第113話 Convert


 この事態は一体なんだと言うのか。


 次から次へと降りかかる面倒事、普通に生きると言うのはこんなにも難しい事なのか。


 地球に居た時もそう、真はただ何事もなく平穏に暮らしたかっただけの筈だったと思う。

 だからこそこの世界に飛ばされた時咄嗟に思ったのがただ生きる事だった。



 だが此処に来てもそれは変わらない。

 次々と自分の前に姿を現す面倒な現実は、真の人生を邪魔するが如く見えない壁のようにそれを阻む。



 確かに一度は捨てた平穏と普通。

 捨てたものはもう二度と手に入らないモノなのか。


 自業自得、ならば、いっそ。

 平静であった真の心は知らずの内に暴れだそうと胸の底で蠢いていた。












 ジギルからついでとばかりに報告された事。

 

 ネイルと土竜のフレイがノルトの高級宿屋で男遊びに興じているが、ネイルの護衛はどこまでからかと言った疑問であった。


 あのギルドの受付係ネイルの趣味は真の知った所ではないが、そこに土竜のフレイがいるとなれば話は別だった。


 そんな情報に真はまさかと自分の耳を疑った。



 案内しろとジギルに言いながらも我先に加速アシストでルーシィが監視している所まで疾走る。 

 そこから見える光景には真は思わず息を飲んでいた。

 裸体の二人、仮面の人物。

 それは確かに見知ったネイルと、散々旅を共にし、あの日身体を重ね、似合わずも愛を口にした相手。

 フレイの姿だった。


 気付けばジギルとルーシィの報告等聞く間も無く、真の身体はその宿屋最上階にある窓へと飛んでいた。




 服を脱ぎ捨て四つん這いで尻を向けるフレイをそこに見た時、真は自分の理性を保つのに必死だった。


 冷静になれと自分に言い聞かせた。

 女が寝取られる、襲われる、輪姦される、そんな事はあの地球で日常茶飯事にあった事だ。


 大した事じゃない、そう考えたが真は心のざわつきを抑えきれないでいた。



 バジリスク討伐にフレイが向かった時、それを見捨てて一人逃げてきた男へ怒りを感じた。それに似ている。

 だが何処かあの時とは違う不可思議な感覚。



 怒り、嫉妬、疑念。

 分からなかった。


 ふわふわと脳が宙へ浮くような感覚、自分が自分を手放すようなそんな感覚に真は身の危険を感じていた。


 目の前で何かを喋る仮面、それに返事を返すが相手が何を言っているか、自分が何と返しているのかも正直な所分からなくなっていた。




 乖離。

 言うなればそう、今の真に最も当て嵌まるのはそんな二文字。真は最後に自分の理性を振り絞り、誰に言うでもなくラベール花をくれと、そう言い放った筈であった。









「僕の為に尽せヒロイン共っ!!」


「女を使うとはな、ド素人が……どうするフォー、ス!?」




 ジギルは先程まで遊び相手にしていた女を差し向ける奇怪な少年に嫌悪感を抱いたが、それよりもこの状況をどうするべきかと真へ判断を仰ごうとした。

 だがそれは次の瞬間に全く必要の無いものとなった。



 日々を暗殺と自らの鍛錬に費やして来たジギルでさえ殆ど何をしたか見えない程疾い真の動き。

 裸体の女は既に武器を手放し、室内にきっちりと敷かれた絨毯へと沈んでいた。

 知り合いだと言っていた女、護衛しろと言っていた女、それを自ら反故にするような行為。


 迷いの一切感じられないその動きにジギルは感服した。だが同時に恐怖すらも覚える。

 死線を潜った者だからこそ判る空気の違い。

 殺気、怒気、それすらも無い静けさに満ちた真の背中から感じるそれ。


 狩る者と狩られる者の境界をはっきりと分つ程の空気感にジギルは自分がどれだけ無力かを思い知らされた。




「はっ!な、お前!じ、自分の女だろ……そ、そんなのラノベじゃあり得ないぞっ!」



 仮面を額に上げ、奇怪な目を持つ少年の言葉に呼応するかのようゆっくりと振り返る真は残忍な笑みを零していた。



「なっ、何だ、よ。何笑って――わっ!?」



 少年中谷飛翔は咄嗟に視界を覆う何かを反射的に、そしてこの世界における最大限のステータスを持ってそれを身をよじって躱した。


 避けてから初めて分かるそれは真の手。開かれた掌で視界が遮られていたのだった。

 恐るべきスピード、それは飛翔の視ているシン=フォースのステータスからは考えられない程速いものだった。


 だが真の動きは再度停止する。

 掌を中空に掲げたまま、飛翔に一撃を避けられた事がショックであったかのように静止している。




「なんなんだよ、コイツ……今、見えなかった?でもそんな訳無い。ステータスは、ほら、やっぱり低い!僕の足下にも及ばないじゃないか」

「小僧、さっきから訳のわからない事を言っているようだがお前には消えてもらう。悪く思うなよ」



「ん?」



 背後で掛けられるそんな言葉に飛翔はふともう一人の男が居たことを思い出した。

 突如投げられる短刀を難無く片手で掴み取り、その男のステータスを視る。



「STR1000……!?SPDも全部4桁超っ……なるほど、アサシンか。通りで……こんなに強い人間ははここへ来てからエミールさん以来初めてだよ、まぁ僕には及ばないけどね。ついでに魔族にも、ね」

「……素手で、掴みやがったのか?また化物か、勘弁してほしいな全く」




 飛翔の目に映ったジギルのステータスは基礎能力数値が全て四桁を上回ると言う人間では有り得ぬもの。

 固有に称される職種はこの世界のギルド員によくある戦士や剣士、魔法士等ではないアサシンローグと言うものであった。


 アサシンと言うその文字列に飛翔の心は踊る。

 何とも心擽る響き、だがそれよりもそんなアサシンを優に越える自らのステータスに歓びを感じていた。



「ふふ……イイね、アサシンかぁ。でもこれならどうかな?僕の目を見て平伏せ!」



 ジギルは飛翔の言葉が言い終わる前に自らが仕えると決めた男フォース、真の前へと転がり込んでいた。


「あっ!おいお前!」



 それにより飛翔の策略は脆くも崩れ去る。

 思念操作によりアサシンであるジギルを操って真へぶつけようと考えていた飛翔だが、ジギルは暗殺を生業とする戦闘のプロである。


 戦いの場において、ましてや暗殺でも無い戦場において、相手の目を見る事などは決して無かった。

 相手の目を見ると言う行為は、此方の意図や次の行動をまた相手に伝えるのと同義。


 戦闘時に見るべきは一点ではない。

 全体を視界に収め、特に敵の筋肉の僅かな動きを読み取る。僅かな筋肉微動は次の行動への指針。

 それを読まれない為に暗殺者は皆身体を隠す様な格好をしている。




「おい……フォース、手練だ。手に余る、一旦引くか?」



 ジギルは理解していた。

 あの奇怪な目をした少年は最早人間ではないだろうと、そして自分一人でとても敵う相手では無いと。


 命を賭した環境では相手の力量を読む事が何よりも重要。戦う事にプライドを賭ける戦士とは違いジギルは暗殺者である。

 暗殺者たる者に失敗、つまりは敵に殺られる事等あってはならない。


 暗殺者が死ぬ時は主より制裁を受ける時、そして自害する時のみ許されるもの。

 ジギルは既に一人ではこの少年に勝てないと判断していた。

 恐らく自分より強い筈の真がいたとしても厳しいと思われる状況。


 元々この事態は突発的な真の行動によるもの。

 計画を立て直し、再度確実に殺せる状況を作るべきだとジギルは真に呼び掛けていた。



 

 だが、返ってきたのはそれに対する冷静な返事等ではなかった。



 背筋を奔る戦慄。

 真の目を見てジギルは思い出していた。

 過去にサトポンへ暗殺稼業を辞めたいと漏らした時に感じた恐怖を。

 逃げる事さえ、自ら死を選ぶ事さえ躊躇われる程の恐怖。

 一瞬にして自分がどんなに小さな存在かを知らしめられるサトポンの目を。



 今自らが仕える男、フォースはそんなサトポンと同じ目をしていたのだ。


 思わずジギルは口を噤み目を逸らす。

 逃げ道のない恐怖と戦慄、仮面少年のおぞましい片目など最早稚気にも等しい。

 今眼前にいる真の目は、見れば自我を崩壊させる程の恐怖を与える正に漆黒の無であった。




 真がふと緩慢な動きで辺りを見回す。

 それはヒエラルキーの頂点に位置する者が餌を優雅に選り好みするが如く。



「このっ!どいつもこいつも……僕を馬鹿にしやがってぇぇ!!何笑ってる!お前も僕に平伏せぇ!!」




 膝を折り、俯き震えたままのジギル。

 辺りを見回し薄っすらと広角を上げる真。

 飛翔は真と目が合ったその瞬間を逃さなかった。


 自分を嘲笑するようなこの状況に怒る飛翔は真へと思念操作を送る。ひれ伏せと、この虫けらが、足を舐めろと、そんな支配欲を全力で真へと向ける。


 真の動きが止まる、視線を飛翔に向けたまま。





「ふ……ふはは、あはは!そんな怖い目をしたってダメさ。君はもう僕の――」

「conscious mind off sin kirisaki……choosing……dicided the no.3 biokillhuman…………convert!」




 次の瞬間であった。

 声にも似た電子的な音、それは真の持つデバイスより発声された。

 それは無機質で残酷な響き。



 恐怖と殺戮の通知音であった。

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