File012. 燐射火囲包《ファイアボール》
「フェアリ族の予言書を奪われるわけにはいきません」
そう言って飛び出したマティだったが、見た目以上に鋭い動きで攻撃してくる木の枝――
“瞬間記憶”により予言書の内容をすべて記憶しているカイリにとって、予言書はもう必要のないものではあった。
「でもな……」
予言書を読める者が自分以外にいる可能性はほとんどないと思っているカイリ。
だがゼロではない。
そしてすぐには読めなくても何らかの事情で解読されることはあるかもしれない。
(なにしろここは、元の世界と全く無縁な異世界というわけじゃない。未来の地球であって、五千万年前の書物が予言書として残っている以上、それを翻訳する手段がどこかに残されていても不思議じゃない。そもそも解読するアテがなければ、こんな場所まで取りにこようとはしないんじゃないか?)
かつて予言書の力を欲する者がカイ・リューベンスフィアを狙ってきた理由は、カイ・リューベンスフィアが予言書の翻訳を進めていることが広く知られているからだ。
予言書はそれを手に入れただけでは何の役にも立たない。
そのことを襲撃者が知らないとは思えない。
それにもかかわらず、
もし同時にカイリも狙うつもりで来たならば、先にカイリを押さえてからゆっくりと予言書を探せばいいはずである。
(予言書を読めるアテがあるってことかな……)
そこまで考えて、カイリは初めて
「マティ!」
叫ぶカイリ。
暴れる木の枝との距離をとってからマティが振り返った。
「戻ってくれ。フェアリ族の予言書は俺の頭の中にある。それに俺は……」
予言書を奪われた
「君との“約束”を覚えている」
「はい」
カイリの元に降りてくるマティ。
真剣な表情で互いを見つめあい、カイリが先に口を開いた。
「予言書は諦める。けど、他人に渡すつもりはない」
予言書を諦めるというカイリの言葉に口を開きかけたマティだったが、反対はしなかった。
「どうなさるおつもりですか?」
「ちょっと派手な魔法を使う」
それがカイリの答えだった。
***
細いものでも幹の太さが三メートルはある巨木がまばらに生えている。
木と木の間は十メートルから三十メートルほどあり、高い位置にある葉の量は多いが枝が短い。
そのため傾いた日差しであっても光が地面に届き、踏み固められて固くなった“道”と巨木の周りの草が生えた柔らかそうな土の上をオレンジ色の光が照らしていた。
光と影が縞模様を作る道の上を早足で歩く一人の若い男の姿があった。
細身で背には大型の弓を背負い、金色のミディアムヘアからは長い耳が突き出している。
金色の瞳が前方だけを見つめていた。
「あら、レイウルフ君じゃないの、こんにちは。久しぶりだけどどこかに行っていたの?」
ドアから出てきたのは金色の長髪を後ろで束ねた女性で、レイウルフと呼ばれた青年と同年代に見える。
彼女もまた細身で、耳が長いというエルフ族の特徴を備えていた。
「ルシアさん」
レイウルフが立ち止まったまま黙っていると、彼がルシアと呼んだ女性が柔らかい笑みを浮かべた。
「任務中なのね。呼び止めてごめんなさい。それにしてもあの泣き虫レイ坊が今やエルフ族軍二大柱のひとつ、森林防衛隊のイケメン隊長様ですものね。私も歳をとるはずだわ……」
彼女の年齢は六十五歳。
だが長寿で老化が遅いエルフ族なので外見の若さは二十一歳のレイウルフと変わらない。
むしろ童顔のせいで彼女のほうが若く見えるくらいである。
レイウルフにはこの女性が話しかけてきた理由がわかっていた。
「サナ……サナトゥリア様とは本日少しお会いしており、お元気そうでした」
「そ、そう。ありがとう、レイウルフ君。サナは家を出てから手紙ひとつ寄こさないけど、元気でやっているだろうことはわかっているの。一年前に神殿護衛隊隊長になったと思ったら、たった半年で族長代行の任まで受けて、公式のニュースで名前だけはよく聞いています。ただね……本音をこぼしたり、弱音を吐ける相手がいるのかなって……母親としては心配でね」
ルシアの言葉を聞いて、レイウルフはいつもと同じ感想を抱いていた。
(この優しい人に育てられて、どうしてあのような娘が育つのでしょうか……)
ルシアから見ればサナトゥリアとレイウルフは同年代のご近所さんだが、本人たちにとっては互いにウマの合わない相手であった。
二人とも部下から慕われているという点では同じだが、生真面目なレイウルフに対し、サナトゥリアは目的のためなら手段を選ばないタイプである。
子供の頃ならともかく、今では任務上の会話しかしていない。
とはいえ、サナトゥリアがエルフ族軍二大柱のもう一つ、神殿護衛隊隊長になってからは任務で会う機会が増えていた。
そして半年前に族長代行の任を受けた彼女は、今やレイウルフの上司である。
フェアリ族最後の生き残りを監視中にいきなり現れ、池方面に追い込むように命じたのもサナトゥリアであった。
(とにかく、今回の件をエステル様にご報告しなければ)
レイウルフが一人で住む自宅はここから二百メートルほど先にあり、自宅に向かう理由は族長に会う前に身だしなみを整えるためであった。
国境に近い村はずれから徒歩で帰宅することで周辺の様子を自分の目で確認するのがレイウルフの日課になっている。
「大変申し訳ありませんが、任務中のため失礼いたします」
「はい。話を聞いてくださり、ありがとうございました」
そう言うとルシアはにこやかな笑顔で手を振り、レイウルフを見送るのだった。
三日前――カイリとマティが森の中でレイウルフに威嚇射撃を受けた日の出来事である。
***
「この世界で魔術師が使う魔法の
何気なく投げかかけられたカイリからの質問にマティが答える。
「はい。
「そうか。じゃあ……」
カイリの声のトーンが少し下がった。
「……“
「ぶーすと……ですか? 聞いたことがありませんが……」
首をかしげるマティの仕草が可愛くて微笑むカイリ。
「そうか……」
同じ言葉を繰り返すと、カイリは真面目な顔に戻ってつぶやいた。
「……軍事用なんだけどね。カイ・リューベンスフィアの翻訳はそこまでたどり着いていなかった」
「マスター……?」
カイリが呪文の詠唱を始めた。
木の枝によって屋根の上まで持ち上げられた二十冊を超える予言書。
増え続ける木の枝で屋根は失われ、予言書が見えなくなっていく。
瓦礫の下からは太さが三十センチを超える木の根が何本も顔を出し、一斉にまるで大蛇のように鎌首をもたげた。
予言書を持ち出すまでの間、カイリたちを足止めする気なのだろう。
カイリの声がマティの耳に届いていた。
――
呪文の意味を知らないマティも最後の数字は理解できる。
過去に仕えたカイ・リューベンスフィアたちの多くは
そんなマティが
フェアリ族には魔術師が魔法を習得するために必要な四つの要素のうち二つが不足していた。
正確な発音を聞き分ける才と、正確な発音を発声する才である。
マティが
――
――
短いフレーズだった。
その
(その
誰もが最初に覚え、初めて成功した魔法に心から喜んだ者も多いであろう初歩中の初歩魔法。
聞き間違えるはずもない、よく知られる
……だがこの呪文には、マティも過去のカイ・リューベンスフィアたちも知らない続きがあった。
――
――イフリートの目覚め
カイリの手の上で
直径は十二センチ程度、光の色は白から緑、青と変わり、さらに変化して紫に染まった。
――
――
よどみなく唱えるカイリの呪文が完成する。
「〈
マティの顔が、カイリの顔が、林の木々が赤い光に照らされ、それぞれの背後に長い影を作った。
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