鍵盤にて先に待つ

言無人夢

1

 ぐらつくような一発のデカい騒音が背後から聞こえて、教室にいたほぼほぼ全員が振り返る。僕らの視界に写ったのは今学期に入って以来のいつもの光景で、振り向かなかったやつらはとうとう慣れきってしまって振り向くという動作さえ億劫になったのだろう。その卑怯な賢さは少しうらやましい。

 だけど、たとえいくら見憶えてしまった光景ではあったとしても。僕だけは何度でも振り向き、最後まで目が離せなかっただろう。

 布川の下の名前は確かアキコとかアスカとかそんな感じだった。初日の自己紹介で一人ずつが名乗る場面が担任の指示で設けられて、かったるさを隠しもせずに、僕らは手早く自分の名前と前のクラス、コトシイチネンヨロシクオネガイシマスを済ませていった。二年目になった今更、大体のお互いの名前は知ってるし、知ってなくてもラインのアカウントは少なくともグループで繋がってるから、別にこんな旧時代的な手続き、一瞬たりとも僕らには必要なかったのだ。

 そこで布川はやらかした。

 あの女は立ち上がってまず沈黙を貫いた。僕がヤバいなこいつと思ったのは一瞬。思った通り早くジャスコやゲーセンでダラつきたい周りからヤジが飛び始め、担任のフォローもないまま晒し台にでも立たされてるみたいにやつは半泣きで顔を真っ赤にして、何か言おうとしては口を閉じることを繰り返した。

 その無駄に費やされた時間は五分もなかっただろう。結局彼女は誰にも聞こえない音でアキラだかアカネだかと名乗り、他にも何かぼそぼそ喋っていたところを担任の遅すぎる布川もういい座れに従って席につき、顔を机に伏せるように俯いた。長い髪で隠された表情はまず間違いなく泣いていたのだろうけれど、それがどうもうちのクラスの頭も顔も猿レベルの女子なんかに言わせれば、笑っていたらしく、僕はもう一度ヤバいなあの子と思った。

 その時感じた予感は今、現実になって教室の片隅で僕らの聴覚を汚している。

 彼女が無駄にした五分は、四十人分の五分だから、三時間半くらいの時間泥棒だなんて無茶苦茶な論がこの幼い教室でなら一応は通るけれど、それにしては彼女らは布川に対して、重ねて時間を献上しているのだからよくわからない。本当はあいつら暇なんじゃないだろうか。

 やってることも品がないというか、その行動自体の偏差値以前に単純にうるさい。もっと女子なら陰湿に誰がやってるかわからないようネチネチ持ち物とか攻めればいいのに、昼休みにはわざわざ主犯格が彼女の手を取り引きずってどこかへ連れてく。ヤンキーかよ。最近は教室背後の掃除用具が詰められたロッカー、その中で布川はホウキや雑巾相手に愛想を振りまきながら弁当を食っている。

 そして時たま近くの女子が唐突にロッカーを蹴り上げる。中から悲鳴が上がりごとごとと何かに頭をぶつける音がする。そんなことが毎日四十分続く。教室の男子にしろ女子にしろ、もう少し苦情を言ってもいいものだと思われるのだけど、僕含めて気弱どころが揃ってしまったらしく、誰も彼女らの傍若無人ぶりを咎めようとはしない。それどころか見ないふり聞こえないふりで無理に自身同士の話題を継続する始末。

 だけど僕だけは布川のイジメられる様をいつまでも眺め続けていた。

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