第119話 魔王の座

「覚えておけ、次の魔王は悪鬼族ヴァンパイアロードのこの私だと言う事を」



 そう言い放った優男は漆黒の外套を跳ね上げるなり、黒い霧を周囲に舞い上げる。

 同時に石畳に顔を沈めていたサキュバスがむっくりと体を起こし、青髪の短髪男は瞬く間にその姿を変えた。


 男の全身の筋肉は岩のように隆起し衣服が破け散る。

 青い髪はその色を全身に染め広げ、そこには一つの化物が存在していた。


 ブルーオーガ、その化物はルナ=ランフォートの村を襲った魔物のそれであった。



 

「許さないわよ……あの格好、気に入ってたのに……殺してやるっ」

「コイツは俺がやる、お前は引っ込んでなサキュバス。主、お許しを」

「好きにせよ」



「そんな!アイツは私をこんな姿に戻したんだ、私が殺す」

「黙っていろ未熟なサキュバス!主のご命令だ……く、く、く……楽しませてくれよ獣族の勇者とやら」




 怒りを顕にし、元の妖艶な雰囲気など微塵もないサキュバスを抑えてブルーオーガはベルクに対峙した。


 だが直後、ガシャガシャと騒がしい音を鳴らしながら石床を走る人間とそれに追従する者がベルクに近づく。

 ベルクは視線を魔族達から外さないまま、その音の主を的確に把握する。


 それはかつて何度も死線を共にした者の気配。



「遅えぜジイサン、それにアリエルも久し振りだな。今まで何処で居眠りしてやがったんだ?」



「なんじゃこれは!魔族がどうやって入ったと言う。エミールの結界は!?」

「……結界は、破られているわ。あそこ」




 足音の無い穏やかで冷たい気配。

 数年ぶりに感じるエルフ、アリエルの気配を察知してそう声を掛けたものの、全く無視されたベルクは思わず肩を落とした。


 そしてドワーフのシュダインはアリエルに言われるまま空を見上げ、過去にエミールが張った結界の一部が破られているのを確認して愕然とする。



「なんと……エミールが死んで弱まったと言うのか」

「おいジイサン、そんな事より今は目の前のごみ処理が先決だぜ!」


「ゴミですって……人間程度が私を、ゴミ?」

「ふははっ、獣にジジイに女、どっちがゴミか教えてやろうか」



「サキュバス、オーガよ。そいつ等は人間じゃない、精霊族。ドワーフとエルフだ。未だ勇者気取りで人間に手を貸すか」




 未だその姿は変わらない長髪の優男は、シュダインとアリエルに向かってそう言いながら鋭い視線を二人に向けていた。

 


「貴方達には関係のない事」

「主等の親玉はどこに居る?サキュバスにオーガに……以前の襲来では見なかったな、ヴァンパイアよ」


「何か知らねーけどよ、こいつが次期魔王なんだと。仲間内で争ってんじゃねぇのか?」



 シュダインの疑問にベルクが雑な返答でそう応える。三人の元勇者パーティと三人の魔族はその間合いを見定めるように視線を交していた。



「ふん、他にも低俗な魔族共が次期魔王の座を狙っているようだが……下らない。私が全てを支配する、ただそれだけだ」


「うっせえな、ならとっとと掛かって来いよ!ビビってんじゃねぇのか?」




 ヴァンパイアの言葉と笑みを受け、ベルクはそう言い魔族達を挑発する。それを聞いてまだ魔族としては若いサキュバスは怒りに震えるが、オーガはそんなサキュバスより先にベルクの間合いへとその一歩を踏み出した。



「く、く、く、獣族。貴様は俺達を――舐めすぎだぁぁ!!」



 刹那、オーガはその強靭な拳をベルク目掛けて叩きつける。

 ごく自然にそれを横飛びで避けたベルクの足元には、先程自分がサキュバスを叩き付けた時のようなクレーターが出来上がっていた。



「この筋肉バカっ!ソイツは私の獲……」

「――貴方の相手は私」



 自分を殴りつけた憎き敵をオーガに獲られたサキュバスは、自分もとベルクへ追撃しようとした所でその一歩をアリエルに塞がれていた。





「民よ!皆、城へ避難しておれ!!」




 そう、戦いの火蓋は今切られた。

 シュダインはそう感じ、辺りで未だ事態を理解していない国民達へ逃げるよう指示を出す。


 民はそんなシュダインの言葉に逡巡していた。

 殆の国民は知らない、鍛冶職人、ドワーフのシュダインが過去勇者と共に魔王を葬った事を。

 

 ましてやエルフ等見るのも初めてだと言う人間ばかりなのだ。

 だがそんな彼等でもこれだけは分かった、この状態はかつてないワンキャッスルの危機だと。民は口々に避難を促し合い、今や飾りとなった元魔王城へと向かって駆け出した。



「ベ、ベルク……さん」



 だがそんな中、ブラック・ナイツの一人はこの状況に自分も加勢するべきなのではないか、国の強者として、今こそ民を守るべきなのではないかと震える声を必死に絞り出してベルクの名を呼んでいた。




「あぁ!?今取り込み中だ!いいからてめえ等は団長さん連れて逃げな!世界、見るんだろ?」


「小賢しぃァァ!!」

「っとぉ!てめえはうるせぇ、今話し中なんだよっ!!」


「ぶぐ」




 ベルクは襲いかかるオーガの腹を中空で半回転しながら蹴り上げ、両手の手甲を振り下ろす。だがオーガは体勢を崩されただけでダメージを受けている様子は無かった。

 


「獣族がぁっっ!!」

「ぐぁっ」



 オーガの剛腕を避けきれ無かったベルクは、両手の手甲でそれをまともに受け後ろで立ち尽くすブラック・ナイツの所まで吹き飛ばされていた。



「ハハハッ……血がたぎるぜぇ!!」



「ちっ、くそ硬えな。オーガの分際でよ」

「ベルクさん……俺達は」


「いいからとっとと逃げろっつてんだろうが、ぶっ殺すぞてめえ等!いいか、強ぇ奴は最後に出張るモンだ。お前らは城でどっと構えてりゃいい、前座の俺達がやられたら出番が回るからよ。待ってろ!いいなっ!」





 ベルク達は前座、そして城で待つ強者こそが大物。だから城に行け。

 そんな言葉はベルクがブラック・ナイツのプライドを守りながら逃がそうとする最大限の優しさなのだと、ブラック・ナイツの皆もそれ位は理解できた。


 ブラック・ナイツ等所詮子供のお遊びだった、今ここにあるのは命を賭けた本当の、ギリギリの戦い。


「く、はい……!」


 ベルクにそう言われたブラック・ナイツの一人は、瀕死である自分達のリーダーを担ぎ他の皆と共に一斉に城へと駆けたのだった。





「ったく……アイツ等余計な事喋らせやがって。これで負けるわけに行かなくなったじゃねぇか」


「随分、人間に寄ったのね、ベルク」



 気付けばサキュバスの攻撃をひらりと避けて来たエルフのアリエルが膝をつくベルクを庇うように眼前へ立つ。



「ふん、これだから嫌だねぇ……耳長は、少し短くして聴力落せよ」



「…………ダサ」

「なっ、テメェ!エミールの真似すんなぁぁ!!」




 

 一言呟いて再度サキュバスへ向うアリエル。

 手元に収束するは風の魔力。



 ベルクも負けじと過去に一城から習った魔力の扱いを思い出し、両足両手にそれぞれ風と土の魔力を収束させた。



 ドワーフのシュダインは自慢の魔力機である戦闘斧を掲げ、ヴァンパイアロードへと対峙する。





 過去の勇者パーティ。

 勇者一ノ瀬一城、聖女エミール=テナー、剛斧のシュダイン、光拳のベルク、孤高のアリエル。


 歴史書に刻まれる事の無い世界の英雄達とそれを滅ぼす魔の大戦が、今ここに再び始まろうとしていた。


















「フフフ。温い、温すぎるなぁ!」

「くっ、まさかここまでとは。魔族を少々侮ってたよ。この事を王都に……ブライン!」



 シグエーは漆黒の甲冑で全身を覆う一人の騎士と鍔迫り合いとなり今にも押し負ける所であった。


「ハイライトさん!くそ、斬!」


「ブライン、ボルグ、フィリップス!三人共すぐに王都へ戻るんだ!取り敢えずギルドヘ!」

「王都?帝都の間違いだ、ろっ!と」



 ボルグは火焔を巻き上げながら二体の騎士を吹き飛ばしてそう溢す。



「ボルグの言うとおりです、ハイライトさん。我らは貴方と共に……それに援護を頼むなら帝都の方が近い!」

「ぐ……炎舞、蹴撃!」




 シグエーは自らの剣が目の前の黒騎士に弾かれそうになるや否や、炎の渦を纏った蹴りで黒騎士の甲冑を抉る。


 │神星のトライレイズンの三人とシグエーが辿り着いた此処ノルランド大国第七都市。

 深い霧に包まれ、街灯魔力機どころか人の気配も無い、そんな都市内で四人が出会したのはいつしか数十人と集まって来た騎士団であった。


 頭の上から足の先まで、全てをくすんだ銀色の甲冑で覆い隠す騎士達。だがただ目の前の四人を殺す事以外は何の意志も言葉も発さない不気味な死霊の如き騎士の群れ。


 だがその騎士の群れは、シグエーが今競合っている異質の魔力を纏う漆黒騎士、否魔族によって操られているだけの元はこの都市にいた人々。



「第七都市は駄目かもしれない、ノルランドのギルドは一体何をしてるんだ……」

「ノルランドのギルド、というより国の兵団が本来出張るべき自体では?ハイライトさんにしては弱気ですね」


「そうそう。まだ、やれるって!峰打ち、双剣斬刹(ツインスラスト)」




 意思のない騎士達は幾ら打てども響かずに何度でも立ち上がった。トライレイズンの三人は強がりを吐きながらも、相手が都民と判ってしまっただけに本気を出せず手をこまねくしか無かったのだ。




「そう、だね。すまない、だけどこのままじゃジリ貧……!?」


「あ……うっそ」


「こりゃまた……もうどっちにも行けねぇんじゃねーのか?」

「なるほど、確かに厄介だ」



 見れば騎士団はその数を増やし、四人の周囲、建造物の階下階上には最早一国の兵団と違えぬ程の数の騎士達が犇めいていた。

 意思のない騎士と成り果てた者達。その一体一体の力量はギルド員で言う所のB階級程度であろう、だがその数は膨大であまつさえ本気を出す事も躊躇われる状況。


 絶体絶命、そんな冗談が四人の脳裏には過っていた。





「フフフ……ハッハッハ!我こそデュラハンに使えし近衛兵、魔族ナイトメア也。この国を新たな魔の地にするべく、働け、下僕達よ!!」



 魔族、アンデッドデュラハン。

 不死の騎士と呼ばれたその魔族は生を蹂躙し自らの下僕とする、過去魔王セレスの右腕とも呼ばれた暗黒騎士の名。

 そしてこの第七都市を壊滅させたのはその部下であろう近衛兵ナイトメアだった。


 ナイトメアはいつしか半身を馬に変え、辺りに犇めく銀色の騎士団へそう鼓舞していた。

 低い呻きが幾重にも重なり、まるでそれは地鳴りのように四人の耳に響く。




「ぅひぁぁぁぁ!!!」

「キャアァァァッッ」




 だがそんな刹那であった。

 上空から降り注ぐ場違いな悲鳴、それは瞬く間に地上へ近付き、そして、犇めく甲冑の群れに彗星の如く落下した。




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