7
…泣きながらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
目が覚めると小さな小窓から陽が漏れていて、朝食も届けられていた。
とても食事をする気にはなれなくて、泣き疲れた体をゆっくり起こし、布団の上に体操座りでうなだれる。
(……もうアルタイル様に、会えないのかな…)
昨夜あんなに泣いたのに、涙は枯れることなく溢れ、じんわりと膝を濡らす。
(初めて好きに…なったのになぁ…)
王子はいつだって優しかった。
従者のオレに、ソファーを与えてくれた。
歌声が好きだと言ってくれた。
布団に入れてくれた。
抱きしめてくれた。
頭を撫でてくれた。
王子との思い出をまた思い出しては、好きだなぁと実感して胸が痛む。
あんなに抱きしめられて、抱き合って寝ることもあったのに…結局9ヵ月の間、王子は1度もオレを抱くことはなかった。
(…アルタイル様は、奥方様一筋なんだもんな…)
だからこそオレが夜伽の相手に選ばれることになったのだけど―…その事実が、痛いほど胸に突き刺さる。
実らない恋だなんてわかりきっていた。
だからこそ本当は―…1度でいいから、しきたりの相手としてでもいいから、王子に抱かれたかった。
外が薄暗くなって自動で室内に明かりが灯り、涙を流し続けた顔をふと上げると、知らぬ間に朝食は下げられ、昼食が届けられていた。
それを見た途端に、昨夜から何も食べていないお腹は空腹を訴え、静かな室内にぐうっと大きな音が響く。
(こんな悲しくてもお腹空くんだな…)
そんな自分に呆れながら、冷めきった昼食を手に取り、もそもそと昼食を口へ運ぶ。
全てを食べきってお腹が満たされても、心は満たされることなく痛いままだ。
空になった食器を窓へと戻し、もう1度ベッドに乗っかりうずくまる。
すると、カツ…カツ…と遠くの方から誰かの足音が聞こえた。
(もう夕飯の時間なのかな…今昼ごはん食べたとこなのに…)
足音が段々近づいて部屋の前で止まったかと思うと、食事用の小窓ではなく、自室の扉がノックされた。
コンコン、ガチャリ…
続いて聞こえた扉の開く音に驚き、ガバっと顔を上げると、
「……アルタイル…様…」
そこには会いたくて会いたくて堪らなかったアルタイル王子がいた。
「…失礼する」
嬉しいような、胸が苦しいような…そんな気持ちで王子を呆然と見つめていると、王子はツカツカと自分の方へ近づいてきて、目の前で立ち止まった。
「…昨日、マリーが無事に子を出産した。だから夜伽の命はもう終わりらしい。…今までご苦労だった」
「あ…いえ…わざわざ足を運んでいただいて…ありがとうございます」
王子に声をかけられてからやっとうずくまったままだった自分に気づき、慌ててベッドの上で正座をする。
普通なら従者のオレが挨拶しに行かなきゃいけない立場なのに…王子は優しいから、だからこんな風にわざわざ従者の元へ挨拶に来てくれたんだろう。
胸がぎゅうっと苦しくなるが、王子を目にするのはこれが最後になるかもしれないので、涙をこぼさぬように必死で王子を目に焼き付ける。
「夕食の希望は本当にないのか?お前の食べたい物を極力用意するつもりなのだが」
「…いえ、こちらのお食事はいつも美味しいので…お気持ちだけ頂いておきます。ありがとうございます」
「そうか…」
礼儀的な挨拶が終わり、沈黙が落ちる。
それなのに、王子は部屋を出て行く素振りを見せなかった。
王子も自分を見ているから、無言で見つめ合う時間が続き、いたたまれなくなって思わず視線を王子の足元へ移動する。
すると、
「…夜伽の相手でお前が良かったと思ってる。お前が来てからよく眠れるようになった」
そんな言葉が降ってきたので、涙がぶぁっと溢れそうになり、それを隠すように視線だけでなく顔ごと下へと向ける。
「…そんな…身にあまるお言葉です。ありがとうございます」
王子の足元はもう、涙でかすんで見えない。
「本当に感謝している……だが最後に、どうしても確認しておきたいことがある」
「…っはい」
何だろうと思いながら、俯いたまま言葉を待っていると…
「…お前は最近、寝ている私に抱き付いていたろう。あれはどういう意図でやっていた?」
その言葉に、涙がこぼれるのも構わずにガバッと顔を上げる。
「気づいて…らっしゃったのですか…」
見上げたその先の王子は昔のようなポーカーフェイスで、感情が読み取れない。
「…先月くらいか。たまたま寝つきが悪くて眠れずに目を閉じていた時に、お前にもう寝たか声をかけられて返事をしようとしたら…お前が抱き付いてきたから返事をし損ねた。…それからお前を気にかけるようにしていたら、毎日私が寝た頃にお前が抱き付いてくるのだと知った」
(まさか…気づいてらっしゃったなんて…)
サーっと一瞬で血の気が引く。
王子に抱き付いていた行為は自分にとってはかけがえのない思い出なのだが、主である王子にとって従者のそんな行動は愚行でしかない。
この場から消えてしまいたいと思いながらもその場を離れることもできずに、ほろほろと涙が溢れる。
「…私は、従者失格ですっ…申し訳ありませんでした…!」
今できる精一杯の懺悔としてベッドの上で土下座するが、王子がそんな行為で納得するわけなかった。
「…私は詫び言を求めたのではない。何故そのようなことをしたのか聞いているのだ」
「申し訳ありません…っ」
「………」
もう1度謝罪するも、王子の返事はない。
沈黙が続く中、王子は一向に部屋を後にする気配はなく、自分が王子の質問に答えるまで待っている気なのだとわかる。
何か答えない限り、王子はここで待ち続ける。
だけどオレが王子に嘘をつける筈がない。
…だとしたら、どんなに悩んでも、オレが言える言葉などもう決まっていた。
「私は…アルタイル様をお慕い申し上げておりました」
震える声でなんとか伝える。
しかし王子は、
「慕う?主を慕わないような従者は逆に困るだろう。慕うだけでお前は誰にでも抱き付くのか?」
と、すんなり納得してはくれなかった。
もう一度覚悟を決めて、シーツをぎゅっと握り声にする。
「…アルタイル様に…恋愛感情で、好意を寄せておりました。1度でいいから、抱いて下さらないかと思ってしまいました…それが無理なら、せめて思い出だけでもと……こんな浅ましい感情を抱いてしまって申し訳ありません。不快な思いをさせて、申し訳ありませんっ……っ」
嗚咽が止まらず、肩を震わせる。
土下座をしたまま顔は上げられず、顔の下にある手やシーツは、涙でぐちゃぐちゃに濡れた。
王子はこんなオレに呆れただろうか。…それとも嫌悪を抱いただろうか。
この想いが通じ合うだなんて思っていなかったけど、それでも嫌われたくはなかった。
(もうこのまま死んでしまいたい…)
そんな風に思ってしまうほどの絶望の中、静かな室内にカツン、と王子の足音が響いた。
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