047:冥王は大暴れ
多分こういうのを美少女って言うんだろう。白い肌、西洋人を思わせるくっきりとした目鼻立ち、闇に紛れて見えなくなるほども黒くなめらかな、癖のない髪。小柄なのに幼い感じはなく、むしろ少女と言うより美女といった方が良いかもしれない、服の上からでもわかるほどのプロポーション……。
全く見ず知らずの街でばったり出会っただけでも、何かをちょっと頼まれたら、世の平均的な男ならなかなか嫌とは言えないだろう。
オレだってどうあがいたって彼女の一人もいない平均的な大学生でしかなくって。多分都合が良いことに一人暮らしをしていた。
街角から飛び出した彼女は尻餅を気にすることもなく、有無を言わせず腕を絡ませささやくように言った。耳元そばの甘い吐息と氷のような二の腕の感触ばかりが感じられた。
「ちょっと、かくまってくれない?」
*
「追われてるのよ。逃げ切れるとは思ってないけど」
彼女は毛布にくるまったままオレが淹れた茶をこわごわといった様子で口元へ運んだ。毛布といってもその下は想像しただけでよだれが出ちゃうようなものじゃない。この真冬に一体どこから来たんだろう? 彼女は薄いシャツを一枚羽織っただけだった。
ぴぴぴとエアコンが動き出したのを見て、オレはいそいそとこたつへ潜り込んだ。ホットカーペットが欲しいと思う。けれど、仕送りとバイトの毎日で、そんな買い物をする余裕はなかった。
「どんな人なんデスか? ……マフィア、とか?」
口に出してしまったと思った。オレ、とんでもないモノを拾ってしまったんじゃなかろうか?
オレの息が僅かに白く空中を漂って、すぐに消えた。早く暖まればいいのに。
「まふぃあ? 多分、違うと思うわ。……迷惑かしら」
ふっと彼女の表情がかげって、黒い髪がカーテンのようにその顔を覆った。……オレがいじめてるみたいじゃないか。
「迷惑つーか、オレ、何も出来ないデスし、オレじゃなくて近所に迷惑になっちゃうのはまずいデスし、見つかったら……」
「ここに今晩おいてくれるだけでいいの。多分、それで平気」
湯飲みを置き、きゅっと毛布をかき合わせた。白い手がこわばりいっそう白く見えた。おびえているように、見えた。
「あ、あの……一晩くらいなら……」
「本当!?」
ぱっと上げた彼女の顔はうっすらと紅に染まって、本当に嬉しそうに見えた。
*
ベッドは彼女に譲ってオレはこたつで転がることになった。今夜はやけに冷える。エアコンは入れっぱなしだ。部屋はやたらと乾燥していた。そりゃそうだろう、ただでさえ乾燥注意報まっただ中の季節なんだから。
つばを苦労して飲み込んだ。オレは大学では紳士で通っていた。女の子に無理矢理お酒を飲ませることもないし、寄った勢いでなんてこともしない。……布団から覗く彼女の白い肩が気になるからなんてことは断じてない。単にヘタレだから今まで無かったなんて、そんなことはあり得ない。
湯でも沸かせばマシになるだろうか。こたつを抜け出し、エアコンが動作していないかのような気温に気付いた。壁にへばりつくエアコンは緑のLEDを点灯させて、正常動作を主張している。そういやこたつも最強にしていた。底冷えが酷くてそれでも足りないくらいだった。
薬缶を火にかけて思い立ってTVをつけた。深夜のニュース番組は、突然発生した大寒気団を報じていた。アナウンサーは切り替わったカメラに目線を写して、少しも慌てず読み上げた。
『……上空五〇〇〇メートルの温度がマイナス一〇〇度を下回る観測史上初の寒気団が東京に……』
『……あちらこちらで凍結が発生しています。各地の通行止め情報は……』
『……この寒波によりすでに都内で一〇人もの凍死者が……』
しゅんしゅんと薬缶がわめき出すまでオレは呆然とそれを聞いていた。
熱い湯でコーヒーをいれる。そのままふたを開けて弱火で沸騰させ続ける。……少しは温度も上がればいいけど。
「これ……」
彼女の声だった。もう一つのカップにインスタントコーヒーを作ってこたつに戻ると、白い顔にめまぐるしく変わる明かりを映した彼女が食い入るようにTVに見入っていた。
「珍しいデスよ。明日の朝は交通麻痺かも」
「うん……」
受け取ったカップを両手で包み込むように持ち、彼女はまたうつむいてしまった。TVではスキー場にいるかのような防寒具を身につけたレポーターが、バナナで釘を打っていた。……嘘だろ?
「ごめんなさい。やっぱり私ここにいられないみたい」
苦い笑いってのは、こういう事を言うのだろう。つらそうとか悲しそうと言う感じではなくて、しまったなと長い髪を指でいじっていた。
「二~三日は稼げると思ったんだけどな」
「……見つかったンですか?」
腕を捕まれたまま大渋滞の地下鉄に乗り、どこにも寄らずに部屋まで帰ってきた。追っている人をまけなかったのか?
「見つかったって言うか……出て行かざる得ないと言うか……。見つかったの、かな」
『姉様!』
雨戸なんて気の利いたモノなんてない窓に人の影が映ったと思ったら、とんでもなく冷たい風が吹き込んできた。ぱりんと聞こえた音は、多分、カーテンの向こうの惨劇を示していて……。
ぶわりと舞い上がったカーテンの中から、彼女とそっくり同じ容貌の少女が俺たちを見下ろしていた。整いすぎたその顔の中、眉根にくっきりシワをつくって。
「悪かったわよ……いいじゃない。ホンのすこし羽根をのばしたって」
「決まり事でしょ!? やぶっちゃだめでしょ!? 言っとくけどね、この天気はアタシのせいじゃないからね!?」
「ついてきたってこと?」
「当たり前でしょ!?」
しばらくにらみ合っていた同じ顔の二人だったが、『彼女』の方が先に折れた。深々と溜息をついてするりと毛布をベッドに落とした。二人の背後にはとんでもなく大きな月があって、彼女の表情はよくわからなかった。
「ごめんなさい。部屋をこんなにしちゃって。埋め合わせは必ずするわ」
「姉様っ!」
「わかってるわよ。……折角かくまってくれたのに……私帰るわ」
すっと彼女の足が動いた。粉々に砕けてどこにも形の残っていないその窓の方へ。
「あのっ!」
思わず声に出して、オレはむせた。冷たい空気に喉が、肺が、きりきりする。
「なに?」
「……また、会えマスか?」
「……」
月光に浮かんだ端麗な横顔が、笑っているように見えた。
*
敷金は戻らず、追加で二〇万近く持って行かれた。大物は全て処分して、その二〇万の足しにした。身一つになったオレは、どうにかこうにかなだめすかして友人宅に居候として潜り込むことに成功した。昼の気温は緩み始めていたけど、夜はまだ冷えた。熱い酒がこの上もなくうまく思えるくらいに。
「んで、今ここで酒を飲む羽目になったって?」
「そ」
「信じられるか、そんな話」
「オレも信じらんねーよ。けどだからこそ、今こうして酒を飲んでるわけで」
翌朝は少し寒いだけの冬の朝だった。大寒波は嘘のように消えていた。消えなかったのはガラスのはまっていない枠組みくらいのモノで。
……誰にも信じてはもらえなかった。その後に届いた手紙も含めて。
『私は冥界の王位を継ぐことが決まっていたの。夜を司る冷たく暗い国の王を。即位式は三日後だった。ちょっとだけ、明るい世界を見てみたかったの。寒気は私についてきてしまったみたい。まだ王位を継いでないからと安心していたのだけど、ダメだったわ。
あなたにはとても感謝しているわ。かくまおうとしてくれて、しかも部屋を壊してしまって。申し訳ないと、思ってる。そちらのお金では払えないから……これ、換金できないかしら。こちらの石はそちらでは宝石になると聞いたわ。本当に、ご免なさい。そして、ありがとう』
封筒には、黒いくせに澄んだ石の固まりが入っていた。
「コレだってな。綺麗だけど……」
「はは。お前の人相じゃぁ、盗品だって言われちまうよな。……本当に盗んだんじゃないよな?」
「馬鹿言え。オレがぬすんだんなら、もっと金になるモノにするさ」
「そりゃそうか。……さ、もう寝ようぜ。明日からノート、よろしくな!」
「……出来る限りの努力はしよう」
ごんごんとグラスをテーブルに置き、電気が消された。
カーテンの隙間から遠くて近い月が見えた。
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