第25話

 黄泉国よりも暗い場所があるとは思わなかった。そんな事を悠長に考えながら、仁優は闇の中を恐る恐る歩いていた。

 どうにも、足元が安定していない気がする。そして、何かに触れる事は無いのだが、何やら頭上と左右から圧迫されているような気もする。

 足元がぬかるんでいるのだろうか? 天井が低いのだろうか? 左右に壁があるのだろうか? 暗闇である為、何もわからない。

 広く思えるのに、狭く感じる。暑くも、寒くも感じる。空気が重く、ねっとりと纏わりついてくるような気がする。……いや、そもそも、ここに空気はあるのだろうか? 実は自分は既に死んでいて、この場に空気が無くても気付けないだけなのではないだろうか。

 自分自身の事なのに自信が持てないまま歩いていると、前方に光が見えた。仁優はホッとし、光に向かって歩を速める。

 やがて辿り着いた場所には、三つの光が浮かんでいた。大きさは大体、ヒトの頭ほど。色はそれぞれ、赤と青、そして白だ。白い光だけは、他の光より二回りほど大きいようにも思える。

 その白い光が、仁優が近付いた途端に輝きを増した。

《おや……伊弉冉尊を呑み込んだつもりが、猿田彦命を呑み込んでしまったらしい》

 声が聞こえ、仁優は目をぱちくりと瞬いた。

「え、ひょっとして……まさか、その……お前達って……造化三神?」

 思わず光を、人差し指で指差した。それにムッとするでもなく、白い光は輝いて見せる。どうやら、首肯の代わりらしい。

《このように猿田彦命とまみえるのは初めての事だな。……私は、天之御中主神》

 白い光が名乗り、続いて青い光が高御産巣日神、赤い光が神産巣日神だと名乗りをあげる。

《さて、早速だが聞かせて貰おう。猿田彦、お前達は、何故私達の邪魔をしようとした?》

「邪魔って……」

 天之御中主神の言葉に、仁優は言葉を失った。要の推測が、どうやら当たってしまったようだ。造化三神は、闇を祓われても葦原中国を滅ぼす事を止めないかもしれない。

《お前も神の生まれ変わりであるならば、今の葦原中国が決して良い状態にはない事ぐらいわかりそうなものだが……》

「……わからねぇよ。大体、良い状態の葦原中国って、どんなんだよ?」

 天之御中主神が鈍く光った。どうやら「やれやれ」という呆れの感情表現のようだ。

《考えるまでもない。全ての人間が神々を敬い恐れ、それ故に秩序を守り、平和に暮らす。それこそが、葦原中国のあるべき姿だ》

「……今の葦原中国は、神様を信じてる奴がどんどん減ってる。だから、世界として失格……そう言いたいのか?」

 ウミやライの話が脳裏で蘇る。彼らの話では、造化三神が葦原中国――ひいては黄泉国や高天原も含めた世界を滅ぼそうとしているのは、世界を一から創り直し、人々がいつまでも神を信じ続けるようにするためだ。どうやら、その推測は間違っていなかったらしい。

《伊弉冉が余計な事さえしなければ、我々の管理が追い付かなくなるほどのスピードで人間が増える事は無かった。人間が我々の手を離れ、我々を忘れ、暴走する事もな。……本当に、伊弉冉は余計な事をしてくれた》

 吐き出すように天之御中主神が言い、高御産巣日神と神産巣日神が同意するように光り輝く。

「……俺の動きがお前らにとって邪魔になったのかどうかはわかんねぇけどさ……そりゃ、普通に考えりゃ邪魔するだろ。誰でもとは言わねぇけど、自分や周りの奴らが死ぬかもしれねぇってなれば、良い気はしねぇし」

《良い気がしなければ、神の邪魔をするのか?》

 意外そうな声で、天之御中主神が問う。仁優からすれば、何故意外に思うのかがわからない。

「人間が神様を恐れるのは、罰を当てて欲しくないから。それと、困った時に助けて欲しいからってのが大半だろ。特に悪い事もしてねぇつもりなのに自分を殺そうとするような奴に対して、神様もクソもねぇよ」

 そこで一旦息を吐き、そしてまた口を開く。

「何かをやってもやらなくても、どの道死ぬなら……駄目元でも足掻いて、神様に逆らってでも何とか助かる道を探そうとする奴は結構いるんじゃねぇかな? 俺がただの人間だったら、どうしてたかは知らねぇけど……俺は地祇の生まれ変わりで、普通の人間よりは戦う力があるとか言われちまったらな……」

 葦原師団に入ったのは、自分の意思では無かった。瑛と天に強制されたようなものだ。それでも、黄泉族が葦原中国に攻め込んでくる事を聞いて「聞き捨てならない」と思った事は確かだ。

 そして、実戦訓練を受け、ウミ達と戦い、天達と言葉を交わして。もっと強くなりたいと、瑛達の事を知りたいと、メノの笑顔を見たい、守りたいと、そう思った事は揺ぎ無い事実だ。

 それを伝えると、天之御中主神は冷笑するように光り輝いた。

《だが、結局お前は何もできていないではないか。戦闘で役に立った事は一度も無く、治癒の心得があるわけでも、異空間へ自力で足を踏み入れる事ができるわけでもない。無駄な足掻きをして、ただ自分の無力さを思い知っただけではないのか?》

「……嫌なトコ突いてくるなぁ……」

 苦笑する仁優に、造化三神がふわんと光った。どうやら、またも仁優の発言を意外に感じたようだ。

《……猿田彦。我らは、お前がわからぬ。お前は神でありながら我らの邪魔をしようとし、人々が我らを忘れていく事を恐れていない。かと言って、我らに対し敵対心を持っているわけでも無いようだ》

「んー……まぁ、神っつっても、生まれ変わって今は人間だし、地祇だった時の記憶も残ってねぇし。神として自覚を持て、とか言われたら、正直困るな」

 ぼりぼりと頭を掻きながら、天之御中主を真っ直ぐに見据える。

「そりゃあさ、最初の内は完全に敵だと思ってたぜ? 俺達は懸命に生きてるのに、気に食わねぇから葦原中国を一から創り直すって、何じゃそりゃあ、って思ったよ」

 造化三神は微動だにせず、一言も発しない。仁優の話に耳を傾ける気になったらしい。

「けどさ、お前らはお前らで、黄泉の空気に中ってちょっとおかしくなっちまってたんだし。人間に忘れられるのが嫌だってのも、わからねぇでもないんだよな」

 忘れられて、ないがしろにされるのは嫌だよな、と仁優は苦笑する。

「一緒にするな! って言われるかもしれねぇけどさ、俺、小学生の時にかくれんぼしてて、鬼に見付けるのを忘れられてさ……いつまで経っても探しに来てくれねぇのを、夜遅くまで待ってた事があるんだよな。あれは本当に嫌だった。かくれんぼだから、その日限りの事だったけど……これが一生ってなったら、俺だって暴れたくなると思う。暴れて、俺の事忘れた奴と縁切って、新しい友達を作ろうって考えるかもしれねぇ」

《……》

「忘れられる原因が、瑛――伊弉冉尊が新しくシステムを創ったからだってなったら、そりゃ何とかしたいと思うのが普通だろ。ただ……だからって俺は、伊弉冉尊が悪いとも思えねぇ」

《……何?》

 訝しげな声を発する天之御中主神に「だってそうだろ」と言う。

「伊弉冉はただ、幸せになりたかっただけなんだ。そして、自分の子ども――火之迦具土神にも幸せになって欲しかった。綺麗な体で、陽のあたる場所で、伊弉諾尊と、子ども達と、仲良く暮らしたかっただけなんだよ」

 それは、生きている者、生きていた事がある者であれば、誰もが望む事なのではないだろうか。伊弉冉はただ、誰もが望む事を望み、そしてそれを実現化する力を持っていた。思い留まれず実行してしまったのは良くないかもしれないが、だからと言って、完全な悪役として責め立てる気にもなれない。

「俺からするとさ、瑛とお前ら……どっちもどっちな気がするんだよな。瑛は、愛する人と幸せになりたかった。お前らは、人に忘れられたくなかった。どっちも人間臭い理由で、何とかしたくて必死になって。ただ、やり方が良くなかったんだ。瑛は自分の行動がどういう結果をもたらすか考えてなかったし、お前らは滅ぼされようとする葦原中国の人間の事を考えていなかった」

《ならば……ならば、どうするべきだったと言うのだ?》

 困惑した声で、天之御中主が問う。

《伊弉冉のした事と、我らのしようとした事は、相容れぬ。我らの望みを叶えようとすればこれ以上人を増やすわけにはいかず、伊弉冉の望みを叶えようとすれば人は増え続ける。我らか伊弉冉か、どちらかが望みを諦めねば……どちらも望みを叶えようとしたから、今回のような事に……》

「別に難しく考えねぇで、最初に話し合いをすりゃ良かったんだよ」

 アッサリと言い放つ仁優に、造化三神はふわんと光り輝いた。言わんとする事がわからないらしい。

「だからさ……これは最初にお前らに相談しなかった瑛に非があるのかもしれねぇけど……最初に、瑛――伊弉冉尊とお前ら造化三神に、ウミ――伊弉諾尊も加えて、話し合いをしておけば良かったんじゃねぇの? 伊弉冉が黄泉族化や転生のシステムを創りたいってお前らに言う。お前らは人が増え過ぎると困るから、産ませる数を少し減らす方向で調整する。その代わり、毎日殺す人間の数も調整するように伊弉冉に条件をつける。……それで良かったんじゃねぇの?」

《話し合い、か……。そんな道が……》

「あるだろ、余裕で」

 スッパリと言い切る。すると、造化三神が突如激しく点滅し始めた。そして、ころころと大いに笑う声が聞こえてくる。

《余裕か。……全く、お前には本当に驚かされるよ、猿田彦。……いや、ただ単に記憶を失い無知なだけなのかもしれないが……》

「?」

 怪訝な顔をすると、天之御中主神は説明するように言う。

《生者と死者が交わるのは、例え神であろうとも法度だ。それを心得ているからこそ、伊弉冉も我らの元へ話し合いに来ようなどと考えなかったのだろう》

「けど、伊弉冉が死んだ直後に、伊弉諾は黄泉国まで伊弉冉を迎えに行ってる。そして多分、伊弉諾が伊弉冉の姿を見て逃げ出したりしてなけりゃ、伊弉冉は黄泉国から高天原へ戻ってた。つまり、元々は生者と死者の交流はそこまで悪い事じゃ無かったんだ。それが、伊弉諾と伊弉冉が袂を分かち、千引岩で黄泉国を隔絶したから御法度になった。……そりゃ、最高神である天照大神の父親が率先して交流を絶ってんだ。他の奴らも、交流はし難いだろうよ」

《……まずは上の者が壁を取り払え、という事か》

 仁優は「そういう事」と頷いた。そして、蛇足的に言う。

「俺がバイトしてる本屋でもさ、店長とかチーフクラスの奴がやらねぇ事はどいつもこいつも中々やろうとしねぇんだけど、上が率先して動き出すと、下も「仕方無ぇ、やるか」とか「あ、上がやってるから、俺達もやって良いんだ」みたいな感じで動き出すんだよな。良い事でも、悪い事でも。だから、上の奴が動いて見せるってのがまずは重要だと思うぜ?」

 その言葉に、造化三神はまた大いに笑った。

《我らの数千年のしこりを、人間の労働と同等に扱うか。お前は本当に不思議な奴だ。……恐らく、記憶は失っても、猿田彦の特性は失っていないのだろうな》

「あ、それ……瑛にも同じような事言われた。けど……それがよくわからねぇんだよな。俺の特性って?」

《周囲を融け合わせる力》

 はっきりとした言葉で、天之御中主神が力強く言った。

「融け合わせる……?」

 意味が、よくわからない。

《猿田彦。お前は前世で、葦原中国に降臨した瓊瓊杵尊の案内役を務めた。……そうだな?》

「記憶は無ぇけど……俺が猿田彦だって事に、間違いが無いのなら」

《あの時、降臨したばかりの瓊瓊杵尊とその一行は、慣れぬ……それも未開の地である葦原中国に緊張し、警戒していた。そんな折に、お前が姿を現した》

「……」

 仁優は、黙って天之御中主神の言葉に耳を傾ける。

《普通なら、いきなり現れた現地人に簡単に心を許す事などできぬ。だがお前は、即座に警戒を解かれ、尚且つ天宇受売命と睦み合う仲にまでなった。現地の人間や地祇達と、瓊瓊杵尊達が大した衝突を起こさなかったのも、お前が間を上手く取り持ったからだろう。それが、お前の力だ。お前には周囲の緊張や警戒を解かせ、相和させる力がある》

「……」

 よくわからないような、とりあえず褒められたらしい事が照れ臭いような。そんな複雑な気持ちで、複雑そうな表情をして、仁優はぼりぼりと頭を掻いた。そんな仁優の様子に、造化三神はまた笑う。

《照れるな。誰にでもできる事ではないのだから、誇りに思い、胸を張れ。でなくば、お前に動かされ伊弉冉尊との話し合いを検討し始めている我らが哀れではないか》

「……え?」

 思わず、がばりと顔を上げた。そんな仁優に、造化三神は苦笑交じりの声で言う。

《まずは、伊弉冉達と話し合ってみよう。そう簡単に良い結果に繋がるとは思えないが……ひょっとしたら、お前の言う通り、余裕で解決できるかもしれん》

 その言葉に、仁優はまず目を丸くした。そして、嬉しそうにニカリと笑う。

「そっか。そうしてもらえると、俺としてはありがてぇな」

 造化三神が、強く光り輝いた。仁優に笑い返してくれたのかもしれない。

《……その為にも、まずはこの闇から抜け出る事を考えなければならぬな》

「え、お前らもここから出る方法がわかんねぇの!?」

 驚いて問うと、ムッとする気配が返ってきた。

《この闇は、元々黄泉の空気に含まれていたものだ。我々が出した物ではない。そもそも、どうにかできるのであれば、あのような醜態を晒したりはせぬ》

 それもそうか、と、仁優は頭を掻いた。

「だとすると……参ったな。入ったからには、多分どっかに出口はあるんだろうけど……これだけ暗いとな……」

《建物ではないからな。継ぎ目があるのかどうかすらわからぬ》

 仁優と造化三神は、揃って「うーん……」と唸り声をあげた。とにかく、道がわからなければ戻りようが無い。そして、戻る事ができなければ、造化三神と瑛の話し合いの場を持つ事すらできない。

「どっかに目印でもありゃ良いんだけどな……」

 そう呟いた仁優の耳に、突如リン、という音が聞こえてきた。

「……今の音……」

 不思議に思い、耳を澄ます。すると、またリン、という音が聞こえてきた。

《これは……鈴の音か?》

 天之御中主神の言葉に、仁優はハッとした。鈴の音から連想できる存在なんて、仁優の周囲には一人しか思い浮かばない。

「……メノ?」

 葦原中国で初めて逢った時……鈴の音に併せて踊っていたメノの姿が目に浮かぶ。そして、更に耳を澄ましてジッと音を聴いた。

 明るく、楽しそうな音だ。だが、どことなく必死で祈っているようにも聞こえる。

「天岩戸から天を引っ張り出す時も、こんな感じの音で踊ってたのかな……」

 呟きながら、仁優は音の聞こえる方向へと足を踏み出した。

「……行こう。外の奴らが、道を示してくれてる間にさ」

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