葉芽津イツキのいもうと

「ねえ、お兄ちゃん」

 はじめに飛び込んできたのは言葉だった。

「――会いたかった」

 それから意味がついてきた。

 ぼくは口を開かずそこにある音源に目をうつす。

 そうして、ひとりの少女にその焦点は結ばれる。

「イズミ」

 名前を声に出してみた。

「うん。お兄ちゃん――久しぶりだね」

 その名前を呼ぶだけでイズミがひとつの形になってゆく。まるで自分の中に誰かを生み出すみたいに。

「おはよう」

 あいさつをしてみる。

「ねえ、お兄ちゃん。ずっと会いたかった」

 イズミは駆け寄る。

 その対象は、ぼくか。

 ぼくはイズミという女の子を少しずつ実像に近づけてゆく。

 いくつもの記憶や体験が、生み出された世界そのものみたいにぐるぐるとめぐって、光の速さみたいに意識が覚醒してゆく。

 散りばめられた言葉が、積み木みたいに組み上げた日常が、拾い集められて飽和して、イズミという形になる。

「ねえ、お兄ちゃん――大好き」

 イズミはぼくの胴へ抱きつこうと、両手を伸ばして小走りに近寄る。

 一瞬だけぼくは回避動作を取ろうとした。ぼくの座っているベッドのスプリングは、軽くきしんだ声を上げる。

「ねえ、イズミ」

 ぼくは回避するよりも簡単な手段に思い当たる。

「イズミの弱点発見した」

 イズミとぼくの決定的な差は腕の長さだ。それを活かせばイズミが抱きつく前に彼女の前進を止めることができる。

 彼女の前頭部にゆっくりてのひらを当て、ぼくに向かう推進力を打ち消す。

「あー、それひどい……」

 おでこに手を当てられたイズミが不機嫌そうな声を上げる。

 胸が薄い分だけ深いふところをリーチの短さで相殺する妹、それが葉芽津イズミ。

 ぼくの妹だった。

「はい。おはようイズミ。八時間ぶりだね」

 ローマ数字のⅧに短針を置く枕脇の五角形が、睡眠時間を教えてくれる。

「お兄ちゃんは、八時間がわたしにとってどれだけ長いかわかってない」

 引き続き不満げなご様子。

「一日千秋ってやつかな」

「そうです。約三十六万五千倍待ちこがれてたのです」

 本来は一日三秋だったらしいけれど。

「計算速いね」

「お兄ちゃんにまつわる数字なら」

「じゃあ、何時間くらいに感じたのかな?」

 いじわるな質問。

「……はち、かけるの……さん、ろく……」

 イズミが虚ろな表情のまま意識の迷宮に飛ばされかけている。そういえばこの子は算数が苦手だったような。

「まあいいとして、なんで俺の部屋にいる」

「寝ぼけているすきに既成事実制作をはかってみた……」

「こわい謀略をさっくりと対象に話すのはやめましょう」

 この子の言葉に関しては理解が追いつかないこともままある。

「それはともかく朝なのです」

 朝だ。窓とカーテンの隙間から射す僅かな光が部屋の端に細かな陰影をつける。

「イズミ。髪の毛、寝ぐせできてる」

 光に目が慣れるとよく見える。イズミの少しだけ茶色がかった髪が頭頂部だけピコンと浮いていた。

「これはセンサーです」

 何のセンサーであるかは訊かないことにしよう。

「さて、朝のメニューはどうするかな……」

「なにを隠そうおにいセンサーなのです」

 せっかく訊かないでおいたのにこの子ってやつは。

「いいから、顔でも洗ってきな。ぼくは朝食の準備をするから」

 そう言って立ち上がろうとすると、イズミはぼくのパジャマの裾をつかんで告げる。

「お兄ちゃんに一刻でも早く会いたい気持ちで髪に気をつかえなかった」

 ぼくのリアクションが不満だったのかイズミは寝ぐせの理由を切り替えた。

 とりあえず、起き抜けの頭でめんどうくささが先だったため、イズミの言葉を適当に流しておく。

「はいはいかわいいかわいい」

「お兄ちゃんきらい……」

 いざ褒めてやると、言葉の真意を察知してくるから面倒なものだ。どうやってご機嫌をとってみたものか。

「ぼくはイズミのこと好きだけどな」

 そうさえずってみるとイズミは一瞬照れたように見えた。

「じ、実家に帰らせてもらいます」

 そしてすぐにぼくから顔をそらし部屋をあとにする。ここはもちろんイズミの実家でもあるはずなのだけど。

 ともあれ、イズミはぼくの名を呼ばない。

「ふう」

 一息入れる。ぼくが二度寝をはじめたら、イズミはまた会えない時間を三十六万五千倍するのだろうか?

「くすっ」

 考えてみると少しだけ面白かった。

「そのまま時間が経過したら次会うときにはおばあちゃんどころの話じゃないな」

 まるでどこかのSFか、リップ・ヴァン・ウィンクルみたいな話だ。

「……なんで、笑ってるの」

 部屋を出たイズミが赤らんだ顔でもう一度ぼくの部屋の扉を開け言った。

「お前がおばあちゃんになった時のことを考えてた」

 答えてみるとイズミは不思議そうな表情をほんのりのせて。

「でも、お兄ちゃんはいつでもお兄ちゃん」

 そっけなく返した。

「ところでなんで戻ってきた」

 リビングにでも行ったと思ったけれど。

「お兄ちゃんにごちそうさまを言い忘れて」

「お前、何をした」

「朝ごはん」

 イズミは唇に指を当て。ぼくが手の甲で唇を拭うと、少しだけ紅のあとがついた。

「イズミの分は朝食抜きで大丈夫だなこのやろう」

 ぼくは気恥ずかしさと敗北感を感じながら小さくつぶやいた。

「白雪姫は王子のキスで目覚めるものです」

 それでは、男女の構図が逆じゃないか。

「せめて初版バージョンでお願いできるか」

 ぼくにはまだ殴られて起こされる方が健康に良い。

「じゃあ、くちづけたあとに叩く」

「それじゃあ意味が無いんだ」

 意味のない朝も嫌いじゃないけれど。

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