9 呪われた者たち

 イエス・キリストがゴルゴダ(註11)の丘で磔の刑に処されたのはユダヤ教との確執があったからで、それにはキリストが生涯に数度起こしたとされる奇跡の一つが関与する。

 ヨハネの福音書第五章によると、そのときイエスは祭りの最中のエルサレムにいる。エルサレムにはベテスダと呼ばれる池があり、その近くに大勢の病人や盲人などが伏せっている。彼らは水が動くのを待っていたのだ。その意味は主の使いが時折その池に降臨して池の水を動かすのだが、水が動かされた後で最初に池に入った者はどんな病気に罹かっていても治癒するからだ。だが、そこに三十八年もの長きに渡り療養中の者がいる。イエスは彼が伏せっているところを見、それが長期に渡るのを知ると彼に言う。

「良くなりたいか?」

 すると病人が答える。

「わたしには水がかきまわされたとき、池の中にわたしを入れてくれる者がおりません。池に行きかけると、もう他の人がいて先に降りて行くのです」

 そこでイエスが彼に告げる。

「起きて、床を取り上げて歩きなさい」

 するとその人はたちまち長患いから治り、床を取り上げて歩き出したという。

 これがベテスダの池でイエスが行った奇跡の内容だ。だが生憎なことに、その日は安息日でもあったのだ。だからユダヤ人たちは癒された元病人に命じる。

「きょうは安息日だから床を取り上げてはいけない」

 すると元病人がユダヤ人たちに答える。

「わたしを治してくださった方が『床を取り上げて歩け』と言われたのです」

 ユダヤ人たちは誰がそれを言ったのかと元病人に尋ねるが、彼はイエスを知らず、またイエスは既にその場から立ち去っている。

 その後、イエスは宮中で元病人を見つけ、こんなふうに言う。

「あなたは良くなったのだから、もう罪を犯してはなりません。そうしないともっと悪い事があなたの身に起こります」

 こうしてイエスを知った元病人はユダヤ人たちにイエスのことを告げ、それでユダヤ人たちは迫害すべき対象がイエスであることを知る。けれども、そんな彼らにイエスが言う。

「わたしの父はいまに至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです」

 その言葉のためにユダヤ人たちはますますイエスを殺害しようという想いを強める。何故かといえばイエスが安息日を破っただけでなく、自らを神と等しいと存在とし、かつ神を自分の父と呼んだからだ。

 ユダヤ教は一神教なので神は一柱しか存在しない。だからイエス・キリストの言葉は唯一神ヤハウェに対する最上級の冒涜としてユダヤ人たちに捉えられたのだ。そしてこの事件により当事の首都エルサレムのユダヤ教大祭司であったヨセフ・カヤパと彼が属するユダヤの一大勢力アンナス一族の政治的腐敗に批判的な立場を取っていたパリサイ人たちもイエスを告発する側にまわってしまう。


 註11 髑髏の意。

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