File085. 双角


 いつもレイウルフの背にあった長弓ロングボウが、今は彼の左手に握られている。


「そんなことが可能なのか? 魔法を使うわけじゃないんだよね」

「可能か不可能かといえば可能なのだろう。弓術でも師匠級マスタークラスのエステルでさえ、成功したことはないらしいのだがな」


 真剣な表情で草原を見つめるレイウルフを注視したまま、カイリの問いかけに答えるリュシアス。


「千年ほど前に成功した者がいたという記録がエルフ族にあると聞いている」

「それって……ほとんど成功の見込みがないってことなんじゃあ……」


 カイリはレイウルフを止めるべきか迷っていた。

 日科技研の防衛装置――ゴツゴツとした球体――から次に発射される〈探矢緒マジックミサイル〉の数は、度等ブーストがひとつ増えて一万本になるはずだ。

 仮にレイウルフが上手く矢を放ったとしても、追尾機能がある一万本の光の矢がレイウルフの木の矢を容易たやすく消滅させるとしか思えなかった。


(そこまではいい。だけど、その次はさらに数が十倍に増える。光の矢が十万本になったら、もう研究所自体を破壊するしか突破する手段がなくなる……)


 その説明をカイリから聞いても、レイウルフの考えは変わらなかった。


 レイウルフが提案したのは“双角バイコニュエート”――エルフ族に伝わる弓術七奥義のひとつであり、二本の矢を同時に放って二百メートル先にある二十メートル離れた二つの的に当てる技――によるふたつの球体の同時破壊だった。

 彼はその技を七年前に、十四歳で成功させたという。


 その話が嘘だとは思わない。

 千年前のエルフ族の記録も、真実であってもおかしくないとカイリは思っている。

 ただそれがこの場で、たった一度のチャンスにたまたま成功するとはとても思えなかった。


 とはいえ、カイリに代案があるわけではない。

 魔法しかないカイリにとって、実は深刻な手詰まりに陥っているのが現状だ。


 魔法とはナノマシンシステム上で実現されている現象であり、日科技研とはそのナノマシンシステムの中枢である。

 その場所を魔法で攻撃するということは、神の力を借りて神を攻撃するようなものだ。

 神の力――魔法――が無効化されるのは、当たり前の話といえるだろう。

 ナノマシンシステム上で実現されているという点では、竜の力も同じことである。


 ただし地形を変えるほどの竜のブレスや役満フルコマンドの攻撃魔法で根こそぎ破壊するのであれば通用するかもしれない。

 問題は日科技研自体を破壊してしまっては意味がないということだった。


(いや、やっぱりそれでも駄目かもな。魔法は攻撃よりも防御のほうが優秀だ。同じ汎数レベルほこたての勝負なら盾が勝つのがこの世界の魔法だ)


 つまり仮に汎数レベル13の防御魔法が展開される事態になれば、カイリに打つ手はないということになる。


(頭ではわかっているんだけどな)


 ――魔法が効かないのであれば、物理攻撃しかない。


 ただ失敗すれば後戻りできない状況なだけに、レイウルフを止めてもっとよく考えるべきではないかと悩んでしまうカイリだった。




 高い塀の上に並ぶ球体が、塀に接近する物体に最初に反応する距離はおよそ二百メートル。

 それ以上近づくと〈探矢緒マジックミサイル〉が一本発射され、その場を離れない限り一秒間隔で発射され続ける。

 一本の光の矢はそれなりに熱と痛みを感じさせるが火傷やけどや打撲を負うほどではない。

 そのため、それは侵入者に対する無言の警告だろうと思われた。


 問題は複数の光の矢が同時に集中する度等ブーストが乗った〈探矢緒マジックミサイル〉である。

 それは侵入した物体が塀から――正確には塀の上の球体から――三十メートル以内に近づくと発動する。

 度等ブーストが三つも乗れば光の矢の数は千本となり、それらが集中した場所では人間を一瞬で蒸発させるほどの熱が発生するのだ。

 その場合も球体から三十メートル以上離れない限り、一秒間隔で発動し続けるのだった。


 しかも三十メートル以内では一切の魔法が無効化されるため、攻撃はもちろん防御さえできない。

 リュシアスが千本の光の矢を受けずに済んだのは、防御魔法が無効化されたものの解除されたわけではなかったからだ。

 すぐに三十メートル圏内から出ることで〈障遮鱗プロテクト〉が復活したのである。


 球体と球体の間隔は二十五メートル。

 三十メートルの警戒範囲で互いをカバーしているわけだが、もし二個の球体を同時に破壊できれば、とりあえず壁に近づくことができるだろうというのがレイウルフの読みだった。


 だがそのレイウルフも、ここで双角バイコニュエートを百パーセント成功させる自信があるわけではない。


(球体と球体の距離が二十メートルだったのなら、ほぼ百パーセントの確率で成功させる自信があるのですけどね)


 双角バイコニュエートの微妙な調整にはとてつもない集中力を要する。

 そのため警告の〈探矢緒マジックミサイル〉が飛来しない二百メートル圏外から狙うわけだが、それは問題ない。


(むしろ目標との距離が短くなれば、ふたつの的を狙いにくくなります)


 問題はそのふたつの的の間の距離だった。

 双角バイコニュエートを成功させるために散々練習してきた的の間の距離は二十メートルである。

 それより狭いのであればともかく、広いとなると成功する確率が一気に落ちるのだった。

 たった五メートルの違いが難易度をどれだけ跳ね上げるのか、それがわかるのはエルフ族でもごく一部の弓の熟練者エキスパートだけだろう。


 リュシアスもレイウルフの弓の腕前を知っているわけではない。

 ただエルフ族に双角バイコニュエートという技があり、それを千年ぶりに成功させたのがレイウルフだと話に聞いているだけだ。

 彼はただ漠然と、二分の一か三分の一くらいの確率で成功するのではないかと思っていて、その歴史的瞬間を見逃すまいとこぶしを握り締めていた。




「カイリさん」


 カイリの背後から呼びかけたのはゲンブだった。


「どうした、ゲンブ?」

「エステル様が信頼する父上を信頼してください」


 漆黒の瞳がまっすぐにカイリを見つめていた。


「父上が選択する作戦は、その状況が困難であればあるほど、他のどの作戦よりも成功率が高いものですわ」

「……そうか、そうだったね」




 そう、カイリも頭ではわかっている。

 他に案などないのだ。

 今は思いつかないだけで、実はすべてを解決する妙案を次の瞬間には思いつくとか、誰かが提案してくれるとか、そんな幻想を抱いていても前には進めない。


 ただそこで決断できず判断を後回しにするのが凡人であり、ただ冷静に判断しているのがレイウルフなのだ。

 仮に双角バイコニュエートに失敗したとしても、ここまでくれば打つ手が無いという状況は変わらない。

 〈探矢緒マジックミサイル〉が百万本になろうが百億本になろうが、そこに意味はないのである。

 そうであるならば、発動している防衛機能が〈探矢緒マジックミサイル〉と魔法無効化のみの今こそ、わずかでも可能性がある手段を試すことが最善手でなくてなんだというのか。




 風がそよぐ草原を一時間近く眺めていたレイウルフが、ようやく長弓を構えた。

 かつて森でカイリが恐怖したのと同じ太い矢を、二本同時につがえて最大限に引き絞る。

 エステルの筋力では五分が限界だろうというその状態を十分以上保持し、本人にしかわからない微妙なさじ加減の調整をしつつ発射のタイミングをはかる。


 二百メートル先の的に対し、射出角が〇・五度ずれれば着点は一・四メートルもずれることになる。

 流れる大気の壁を突き抜け、二百メートル先のふたつの的に正確に命中させるためには、草原の草の動きから風のリズムと乱れをつかみ、経験と勘でタイミングをはかる必要もある。

 そう、最後は熟練者の勘だ。

 次の瞬間に突風が吹かない保証など誰にもできない。

 だがここだという正確なタイミングで矢を放てねば、やはり命中するはずもない。

 それができるのが千年に一人の弓術の逸材――レイウルフである。



 二本の矢が放たれた。



「見事」


 そう短く発したのはリュシアスだ。

 ふたつの球体が跡形もなく消滅し、塀の上部が黒焦げになっていた。


「俺の目では追いきれなかった。何がどうなったのか解説してくれ」


 真面目な顔で要求するリュシアスの前で、重圧から解放されたレイウルフが大きく息を吐いていた。



 レイウルフが放った二本の矢のシャフトは木製だが先端の鉄鏃アイアンアローヘッドはドワーフ製である。

 ふたつの球体にそれぞれ一本ずつの矢が突き刺さった瞬間をカイリも目にしていた。

 その次の瞬間にはふたつの球体が跡形もなく消滅したのだ。


 一万本の光の矢が発射されたときには、それらが目指した地点をレイウルフの矢は通り過ぎており、追尾機能により弧を描いて引き返した頃にはレイウルフの矢はふたつの球体に命中していた。


「つまり、あの球体は自分の〈探矢緒マジックミサイル〉で自分を破壊したというのか? そんな間抜けな話があるのか?」

「さあ、私もそれを狙っていたわけではありませんから」


 正直に答えるレイウルフに代わりカイリが解説した。


「俺もてっきりレイウルフの矢は一万本の〈探矢緒マジックミサイル〉に撃ち落とされる……というか蒸発すると思っていたんだけど。〈探矢緒マジックミサイル〉は動く相手を効率良く追尾するために、速度はそれほど早くないんだ」

「それはわかる。わからんのは、球体に到達する前に止まるなり消えるなりしないのかということなのだ」


 そうでないとすれば、わざわざレイウルフが矢を命中させなくても、タイミングによっては球体同士を互いに攻撃させることもできたのではないか――というのがリュシアスの意見だった。


「まあそうだね。ふつう、自分の光の矢で術者が傷つくことはない。でも、術者が死んでいれば話は別だよ」

「ふむ?」


 少し考えたリュシアスが再び尋ねる。


「つまりレイウルフの矢が当たった時点で、すでに球体の機能は停止していたということか?」

「そうだと思う」

「なるほどな」


 気がつくと、塀に向かって歩くカイリたちに先行して、走るスザクが塀に到達していた。

 びっくりするカイリだが、レイウルフの読み通りにスザクが他の球体から攻撃されることはなかった。


 素手で塀に右ストレートを繰り出したスザクが、右手を押さえて涙目で飛び跳ねているのが遠めに見える。

 人型のまま手加減なしで硬い壁を殴れば、相当痛いに違いなかった。


「俺の出番だな」


 ニヤリと笑うリュシアスが、背にした戦斧に手をかける。


「壁を登るという手段もありますが」

「壁の下を掘ってみるという手もあるよね」


 レイウルフとカイリの言葉に顔を顰めるリュシアス。


「それじゃあ、時間がかかりすぎるだろう。双角バイコニュエートを見せてもらった礼をするだけだ」

「わかっています」

「とりあえず壁の材質を確認したほうがいいと思うけど」


 近づいた壁の高さは五メートルほどに見えた。

 厚さは今のところ不明である。



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