065:止まらないルーレット
───当たり以外の道はすべて破滅に続いている。
とんだルーレットもあったモノだわ。
ロシアンルーレットなら、『一発』を引けば終わり。ジエンド。普通のルーレットなら、まだ勝負のしようがある。
ベット。赤か黒か、一から三六までの数字か、〇か〇〇か。
ノー・モア・ベット。締め切りです。
やがてボールはポケットに落ちる。
果たして女神がほほえむのは。
けれど、私の目の前で回り続けるルーレットには賭けるポケットを示すテーブルは無い。ボールはすでに投げ入れられ、一つは右回転を、一つは左回転を何千何万回転と続けている。
いつかはポケットに落ち込むはずだ。動力が絶えたその瞬間に勝負は決まる。
赤々と染められた視界のなかで、煌々と緑光を放つディスプレイを見つめる。
中心にはルーレット本体であるリング、サイドに描かれたゲージは残り少ない。
「博士、待避完了です。あとは……」
ディスプレイの片隅に移る警備員の制服に、ちらりと視線を送った。
制服の脇にはまだ数人の影が見えた。
「行きなさい」
「チーフ!」
ゲージがまた一つ減った。
「これは私が起こしたこと。結果を見届ける必要がある。あなたたちまでつきあう必要はないわ」
「でも!」
すがりつくような声に振り返る。男のくせに、馬鹿ね。こんなことくらいで泣くなんて。
「私はね、見たいのよ」
接収されてしまうくらいなら、壊れてしまえば良いと思うほど。
「奇跡を」
張り飛ばされるような爆音が響いた。上からだ。ばらばらと埃が降ってくる。
はっと私はディスプレイに向き直る。腕をつかむ手を振り払った。小さな悲鳴が満ちていた。
ディスプレイの横、眼下に広がる『当たり』は何事も無く稼働音を響かせていた。ディスプレイが映すルーレットにも異常は無い。
……さすが地下深度五十メートルを超えるだけはある。一度や二度の砲撃ではびくともしない。
「博士、もう時間がありません!」
ゲージがまた一つ減る。あと、三つ。
ディスプレイに映る目が、真摯に私に訴えかける。
「……わかったわ」
一度目を閉じ、私はくるりと向き直る。一歩踏み出し、ついて行くからと制服を見上げた。
ほっとしたような所員の顔は見慣れすぎて情けないとも思えない。
並んで歩けない狭いドアを順番にくぐっていく。そして私は。
目の前で、ドアを閉めた。
「博士!」
手早くパネルに手を伸ばす。残り少ないエネルギーでロックをかける。
これでゲージはあと一つ。
「早く行きなさい。この基地はもう汚染される。止める手段はないわ」
ドアの向こう、わずかに漏れる空気がざわつき、それもやがて遠ざかっていく。
優秀な警備員は残るべき命を優先した。……それでいい。
ディスプレイに再び向き直り、歩を進める。一歩。また一歩。
……どうせ勝負に負けるなら、ミサイルをぶちかましたあいつらを巻き添えにしたいところだったけど。
最後のゲージが点滅する。
超伝導コイルに供給されていた電力が途絶える。
円形に軌道を曲げる力が失われれば、電子雲、陽電子雲は直線軌道を進んでいく。
暴走した電子雲は加速器を突き破り、強力なベータ線と化すだろう。持ち余したエネルギーで周囲の物質を放射化し、所内にとどまり続ける。
……磁力が失われたそのときに、この観測装置の中に飛び込んでくるので無ければ……。
ダン、と天井がきしみをあげた。コンクリートの小片が制御台に降り注ぐ。
あいつらがほしいのはこのサイクロトロン。世界の始まりに迫る、空前絶後のエネルギー。
工作者に制御装置が壊された程度であきらめる気などない。
渡すくらいなら。
「……さぁ、こい……!」
万に一つより分が悪いルーレットが今……!
爆発音。
息が止まるような衝撃が走る。見上げ続けたディスプレイの表示が青く点滅する。
きな臭さと共に聞こえた足音に振り返る。
物々しい装備の男たちの間からまろびよってきたのは、白髪の老人だった。
……見たくも無かった……いや、この上なく見たかったその顔に、思わず笑みがこぼれた。
「レット、おまえはこんなに……」
「……勝ったわ」
「スカーレット?」
「……私は勝ったのよ、父さん!」
怪訝そうな目を向ける、小さな老人を見返してやる。
ごうん、と背中が震える。
黄色く濁った老人の目が、私に銃口を向けるいくつもの鋭い目が。
揺れる。
あなたが捨てた私が。
あなたを超えて、あなたを飲み込み、そして。
捨ててやる。
彼らの目が驚愕に見開かれる様を私は薄笑いで眺めた。
彼らが飲まれていく様を、飲み込まれながら見ていた。
あなたが捨てた特殊インフレーション理論を、捨てられた私が完成させた。
電子と陽電子の衝突が生み出す莫大なエネルギーは、原始の世界を飛び越えて時空をゆがめ軌道を変える。
世界(ブレーン)と世界(ブレーン)の衝突が新たな世界を生み出す。
古い世界をすべて壊して。
……あなたと私を無に返して。
「スカー……!」
クククと漏れた笑い声が、やがて高らかな嗤い声に変わっていく。
自分でも止められない。涙さえ出てきたとしても。
もう私の視界にあいつはいなかった。制服もなく、壁も無い。……なにも、ない。
あるのはただ、衝突してもなお回り続ける世界を超えたルーレット、だけ。
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