Folder08. パーティ結成

File057. 鎮溢《タイムストップ》


 竜の索敵はナノマシンネットワークを介して周辺の戦力を感知する。

 それは大気中で電波を飛ばすレーダーや、水中や地中で音波を飛ばすソナーとは違い、エネルギーを消費する “検索”とも言うべきものである。


 そのため索敵範囲の限界は物理的な距離ではなく、ナノマシンの存在範囲で決まる。

 つまり地球上のほぼすべての領域をカバーするが、大気圏外には及ばない。

 また逆に、ナノマシンの存在密度が高すぎても索敵は難しくなる。

 ナノマシンネットワーク上の情報は個々のナノマシンが獲得、保持するデータの集合体であり、その密度が高い領域の検索には密度に応じた時間とエネルギーを消費するからだ。

 地表に比べてナノマシン密度が数百倍から数千倍ほど高い地下が索敵範囲から外れるのは、そのためである。


 では地表であれば際限なく何でも検知できるのかと言えば、そうではない。

 ナノマシンネットワーク上を検索する竜の索敵には、その膨大なデータの海から必要な情報を最小のエネルギーで迅速に取捨選択するためのアルゴリズムがある。

 その指標となるのが対象の“脅威度”であり、“脅威度”が高ければ高いほど検索結果リストの上位にくる。


 “脅威度”を決めるのは、“戦力の大きさ”と“距離の近さ”である。

 すなわち対象の戦力が著しく大きければ、かなりの遠距離でも検知可能である。

 スザクとゲンブが遠く離れたドワーフ軍の接近を感知できたのは、ドワーフ兵の数が千五百と多く、さらに彼らを飛ばすためにビャッコが大量のエネルギーを消費していたからであり、“戦力の大きさ”を示す数値が極めて高かったからだ。

 逆に対象がたった一人の人間であれば、かなり近づかなければ検知するのは難しい。

 カイリがビャッコに検知されるために二百メートルほどの距離まで近づく必要があったのはそのためである。




「スザク!」


 ゲンブの叫びはスザクの耳に届いていなかった。

 地下ステージから赤竜の姿で飛び去ったスザクは、近くにいたマティの存在にさえ気づかず、ましてや二百メートル以上離れた場所にいるカイリに気づくはずもなく、その紅い瞳は百メートル先に浮かぶ白竜だけを見つめていた。


 生まれて間もないスザクにとって、竜という兵器である彼女にとって、それは仕方がないことだったのかもしれない。

 なにしろ属性の相性で優位に立てるはずのビャッコを相手に、彼女はここまでやられっぱなしだと認識していた。

 そのビャッコが、最初に作った炎の戦場ステージまで降りてきていたのだから。

 索敵で真っ先にビャッコの存在とその位置を知ったスザクが、この好機チャンスを前に残りの索敵を後回しにしたとしても、彼女を責めるのは酷というものだろう。

 そもそも他に大きな脅威があれば、意識しなくても検知されるはずなのだから。


 この場面で、スザクが取る行動はひとつしかない。


 彼女の最大の武器であるブレスのひとつ――竜の火炎ドラゴンフレイム――を、今度こそビャッコに向けて浴びせること。


 初めての竜の火炎ドラゴンフレイムでは、炎の戦場ステージを用意するためにわざとビャッコから狙いを外した。

 それでも熱だけでビャッコの左脚を奪ったのだから、ビャッコに対して有効であることは実証済みである。

 炎の戦場ステージにいるスザクにとって奇策は不要であり、竜の火炎ドラゴンフレイムこそが最善の一手であることは明白だった。


 ……ビャッコの後方に、事前詠唱の〈障遮鱗プロテクト〉を使い切ったカイリの存在さえなければ。



  ***



 スザクの復活に驚いたビャッコだったが、それでも彼女はスザクよりずっと冷静だった。

 たとえ自分が圧倒的に不利な炎の戦場ステージにいたとしても、今から上空へ逃げようとしてすきを見せるよりも、じっとしているほうが得策だと判断していた。

 長い首をスザクの方へ向けてはいるが、反対側百メートル先の位置からカイリが動いていないことは索敵でわかっている。


 絶妙な位置にビャッコはいた。

 スザクの近接距離クローズレンジ百メートルのぎりぎり外側であり、かつカイリの魔法有効範囲百メートルのぎりぎり外側。

 この位置では竜の火炎ドラゴンフレイムをビャッコにだけ当てるというような精密なコントロールはスザクにできない。

 近接距離クローズレンジの外側ではビャッコが空気球エアオーブの爆発を止められないのと同じことである。


竜の火炎ドラゴンフレイムは三十キロ先まで届く広範囲攻撃。元帥さんが〈障遮鱗プロテクト〉という防御役名コマンドを使ったとしても、前方からの攻撃しか防げないその役名コマンドでは身を守れないはず。だからこの位置にいる限りスザクは私にブレスを吐けない。勝負はスザクが炎を操るために近接距離クローズレンジに入る瞬間――)


 そこまで考えたところでビャッコは気づいた。


 地下の竜脈を流れる大量のエネルギーに。

 赤竜の口が大きく開いていることに。


(なっ!? 元帥さんを竜の火炎ドラゴンフレイムに巻き込む気なのっ?)


 白竜は血の気が引くのを感じた。

 自分だったら、たとえリュシアスに防御手段があったとしても、彼に向けてブレスを吐けないだろう。

 不測の事態が絶対にないとは言い切れないのだから。


 ましてや主人の位置を把握していないことなどありえなかった。

 今でこそリュシアスが地下に潜っているために索敵による場所の特定はできないものの、少なくともこの一帯の地上にいないことは把握している。

 そうでなければ周囲の地形さえ変える竜同士の闘いなど、自分にはできない。


 そう考えるビャッコはさらに気づいた。

 竜脈の流れが、前方のスザクだけでなく、後方のカイリの方へも向かっていることに。


(元帥さんに、範囲攻撃の竜の火炎ドラゴンフレイムをも防ぐ役名コマンドがあるということ……?)


 状況から判断してそうとしか考えられなかった。

 しかしもう遅い。

 この状況でビャッコにできることは、近接距離クローズレンジの外であるがゆえに使える風系ガシアスの精一杯の防御。

 真空の壁による断熱くらいのものだった。


 だが熱が伝わる原理は空気の伝導や対流だけではない。

 真空の壁では熱の輻射を防ぐことはできないのだ。

 最初の竜の火炎ドラゴンフレイムで左脚を失った白竜。

 今度はその全身が超高温の炎に包まれることになる。


(リュシアス……あなたに出会えた幸せを、私は忘れません)


 白竜が白い光に包まれ、白い髪と白い肌をもつ美しい女の姿に戻っていた。



  ***



 白い女が宙に浮いたまま、自分の方に流されたのをカイリは知った。

 少しでもスザクから離れようという心理が働いたのか。

 あるいはカイリが詠唱中の魔法を防御魔法だとし、今なら近づいても問題ないと判断したのか。


(どっちにしても、崖から飛び降りる必要はなくなったな)


 いざとなったら崖からんででもビャッコの百メートル以内に近づくつもりだったカイリだが、詠唱中の魔法をその場で完成させることにする。


 スザクの登場でできた戦いの間。

 その時間を〈障遮鱗プロテクト〉の詠唱に費やすことはしなかった。


(そんなことをしても、二人の闘いは終わらない。ビャッコがスザクを本気で殺す気なのは間違いないし、スザクは……何を考えているのかはわからないけど……力を調整しているようには見えない)


 終わるのはどちらかが死んだときだろう。

 闘う相手がいなくなれば闘いは終わる……が。


(それじゃあ俺が困る。世界を救うためには、四体の竜が必要なんだ)


 カイリの手の上で、直径八十センチという特大の初志の玉ガイドジェムが紫色に光っていた。


(これが最大の大きさ、最大の強さの初志の玉ガイドジェム


 思った通りの設定になっていることを確認したカイリが、呪文の詠唱を再開する。

 同時に初志の玉ガイドジェムが消えた。


 ――転配コンパイル

 ――役名コマンド


「〈鎮溢タイムストップ度等ブースト7〉」




  ***



 ――時が止まった。


 少なくともマティにはそう見えた。


 自分の手を見て指を動かす。

 自分は普通に動いている。

 自分の周辺の空気も。


 だが地下戦場ステージの少し離れた場所にいるレイウルフと黒竜は、まるで彫像のように固まっていた。

 地上からの光に照らされて空気中を漂っていた土埃つちぼこりも、地上から落ちてくる途中の土砂さえも、すべてが止まっているのだ。


「何が……起きて……」


 自分の声が少し変に聞こえた。

 よくわからない、わずかな違和感。


 その原因は、マティの十メートルほど前方から先に音が伝わらず、音の反射もないことにあるのだが、彼女が気づくことはなかった。


 天井に開いた穴まで飛び、勇気を出して地上に顔を出すマティ。


(やっぱり音が変だわ)


 自分の周囲から後ろは普通に動きも音もある。

 地上を覆う炎は揺らめき、空を覆う黒煙がうごめいている。

 だが。

 前方は違う。

 風も煙も、おそらく音さえも。

 すべてが止まっていた。


 ただし前方の見渡せる範囲では炎が消えているようだった。

 燃えているものが見当たらない。


(本当に時が止まったのなら、炎の揺らぎさえ止まるはずよね。その前に鎮火したのかな?)


 見上げると赤い色が視界に入った。

 かなり前方に移動していたらしいスザクが、口を開けたまま空中で固まっていた。

 さらにその先の遠方には、白っぽい人の姿が宙に浮いて止まっている。


 スザクに近づこうとして、マティはやめた。

 自分も固まってしまう。

 そんな想像に恐怖したからだ。


「あの…… きっと カイリさんの魔法 です」


 ガクンと腕が下に引っ張られた。

 休止携行形態だったはずのフェスが、いつの間にかマティの手にぶら下がっていた。


「脱臼するかと思ったわ」

「あの…… ごめんなさい です」


 恐縮するフェスにマティが微笑んだ。


「びっくりしただけよ。うーん、やっぱり近づかないほうがいいかしら。止まっているスザクが心配だし、カイリと話したいんだけど」

「あの…… やめたほうがいい です」


 地上に大きな双葉が見え、そこからフェスの触覚器フィーラーが伸びていた。

 その根の先端が十メートルほど先で止まっている。

 根は動いているのだが、そこから先へ進めないようだった。


「危険はないかも ですが 入れない です」

「わかったわ。地下で待ちましょう」


 フェスと一緒に再び地下に降りたマティは、額の汗をぬぐった。

 前方の炎は消えていたものの、地上の空気はまだ熱かったのだ。



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