第27話 川の日傘
「峰二、ごめん待たせた」
「いいよ、花山鈴」
綾乃は居間の真ん中にあるちゃぶ台に肩肘をつきながら旧型のテレビを見ていた。アナウンサーが今日のニュースをスラスラとあえて、微感的に読み上げていた。昨晩起きた事故、街角流行調査、著名人の告別式、猫。下手なバラエティ番組よりもコミカルで笑える。いや、笑ってはいないか。昔のえらい人がニュースというのは情報としての役目を果たしていなくて、ニュースショーという一つのエンタテイメントだなんだと言って、揶揄していたけれど、その先人も今はもういない。言葉は少なくとも私に残った。それで充分。言葉ってのは凄い。偉大だ。
「峰二、行こ」
「もう?このあとの、当たらない懸賞じゃんけんが好きなんだけど……」
「うん、今日はゆっくり歩きたいんだ」
綾乃は相変わらず、不思議そうに大きな両目を回しながらも私の提案を飲む。昨日の今日で判ったことが一つ。綾乃は素直な子なんだ。ちゃんと頼めば聞いてくれる。前言撤回、そう言えば私の上からしばらく退かなかった。ちぇ、結局二面性か。
家を出ると風が強く吹いていて、夏の熱気を地面から吹き上げて、首筋のあたりに汗を滲ませた。手提げ型の学校鞄を持つ右手が少し湿る。取手の金具だけが少しひんやりしていてなんとなく、鞄を傾けて持つ。ふと隣の綾乃に目を向けると、汗一つかかずに、飄々と歩いている。夏袖から覗く真白な腕は砂浜に打ち捨てられたヤドカリの不要宿ほどにカラッとしていて、見てるだけで私の網膜の奥から脳を乾かすような気がした。
「あ、私、汗かかないんだ」
「へえ、いいなぁ」と羨む私。
「その代わり肌が薄いから、日光浴びてると痛くなっちゃうんだ。なんとか症候群ってやつ」
「へえ、そんなのあるんだね。峰二のお父さんとかがそうなの?」
「あ……うん、お父さんから……遺伝かなぁ、へへ」
綾乃はなんだか嬉しそうだ。
「大変だねえ。日傘とか無いの?」
「あ、あるよ!待って、ほら!」
綾乃が取り出したのは外側が銀色、内側が真黒で小さな携帯傘だった。試しに差してみると使い心地は案外快適なのだが、傘射程外の人間を一瞬構えさせるほどの照り返しが凄く目立つ。数秒前、そこの角で若いスーツのお兄さんがこちらを睨んでいたので、間違いない。ギンギラギンにさりげなく、でも全然謙虚じゃない。綾乃みたいだと少しだけ思った。
「傘、変えたら?」
「えーなんでーかっこいいでしょーこれ」
綾乃は傘を差したまま、くるくる廻ってみたり、ジャンプして傘を掲げ、空中に浮いているようなふりをする。その様を適当にフラフラと笑いながら、私は頭の中で別のことを考えている。
「峰二はさ、バイトとかしてる?」
「いや、特にやってないよ?なんで」
「昨日お金欲しいって言ってたじゃない。だから」
「あー、そだね、でもバイトはやってないよ。出来ないんだ家が厳しくて。お金が欲しいっていうのも、あったらいいなって思ってるだけで、必要に迫られてるわけじゃないよ」
そう言う綾乃の横顔からは何か。冷たい寂しさのようなものを感じた。彼女の白肌の見た目からそう感じられているといえば何でもないことなのだが、何かが私の中で引っかかって奇妙なしこりのようなものを心に残した。彼女は何かを隠していて、今の私にはそれを知るすべがない。
「花山鈴は?」
「バイト?してないよ。越してきたばかりだし、うちの部屋も見たでしょ?ダンボールだらけで片付けもろくにしてない」
「花山鈴は片付けとかしなさそうなタイプだもんね」
「はあ?手伝わせるよ、すぐ」
「嫌だよ。門限とかあるしー」
「門限は破るためにある」
「飼ってくれるなら、いいよ?全部やったげる」
「何?」
「うちではお父さんが私を飼ってくれてるんだー、だから花山鈴もそうしていいよー」
私は自分の子供の頃を断片的にしか覚えていない。悪い記憶も多くはなくて、よくよく平穏無事に暮らせていたのだと今では思う。
「あ、じゃあ部活でも入んなよ」と私。
「嫌だよ」綾乃は顔を伏せる。
「入ってみたらいいじゃない」「やだ」「面白いかもよ」「つまんないよ、私わかるの」「何が?」「長いものが」「それも勉強じゃない?」「違うよ。無理して勉強しても意味ないの」「そうかなぁ」「そうだよ」
そうこうしているうちに駅のホームが見えてきて、綾乃が定期券がないということで探しているうちに一限の開始時刻が過ぎて、それでもあたふたしてると、綾乃のお父さんが迎えにきて、二人とも車で学校まで送って貰った。後部座席からはよく顔が見えなかったけれど、綾乃のお父さんはたぶん綾乃に似ていたと思う。でも挨拶してくれなかった……
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