第70話 悲恋の先にある愛は


「悪いアリィ、ちょっと行ってくる」

「え、あ、ちょっと!」



 白衣の薬師に連れられるフレイを心配した真はアリィをその場に置き去りにしたまま観衆を軽く飛び越え、仮設の控え所へと向かった。





 控え所では薬師達が皆一様にフレイの容態を伺いながら首を傾げている。

 真は関係者以外はと制される中、知り合いなんだと言って半ば強引にフレイの元へと歩み寄った。



「……シ、ん」

「フレイ、何があった」



 真はフレイのじんわりと汗ばむ額に手を当て、発熱を確認しながらフレイに状況説明を求める。

 だがフレイの言葉から何か得られるヒントも無く、真は理解に苦しんだ。

 薬師達はそれぞれ毒の類いならこの薬が、ただの体調不良ならこっちの方が等とフレイの発熱や既に塞がった傷口を見ながら様々な推測を並べ立てている。


 だがフレイの体内には真と同様細胞活性酵素が存在するのだ。フレイが真と同じ仕組みの体を持つ人間ならば、体内で異常と見なされた毒素と成りうる物は多少の時間差はあっても直ぐに分解される筈である。

 それがウイルスであろうと、化学物質であろうと、自然界に存在しうる化合物であろうともだ。


 だがその酵素を持ってしても回復しないのならばそれは地球でも網羅されていない毒素か、はたまた体内で必要と判断された物質かのどちらかになる。

 フレイの状態を見る限り、真は前者が有効かと考えこの世界の未知なる物に歯噛みした。



 薬師達は結局フレイが微熱程度の症状しか無い事から体調不良の類いだと判断し、何かの粉が包まれた折り紙を知り合いだと言う真へと渡し解放したのだった。






「……フレイ、立てるか」

「はぅっ……あ、あぁ大丈、夫だ、少し力が……はぁ……はぁ、入らなくて」



 真はフレイに肩を貸し、取り敢えずは宿でフレイを休ませる事が先決と考えていた。

 だが宿まではここから少し距離がある、まだどこか足元が覚束無い様子のフレイのスピードに合わせていたら日が暮れてしまう事だろう。


 真は会場から少し離れた所まで来るとフレイを抱き抱え、一気に宿まで駆ける事にした。



「フレイ、少し大人しくしてろよ」

「え……ぅあぁんっ」


 どこか艶やかさを感じるフレイの声を耳に入れながら、真は二人分の反発応力によって人目に付かなそうな家々の屋根を跳び移りながら昨日の宿へと足を向けたのだった。





 フレイはもうスピードで次々と屋根を跳び移るそんな状況を驚愕の表情で眺めていたが、その顔には何処か羞恥の色が滲み出ている。

 時たま上げるフレイの聞きなれない上擦った声は真の体の底にある何かを掻き立てたが、それが何かに気付く前に二人は宿へと到着していた。





 フレイを抱き抱えたまま宿屋のフロントでトーナメント登録証を見せて昨日と同じ部屋の鍵を受け取る。



 簡単な言葉でフレイに許可を得た後、真はフレイが泊まっている部屋の鍵を開けてそのベッドにフレイを寝かせてやろうとしたそんな刹那だった。

 抱き絡まれていたフレイの腕が真の首から外される事は無く、真はバランスを崩してフレイもろともベッドへと倒れ込んでしまう。


「はぅ」

「わ、悪い……フレイ、その……腕んもっ!?」



 突然フレイの顔が認識出来なくなる。

 数瞬の間を置いてそれはフレイの顔が自分の顔と零距離になったからだと理解した。


 真の首に絡まったままのフレイの腕。

 そこには一層の力が込もり、真は無防備な自分の咥内で暴れるフレイの舌をただ無感情に受け入れていた。



「…………んはぁ、はぁ……」

「フレイ……一体」


「シン……す、すまない……分からない。もう、抑えられないんだ……わた、私は……ふしだらな女だ……すまない、シ、ン」



 フレイの行動の意図は読めなかった。

 だがその表情は何処か真剣で、そして自分の感情と必死で葛藤するフレイはやはりフレイなのだと真に感じさせていた。



 フレイは自分の中に蠢く欲情を必死に抑えようとしていた。それは真自身が戦闘の快楽に沈む自分を抑えようとするが如くだ。


 真はその辛さをよく知っていた。

 フレイの事情は分からない。ただこの辛そうな表情を少しでも安らぐ物に変えられる事が今の自分に出来るのならと……真は全てを考える事を止めた。




「いつかに俺もフレイに同じ事をした。その仕返しなら……遠慮しないでくれ」


「シン…………分かった。遠慮……しない」







 ただ欲望のままに荒れ狂うフレイを、初めて見るフレイの乱れる身体を、真はふしだらとは思わなかった。

 ただ二人の間に渦巻く欲望と本能は、互いの心に巣くう傷を嘗め合うには最も有効な薬と成り得たのかもしれなかった。
















「……シン、あ、そ、そのっ」

「身体は、大丈夫か?」


「あ、う……もう、平気、みたいだ。何だか雲が晴れた様で……その、私は……」



 宿に着いてからどれくらいの時間が過ぎたか、真はそれをデバイスでわざわざ確認しようとも思わなかった。

 それぐらいにフレイと身体を絡ませていた時間は長く、ただ真は真とて今まで空っぽだった自分の心が見えない何かで満たされているのを感じていた。



 フレイがどうしてこの様な事態に見舞われているのか、原因は定かではない。あくまで推測を、仮説を立てるなら、あの戦いからフレイがおかしくなったのだとしたらあの男が何かしらの薬をフレイに盛ったと考えられた。

 それ位にフレイは欲情に身を委ね、ただ本能のままに真を貪り続けていた。



 強力な媚薬の類いか、女特有のホルモンを過剰分泌させる物であれば細胞活性酵素の効果範囲ではないかもしれないと真は結論を下していたのだ。


 だがしかし媚薬はあくまでもその程度の薬、人を自在に操れる様な代物ではない。

 ならばフレイが真を求めたのはそれが真意であったからで、媚薬はそんなフレイの気持ちを解放させる手助けをしたと言う事にしかならないのだ。


 詰まる所、フレイの真に対する気持ちは本当にそう言う物だったと言う事だ。だからこそ真はフレイのそんな正直な行為を受け入れる事にした。

 それは真もまた、フレイに心の拠り所を求めていた何よりの証明なのかもしれなかった。







「随分……激しいんだな、人格が変わって――――」

「いっ、言うな!!」


 女だと実感させる下着姿のフレイは、シーツで身体を覆いながら不躾な言葉を放つ真の口を両手で塞ぐ。

 その表情は明らかに不本意だと言いたげな顔、真はそんなフレイのか細い腕を取り、その手をそっと引き剥がした。こんな細い腕のどこから戦闘狂いな男達と対峙する程の力が出るのか不思議にも思えるが、ただ真はそんなフレイを愛おしくも感じていた。



「……その、シン。私、は……」

「分かってる、もういい」


「いやっ、ダメだ。はっきりしたいんだ。こんな事までして私は……その、はっきり言って欲しい。私は……シン、お前を愛してる。シンは……どう思ってる?…………本当は気付いていたんだ、昨日の夜の返事が空返事だった事位。それを私は都合の良いように解釈して、挙げ句にこんな」





 そうだ。

 真はフレイの真剣な想いを、それに対する答えをまだ出してはいない。ただあぁとだけ、そしてそれは夏樹を、過去の恋人を思い出して物思いに耽っていただけなのだから。



 ここで答え出すのは夏樹に対する裏切りか、出さないのはフレイへの裏切りか。まさかここに来てこんな事で自分が思い悩む事になるなどとは考えた事もなかった。




 だだ、真の中で既に答えは決まっていた。


 過去の恋人に囚われ、それを武力に還元し今まで歩んできた真の道は今や空っぽではない。

 これは真に与えられた新たな人生の第一歩なのだ。



「……愛してる」

「へ!?」


 真の言葉にフレイの白く艶やかな身体が一瞬跳ねる。



「って言う言葉は俺にはよく分からない。けどフレイ、俺はお前と……その、一緒にいたいと思……うっ!?」




 渾身の力で抱き締められた真は再びフレイを抱えてベッドへと沈む羽目になった。

 真の顔に生暖かい、だがしかしそれは確実に人間である事の証。フレイは顔を赤らめ泣いていた。


 初めて見る物だった。人はこんなにも嬉しそうに泣く事が出来るのだと、真はフレイの涙を自らの手で拭ってやる。



――――シン……ありがと、う




 蚊の鳴くような声で紡がれるフレイのそんな言葉に、それはこっちの台詞だと真は心で呟き微笑んでいた。


 忘れてはいけない過去の呪縛、解放されてはいけない筈の恋人の死。

 だがそんな過去を抱えても尚、真は今初めて生きたいと感じていた。




(……許して貰おうなんて、思ってないさ)




 そんな心の声の宛先は、元恋人でもフレイでもない。ただ今を生きる真自身への覚悟の言葉。

 そう、自身の闇と向き合えるのは他でもない自分ただ一人なのだから。

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