穢れなき人

蜜缶(みかん)

穢れなき人(完)※暴力暴言あり

"若い一兵士が、数々の騎士を蹴散らしたのちに極悪非道な独裁政権をしていた王の首を取り、その国の王となって民主主義国家へと変えたらしい"



その噂はその国とほとんど交易のない我が国でさえも知らない者はいないほど、有名な話だった。

王となった元一兵士…アギエルバ王は、その類稀なる戦闘力を生かして隣国の、主に貧しい国を侵略し、どんどん国土を広げている。

そして侵略された地域は、当初は貧しかった筈なのに侵略されてからは徐々に豊かになっているので、最初のうちは反感などがあってもすぐに無くなるらしい。


その噂を聞いた時、「オレとほとんど歳かわらないのに凄いなー」と他人事のように思っていた。っていうか所詮他人事だったのだ。

だってうちの国は平和だし、国は小さいけど兵力だって他国と比べてもまぁまぁいい方だし…

だからまさか自分の身にそんなことが起こるだなんて、思うわけないじゃないか。



そんなオレの思いを知ってか知らずか。

ある日突然やってきたアギエルバ王率いる兵士軍団に、我が国はあっさりと落とされてしまった。

侵略されはしたものの他国と戦争した時よりは兵士や国民への被害が格段に少なく、死者は全く出ずに国王の首も取られなかったので、そこは不幸中の幸いだったと思う。

国王が「どうあがいても勝てません。私の負けです。アギエルバ王に従います」と完全服従宣言しているにも関わらず、アギエルバ王は何を思ったのか「反逆や暴動を起こす可能性があるかもしれないから」という理由で、国王の子を人質兼嫁としてよこすように言った。

だから王子であったオレは、人質として嫁ぐことになってしまった。


…オレの国に王女はいなかったから王子が嫁ぐしかなかったんだけど、王は平平凡凡なオレなんか嫁にもらっても何の得にもならないだろう。本当に人質としての価値しかないオレ。

っていうかオレは美少年な弟とは違ってあまり親に愛されてなかったから、もしかしたら人質としての価値もないかもしれない。


そんな思いのまま、オレはドナドナと馬車に揺れられて、王の元へ嫁いだ。




…のが2ヵ月ほど前の話なんですけども。




オレはまたしても、ドナドナと馬車に揺られている。


どこかにおでかけしているわけではない。

誰かわからない人たちに変な臭いのものを嗅がされて意識を失い、気が付いた時には目隠しをして口も塞がれて、手足を縛られて、ドナドナと揺れていたのだ。

これはもしかしなくても、誘拐というヤツではないだろうか。




「…ぷはっ」

意識を取り戻してから何時間か経った後。ドナドナ揺れてた馬車から降ろされどこかへ運ばれて、手足が縛られたのはそのままだが、やっと目と口を塞いでたものを外された。


ここがどこなのか全くわからないが、部屋と言うより物置のように思える。

出入り口になる扉が1つあるだけで、窓もなければ時計もないから、連れ去られてからどのくらい経ったのか、今が夜なのか朝なのかさえ分からない。


「……あの、いったい、どういうつもりですか?」


オレを連れ去った人物は、覆面などしておらず、普通に素顔をさらしていた。

部屋の中にはオレ以外に1人しかいないが、扉の向こうからも声が聞こえるから、犯人が実際に何人いるのか分からない。


「誘拐だよ、誘拐。あんたには何の恨みもないけど、あの王様のやり方が気にくわなくてね」

聞いたところで応えてはくれないだろうと思っていたのに、誘拐犯は律儀にもちゃんと答えてくれた。


「やり方…ですか?」

もしかしてオレの母国のように急にアギエルバ王の支配下に置かれた国が、恨み言でもあるのだろうか。

そう思っていたが、返ってきた言葉は全然違う言葉だった。


「そう。オレたちが狙ってた弱小国を、先回りしてどんどん侵略してくんだもん。せっかくいい奴隷がたくさん手に入ると思ってたのに…ほんと最悪。だからエルモート王妃を人質にして、今後の領土拡大はしないように要求と…あともう1つ。あんたの母国の土地と国民を、半分だけでもオレたちの国へ分けてもらえないかと思ってね?」

全部でもいいけど、それだとあんたの両親が頷かないでしょう?と男は小奇麗な顔で爽やかに笑った。

言葉からして侵略された国ではなく、近隣国の者だろう。

残虐な言葉を吐きながら醸し出すその爽やかさが逆に恐ろしかった。


「…半分貰って、どうするつもりですか?」

「だからぁ、奴隷が欲しいんだよ。あんたの母国は他国と比べると小奇麗な顔多いし、独特な綺麗な目の色してるからさぁ、他より高く売れるだよね。元々アイツに取られた弱小国とかあんたの母国の辺境地から人攫ったりして奴隷にしてたんだけど…使えないゴミは切り捨てるから。どんどん減ってくばっかりでさぁ、いくらあっても足りないんだよね。なのにアイツが領土広げまくった上に警備固めてるせいで攫うに攫えなくなるし、全然奴隷足りなくなっちゃって。ホント困ったもんだよねぇ…」

そう言い放った誘拐犯の笑顔に、底知れぬ恐怖を感じた。



(オレの母国は平和だと思っていたのに…まさかそんなことが起きていたなんて…)

アギエルバ王に侵略されて警備が固められていなければ、この被害に気づくことなくいつまでも奴隷として人が攫われていたのかもしれない。

ゾッとして背筋が震えた。

だけどそれと同時に、オレはあることに思い至って、笑った。



「……ふふっ」

「……何笑ってんだよ」

オレの笑いに露骨に機嫌を悪くした誘拐犯はオレの髪の毛を鷲掴みにして、腹をドスっと蹴りあげた。


「…ゴホっゴホっ」

倒れた床で少し噎せてから、蹴り上げた男の顔を見上げて、もう1度笑ってやった。

「だって、あんたたち計画は、上手くいかないから」

「はぁ?」

「オレには人質の価値なんて、これっぽっちもない。だからあんたたちの計画は、失敗だ。残念だったな」



「……何言ってんだてめぇ。お前はアギエルバの嫁だろ?」

男がオレの胸倉をつかんで無理やり持ち上げたため、ぐっと息が詰まった。

「……確かに、オレはアギエルバ王の嫁だ。名ばかりのな」

「……はぁ?」

男の拳にグッと力がはいった。


「…アギエルバ王はオレを嫁にしたけど、それはオレの母国が反逆しないための人質だからだ。夫婦らしいことは何一つしてないし、王様はオレに会いにすら来ない。王様はオレに愛情なんてこれっぽっちもないから、オレ1人のために国や国民を差し出すはずがない」

そう。オレたちは名ばかりの夫婦だ。

王様の嫁になるってことで後ろを掘られるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしてたけど、そんなんはおろか、ロクに顔を合わせることすらなかった。

というかそれ以前に、オレは王様に嫌われてると思う節があった。


…それは結婚式を挙げる時。

花道を一緒に歩く時も、指輪を交換する時も、誓いのキスも…王様はすべてオレと王様が触れることが無いように指示をしたのだ。

花道を歩くときは腕を組まずに50cmの距離を開けて歩く、指輪はリングピローに置かれたものをお互いに自分自身でつける、誓いのキスは口ではなく手で、手袋の上かはらギリギリ触れないくらいのものを。

だからオレと王様は握手でさえしたことがない。全く触れたことが無いのだ。


そして結婚式の日に顔を合わせたのが最後。初夜の夜さえ、アギエルバ王はオレの元に現れなかった。

王の子を嫁によこせと言ったくせに、男が嫁になるのは勘弁ならなかったのかもしれない。

だからアギエルバ王を目にするのは、オレが部屋の窓から王様が外を歩く姿をぼんやり眺めるくらいで…オレの目の前に姿を現すことは一切なかった。

嫁なんて名ばかりで、オレは王様が用意した豪華なお部屋に人質として飼われていたにすぎなかった。



「……ちなみに、オレの両親に言っても無駄だよ。オレは可愛くもない上に能無しだって、弟が生まれた瞬間に親からは見放されてたから、オレのために何かを差し出すなんて考えられない。…オレに何かあったって国と母国に害はないから、あんたたちの要求は何も通らないよ」

「……クソがっ!!!!」

男はみるみると顔を歪めて、ゴスッ、ゴスッと容赦なく体中を蹴り始めた。



オレはこれからどうなるんだろうか。

痛む体を少しでも庇うように小さく丸めながら、頭の中で考える。

(もしかしたらオレが奴隷として連れていかれるのかな…いや、使えないヤツは捨てるって言ってたから、殺されるのかもしれない…)

だとしても、それでみんなに害が及ばないならそれでいい。

オレは今まで能無しで何の役にも立たなかったけど…こうして攫われたのがオレだったから、王様や国民には何の被害もなくて済む。

…だとしたら、オレは少しくらいは役に立てただろうか。




それからいったい、どのくらい経ったのだろうか。数十分か、数時間かはわからない。

止むことのない暴力に意識を失いかけたその時に、ドン!!っと何かが壊される音が聞こえた。




「―…エルっ!!」


そう声が聞こえたと思うと、ぐぅっと男のうめき声が聞こえて、オレに降っていた暴力は止んだ。

やっとの力で目を開けて上を見上げると、誘拐犯は地面に倒れ…目の前にはいつも遠目で見ていたアギエルバ王の姿があった。


「王…様…?どう、して…」

「エル…っ」

王様はオレの横にしゃがみ込んで、オレの方へと手を伸ばしたが、

手は宙をさまよっただけで、王様はオレに触れないまま手を引っ込めて、自分の太ももの上に握り拳を作って俯いた。



「……もうすぐ、仲間の兵士が来る。縄をほどくのは、それまで待ってくれ」


ぼそりと呟かれたその声に、オレはもう助けてなんてくれなくていいからこのまま死んでしまいたいと思った。



「…王様は…そんなに、オレに触るのが、嫌ですか…」


こんな状況でさえも、王様はオレを触るのを拒絶するのか。

(だったらなんで、ここに来たんだよ…)

先ほどまで嵐のような暴力を散々耐えてきたのに、涙腺が壊れたかのようにぼろぼろと涙が頬を伝うのが分かった。




「―…っそうじゃない!そうじゃない…私は…私の手は、けがれているから…」


王様はそう言うと、自分の手のひらをぎゅっと見つめてから、手のひらで目を覆った。


涙でぼやけた視界で王様の手を見つめると…きっと血なのだろう。

赤と黒いような色で汚れていた。


「…王様も…怪我をしているのですか?大丈夫ですか…?」

よく見れば手だけでなく着ている服も、靴も…血のようなものでそこら中が赤黒く染まっていた。


「…私は怪我などしていない…怪我をしているのはお前だろう。私のこれは…返り血だ」

そう言って目元から離した自分の手をまるで醜いものでも見るように見つめて、右手で左手を握りつぶしそうな勢いでぬぐい始めた。


「…私は、沢山の人の血で汚れている。この手で何人も殺してきたのだ…相手がたとえ悪人だろうと、言い訳はできない。どんなに洗おうとも、この手も、私も…汚く穢れたままなのだ」

ゴシゴシと擦り続けるその手には、真新しい血が流れ始めた。

…王様が擦る手に力を込めすぎて、傷つけてしまったたのだろう。



「汚い、から……だから、触ってくれなかったのですか…?」


「……そうだ。…この手で触れたら、エルを穢してしまうような気がして…」



そんなことを本気で思っているのだろうか。

王様の言葉に、体の痛みも忘れて自然と笑みがこぼれる。


「穢れるなんて…オレは元々そんなに綺麗な人間ではありません。顔も平凡だし…今はきっと怪我だらけだから、いつもより余計に酷い有様でしょう?」


「…っそんなことはない!エルはいつだって、真っ白で綺麗だ…!…私の不注意でこんなことにさせてしまって…本当にすまない」


王様がなんで平平凡凡なオレをそんなに綺麗なものだと思ってくれてるのか分からないが、オレは全身が血で染まった王様を見ても穢れてるだなんて思えなかった。


「王様、もしオレを助けるためにここに来てくださったのなら、どうか王様の手で縄をほどいて下さい」

「………」

王様は俯いていた顔を上げたが、狼狽えた目をしているだけで、ほどいてはくれなかった。



「…王様、オレ、さっき誘拐犯と話をして…思ったんです。王様は侵略してきた国々を、潰そうとしたのではなく、救おうとしてきたのではないですか?」

無言のままの王様の瞳がゆらゆらと揺れる。


「王様の国はもともと酷い独裁政権でしたし…王様が侵略してきた国は貧しい国ばかりでした。なのに侵略後どこも豊かで平和になりました。オレの母国は貧しい国ではなかったけど…どこかの国から奴隷を集めるために人攫いをされていたそうです。ですが、王様が国を奪ってから警備が固くなって攫えなくなったと、そこの誘拐犯が文句を言っていました。王様は、自国も、貧しい隣国も、オレの母国も…守るために侵略したのではないですか?…今日もこうして、私を助けるために自ら赴いてくれたのではないですか…?」


王様は、他国を傷つける気なんてなかった。救うつもりだった。

だからオレの母国が侵略された時に、死者が0でけが人も極端に少なかったんじゃないだろうか。


王様は無言だった。

でも否定しないのは、きっとそれが正しいからだろう。


「…王様が、皆を守るために振り下ろした手を、オレは穢れてるだなんて思えません。そんなに優しい手を、オレは見たことがありません。だからどうか、王様の手で、この縄をほどいて下さい」



王様はそれでもしばらく悩んんだが、ゆっくりとオレの腕と脚に触れて縄をほどいてくれた。

その手つきは、大きな手からは想像もつかないほどに繊細で、縄で擦れてオレの腕が傷つかないように慎重に行ってくれた。


そして腕と脚の縄がほどけきったその瞬間、オレは王様めがけて飛びついた。


「―…っダメだ、穢れる…!」


王様は優しい手つきでオレを離そうとしたがオレは離されないようにギュッと首にしがみついた。


「穢れません、穢れる訳がありません。あなたはどこも、汚れてなどいないのだから」

「―…っ」

王様が小さく息をのんだのが聞こえた。


「…王様、ありがとうございます。オレなんかのために、こんなところまで来て下さって…オレも、母国も、救って下さってありがとうございました」


感謝を込めて、抱きしめる力により力を入れる。

王様がオレを抱き返すことはなかったけれど、もう引き離そうとはしなかった。


触れて初めて知った王様の体温に、体よりも心が温まるのを感じた。






それから自国へ帰る帰り道。

馬車の中で王様はオレから離れた位置に座って「…お前が何と言おうとも、やっぱりお前に触れるのはまだ怖い」とぽつりと呟き、

また憎々しい目で自分の手を見つめては握りつぶしそうな強さで手をゴシゴシと擦り始めた。

言葉にはしなくても、まだ自分のことを汚いと思っているのだと分かり、悲しくなった。



「……王様は汚くなんかありません。綺麗ですよ」

そう言って王様の擦りすぎて赤くなった手にゆっくりと手を伸ばし、労わるようにそっと撫でた。


この先何度あなたが自分自身を汚いと思おうとも、オレが何度でもそれを否定しましょう。

あなたの手がいくら血で染まろうとも、その綺麗な心はいつまでも穢れを知らないままなのだから。




終   2015.04.28

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