新学期・四

「──久しぶり、優之助」


 天乃原学園にきて、何度目の「久しぶり」だろうか、親しげにそう声を掛けてきたのは国彦の背後で蠢く影の群れ、その中心。俺や国彦と同じく天乃原学園の制服を纏う男子生徒だった。


 身長は170あるかないかのあたり。国彦と比べると極端に低く見えるが、それを差し引いても小柄に感じるのはあまり筋肉の付いた体つきではないからだろう。


 空也も同程度に小柄だが、しなやかさが印象深いアスリートの“それ”に対し、男子生徒の体には戦闘力が備わっているようには見えない──少なくとも、俺の記憶の中で彼が戦闘の矢面に立った所を見た事がない。時宮高校元序列十位『皇帝』月ケ丘つきがおかみかどはそういうタイプではないからだ。


 そんな優男の周りに控えるはを守る少女の形をした剣、通称、ロイヤルガード。年の頃は俺達と同じか、その少し下。一様に整った顔つきはタイプの違いはあれど、魅力的に映る。黒を基調としたシックな装いは注意深く見ると俺達の母校時宮高校で支給された制服と同じデザイン。そして、同時にさいやトンファー、投げ槍、果ては弓矢で狙撃してきた少女達も同じく身に着けていたもの。本来十二人いるはずなのだが、そばにいるのはその半分以下。これはつまり──


「──他は空也達への陽動か? 帝」


「うん。篠崎や刀山が相手だと大して時間稼ぎにはならないだろうけどね。けど、もしかしたら、篠崎の足ならこちらにこれるかも──」


「──その通りだよ、『皇帝』」


 中性的な響きが空から降り、それを追い越さんとばかりにしなやかな影が木漏れ日を受けて地面とその先に立つ帝の姿を陰らせる。その影の大元は時間稼ぎにあっているはずの時宮高校元序列七位、篠崎空也。


 帝のもしかしたらに応え、文字どおりに飛んでやってきた勢いそのままに異名ともなった足で標的を狙う。あり得ない急角度からの跳び蹴りは例えるなら『皇帝』を打倒せんとする革命の弾丸。


 それに無表情で対応するのはロイヤルガード達。暴徒鎮圧に使われるジュラルミン製の盾を構え、主の前に十重二十重と立ち塞がる。しかし、速度の乗った空也の蹴りは今や砲弾に近い。盾を吹き飛ばされ、あえなく後退する。それでも表情からでは読めない意地が『皇帝』に土一掴み、小石一つすら通さない。


「下がれ。ろくに足止めも出来ないお前達に止められるはずがない」


 だが、そんな少女達の意地とは裏腹に、帝は視線をこちらから外さず、にべもなく少女達に下がるよう告げる。


「防いでもらっておいて、その物言いはないんじゃないかな? 『皇帝』」


「嫌味はやめてもらおうか『空駆ける足』。いくらでも軌道を変えて蹴り込める貴様が直線できた以上、仕留める気がないのは丸わかりだ──それより、僕は今、優之助と話している」


 だから邪魔しないでもらおうか、言外にそうにじませる帝に肩をすくませ、やれやれと首を振る空也。


「剣太郎は?」


「足止めに回ったロイヤルガード彼女達を足止めしてるよ。自分の足ではどうやっても間に合わないからって、ね」


「そうか──悪いな、帝。話の腰を折った」

「構わないよ、優之助。最初に中断させたのはそこの『空駆ける足』だ」


 混ぜっ返すなぁという顔の空也にまぁまぁと目配せを飛ばす。また話を戻そうとして堂々巡りになるのはご遠慮願いたい。


「それで、帝。とりあえず確認だが、俺や瞳子の敵に回ったという事でいいのか?」


「──うん。いろいろあってね」


当真瞳呼とうまとうこってやつか? ──ややこしいけど、瞳子じゃない方な」


「わかるし、想像している通りだよ。そして、協力者が──」


「俺だ!」


 ものすごいドヤ顔で割り込んできたのは国彦。俺と帝にまたか、という気持ちにさせるが、下手に突っ込むとまた脱線しかねない。唯一の救いは珍しく大人しい瞳子だが、周りがこうも前に出る中、逆に沈黙が怖い。本当に前も後ろも気が休まる面子がいねぇ……。


「──まぁ、そういう事だよ」


 いや、補足しようよ、帝。気持ちはわかるけれども、気持ちは。


「さらに補足するなら、俺が雇われたのは『皇帝』こいつに、だ」


「お前がするんかい! つか、俺の知りたい事と若干ズレてる!」


 俺の心を読んでいるとしか思えないタイミングからの、割とどうでもいい情報に突っ込みが止められない。一方の国彦は顎をくしゃり、自らの耳をこちらに見える位置まで持ってくる。そこには、小型のインカムが取り付けてある。どうやらあれで指示を受けていたと言いたいらしい。


「(まさか、さっき足を止めたのは、警戒からでも、ダメージを受けたからでも、まして消耗を気にしたわけでもない、と言いたいのか?)」


 だとするなら、なんだかなぁ、と思う。自分で言わない辺り控え目アピールしたつもりだろうが、ああもこれ見よがしな仕草だと、気づかない方がおかしい。というか、なぜ今更謙虚さを出す必要がある?


「一応、雇い主だからな」


 俺が気付いたのを見てから、謙遜気味に言ってのける国彦。いや、お前、自分から包囲網解いたじゃん。あれ、明らかに命令違反じゃん。


「『王国』が全て言いなりになるとは思っていないよ。ある程度は折り込み済みさ」


 帝は帝で完全に割り切ったという体で、まるで当てにしてないというように聞こえる。まぁ、納得しているならこちらが口を挟んでも仕方がない。それよりも──


「──協力する事になっているんだ?」


「どこまで、か。面白い表現だ。……そうだね、一先ずはこの学園に関わる全ての事柄を解決する所までかな。その延長線上にある当真の進退までは請け負っていないと言っておくよ」


 台詞の後半はどちらかと言えば、瞳子に向けてだろう。せり上がる寒気に思わず瞳子に振り返るが、当の本人は気にせず続けろと目配せをこちらに送っている。俺に任せた方が情報を引っ張れると判断したようだ。


「それにしても、まさかがわざわざ出張ってくるとは思わなかったよ。……俺みたく年を誤魔化してまでな」


「そこは次期当主候補当真瞳子と同じさ。家の実利と個人的事情──いや、娯楽と言い換えた方がいいのかな? 僕だって、君が他の序列持ちと小競り合いしているのをただ見ていられるほど物事に達観しているわけじゃない」


「──別に天乃原学園ここでなくてもよかったんじゃねぇの?」


「もののついでだよ──どちらが、というわけでもないけれど。ただ、普通に遊ぶより楽しめそうなのは間違いなさそうだ」


 それについては敵味方双方に否はないらしく、瞳子は苦笑を、空也は複雑そうに顔を背け、国彦は男臭く口元を歪ませていた。


「どいつもこいつも難儀な性格だ」


 違いないね、と帝も首肯する。


「んで、これから、どうするんだ? 再開するか?」


「いや、せっかく再会──いや、洒落ではないよ。せっかく“編入”したんだ。少しくらいは学園生活を楽しもうと思う。授業を受けるのは煩わしそうだけど」


「そうでもない。強制的に学ばされるわけではないと思って受けると、案外悪くない」


 所詮、今の身分は仮初めのものだ。いつでも放り出せるという余裕からか、それとも、昔を懐かしんでいるのか、現役だった頃の息苦しさを感じないでいられる。言葉にすると難しい想いをうまく伝えられたかどうか、肝心の帝は踵を返し引き返すようで、そもそも聞こえていたのかすら読み取れない。


「とりあえず今日の所はこの辺で。明日からよろしく、優之助」


 無防備に背中を晒し、この場を離れようとする帝。その退路をロイヤルガード達が、あるものは脇を固め、またあるものは殿を務める事で安全を確保していく。


「……相変わらずね、彼」


 一団が木々の奥に消えていったのを見計らい瞳子がそう声を掛けてくる。去りゆく先を見つめる視線は困った人間を見た時のそれだ。


「そうだな」


 お前も充分困った人間同類だがな、とは言わないでおく。


「金払いはいいんだがな。正直あいつとはそりが合わん」


「いや、お前も行けよ! なにしれっと敵がここに残って会話に入ってんだ!」


 なぜかこの場に残った国彦をそんな風に突っ込みを入れる。


「いちいち些細な事をつつくんじゃあねぇよ。相変わらずその辺は固いというか、つまらんやつだな」 


 これみよがしにため息を吐きながら首を振る国彦に頭痛と眩暈を覚える。そんな俺の耳に甲高くも澄んだ響きが遠くから聞こえる。天之宮の本宅からわざわざ持ち込まれたという学園の時報を司る大時計だ。年代物アンティークの長針が頂点に達し、それに連動して起動するギミックから生み出される鐘の音が、午後の到来を告げていた。


「(どうしたもんかね)」


 始業式は国彦が襲撃してくる前に終わっている。この後、特に予定のない俺は降りかかってくる問題とは裏腹の手持ちぶさた加減に途方にくれる。辛うじてできるのは思い出したように襲ってくる空腹を何で満たそうか、と頭を悩ませる事くらいだった。



 時宮高校元序列十位、『皇帝』エンペラー月ケ丘つきがおかみかど。月ケ丘というのは時宮の隣に位置する地名であり、そこを代々統べてきた一族の姓でもある。つまりは当真と同じ武士の家系だ。


 ただし、当真とは違い、祖先──この場合は家系の始まりを指す──に異能者はおらず、世間が一般的に想像する有力な豪族や大名から土地を与えられた一族。言い方はなんだが普通の"お武家様"である。


 そんな普通の"お武家様"であった月ケ丘家だが自らが守護する場所からほど近い所に当真が隠れ住んでいた事、月ケ丘の危機を当時の当真家当主が救い、そこから両家に友誼が生まれた事──そのおかげで当真家は迫害を免れ、現代まで生き残ってこれたといっていいらしい──は一般的から外れるには大きな要素といえる。


 とはいえ、始まりはあくまで要素止まり。しかし、生まれた縁を断ち切らず、密かに交流を続け、やがて婚姻という繋がりによって結ばれた世代が出てきた時、月ケ丘はどこに出しても申し開きのできない世間一般から外れた家系となってしまった。


 一族で異能が発現したのは遡る事三代くらい前、百年ほどと歴史そのものは浅い。だが、確実に異能者の一族として、権威や影響力を隣の異能者が集まる地時宮に食い込ませていた。


 月ケ丘帝はその月ケ丘家の現当主。高校卒業後、前当主父親の引退を受けて、一族を率いる立場に就いた。流れ自体は元々決まっていたようで、当主を守るのが唯一にして絶対の使命であるロイヤルガードに幼い時分より守られていた。月ケ丘家がどういう思惑で動いていたのかわからないが、ロイヤルガード達の年齢が帝に近い事からもそうなるよう“準備”されていたのは明白だった。


 だが、用意されていたものを本人が望んでいたかどうかは別の話。武家いいとこの跡取りの座も、ロイヤルガード魅力的な少女を十二人もはべらせている日常も、小・中・高子供の世界では妬み嫉み、そして、それ以上にからかいの対象となる。


 『皇帝』エンペラーの名も帝自身の戦闘力の無さ──類まれな異能の有無は別として──から、臣下がいないと何にも出来ない=皇帝という皮肉で名付けられた。本来、序列持ちへ向けて謳われる“二つ名・通称”ですらこの有様だ。虐げられるというには立場も扱える力も強すぎたが、無慈悲に与えられ、受けてきた“痛み”に違いはないだろう。


 傍から見れば羨む立ち位置に突っかかりたくなる気持ちも分からなくはないが、矛先を向けられた側はたまったものではない。お膝元であるはずの月ケ丘で散々な目にあったらしく、高校二年の春に時宮へ転校してきたばかりの頃の帝はかなりの人間不信に陥っていた。今も決して人当りがいいとは言えないが、昔と比べると可愛げすら感じられる、とは瞳子の評。


 傍迷惑の塊瞳子をして"これ"なのだから、初対面だとだいたい帝を誤解したまま没交渉で終わってしまう。しかし、月並みを承知で擁護するなら、それらはただ接し方が不器用なだけであって、帝の本質は強い責任感で出来ている。


 その顕著な例がロイヤルガード達への扱いだ。それは彼女達が扱う得物──弓矢や投げ槍といった飛び道具かトンファーや釵といった護身に長けた武器──であったり、命令の内容──俺や空也、剣太郎には、ほぼ包囲してからの狙撃のみ、唯一の近接は待ち伏せによる奇襲──であったり、一見しただけでは気づきにくくも彼なりの思いやりが伺える。


 にも拘らず、その関係に笑顔一つないのは、彼らを彼ら足らしめたがとても歪だったからだろう。少なくとも帝は、家も、流れる血筋も、自分自身すら嫌っている。


 それでも帝は、投げ出さずあらがい続ける。もはや呪ってすらいる家名を背負い、守りたいものを抱え、沈みそうになりながら、どこまでも足掻く。だからこそ、俺は思う。例え始まりが嘲りからであろうと──月ケ丘帝は正真正銘『皇帝』であると。



「──というのが、『皇帝』月ケ丘帝についてだ」


「唐突にどうしたの? 長々と語りだしたりなんかして」


「いや、事情が分からない面子もいるからさ。一応な」


 リビングに集まった面々を見ながら、不思議そうな(というより、かわいそうな、というのが近い)眼差しでこちらを見る瞳子に弁解する。


「つまり決着をつけられるにも関わらず、そのままのさばらせておくという判断をした──そう解釈していいのかしら? 御村優之助君?」


 皮肉っぽく区切ったのは、その中で最も小柄で最も態度の大きい人物。天乃原学園生徒会長、天之宮姫子だった。横では真田さんが素知らぬ顔で紅茶を傾け、飛鳥は体育座りで長い手足を抱え、時折交互に組み替えながら、こちらの言動を一つ一つ眺めている。


「彼女って、いつもあんな感じなのかい? 大変だねぇ、優之助」


「そう思うなら、助け船の一つくらい出してくれてもいいんじゃないかな? 空也」


 会長達に対峙する形で一角を占めるのは、今しがた茶々を入れた空也、


「生徒会室からおめおめと逃げ出した人がいう台詞かしら。ねぇ、生徒会長さん?」


 と、よくわからない事をのたまい、会長を挑発する瞳子、


「優之助、これの続きはあるか?」


 そして、一人マイペースに漫画を読み漁る(堅物そうな外見からは見えないが、意外と漫画好き)剣太郎の当真家側──というより同級生側と言った方がいいだろう──の三人。ほんの一、二週間前、瞳子と餅をつついていたリビングはそんな濃い面子同士が顔を合わせ、寛いでいるのか、緊迫しているのか(主に瞳子と会長の間で、だが)よくわからない空気を醸し出していた。


 そもそも、なぜ一堂に会する羽目になったのか。時間を少し遡る事、一時間ほど前。帝が立ち去った後、ほどなくして国彦も帝を追うように下がっていった。そこそこ離れていた位置から聞こえる腹の虫を察するに雇い主に飯をたかりに行ったのだろう。


 命令違反を半ば許されて(というか諦められて)いる立場でよくもまぁぬけぬけと要求できるな、と呆れていると、飛鳥から着信が来て、始業式後に起こった乱闘の事情聴取というの元、事態についての情報交換と当真瞳呼達への善後策を検討する為に集まる運びとなった。


「(それ自体はいいんだけどなぁ……)」


 どうして、集合場所が俺の部屋になったのか? 飛鳥との通話やその後の瞳子の会話を記憶から漁ってみても思い当たる節が欠片も出てこない。未舗装の急坂を登って学園に戻ると生徒会の仕切りですでに混乱は沈静化し、三々五々に解散していた。


 そこで会長達と合流し、競うように先頭を行く瞳子と会長について行くと、立ち止まった先は学生寮の前。


 ごく自然に周りが止まった為、聞き逃しでもあったのかと不安になる俺を尻目に、じゃあ中で、などとプールの待ち合わせみたいな一言を残しさっさと女子寮へ入っていく女性陣と、それに了解で返す空也と剣太郎。気が付けば、空也に急かされ部屋の鍵を開け、されるがままに中に案内する始末。とはいえ、そこまでくれば流石にどういう手筈なのか気付く。あの時をなぞってベランダへ続く窓ガラスに手を掛けるとすでに到着していた女性陣が次々とリビングに押し入り、思い思いの場所に座り込んだ。


 独り暮らしを前提にしていたので、人数分の椅子など用意しているはずもなく、テレビ鑑賞に合わせたソファに会長と真田さん。ソファの端に持たれる形で飛鳥。瞳子と餅を摘まんだ時に使ったテーブルを挟んだ対岸に俺や瞳子、空也に剣太郎が直に座るという構図に落ち着き、今に至る──やはり、俺の部屋を使う事になった経緯も必要性も何一つ出てこない。


「まさか、あんな方法で男子寮と女子寮を行き来できるとは思わなかったわ……完全に設計ミスね」


 少しずつ伸びて入り込む昼下がりの日差しに軽く目を細めていると、独り言に近い響きで会長がぼやく。日差しの先には女子寮。どうやら遠い目をしていた理由を若干勘違いして話を振ったらしい。


「いや、普通実行しようとは思わんから。心配しなくても、実行できるのはほぼ一部の規格外だけだ」


 飛鳥を送った際、女子寮に潜入した俺があまり突っ込めた話ではないのだが一応フォローしておく。バレたらどう追及されるか想像もつかない。……視界の端で飛鳥こちらを見ているのは気のせいだと思いたい。


「それより会長はどうやってここに?」


「凛華におぶさって、よ。……あの浮遊感と下から来る風は正直二度と味わいたくないわ。あれなら生徒会室で振り回された時の方が──いえ、どちらも地獄ね」


「何の話だ?」


「こちらの話よ」


「そんな話をしに来たわけじゃないでしょう? そろそろ本題に入りなさいな」


「至極もっともなご意見どうもありがとう当真瞳子。あなたがそんな正論を吐けるなんて感心したわ。そもそも人間社会に適したモラルがあるとは思わなかったもの」


「あら、これでもある程度の常識は弁えているつもりよ。ただ相手をするに値しないか、使い倒す手足に対してはその限りでないだけ」


「本題に入るんじゃなかったのかよ」


 あと、瞳子。その使い倒す手足に俺は含まれてないよな?



「──はー、まさか生徒会室で襲われるとはなぁ」


 微妙におっさんくさいリアクションと自覚しつつ、会長達に起こった出来事を間の抜けた感想で締めくくる。こちらは外壁に傷一つつけるのですら躊躇う所を、下手なオフィスビルより強固なセキュリティを修復不能になるまで痛めつけたのだ。襲撃した奴の向こう見ずさが恐ろしい。


「その点は私も同感。もう少し控え目に攻めてくるものだと思っていたわ。もしかして隠れる気はさらさらないのかも。……それにしても、修繕費はどこに請求した方がいいのかしら? ──ねぇ、当真瞳子」


 皮肉っぽい口調と共に矛先が瞳子へと向かう。冗談交じりに聞こえるが、動く金は冗談で済む額ではないだろう。笑って流すなんてリアクションはまず無理の状況に聞いているこっちが、心なしか胃が圧迫されたように重くなる。


「……」


「冗談よ。いくらなんでもそこまでみみっちい真似はしないわ。一応、味方でしょう?」


「……そう言ってもらえるとありがたいわね」


 さすがの瞳子もあまり強く返すのは躊躇われるらしく、いつもの鋭さはない。


「……しかし、何をやったら、そこまでの打撃を受けるんだ?」


「あぁ、それは──」


「──紅茶はいかがですが、会長」


 突然の割り込んだ人影に驚いたのか、小さく呻く会長──きゃ、とか聞こえた──を尻目にてきぱきした動きで飲み物を配っていたのは『氷乙女』と称される生徒会副会長、平井要芽──要芽ちゃんだ。


「あ、あなた、いつの間に」


「何言ってんだ。最初からいただろう」


「無理もありません。会長からは死角に入り込んでいました。それはもう見事な入り身で。その後はキッチンにいたはずなので気づかなくても無理はありません。……こちらからではキッチンの中を確認できないようですし」


 と、真田さんが会長が気付いていなかった理由を解説する。その横では要芽ちゃんが素知らぬ顔で真田さんに給仕している。一足先に飲み干して、空になった真田さんのカップに再びリンゴやレモンを連想させる果実の淡い香りが立ち込めていく。


「どうして、言ってくれなかったのかしら?」


 隣で誰よりも早く紅茶を飲んでいた真田さんなら、要芽ちゃんが部屋に入ってきたばかりでない事も、それに自分が気づいていなかった事も確実に承知していると思い至ったらしく、もはや瞳子に対しておなじみとなっている皮肉のこもった笑顔で真田さんにする会長。気持ちはわかるが、本当にそれ、止めてほしい。見ているだけで胃痛がまたひどくなりそうだ。


「取り立てて言う事でもないかと。その上、御村が語りだしたので尚更──」


「いや、わざとだよね? っていうか、俺に責任おっかぶせようとしないでくれない? ──会長もこっち見ないで。頼むから」


「──襲撃者の正体は不明。わかるのは、建物の被害から破壊工作に長けた人物だと推察される点のみ。その為、新入生を重点的に調査中です」


 ここで要芽ちゃんの急な話題転換。一瞬、意味を計りかねるが、話が脱線する前は生徒会室襲撃の話をしていたのを思い出す。どうやら要芽ちゃんなりのフォローの様で、会長から見えない位置からの目配せでそれを悟る。


「な、なにを言って」


 いきなり何を言い出すのか、そんな顔の会長。って、まだ気付いてないんかい。心の中で密かに突っ込むが、会長だけではなく、真田さんや会話に加わらなかった飛鳥まで怪訝な表情を隠さず、要芽ちゃんを見ている。その視線を受けながら、剣太郎、空也、瞳子の順を本職のウェイトレスもかくやという動きで配り終え、キッチンへと下がっていく要芽ちゃん。背筋よく、かつ重心の移動を感じさせない軽やかな動きは彼女が打ち込んできた合気道のおかげだろう。何気なく目で追っていると、視界の外で誰かが腰を浮かす気配。


「ち、ちょ──」


調です」


 その反応も予想済みなのか、抗議の声を被せるタイミングでこちらに向き直り、すでに述べた結論を再度強調させる要芽ちゃん。事実は覆らない、あるいはという所か。


 込めたニュアンスは何となくわかるが、それにどういう意図があるのかはわからない。一方、追求しようとした側は、言い切って今度こそ下がる要芽ちゃんを行かせるままにさせ、押し黙る。


「(振り上げた拳を渋々下ろした感じだな)」


 しばらくの間、沈黙が支配したリビングにソファが軋み身じろぎする音が聞こえる。納得はしていないが、一旦はそういう事にしておくというニュアンスが伝わってくる。こちらも何をもってそうする事にしたのかは読めない。


「──だそうよ」


「いや、聞いてたし……」


 不機嫌な会長に俺はそう言うのが精一杯だった。

「──それにしても、あなた本当に物怖じするという事がないわね。まぁ、私に対してそんな態度がとれるなら誰にでもそうなんでしょうけど」


 場の空気を変えようと出された──俺が淹れ直した──紅茶で人心地がついたのか、気を取り直した会長が自分から話題を切り出し、こちらに向けて振ってくる。さっきからそうだが、話らしい話をしていない。


 元同級生共は漫画を黙々と読みだしているし、手持ちぶさただった飛鳥も俺に一言断ってからキッチンの方へ向かった。そんな大半が話し合いを放棄する中で会話を当たり障りのない所からでも進めようとする会長に、同じく沈黙と停滞に耐えられない俺が乗っかりたいのはやまやまだが……何の話だ?


月ケ丘帝『エンペラー』の事よ。だったのでしょう? そこまで明け透けに接するなんて、そうないと思うけど」


 ……今、何て言った? 帝が先輩? どういう意味──


 ──月ケ丘帝はその月ケ丘家の現当主。高校卒業後、前当主父親の引退を受けて、一族を率いる立場に就いた。


 ──前当主父親の引退を受けて、一族を率いる立場に就いた。


「…………あっ! あー、ソウダナ~、オレッテ、コンナカンジナンダヨー。ダカラ~、ヨク~、ナマイキダッテ~、イワレタリモ~、スル?」


 ……ヤバい、背中から嫌な汗が止まらない。帝は俺の知り合い──それは問題ない。帝の実家の事──それも問題ない。帝の──それでなら問題ない。だが──


「急にどうしたのよ?」


「ナンデモナイヨ! ──おい、瞳子!」


「なに?」


「なに? じゃねぇよ。いつまで俺達年を誤魔化す必要があるんだ? 別に会長達には打ち明けても問題はないだろ?」


 俺の焦りなどつゆ知らず──知った所で態度を崩すとは思えないが──呑気に空也達と漫画を読み漁る瞳子を引き寄せる。いつの間にやら床に積んでいた本の山を脇にやり、続巻を探す空也に瞳子の手にある漫画を押し付け(偶然、瞳子が持っていたのと一致していた)、渋々ながらもようやくこちらに向き直る。


「駄目よ。いつ敵に回るかわからないんだから、弱みになる情報は極力流さない方がいいの。……それにあなたが掘った墓穴でしょ? 埋め合わせはあなたがすべきじゃない」


「それを言われたら返す言葉もないが、ややこしい"設定"を持ちだしたのは瞳子そっちだろ」


「そのややこしい"設定"を納得済みで来たはずよね? 妹と同い年のシスコン御村君」


「おい、今なんか引っかかるニュアンスを込めなかったか? 物凄くイラッときたんだが」


「──さっきから二人でこそこそと、どういうつもりかしら? 私達に聞かれると困る事でも?」


 やや険悪になりそうな俺と瞳子の間に割って入ったのは、目の前でひそひそされるのが鼻につくのか、俺達とは別の意味で雰囲気が悪くなりそうな会長だった。


「いや~、そんな事は~」


 あるから困ってるんだよ、とはいうわけにもいかず、笑ってごまかすしかない。


「……もしかして、年齢詐称に関してかしら?」


「えっ! なんでそれを!」


「いやだって、年上なのでしょう? 自分で言ってたじゃない。卒業してるって」


「あ、帝の方そっちね。いや、事実そうなんだけど、それを言われてしまうと……その、いろいろ」


「心配しなくてもいいわ。別に処分も公表もする気はないし」


「……そうなのか?」


「なによ。あなただって泳がせた方が都合がいいから決着を急がなかったのでしょう? たしかに、ただ排除して新たに敵を引き込むくらいなら、顔見知りの方が手札が読める分こちらが有利よ。いくら名家でも年齢詐称に対する誹りは小さくはないわ」


 どうやら俺や瞳子達も同類そうだと思い至らなかったらしく、こちらを見る会長の態度に変化はない。そりゃあ、バラした張本人まぬけも同じ弱みを持っているとは思わないだろう。……自分で言っておいてなんだが、本当にあり得んミスだな。


「それにしても、知り合いがいるのに年齢を誤魔化して入学するなんて、何を考えているのかしら?」


 もしかして、わざとやってんじゃないだろうか?


「そ、そりゃあ……」


 だって、お互い様だもんよ。そこ指摘されたらこちらも終わりだもんよ。俺も雇い主瞳子達も。というか、入学を許した天之宮そちらにも飛び火するんだけどな。引き入れたのは当真瞳呼別の当真だが。


「ま、まぁ、そこはいいじゃないか。一見弱みでも安易についたって碌な事はない……と、思うよ? それに年齢詐称そんな事を暴き出すのが目的じゃないだろ。この学園を狙う連中から手を引かせるのが本命なんだし」


「何? その妙な下手ぶりは──まぁ、いいけれど。手を引かせるそれについてなら話し合うまでもなく結論は出ているわ。生徒会私達が早急に準備が必要になるのは戦力よ。質の増強と量の補充、両面でね」


「なんでそう物騒な方面!? 他にやる事あるだろ!」


「いいえ、優之助。こればかりは彼女の言う通りよ」


 思わず声に出して突っ込んでしまった俺と違う反応を示したのは、この場で最も会長に同意しそうにない人物、瞳子だった。一度邪魔されて興が削がれたのか、新たに漫画を手に取る事なく、喧嘩腰になる事もなく会話に参加している。それ自体は望ましい事なのだが、会長に同意した内容の方に疑問が残る。


「ちょっと待て。なんで学園の運営に戦力がいるんだよ。異能者俺達が小競り合いした所でどうにかなる問題じゃないだろ」


 異能者が学園の運営とそこから発展する両家の抜き差しならぬ事情に介入できるわけがない、別に謙遜で言っているのではなく、俺はそう本気で思っている。


 仮に退学相討ち覚悟で学園に残る不穏分子を実力で排除しても効果は一時的なもので、根本的な解決になりはしない。それどころか、引き入れた当真家が足をすくわれる可能性すらある。


 だが、そんな俺の指摘も考えも瞳子と会長の考えを変えるには至らない。むしろ、


「優之助、私が講堂で戦う前に言った事を憶えてる?」


 言い聞かせるように瞳子が俺に問い返す。


「あ? ……ええと」


「"今の生徒会が打倒されれば、この学園の秩序は崩壊する"──そう言ったのよ」


 鳥頭ね、と無言の詰りを込めながら瞳子が補足する。それを引き継ぐ形で今度は真田さんが口を開く。


「生徒会における生徒の管理は権力と武力を用いるのを方針にしている。これがどちらかだけでは駄目なんだ。権力だけでは侮りを生み心から屈服させるのは難しく、武力だけでは無用に追い詰め過ぎて暴発を招く」


「権力には逆らえず、仮に逆らっても制圧されるのが落ち。そう思わせ、支配するのが最も望ましいのよ。しかも、ある程度の逃げ道を用意した上でね」


「飛鳥が空手部の部長を相手の土俵空手ルールで破ったように、か?」


「そうよ」


「でも講堂での一件で状況は変わってしまった。個人で組織を打倒し、その上、組織に属さない人間が存在しているのが知れ渡ったせいで」


 実際はそうでもないけれど、と瞳子を意味ありげに見つめる会長。当の瞳子は特に取り合わず、先を引き継ぐ。


「事実、以前のように抑え込みが利かない場面も出てきたの。放逐を逃れた──さほど後ろ暗さを持たない生徒の中には御村あなたより下と勘違いして、付け上がる態度を取りだしたそうよ。多分圧政じみた事をすれば、あなたが黙っていないと勘違いしているのでしょうね」


「それは、たしかに勘違いも甚だしいな。別に俺は正義の味方でも体制の敵でもないし」


 むしろ、組織にこき使われる立場だ。


「でも、それはまだいい。徐々に思い知らせればいいだけ。けれど、この機に乗じて手を打ってくる輩がいる」


「それは?」


「……連中はただ生徒を送り込めばいい。その生徒が問題行動を起こす。それを自治組織である生徒会が制圧できなければどうなると思う」


「退学させるだけだろ? 褒められる手段かは別として」


「それが何十、何百人規模なら?」


「させたら……イメージは悪いな」


 ただでさえ、微妙な風評にさらせれている学園だ。ブランドイメージなんて今度こそ跡形もなく消し飛ぶだろう。


「息の掛かっているか事前に調査して入学を阻止するとか?」


「その時点で問題行動を起こしていないのに? 全ての生徒の背後関係を隅々まで洗いつくせると? であったとしても?」


 瞳子が明確にその存在を示唆しながらも会長はそれに対して指摘や煽りはおろか、皮肉すら入れる事なく耳を傾けるだけ。それは周知の事実ゆえか、それとも一枚岩ではないのは当真に限った話ではないからか。


「ともかく、入学が止められない以上、自治組織で制圧し、それによる秩序の維持は絶対条件。できなければ、生徒会自治権は"他の誰か"に奪われ、二度と天之宮と当真私達の手に戻る事はない」


「……そうか、不信任による生徒会選挙」


 生徒会長は一度就任すれば基本的に卒業まで変わる事はないが、あまりにも行き過ぎた運営の場合、一般生徒からの解任要求がある。これもまた逃げ道の一つなのだろう。どんなに不満があっても最悪、打てる手段があると思えば、人は意外に耐えられる。実際の所、天之宮姫子以前の生徒会ですら解任させるに至らなかったのだから、あってないような代物だが、たしかにルールとしては存在している。


 だが、それも俯瞰して考えるなら、やはり生徒会によって有利なルールでしかない。そもそも解任要求など、一人二人やる気になったところで実現するものでもない。


 仮に生徒会を解任したいと考える生徒が過半数を超えていたとしても、その意思を統一しなければ、解任要求には至らない。解任要求が通る前に自分が退学させられたら、と考えてしまうからだ。誰もが、自分一人だけ泥をかぶるのは嫌だ、と思う。俺だって貧乏くじは嫌だ。だからこそ、生徒会はその権力を遠慮なく振るう。気に入らない生徒を、生徒会自分達に逆らう芽を根付かせようとする生徒を、学園を奪おうとする手先である生徒を。


 社会をみても、企業と労組の関係のように、生徒会と生徒との、ひいては学園の運営はそういう絶妙な──一歩間違うと危ういと同義の──バランスで成り立っている。


「だが、『皇帝』や『王国』の編入は生徒会にとってはリスクが大きいんじゃないか? 単独で組織と渡り合える戦力を引き入れてしまったら、本末転倒だろうよ」


「それも逃げ道の一つよ。拠り所と言い換えてもいい。自らの腕一つで不当な支配から逃れられるなら他の生徒よりも安心が得られる、というね。そうして、一つ一つ生徒達の共通認識から外れていく。いえ、外していく。解任要求などさせないように。それにチャンスでもある。それを破れば、奇しくもあなたが考えていた事と同じよ。姿の見えない敵搦め手より、向こうから張り合ってくれる方が対処はしやすい。要はこちらが相手より強ければいいのよ」


「それゆえ戦力の補強を重要かつ最優先で取り掛からなけらばならないというわけか」


 理屈はなんとなくわからなくもないが、あらゆる政治的な駆け引きより先に腕っぷしが必要になるとは、本当にここは現代社会か? と首を傾げたくなる。


「それにしてもやり方が汚いというか、気持ち悪いな」


「あら、政治的な搦め手というのは本来そういうものよ。フィクションみたいに小気味のいい頭脳戦なんてまずあり得ない。あるのは地味な根回しと、人と金と物量による力技が全てを決するの。少なくとも──」


「「──当真や天之宮私達はそうするわ」」


 そう言って笑う瞳子と会長──やはりこの二人、似た者同士だ。

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