File034. 赤髪の幼女



「なるほど、サナトゥリア様と左様なことがございましたか。それでマヌファ様はエステル様の身を案じてここへいらっしゃった、というわけでございますね」


 ソロンは繰り返し頷きながらそう話した後、考え込む仕草を見せた。


「……これは六神官と二大隊長しか知らぬことでございますゆえ、他言無きようお願い申し上げます」


 了承する二人に再び頷いたものの、長いアゴひげをさすり続けるだけのソロン。

 彼はエルフ族上層部しか知らない話を二人に漏らすことに強い抵抗を感じていた。

 だが何でも協力すると言った言葉を忘れたわけではない。

 三百歳を超える老エルフは意を決して口を開いた。


「エステル様はもう九十八日もの間、行方不明ということになっております」

「なっている――って、やっぱりエステルは病気か大ケガを……」


 不安気な表情を浮かべるマティに対し、ソロンが首を横に振った。


「いえ、ご健在でいらっしゃいます。実際にはエステル様は北方の地、エルフ領とドワーフ領のいずれにも属さない辺境にて、世界を滅びから救うための発掘作業を指揮していらっしゃいます」


 マティが安堵し、カイリがぴくりと反応した。

 世界を滅びから救うための発掘作業――。

 そう聞いて思い浮かぶことはひとつだけだ。


「サナトゥリア様は現在族長代行という立場にいらっしゃいますので、エルフ族を事実上率いているというのは本当のことでございます」

「そう、そういう意味だったのね。……発掘って、ソロン。それってまさか、竜の卵のこと?」


 ソロンが白い眉を持ち上げた。

 同時に、マティがソロンに対して隠し事をする気がないことを悟るカイリ。

 “仲間”と呼んだ彼のことを信頼しているのだろう。

 そんな彼女の態度が、ソロンとマティの間にある百年近い年月を埋めていく。

 ソロンの雰囲気が柔らかくなっていくのをカイリは感じていた。


「マヌファ様は竜のことをご存知でございましたか。左様でございます。これは私以外の六神官に対してさえ秘匿されていることでございますが、エステル様が私にお話しくださったところによれば、世界を救うためには四体の竜を集める必要があるとのことでございます」

「エステルが竜のことを知っていたなんて驚きだわ。予言書もなく、マスターとの三年の旅でも竜に通じるような手掛かりはなかったはずなのに……」


(三人目、だな……)


 カイリの視界に映る広い床の上で、窓から差し込む木漏れ日が揺れている。


(不可解な人物が、この世界に少なくとも三人いる)


 予言書の内容をすべて頭に入れたカイリが警戒する人物。

 その一人目はエルフ族のサナトゥリアである。

 予言書から特別なページを持ち去った彼女は、本来この世界の住人が知るはずがない何かを知っているとしか思えなかった。

 二人目はどこの誰かもわからないが確かに存在する人物。

 予言書の知識もなく竜の卵を正式な方法で孵化させ、生まれた水系リキッドの竜を従えている。

 そして三人目がエルフの族長エステルである。

 竜のことをどのように知り、その卵が埋まる場所をどのように知ったのか?


(もっともエステルとサナトゥリアは同じエルフ族だ。どちらかはもう一人から情報を得ているだけかもしれないな)


 エステルに会ってみればわかる気がした。

 そしてその居場所もわかった。


(ここ、エルフ領は妖精の樹海フェアリオーシャンの南西に広がっていると聞いた。つまり同じ南アメリカ大陸だ。その北方に位置する竜の卵が埋められた場所は一か所しかない。予言書の地図に書かれていたのは北アメリカ大陸東部。そこに埋まっているのは土系ソリッドの竜のはずだ)


 スザクの黒い箱にドアを見つけることを諦めたとき、カイリは水系リキッドの竜の主人が土系ソリッドの竜をも手に入れていることを疑った。

 だがもしエステルが土系ソリッドの竜を見つけているとしたら、二体の竜を同時に相手にするという面倒な事態は避けられる。

 いずれにしても現場に行って確かめる必要があった。


(問題はどうやってそこまで行くかだけど……)


 ちらりとマティの方を見るカイリ。

 マティがそこに行ったことがあるなら〈離位置テレポート〉を使って一瞬で移動できるだろう。


 カイリとマティの目が合った。


「カイリ、エステルの無事は確かめることができました。ここに来た最初の目的は果たしたことになります……が」

「ああ、エステルさんに会いに行こう。そこに二体目の竜がいるというなら他に選択肢はないよ」

「二体目、でございますか? もしや……」


 ソロンの問いかけに頷くカイリ。


「ええ、俺たちは一体目の竜を手に入れています。そこのバスケットの中に……」


 カイリはそう言いながらマティの表情の変化に気づいた。

 驚愕に見開かれた瞳。

 となりに立つソロンもまた、ひげに覆われた口を大きく開いていた。

 彼らの視線はカイリの後方にある袖幕の下に向けられている。

 同時に強烈な気配がカイリの背中に突き刺さった。


「な……」


 思うように身体を動かせないカイリ。

 ゆっくりと首をめぐらせて背後を確認しようとするが、まるで強風でも吹いているかのように首を動かす筋肉が重かった。


「カイ……リ……」


 聞いたことがない声が聞こえた。

 場違いなほどに可愛らしい声だ。


(ああ、思い出した。この感覚は、スザクと初めて目が合ったときの……)


 自分よりも圧倒的な強者を前にしたときに生物が感じる恐怖。

 逃げることさえ許されず、死を覚悟するしかない絶望感。


 その強大な存在を、カイリはようやく視界にとらえた。



 その姿は、小さな夏用のセーラー服を着た五歳くらいの幼女だった。

 短いスカートからすらりと伸びる細い足は、白いソックスとローファーを履いている。

 その足元には中身が空のバスケットが転がっていた。

 ライオンのたてがみのようにボリュームのある髪と、きりりとした眉の色は燃えるような真紅である。

 プライドの高そうな二つの大きな緋色の瞳がカイリを見つめていた。


 大金持ちのご令嬢か、どこぞの国のプリンセスか、幼くしてそんな高級感を漂わせる絶世の美少女――それがカイリの印象だった。


「ゲンブお姉ちゃんが……呼んでる……。カイリ……行かなきゃ……」


 舌足らずな口調と彼女がまとう強者のオーラとのギャップに戸惑うカイリ。


 だがカイリは確かに覚えていた。

 両手を焦がした子竜の感触を。

 早鐘を打つような心臓の鼓動を。


「スザク、君を必ずお姉さんのところへ連れて行く」


 その言葉を聞いて、赤髪の少女が安心した様子で笑みを輝かせた。

 同時に場の緊張が解け、彼女の幼い身体が白い光に包まれる。

 身体の自由を取り戻したカイリが息を吐いた。


(天使の微笑み……だな。強制的に父性本能を目覚めさせられた気分だ)


 光が収まると、そこには紅いウロコをもつ竜の姿があった。

 体長は三メートル程度、頭の高さはカイリより少し低いくらいである。

 十五センチほどの大きさだったスザクが、たった数時間でここまで成長した。

 そうとしか考えられなかった。


「これが竜……でございますか?」

「これがスザクなの?」


 ソロンとマティの言葉に黙って頷くカイリ。


「ソロンさん、地図があれば貸していただけませんか? マティ、今から示す場所に〈離位置テレポート〉できるかどうか教えてくれ」


 数十分後。

 カイリの説明を聞いたマティがほっとした様子で微笑んだ。


「〈離位置テレポート〉できます」



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