File107. ホワイトハウス


 エルフ領・中央神殿区のほぼ中心に位置する中央神殿。

 第一催事場に代表される伝統的な木造建築の施設が並ぶ中で、中央神殿だけが金属とセラミックスでできた白亜の外壁を陽光に輝かせている。


 神殿と称されてはいるが、エルフ族に神を信仰する習慣はない。

 いにしえの時代から同じ姿で存在し続けるこの近未来的デザインの遺跡はすべてが半永久素材タイムレスアーティファクト化されており、その屋内中央広場にある女神像もまた悠久の時を超えて存在している。

 この施設が神殿と呼ばれる所以ゆえんは、古の時代にはここが神を祭る場所だったと、かつての学者たちがそう解釈したからに過ぎない。


 中央神殿には、そこに設置された古の遺物を操作するハイエルフ族も勤めている。

 白皮症アルビノを代々受け継ぐ彼らにだけは、なぜか古の遺物に備わるユーザ認証が適用されないというナノマシンシステムのバグがあるからだ。

 サナトゥリアのナノマシンシステム総合責任者認証において全身静脈パターンの読み取りという極めて重要な手順がスキップされたのは、ディアブロがそのバグを応用することに成功していたからだった。


 だがここで働くハイエルフ族を、エルフ族の職員たちが見かけることはめったにない。

 勤務エリアが明確に分けられているためだ。

 それでも女神像が立つ中央広場だけは、それらふたつのエリアが重なる場所だった。




 ルシアがその中央広場に立ち寄ったのは、族長謁見までの時間をつぶすためだ。

 中央神殿の受付で申請してから謁見までには、通常少なくとも二、三日はかかる。

 特に二大隊長の不在が続く最近は、二か月以上待つこともあると聞いていた。

 ところが、生まれて初めて族長への謁見を申請したルシアに、受付係は神殿式の敬礼をしたうえでこう言ったのだ。


「浄階のルシア様ですね。アマテラス三十度後に謁見の間・控え室までお越しください」


 エルフ族の敬礼には軍隊式と神殿式があるが、いずれも上位者への敬意を示すものであり、受付係とはいえ神殿に勤める者が一般の民にするものではない。

 少なくともルシアにとって、他人から敬礼されたのはこれが初めての経験だった。


 そして浄階とは、神殿内特有の階位区分のひとつであり、五つある階位のうちの最上位を意味する。

 二百万人が暮らすエルフ領において、浄階は族長と六神官の七名だけであり、明階の二大隊長よりも上だとルシアは記憶していた。


「な、何かの間違いです。私は何の取り柄もない一般領民で――」

「ルシア様、ここ中央神殿には〈離位置テレポート〉出現管理のためにすべての成人が登録されていることをご存知でいらっしゃいますよね? 入殿審査における照合結果に間違いはございません」


 受付係のにこやかな笑顔は自然なものだ。

 後ろに列をなして受付を待つ人々のことを考えても、それ以上の言葉を続けることがルシアにはできなかった。


(それにしてもアマテラス三十度って……。申請してから二時間で族長様に謁見できるなんて話、聞いたことがないわ)


 どう考えても何かの間違いなのだが、二時間後に控え室に行けばさすがに誤解も解けるだろう――そう考え、気楽に待つことにした。


(そこであらためて謁見の日時を決めてもらえばいいわね)


 贅沢とは無縁の彼女だが、時間だけはいくらでもあるのだった。




 通路に掲示されたエリアマップを見て、休憩できそうな場所へと足を運ぶルシア。

 “中央広場”と表示されていたスペースは四方に出入口がある円形で、屋内とはいえテニスコートが四面入るくらいには広く、吹き抜けの高い天井から光が降り注いでいた。

 中央の台座に立つ等身大の女神像を囲むように、花壇とベンチが配されている。


 神殿の職員や来訪者が休憩するには絶好の場所に見えるのだが、実は立入禁止なのかと不安になるほど人の気配がなかった。


(話には聞いていたけど、女神像って案外小さいのね)


 広場中央に向かうルシアは女神像の台座に刻まれた文字に気づいたが、古代文字であろうことはわかるものの読めなかった。


 STATUE OF THE LAST PRESIDENT OF THE UNITED STATES OF AMERICA


 そして間近で女神像を見上げて驚く。

 その顔も背格好も、サナトゥリアにそっくりなことに。


「サナ――?」



 ――うちが物語に出てくるような神になったいうたら、お母様は笑いますか?



 理屈ではわかっていた。

 中央神殿の女神像は古の時代に造られたものだと聞いており、この像のモデルがサナトゥリアであるはずはない。

 それによく見れば、女神像の耳はとがっておらずヒューマン族に似ている。

 だが思わずルシアは胸の前で両手を握り、目を閉じた。

 物語に登場する主人公が神に祈るように。


 心に浮かぶのは幼いサナトゥリアの泣き顔や笑顔、そして美しく成長していく姿。


 (もう二度と……あなたを見ることも、抱きしめることもできないのね……)


 胸にぶわりとわいた熱い何かに支配され、気がつくと涙で頬を濡らしていた。





「どうしてここに、エルフ風情がいるのかしら?」


 その冷えきった声に、ルシアの肩がビクリと震えた。

 白い髪、病的に白い肌、そして赤い目の娘が三人立っている。

 神殿の職員であることを示すゆったりとした神殿衣が白いこともあり、吊り上がった赤眼が目立つ。


 声を発したのは三人の中央に立つ背の低い娘だった。

 ハイエルフ族もエルフ族同様に二五〇歳くらいまでは老いを感じさせない外見を保つが、それでもその雰囲気から自分より若い娘だろうとルシアは思った。


「ここがハイエルフ専用の休憩場所だとわかっているの? みずぼらしい庶民エルフが立ち入っていい領域ではないのよ?」

「そ、そうとは知らず、申し訳ありません」


 とっさに視線を落とし、胸に手をあてて神殿式の敬礼をする。

 中央神殿はエルフ領を統括する機関であり、勤務中であることを示す神殿衣を身につけた職員には敬意をもって接する。

 それは義務ではないものの、エルフ族の伝統的な礼儀として定着していた。

 神殿の外で神殿衣を見かけることはめったにないが、それでもすれ違うことがあれば神殿式の敬礼をし、道を譲るのが常識だ。


 しかも今回の相手はハイエルフ族である。

 優遇対象であるハイエルフ族と揉めればロクなことにはならないと、エルフ領で暮らす者なら誰でも知っている。

 そんなハイエルフ族の神殿職員を前にして、ルシアは反射的に謝罪していた。


 普段はあまり見かけないハイエルフ族だが、神殿職員の半数近くを占めることが知られている。

 そのことをすっかり忘れ、気楽に神殿内をうろついていたことをルシアは後悔した。


「ふーん、自分の立場はわかっているようね。エルフごときが神聖な休憩場所をゴミで汚したのよ? それがどれだけ罪深いことか、わかるわね?」

「ゴミで……いえ、私はそのようなことは――」


 ルシアが視線を上げると、三人のハイエルフが笑っていた。


「この女、頭が弱いんじゃないかしら?」

「理解してほしいものね、庶民エルフという存在自体がゴミだということに」

「自分の罪が理解できたかしら?」


 ルシアにはわかっていた。

 ここで正当な理屈をいくら並べても意味はない。

 彼女たちはおそらく、休憩時間に見つけた獲物でストレスを発散したいだけだろう。


 森林防衛隊の隊長だった夫が生きていた頃ならともかく、今のルシアは本当にただの一般領民なのだ。

 娘が今も神殿護衛隊の隊長職ではあるものの、不在で悪い噂が立っている今の状況でその名を出せば、若い彼女たちには逆効果だと思えた。

 自分をゴミ扱いされたことに屈辱を感じてはいるものの、その程度の感情に流されないくらいには歳を重ねている。


「本当に申しわけございません。すぐに立ち去りますので、どうかご容赦ください」

「そうはいかないわね。ゴミであるあなたにゴミである罪を償わせないといけないもの」


 中央の娘が左足を前に出した。


「ほら、地面に這いつくばって私の靴を舐めなさい。これくらいの罰で済ませてあげることへの感謝の言葉も忘れてはだめよ?」


 一体何の罪を犯したというのか。

 この中央広場が共用スペースであることを、エリアマップを確認したルシアは知っている。

 それでもルシアはゆっくりと地面に両ヒザをついた。

 彼女の耳に、調子に乗ったハイエルフ娘の言葉が続く。


「あはは、面白い。エルフって本当にゴミね。神殿護衛隊の隊長なんてドワーフ族に寝返るために、あのチビで毛むくじゃらの男たちに身体を開いたらし――」


 ゴン――と、重い音がした。


 ハイエルフの娘が差し出した足をルシアが思いきりはたき、その勢いで大きく体勢を崩した娘が後頭部を花壇の硬い枠に打ちつけたのだ。

 その後頭部から赤い血だまりが小さく広がる。


「きゃああああああああ!」

「ひ、ひ、人殺し――!」


 真っ青な顔で金切り声を上げる残りのふたり。

 だがルシアが止まることはなかった。


「ふざけるんじゃないわよ、ハイエルフの小娘がっ」


 あまり人の姿を見かけないエリアだったが、それでも騒ぎを聞きつけた職員たちがたくさん集まってくる。


 ルシアが我に返ったとき、その両腕はそれぞれ男の職員につかまれ、足元には気を失った三人のハイエルフ娘が倒れていた。


「あ……」


 血の気が引くルシア。

 だが後悔はない。


「最愛の娘をばかにされて、おとなしくしていると思ったら大間違いよ。神殿全部を敵に回したってかまわないわ。もう迷惑をかける夫も、娘も……いないのだ……から……」


 毅然とした態度でいたかった。

 だが溢れる情動はどうしようもなく、涙がポタポタと地面に落ちる。



「ルシア様」


 その白髪の老人は、後頭部に血だまりを作ったハイエルフ娘の怪我を〈産触導潤キュア〉の魔法で治してから立ち上がった。

 ルシアの正面で神殿式の敬礼をする。

 同時に周囲からどよめきが起こったが、ルシアにはその意味がわからなかった。


「この場は私にお任せください。謁見の間でエステル様がお待ちでございます」

「え……あなたは? それにまだ時間が……」

「私の名はソロン――あなたと同じ浄階位にある者でございます。エステル様はすでに謁見の間にてお待ちでございます」


 周囲のどよめきがさらに大きくなったが、ルシアの耳には入らなかった。

 老人が着用しているほんのりと青みがかった白い服と帽子。

 それが六神官にだけ許された神殿衣であることを思い出す。


「あの……すみません。私、ソロン様にとんでもないご迷惑を――」

「そう思っていただけるのでしたら、すぐに謁見の間へお向かいください」

「は……はい」


 ルシアの前に道があった。

 両側に並ぶエルフもハイエルフも含めた全職員が、神殿式の敬礼をルシアに向けていた。



  ***




「ルシア」

「はい」


 謁見の間に据えられた背もたれの高い椅子に座り、便箋に視線を落としていたエステルが顔を上げた。


「ありがとう。ここに書かれていることは、すべて真実だろう」

「はい、私もそう思います。貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました」


 エステルの向かいに立つルシアが神殿式の敬礼を示す。

 族長のエステルは軍隊と神殿の両方の長であるため、どちらの様式の敬礼でもかまわない。

 ただ、自分が神殿における浄階位だとエステルから直接聞いたルシアは、神殿式の敬礼が妥当だと判断していた。


「本来であれば同階位のルシアに私も神殿式の敬礼を返すべきだと思うのだが、族長の立場は複雑でな。敬礼を返せないことを許してほしい」

「とんでもございません。先ほどまで自分に階位が与えられていることさえ存じておりませんでした。その……しばらく慣れそうにありません」


 便箋をルシアへ返しつつ、申し訳なさそうに目を細めるエステル。


「浄階といっても何ら義務を生じるものではないが、恩恵もないことを申し訳なく思う。それ以上は六神官どもを説得できなくてな」

「いいえ。エステル様が執務を中断してまでお会いしてくださったというだけで、身に余る光栄でございます。それに、職員の皆様もよくしてくださいます」


 見つめ合うふたりの表情は硬い。

 目をそらしたエステルが、突然椅子から立ち上がった。

 驚くルシアの手を取り、ひざまずく。


「……すまない、ルシア。カシムが死んだのは私のせいだ。危険を見誤り、彼を同行させた私の責任だ。本来は、謝るべきではないとわかっている。彼を死なせたことはエルフ族にとって意味のあることだと、そうしておくべきだとわかっている。だがそれは、サナトゥリアの手紙にある通り嘘なのだ。どうか、おまえに許しを請う愚かな族長をののしってくれ」

「エステル様……」


 エステルの肩が震えている。

 床の絨毯じゅうたんに光って落ちるしずくがルシアに見えた。

 いつでも誰の前でも毅然としている族長が、自分の前で小さく震えている姿が信じられない。


 夫の死を族長のせいにしても、何の意味もないとルシアにはわかっていた。

 それでも何年もの間、族長から届く手紙を無視し続けていた。

 自分が族長の配慮で浄階になっていることを知らなかったのもそのためだ。


(サナは、私のエステル様への誹謗が本心ではないと手紙に書いてくれた……けど、私は――)


 エステルに握られた手が熱い。

 そして自分の身体も震えていることに気づいたルシアは、唐突に理解した。


(同じだ……この人も私と同じ……ずっと、カシムの死を悲しんで――)


 気がつけばルシアもヒザをついて泣いていた。

 自分の気持ちなど、誰もわかってはくれないと思っていた。

 そして一日ですでに何度も泣いていたルシアのほうが、涙が枯れるのは早かった。


「……エステル様。カシムの死は無駄ではありません。カシムが残してくれたサナの希望を、私は叶えるつもりです」

「希望――?」

「はい。私自身の幸せを探します」


 はっとして顔を上げるエステル。

 笑顔を浮かべるルシアがそこにいた。


「……あてはあるのか?」

「そうですね……今のところ思いつくのは、近所に住むイケメンの隊長さんくらいですけど」






 ルシアが去った謁見の間でひとり、エステルが椅子に掛けていた。


(サナトゥリア……おまえは昔から無欲で、戦術より戦略に長けていた。常に私より先を見通し行動していた。もし私がおまえの立場だったなら、私はきっと肉体を捨てることもなく、神の力をエルフ族の繁栄に使っただろう)


 その顔に自嘲の笑みが浮かぶ。


(滅びに向かう世界におまえが生まれ、選ばれたことは、この世界の意思だったのかもしれんな。だが――)


 椅子に背をあずけると、磁器のように白く滑らかな頬を涙が滑り落ちた。


「それでも……生きていてほしかった。私と一緒に世界の滅びを乗り越え、おまえに……族長を継いでほしかった」


 静まりかえる謁見の間。

 エステルがその言葉を口にしたのは、これが最初で最後だった。



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