第三話 帆太郎誕生
下野国の国府、宮野目に集まったのは平氏一門二百に、相模の橘義康(たちばなのよしやす)百、武蔵の紀連貫(きのつれつら)百五十、上野の藤原道梨(ふじわらのみちなし)百二十、下野の阿部麻月(あべ・あさつき)百の六百七十の兵力であった。
「まずは常陸を攻略する。常陸介の源守(みなもとのまもる)殿を説得してなるべく穏便に印綬と不動倉の鍵を渡して頂こう。拒否された時はこの兵力で押しつぶすのみ」
橘義康が言う。
「総大将は太郎殿でよろしいか」
「結構」
皆が賛成した。
「では太郎殿、指揮をよろしく」
義康は光明に座を明け渡した。
「ご推挙に預かりましてありがたい。では指揮を執らせていただく。では、全軍常陸国衙に前進!」
「オー!」
こうして坂東統一の戦いが始まった。が、それは戦にならなかった。六百七十の兵力に驚いた、常陸介源守は門前に伏して印綬と不動倉の鍵を差し出し盟友になった。上総、下総の国司からも同調の使いが来た。残るは安房国だけである。
「案外、たやすいものですな」
藤原道梨が言った。
「いや、統一は第一段階。朝廷との折衝が大変です」
光明が答える。
「碓氷峠と足柄峠を抑えれば朝廷軍は坂東に入れまい。我が軍は負けぬよ」
阿部麻月が豪語する。
「それよりもまずは安房。千葉秋胤(ちば・あきたね)の老いぼれ、ここに来て徹底抗戦の構えを見せている」
紀連貫が嘲る。
「頑固者ですからな」
「しかし、たかが百の兵力。我らは千にも達しようとしている」
橘義康が満足そうにした時、
「殿、太郎の殿」
と大斧大吉が陣に入って来た。
「どうした」
聞く光明。
「殿に赤子が出来たと、早馬が来ただ」
「なに、出来たか。それで、男の子か女子か」
「男の子だわさ」
「でかした」
陣内が祝福に満ちあふれる。勝ちどきとはそういうものか。
「太郎殿、おめでとうございます」
橘義康が光明の肩を叩く。
「どうだろう。戦局はもう勝ちに等しい。ここは一刻も早く赤子に会う為、帰国すれば」
「しかし」
「それがしも賛成じゃ我らに安房はおまかせあれ」
藤原道梨も言う。
「そうか。ではお言葉に甘えるか」
光明が言った時、水盛が、
「我ら弟も祝いのため帰国をお許し願いたい」
と口に出した。
「だめだ。次郎は俺の名代でここに残れ」
光明は叱責したが、
「良いではないか。さすが平氏の結束は固い」
と阿部麻月が褒めた。これで平氏一門の戦線離脱が決まった。総大将の光明が抜けても手勢は約千人。小勢の安房軍を倒す事は容易に見えた。
兄弟の陣に帰ると水盛は、
「このこと、東海道を進んでいる征東軍の大将軍、藤原只今(ふじわらのただいま)様にお伝えしろ」
と彼の草の者、不恩(ふおん)に命令した。
「はっ」
急ぎ消える不恩。
(兄者の考える理想の国など出来はしない。あるのは反乱と平伏。戦の連続だ。これで民が喜ぶか? 結局戦いに巻き込まれて苦渋するだけではないか)
この瞬間、水盛は兄との完全なる手切れを決意した。
風花太郎平光明は少数の手勢を連れて小田原に向かって駆けた。その面々は、大斧大吉のほか、梅田大輔(うめだ・だいすけ)、渡丸光二郎(わたまる・みつじろう)、大庭和親(おおば・かずちか)、野原大器(のはら・たいき)、都筑権五郎(つづき・ごんごろう)の六名だった。水盛以下兄弟は、「念のため」と称して軍勢百を伴っての帰国のため足が遅くなった。
やがて、昼夜を駆け抜けた光明一行が小田原に着く。新湊を造営する事を決めてから光明は、風花の地を離れ小田原に居を移した。その新居にて妻の明子が嫡男を産んだのである。
「でかしたぞ、明子」
光明は開口一番こう言った。
「ありがとう存じます」
「とにかく、ややの顔を見ようか」
光明はその小さき子を胸に抱く。
「ややあ、べろべろばあ……笑ったな。今笑ったな」
光明が喜ぶ。
「まだ、笑ったりしませんよ」
明子が言う。
「そうかなあ。笑ったんだけど」
「さあさあ、泣かぬうちにお返しあれ」
光明は赤子を返した。
「そういえば、大吉も父になったばかりだったな」
「そうだあ」
「そしたら大吉の嫁御に乳母になってもらうか」
「若の乳母かあ、いいなあ」
すると明子が、
「この子に良き名を授けて下され」
と光明に言った。
「うむ……そうだ、通り名を帆太郎とする。船の帆のように風を受けて何処までも進む。この子も多くの人々の力を受けて前へ前へと進むのだ」
「諱はいかがします」
「そうだの……光明と明子の子ゆえ、明明じゃ」
「そんな、適当な」
呆れる明子。
「いいのだ。通り名さえ轟けば」
「そうですか」
「そうだ、お前は帆太郎だ。風を受け、高く舞い上がれ!」
そのころ、愛甲郡に戻った平次郎水盛は弟たちの分に合わせて近隣の郡司、豪族の兵を揃え二百の軍勢を集めていた。一方の光明はその兵を統一軍に置いてきてしまった。次郎水盛率いる兄弟連合の勝利は固い。
「先ずもって、兄上に再考を願うべくわしが館に入る。征東軍の存在もそこで知らせる。ご納得頂けたら兄者には謹慎して頂く。ご理解頂けないようなら、この軍勢で兄者を討つ」
水盛が決意を述べた。
「わざわざ、ご再考を求めることなどないと。一気にとどめを刺しましょう」
三郎森盛が言う。
「いや、武士の礼儀として騙し討ちは好かない。それに、じっくり腰を据えて話せば分からぬお人ではない」
「では私をお供に」
四郎山盛が言う。
「いやわたくしが」
森盛が言い返す。
「供はいらない。わし一人が行く」
軍議が終わり、全軍が出発した。
光明の館。大斧大吉が水盛の訪ないを告げる。
「なに、次郎が来たと。遅かったな。まずは我が子を見せぬとな」
何も知らない光明が水盛を招き入れる。
「次郎でございます」
「挨拶はよいよい。この子を見てくれ」
「兄者、その前にお話しが」
水盛が深刻そうに話す。
「戦のことだな。これからの朝廷との折衝のことか」
「いえ、折衝は行われません」
「なぜじゃ」
「兄上、今このときにも都から征東軍が東海道を進んでおります。その数三千。勝ち目はございません。今更足柄峠を封鎖したくとも兄者の兵は安房。たやすく侵入を許し、坂東軍は負けます。さすれば首謀者は全員死罪。坂東の地は踏み荒らされ、民はさらに重くなった年貢に苦しめられましょう。ここで兄者にご決心頂きたい。この朝廷への反逆を止めると。そう言って頂けたら民は守られ、首謀者も謹慎で済みます。いずれ官職への復帰もなりましょうから橘様達にも損はございません。以上を鑑み、今一度ご再考を」
水盛は平伏した。
「次郎……」
蒼褪めた顔で光明が口を開いた。
「はい」
「次郎は俺が好きか?」
「武士として尊敬しております」
「その武士とはなんだ」
「朝廷、公家を守り、民を守る者と存じます」
「では朝廷、公家とはなにか」
「国を治める者……」
光明は水盛の言葉を遮った。
「民は別に国を治める者など必要ない。逆に国を治める者は民が必要なのだ。大事なのはどっちだ」
光明は詰問した。
「……民です」
水盛は答えた。
「それが分かっていながら、朝廷に寝返るとは兄として次郎、お前を許せん」
そういうと光明は立ち上がり、剣を抜いて水盛の左腕を斬った。
「な、なにを」
そう言って立ち上がった水盛の右足を今度は斬った。
「許せんが弟ゆえ命だけは許してやる。ここから消え失せろ。大吉、この者を外へ放り出せ」
水盛から流れる、大量の血。
痛みで動けない水盛を大斧大吉がおぶって外に送る。門の通用口を開けて水盛をそっと地面に置く。
「次郎様、申し訳ねえだが、殿の命でここまでだや。堪忍な」
大吉は手を合わせた。
一方、遠くに身を潜めていた兄弟軍。
「あれは」
と四郎山盛。
「あれは次郎の兄者」
と五郎大盛。
「倒れているぞ」
と六郎泡盛。
「怪我をしたのか」
と七郎特盛。
「斬られたんだ」
と八郎先盛。
「太郎の兄者は狂ったか」
と九郎舟盛。
「とにかく交渉は決裂だ。太郎兄者の館を取り囲んで攻め入るぞ。掛かれえ」
三郎森盛が攻撃命令を出した。
「物見より伝令。約二百の軍勢が館に迫ってきています」
光明に一報がもたらされた。
「来たな。弱虫共が束に掛かって」
光明はニヤリと笑うと、
「大輔、味方の兵力は幾らだ」
と梅田大輔に聞いた。
「約五十」
大輔は答えた。
「二百対五十。これは勝てぬな。和親、女子供、老人を館から逃がせ。それから誰か大吉夫婦と赤子を呼んで来てくれ。早くな」
すぐに大吉夫婦が赤子を連れてやって来た。
「殿、なんだこの大変なときに」
珍しく大吉は気が立っていた。館が敵に襲われている時だから仕方あるまい。
「こんなときだが、おときさん。お前に我が子帆太郎の乳母に成って貰いたい」
大吉の妻、おときに光明が頼んだ。後ろで明子も頷く。
「こんなときに、なに言ってんだ殿様。早く逃げろや」
「もう無理だ。俺は鬼になって戦い、そして死ぬ。明子も死ぬ。だが、我が子は可愛い。だから逃がす。その手伝いをして欲しい」
「なら、おらも戦って死ぬだ。一緒に戦う」
大吉は叫んだ。
「駄目だ。お前には産まれたばかりの赤子がいる。おときさんは乳が出る。乳母にぴったりだ。帆太郎を育てて欲しい。大吉はそれを見守ってくれ。お前は心優しい猛者だ。お前に鍛えられたら帆太郎は一廉の武士になれる。そうしたら、我が無念を帆太郎が晴らしてくれる。そう信じる」
光明は心から頼んだ。
「あたし、帆太郎様を育てる」
おときが叫んだ。
「でも館の周りは囲まれているだ。逃げる事なんか出来ねえ」
大吉が喚く。
「安心しろ。湊までの隠し道が作ってある。そこに小型の船が一艘置いてある。それを使って奥州に行け。高見の叔父が助けてくれるはずだ」
光明が叔父の名を出した。
「その船に殿は乗らねえのか」
「無理だ。それに向こうは俺の首級を欲している。とにかく急げ。敵が館に侵入したら終わりだ。ここに隠し道の見取り図がある。早く行け」
光明は帆太郎を抱いて大吉に託した。帆太郎は泣かなかった。
光明は佩いていた剣を大吉に渡す。
「これを形見の品としてくれ」
それを受け取った大吉は、おときと赤子を連れ部屋を出て行った。
「さて、後は死ぬまで敵を切り捨てるのみ。明子も覚悟せい」
「はい」
光明は甲冑を身につけ刃こぼれしてもいいように六本の剣を用意して門に向かった。
大斧大吉は妻のおときと赤子二人を連れ、隠し道へと向かった。見取り図によれば御厨の右隅に扉があるという。実際あった。入り口が狭いので巨漢の大吉はくぐるのに難儀した。なんとか中に入るといくらか道は開け立って歩けるようになった。館から湊までは六百間くらいである。土壁が続き真っ暗だ。灯りを持っていなかった大吉一行は手で壁をつたいつつ、心細い思いで道を進んだ。やがて前方が明るくなってくる。少し急ぎ足になる。そして船が見えた。だが一緒に一人の男の姿も見えた。
「誰だ」
剣に手を掛け、大吉が問うと、
「大吉兄貴、蟹丸でさあ」
男が答えた。
「蟹丸、なんでお前がそこに居るだあ」
大吉が聞くと、
「船頭がいないと船は動きませんぜ」
蟹丸は元海賊であった。
風花太郎平光明は漆黒の甲冑を付け、梅田大輔、渡丸光二郎、大庭和親、野原大器、都筑権五郎の五人の大将格に訓示をした。
「これが我らの最後の戦いである。我らは必ず死ぬ。各々後世に語り継がれるような働きを見せよ」
「はあっ」
皆悲壮な思いで返事をする。光明は一人一人と固く抱き合うと、馬に乗った。
『ギシギシ』
館の門が開かれる。
「それっ」
兄弟方より一斉に矢が放たれる。
「矢など恐るるに足らず」
六人は固まって馬を走らす。二百人といっても大将格は兄弟だけで後は雑兵だ。
「斬って斬って斬りまくれ」
光明の武将達は鬼神の如き働きをした。
そのころ五郎大盛、六郎泡盛は次郎を救い出していた。
「次郎の兄者、大事ないか」
「ひ、左手と、右足が動かぬ」
「ひええ、凄い切り口だ」
「これでも手加減してくれたのであろう。一応身体に付いておる」
次郎水盛は引き攣った笑いをみせた。
「とにかく、馬に乗せて陣に。医師も居りますから、気を確かに」
水盛を大盛の馬に乗せ、二人は陣に戻った。
戦は最終局面に入った。まず光明の館が火矢によって火災を起こし炎上した。次に各大将格が兄弟軍の集団攻撃によって倒されていった。野原、渡丸は四方を取り囲まれて矢を撃ち込まれて死んだ。都筑は馬を射られ、倒れた所を雑兵に滅多差しにあった。大庭は集団に石を投げ付けられ顔面が陥没して死んだ。いずれも武士道にもとる後味の悪い殺し方であった。残るは光明と梅田大輔である。
「殿、皆の活躍で敵は確実に減っています。上手くすれば逃げられるのではないでしょうか」
と大輔が言った。
「お前を残して皆、死んだ。今更生きていても意味がない」
「ではご兄弟のいずれかを道連れに」
「いや、たとえ異母であっても弟は殺せぬ」
「ではどのように」
「俺もさっきからそれを考えているのだが結果が出ない。いっそ狂ってしまえば楽な事か。お前は俺の行く末を見聞し、逃げろ。このこと後世に伝えよ」
そう言うと突然馬を全力で走らせた。
「ワー」
行く先は兄弟の陣。
「あれは」
「兄者だ」
「討て」
「お、お前こそ討て」
光明はどんどん迫って来る。
「キャー」
「殺される」
騒然とする兄弟軍の真ん中を走り抜けて光明は去った。
「うん」
それを見届けた大輔は戦線から悠々と離脱した。
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