第二十四話 再生
帆太郎が矢に倒れてから半年が過ぎた。光姫の献身的な看護にも関わらず帆太郎は目を醒さなかった。
「あなた」
声を掛けるが返事は当然ない。そして、ついにその時が来た。
「将軍のお脈が止まりました」
典医が蒼褪めた声で言う。
光姫は息を止めた。ついにこの時が来てしまったか。世界がぐらぐらと揺れる。それに身を任せる彼女は思考停止に陥ってしまった。言葉も出ない。
典医が部屋を去ると、現実の波がどっと光姫に押し寄せて来た。例えようも無い悲しみが胸に染み込んで来る。
「あなた」
ようやく言葉を発すると、涙がさめざめと流れて来た。その涙が溢れ滝のように落ちる。それが帆太郎の頬に当たる。
すると、
「うう」
死んだはずの帆太郎がうなり声を上げた。
「ああ」
光姫が帆太郎に顔を近づけると、
「今日は雨か」
と言って帆太郎が目を開いた。
「あなた」
「殿!」
光姫とそばに居た大斧小吉が大きな声を上げる。
「ここは何処か……敵は何処だ」
帆太郎が周りを見回す。
「戦は終わりました」
奇跡に出逢い、今度は喜びの涙を浮かべる光姫。
「戦は終わった?」
首を傾げる帆太郎。
「そうです。お味方勝利です」
光姫は涙ながらに語る。
「このこと、皆に知らせねば」
小吉は部屋を飛び出した。
喜びは都中に駆け回り、お祭り騒ぎになった。
「私はどれくらい眠っていたのだ?」
ようやく状況を知った帆太郎が聞くと、
「半年でございます」
と光姫が泣きながら答えた。
「半年……それだけの長い間、光は私を看病してくれていたのか」
「はい」
うれし涙が止まらない光姫。
「そうだ源太郎は居るか」
帆太郎が思い出したように聞くと、
「はいおります」
奥の間から源太郎が連れてこられた。
「見ぬ間に大きくなったのう」
「子は日々、大きくなるものでございます」
帆太郎は源太郎を抱く。
「とと」
源太郎がしゃべった。
翌日には新帝が義為、来光、親政に伴われてお見舞いに来た。
「帆太郎!」
感涙にむせぶ新帝。
「帝、ご心配をおかけしました。早く身体を治し、東の都を討ちます」
帆太郎が言ったが、
「旧帝はもういいのだ」
義為が新帝に代わって答えた。
「どうしてですか」
帆太郎が聞くと、
「旧帝は陸奥に引き、そこで武蔵守、陸奥守、出羽守の謀反に合い、蝦夷地に落ち延びられた。もう戦う余力は無い。我らの敵は、武蔵守。平氏一族だ」
来光が言った。
「武蔵守。いよいよその本性を現したな。今度こそ討ち取ってみせる」
決意を新たにする、帆太郎。
「だが、まず傷を癒す事だ。さすれば、我らも協力し、武蔵守を倒そう」
親政が言った。
翌日から帆太郎は武芸の稽古を始めた。
「まだ、傷から血が出るかもしれません。お止め下さい」
と言う、光姫の言葉を聞いても、
「早く、武芸の勘を取り戻さねば」
と言って聞かない。
「まずは弓だ。これなら身体を動かさぬからよろしいだろう」
帆太郎は弓を引いた。しかし、
(腕に力が入らぬ)
当然である。半年間寝ていたのだから力が落ちている。だが、それに気付かぬ帆太郎は、
「えいっ」
と矢を放った。矢はあらぬ方向へ飛んで行った。
「おかしいな」
もう一本打つ。
矢は的の手前に落ちた。
(一体どうした事か)
思った帆太郎は、弓を止め、剣を握った。
(うっ、剣が重い)
それでも庭の木に打ち込む。
『がたん』
剣は手から離れて足元に落ちた。
(力が落ちた!)
半年の予後にようやく気付く帆太郎。
(これは元に戻るのか)
と悲嘆に暮れた。
「焦る事はありませぬ。いずれ、元に戻ります。それにあなたは大将。武芸が弱くても用兵さえ出来れば問題ありません」
武士の娘、光姫が慰める。
「だがな、私はいつも軍の先頭に立って戦って来た。それが私のやり方だ。それが出来ぬとは情けない」
帆太郎は憔悴した。
次の日からも、帆太郎は武芸の稽古をした。確かに日に日に良くはなっている。しかし全盛期の強さからは程遠く、帆太郎は焦燥した。それを光姫が、
「焦ってはなりません」
と宥め賺して応援した。三ヶ月経った頃、ようやく矢が的に当たった。二人は抱き合って喜んだ。さらに三ヶ月後、剣を強く振れるようになった。これも二人は歓喜した。そうして、一年後、それまで乗りこなせなかった『如竜』で駆け回ることが出来るようになる。わざわざ馬場まで見に来た光姫は手を叩いて声援した。
「光よ。其方のおかげだ。其方が見守ってくれねば、私は挫折していたかも知れない」
帆太郎は妻に心から感謝した。
「これで、武蔵守を倒す自信がついた」
この時が帆太郎夫婦にとって一番幸せな時であった。
数日後、帆太郎は御所に呼ばれる。
「帆太郎よ、元気になって本当に良かった」
新帝が安堵の表情を浮かべる。
「ありがとうございます」
帆太郎は、心底感謝を述べた。
「主従、お喜びのところ、失礼いたしますわ」
左大臣、藤原不平等が口を挟んだ。
「平帆太郎明明、そなたに再び、征夷大将軍を任ずる。東の帝から離反しながら、年貢諸役をこちらに送って来ない、逆賊、平武蔵守水盛一党を追討せよ。征夷大将軍の権威を持って、諸将、兵士全て好きなように使って良い」
不平等には珍しい大盤振る舞いだ。
「はっ」
帆太郎は新帝から玉剣を賜り、再び征夷大将軍となった。
「光」
館に戻るなり、帆太郎は光姫を呼んだ。
「はい」
「私は征夷大将軍として武蔵守を倒す事になった」
意気込んで話す、帆太郎。
「はい。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
光姫は身なりを正して三つ指をついた。
「うぬ、源太郎を頼むぞ」
「畏まりました」
深々とお辞儀をする光姫。こうしてまた戦が始まる。
帆太郎将軍は早速徴兵を始めた。まず自身の持ち駒は千。それに五畿の国から新兵二千を雇った。これでも三千。これに義父源対馬守義為千二百。源左衛門督来光が渡辺鮪、坂田銅時、厚井貞光、占部憲武の来光四天王とともに千五百。源右衛門督親政が源右兵衛佐孝行を伴い千。それにかつては敵であり、地元の木曽に引きこもっていた、木曽英五仲義が招聘に応じ、独井兼光、西口兼平、露井行親、仏親忠の仲義四天王を引き連れ千の兵で駆けつけた。そして、四国、西国の兵が二千。これは大斧大吉、小吉、梅田大輔が指揮する。次いで鎮西の大下薩摩守、川崎大隅守、同豪族中西太郎、仰木日向守、豊田肥前守、高倉肥後守、関口豊前守、稲尾豊後守、同豪族の玉造次郎、和田筑前守が合わせて千二百。計一万の兵が集まった。
「敵は二万と言う。一万ではその半分。勝機はあるか」
源来光が懸念を表する。すると帆太郎将軍は言った。
「敵をなめる訳ではありませんが、坂東平氏の兄弟は武蔵守を除いて無能、惰弱。私の顔を見ただけで逃げてしまいます。数を気にする事はないと思います。それよりも……」
「なんでしょう」
「重朝殿が参陣せぬのが不思議」
帆太郎将軍が訝った。
「重朝は前の戦で将軍をお助け出来なかったことから気の病に悩んでおる。とても戦場には立てぬゆえ、伊予で養生している」
叔父に当たる義為が言った。
「そうですか」
帆太郎将軍の顔が昏くなった。
「さて、戦はどのようになさいますか」
大下薩摩守が聞いた。
気をとり直して帆太郎将軍が言う。
「坂東に入るには足柄峠か碓氷峠を通らねばなりません」
「ならば兵を二手に分けるので」
木曽英五が尋ねる。
「いえ、敵の本陣は武蔵。ここは皆で足柄峠を攻めましょう。そして私は……」
「大将軍は?」
「摂津の湊から海賊衆の船に乗り、江戸湾に上陸し武蔵守の館に突撃します」
帆太郎将軍は言い放った。
「中入りは無謀じゃ」
来光が止める。
「そうだ。無理だ」
親政が続く。
「大丈夫です。敵は両峠の守りに集中しているでしょう。済みませんが皆様は囮です」
「ううん」
諸将は首を捻った。
「大丈夫。難破時化丸は今や船隻五十、乗員五千。一大勢力です。先ほど我が軍一万と言いましたが、実際には一万五千なのです」
「ほう」
今度は諸将が感心する。
「皆様が武蔵に付く頃には武蔵守の首級を取ってご覧にいれましょう」
帆太郎将軍は自信満々に言った。そして、
「では、我らは摂津に行きます。大将代行は左衛門督様にお願いします」
帆太郎は来光を指名した。
「それでは武蔵で逢いましょう」
と言うと、帆太郎は木偶坊乞慶を引き連れ馬で去った。
「じゃあ、わしらも行くかの」
来光が言って、本陣一万が東に向けて移動した。
摂津の湊。
「帆太郎殿、怪我は平癒したか」
海賊大将、難破時化丸が笑顔で迎えた。
「はい、このとおり」
帆太郎将軍は力瘤を見せた。
「帆太郎殿は長の船旅は初めて。船酔いなどなさるな」
時化丸が言うと、
「平氏は元はといえば海の一族。私にもその血が流れております」
帆太郎将軍が答えた。
「巨鯨将軍。あなたの祖父は海賊の敵であった」
「それが手を組み、同族を討つ」
「さあ、行きましょう」
五十隻の大船団が摂津の湊を出発する。その先に何が起こるか、帆太郎は知る由も無かった。
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