File102. 同行
少女の瞳に涙の粒が次々と浮かび、ポロポロとこぼれ落ちる。
テギニスら三人組は楽しむように、なんの恨みもないあの優しい老人に暴力をふるい、死にいたらしめた。
里からやってきた大勢の人間たちは、初めて会うはずの少女に平気で毒の矢を放ってきた。
――約束してや、サナ……里の人間には近づかんて。絶対に……山ぁ降りんて。
生きているのが不思議なくらいの大怪我で、老人が少女のために残した言葉。
「じーちゃんとうちは“悪魔憑き”で……いらん人間なんや。やから山に捨てられたん……やから殺されるん」
ルチスが言葉を失い、カシムが何かを言いかけるが言葉が出ない。
悪魔憑きに対する根強い差別はエルフ族の心の闇そのものであり、明るい日常を過ごす人々の意識を簡単に暗黒面へ持っていく。
その時、洞窟内に力強い声が響き渡った。
「断じて違う」
エステルだった。
鋭い声と怒りの形相が少女をひるませ、二人の部下が固まった。
戦場でさえ、これほど感情をあらわにする族長を見ることはめったにない。
その張りつめた空気はすぐに消えた。
「サナトゥリア……」
声を落とし、いつもの調子で語りかけるエステル。
「人は……いや、人だけでなく動物は皆そうなんだが……集団で行動することにストレスを感じる。それを解消するために、犠牲になる者を作り出す。それは種が存続するための……人が人になる以前からの本能ではある。だが……」
サナトゥリアを見つめる
「それを解決したいという気持ちも、確かに備わっているのだ」
呆然とする少女に微笑むと、エステルは立ち上がりローブについた砂を払った。
白いロングヘアをふわりと浮かせ、洞窟の奥へ身体を向ける。
「サナトゥリアの処遇は神殿へ戻ってから決める。その前に――」
「お待ちください、エステル様。まさか連れ帰るというのですか、この悪魔憑きを――あ」
ルチスが自分で自分の口を塞いでいた。
自分で発した言葉に自分で驚き、そんな自分にショックを受けている。
少女の視線が背中に突き刺さっているように感じた。
「恥じるな、ルチス」
背を向けたままのエステルが、いつもと変わらない様子で言葉を続けた。
「どう受け止めるかはサナトゥリアの問題だ。おまえが彼女の身を案じて口にした言葉だと私にはわかっている」
「はい……。連れ帰っても、この子が馴染めるとは思えません。このままこの禁断の山で静かに暮らしたほうが……」
「俺はそうは思わない」
カシムだった。
それ以上は何も語らない同僚を見て、不思議に思うルチス。
彼の思慮深さをよく知る彼女は、それが考えなしの言葉とは思えなかった。
「カシム、まさかあなた……」
「ルシアならわかってくれる。いや……ここでこの子を置いていけば、俺が彼女に怒られる」
「本気なの……?」
黙り込む二人の部下を振り返り、ため息を漏らすエステル。
「その話は後だ。ふたりとも、この洞窟の奥に興味があるんだろう? 話してしまった以上、私としては同行を許可するつもりなんだが?」
禁断の山に封印された悪魔。
その謎の存在は、一七〇年前に訪れたエステルに
この世界に神仏への信仰はなく、悪魔という概念も曖昧だが、自らを悪魔と名乗ったその存在がエステルにもたらしたそれは、まさに神の奇跡と言って差し支えない代物である。
だがその恩恵にあずかったエステル本人は、感謝よりも危険を感じていた。
「はっ! いえ……いえいえ、もちろん同行いたしますとも。ルチス、俺が前を行くから、後ろを頼む」
「……了解」
嬉しそうなカシムと、中途半端な気持ちが顔に出ているルチス。
そんな彼らの耳に、小さな声が届いた。
「エ……エステル様は、奥に何がおるか知っとるん?」
おずおずと声を発したのはサナトゥリアだ。
場がシンと静まる中、エステルが嬉しそうな笑顔を見せた。
「サナトゥリア、おまえは奥に行ったことがないのか?」
「う……うん。だって、じーちゃんが二度とここに近づいたらあかんて……」
もともと、この洞窟で倒れていた少女から悪魔についての話を聞くつもりではあった。
だがこの様子では、少女は何も知らないと見ていいだろうとカシムは思う。
少女の言葉を信じれば、何か知っているかもしれない老人はすでに死んでいる。
つまり当初の目的である悪魔についての情報を得るには、悪魔が封印されている場所まで行くしかないのだ。
「そうだな……」
アゴに手を当てて思案するフリをするエステル。
その顔はニヤニヤと笑っている。
「……一緒に来てもいいぞ。ただし、私がここまでと言ったらそこまでだ。絶対にそれ以上は進むな。約束できるか?」
「で、できるん」
「本当か?」
「ほ、本当なんよ!」
エステルのところへ駆け寄る少女。
その姿にためらいは見られない。
サナトゥリアの好奇心の強さは生まれつきだった。
「歳はいくつだ?」
「ろ、六歳」
「うらやましい限りの若さだ」
エステルは笑っているが、ルチスは心配だった。
里の人間に殺されかけたばかりだというのに、同じ里の人間をもう信用しようとしている。
(保護者を必要とする年齢、そしてエステル様の人柄ゆえとはいえ……神殿に行けば悪魔憑きに対する態度にショックを受けるのでは……。第一、頭の固い六神官たちがなんて言うか……)
ふいに肩を叩かれたルチスが振り向くと、そこにカシムがいた。
「エステル様ゆえだ。あの子は俺たちまで信用しちゃいない。ルチスの言うとおり馴染ませるのは大変だと思うよ。それでも――」
「ばか。これを持って、さっさとエステル様の前へ行きなさい」
「へいへい」
そそくさと前へ行くカシム。
魔法が不得手なカシムに代わり、ルチスが〈
その光に照らされたエステルの眼光の鋭さにルチスが気づいた。
「エステル様……?」
「休暇申請書に私が書いた言葉を覚えているか?」
一瞬の間があった。
今の今まで忘れていた族長の言葉をルチスは思い出した。
――何があっても、私より先に死ぬな。族長命令だ。
「……はい、エステル様」
「ならいい」
それだけだった。
だがその言葉は、他のどんな言葉よりもルチスを冷静にし、気を引き締めさせた。
目を合わせたカシムと真剣な顔で頷き合う。
ふと、族長の横を歩く少女に目がいった。
子どもを同行させることに不安を覚えるルチス。
だが洞窟の入口なら安全かといえば、そうとは限らない。
最も安全な場所は神殿であり、そこまで一度〈
しかし山で暮らしていた悪魔憑きのサナトゥリアを、いきなり神殿にひとりで放置するのもどうかと思うのだ。
結局、同行させるのが一番だという結論にルチスはたどりついた。
本当に危険な事態になれば、おそらく〈
どんな戦場であれ、それが鉄則だ。
そうであれば、サナトゥリアは自分たちと一緒にいるほうがいい。
〈
***
暗い空間に灯る小さな青い光が消えかけ、再び強く輝いた。
「来るのか……ついに来やがるのか、サナトゥリア」
暗闇の中に、男の興奮する声が反響する。
「ちくしょう、おまえがこの山に来た赤ん坊の頃から、ずっとこの日を待っていたんだ」
セラミックス製の人工壁に反射する青い光が明滅した。
「早く来い、サナトゥリア。おまえには可能性がある。とびっきり高い可能性がな。おまえなら……俺の役目を終わらせてくれるはずだ」
小さな青い光が突然閃光となって輝き、その広い空間を隅々まで照らした。
人口壁は岩肌がむき出しの壁のほんの一部を覆っているにすぎない。
そして地面は、その位置より十メートル以上低い位置にあった。
そこに転がるのは、たくさんの白い人骨。
まるで雷光のように瞬く光に青く照らされている。
「く……くくく……ははははははは」
愉快でたまらない――そんな笑い声だった。
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