第12話

 傷を刻み付けて悠々と離れていくクオンを追うように、化け物は口を開いて首を伸ばした。

「ガァアアアア!!」

 化け物は岩を切り出したかのような分厚い歯を剥き、叫び声を放ちながらクオンの小さな体に噛み付こうとした。


 クオンはその場に立ったまま迫ってくる巨大な口を待ち構えた。そして距離にしておよそ五歩、ギリギリまで化け物を引き付けた瞬間、クオンは前方に駆け、足先から顎と地面の隙間に滑り込んだ。


 後ろから響いてくる巨大な歯同士が打ち付けられる音を聞きながら、クオンは滑り込んだ勢いのまま化け物の喉を斬りつけた。速度の乗った剣はざくりと皮を割き血を噴出させる。やはり顎の下のような部分は流石の化け物といえど皮が柔らかいのだ。

(このままもう二、三回斬ってやれば、少しは弱ってくるんだろうな)

 滴り落ちる血を見つつクオンは一瞬そんなことも考えるが、その考えはすぐに頭から追い出す。今はまだ急いで仕留める段階ではないし、体で押し潰されてもかなわない。そう言い聞かせて横へと這い出し、クオンはまた跳んで距離を取ろうとした。


 化け物から離れながら、クオンはまた炎の一つでも投げつけてやろうかと左手の四元符を振り上げた。だが、掛け声を発して四元符に光を灯す寸前で、クオンは動きを止めた。


 ゾワリ、と冷たい手で背筋を撫でられたかのように悪寒が走ったのはその時だった。


 本能的に危険を察知したクオンが身をよじって振り返ると、化け物の太い角がうなりを上げて迫ってきていた。どうやら頭を横に倒して角を引き付けるという器用な芸当をしているらしく、近付けば簡単には攻撃されないと読んでいたクオンは完全に裏をかかれる形になった。

(くそっ、油断した!)

 自分の浅はかさを恨むクオンを他所に、角は刻一刻と迫ってくる。当たれば大怪我は必至、しかも迂闊にも跳び上がったせいで移動すらままならない。

 できることといえば、一つしかなかった。

「《エアール》ッ!!」

 半ば祈る気持ちでクオンは叫んだ。応える四元符は眩い翡翠色に輝き、光を放つ。それに咄嗟に右手を伸ばして支えた直後、爆発にも似た音と共にクオンは背中から墜落した。



 星空と村の明かりと闇が、交互に上から下へと流れていき、何周目かの星空で急停止した。同時に息が詰まるような強い衝撃が背中を叩く。

(何やってんだ、俺……)

 ゲホゲホと咳き込みながら体を起こしつつ、クオンはそう思った。

 風の制御がうまくいかなかったこと、ではない。むしろあの状況下で角を躱した上で無事に地面に降りられたのは上々の結果だと言える。問題は戦いにおいて冷静さを欠いていたことだ。

 気がはやり、倒すことばかりに意識が向いていた。化け物は角の一振りでこちらを行動不能まで追い込めるというのに。

「……冷静になれ」

 いつか聞いた言葉を、もう一度自分自身に聞かせる。そう、冷静に。


 化け物はクオンを仕留め損ねたと知るや、その巨体をゆっくりと動かしてクオンに正対した。

 クオンは立ち上がり、化け物へと向き直る。両腕は軽く左右に開き、膝は軽くまげ、胴には一本の芯が通っている様を思い描きながら姿勢を正す。前のめりにも、及び腰にもならないように。

(時間は掛かっても構わない。堅実に、着実に倒していけばいい)

 息を吐き、吸って、目の前に立ちはだかる巨獣を見据えた。そして、一歩踏み出しかけた瞬間。


 バアアアオオオオオオオオオオオオオ!!


 大地そのものが震え叫んでいるかのような、凄まじい音が一帯に轟いた。


 

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