第12話 幕間1.終わりの日

 送還に失敗した日から12日。

 流星が気が付いた時には、王城の離れにある塔の地下に幽閉されていた。日に二回の食事にも手を付けぬまま、ただ天井を見つめるだけのような空虚な日々。

 二つに割かれてしまったような心と身体が、底知れぬ闇の奥深くへと沈み続けていくようだ。


「流星、また食事をとっていないのかい?」


 流星の幽閉されたこの地下室には、王国の騎士団長ベルフェルドと食事を運ぶメイドが訪れる程度だ。


「食欲が沸いたら食べるが必要ない」


 群を抜く程の剣の腕とその人望から歴代の中でも最高の騎士とされる男。

先代から騎士を輩出した名家の出身で、顔立ちもよく国民からの支持も熱い。

現騎士団を率いるこの国で最強の騎士が、誰も訪れない様な薄暗い地下室を密かに訪れる。

 

青みがかったフルプレートの騎士鎧を纏い、短く揃えた金の髪を揺らす彼には、似合わないこの場所を訪れる理由はただひとつ。

 送還の失敗後、心身喪失状態にあった流星の為だ。彼の献身的な訪問で多少心の余裕を取り戻しつつあった流星は、彼に感謝しながらも皮肉と共に迎え入れる。


「こんな辺鄙な場所にまた顔を出しに来たのか」


 ベルは、苦笑いのまま受け流すと部屋の中に入って勝手に椅子に座り込み、流星の手を付けていなかったパンを食べ始める。薄暗い地下室でなければ、この世界で比較的高価な白いパンを食べる姿が絵になるところだろうと横目にベットの上に座り込む。


「天下の団長は忙しいんだろ」


 了承無しに人のものを食べ始める心配性なベルフェルドと流星の関係は、地獄のような大氾濫を共に戦い抜いた戦友。副官をしていた女性とベルを戦場で結ばせた事件は、すでに流星の中で懐かしい思い出の一ページになっている。


「なんか、僕がいなくても別にいい仕事ばかりで、サボろうかなって思ってね。ずっと前線に立ちっぱなしだったんだ。こうしてサボるくらい許されるとは思わないかい?」


 その言葉に呆れながら、ポケットの中に入れた加工された魔石の埋め込まれた小さな指輪に取り出して明かりに翳す。


 送還の儀式の後に誰かが渡したであろう小さな指輪。小さなブルーサファイアのような魔石を嵌めこんだ指輪は、知っている誰かを連想させる為、嵌めてみようという気になれない。


「召喚された異世界人と連携できる程の剣の腕、前線に立ち続けることの出来る体力。魔物より頑丈な団長が、有事が終わるとサボり始める組織ってどうなんだ?」


「そろそろ働き過ぎたかと思って、友人の部屋に息抜きに来たくらいなら彼らも許してくれるさ」


 薄暗く湿気のする地下室に来る前に仕事に片付けてきたのだろう。優秀すぎる故に微妙に歪んだ部分もあるが、部下への面倒見のいい上司。


 だからこそ、部下もベルのために命をかけることができる。彼の率いる直属の先鋭部隊の錬度が高すぎるのもそのためだろう。

 もっとも、その個性は尖り過ぎている為、貴族からの受けは悪いようだが


「たくっ…こんな所に入り浸るんじゃなくて、家族と過ごしてやれ」


 彼の行動を窘めるが、どこ吹く風のように返事を返す。


「なら僕にとっては、君もその一部だから問題ないね」


 その返事に嘆息をしながら、家族サービスの足りない男を半目で睨み付ける。流星は、ベルはそういうことに意識が足りていないようだと結論付ける。


「言っても無駄そうだな。家族は元気にしているのか?」


「皆元気にしているよ。妻なんて早く仕事に戻らないとって言ってるからね…君の存在を伝えられたらよかったんだが、あの場の出来事は口止めされているからね…」


 王国騎士団長というだけあって、彼の家は代々続く騎士の家系で、過去に何度も優秀な騎士を輩出した実力のある名家。

 現当主もこの国で最も偉大な実力者の一人として名が挙げられるほどだ。その実力は、馬や武器の手ほどきを受けた時に身体に教え込まれた。


「副官は、相変わらずか。子供を身ごもっているんだろ?」


「あの時の事は、今でも思い出すし、僕も妻も本当に感謝してもしきれないさ。今は、少しお腹も目立つようになってきたよ」


 元の世界で、友人に子供が出来た時と同じような父親の顔。未だに貴族の女性に狙われ続けている美形もそんな顔ができるようになったのかと思い、ほんの少しだけ口元を緩める。


「今の顔をお前のファンが聞いたら泣き出すだろうな」


 社交界の花形の見せる父親の顔に中々愉快な光景が広がる光景を鼻で笑う。


「随分久しぶりに君の笑い顔を見たかもしれない」


「折角喜ばしいニュースに顔を引きつらせたままなのも変な話だろ?ベルおとうさん」


 流星は、目の前で目を丸くしている友人を軽く茶化す。たまに訪ねてくれるベルの存在が、あったからこそ友人を冷やかす程度に流星に余裕が生まれたのだから、目の前の相手には足を向けて眠れそうもない。ぎこちなく口元を緩めながら心の中で呟く。



「その呼び方は、まだ慣れないな…。ところで、流星?君の手に持ってる指輪はなんだい」


 ベルは、話しながらも手で弄り続けている小さな指輪に目を付ける。彼の記憶の中には、流星が指輪を持っていた覚えはない。普段からあまり着飾りを好まずにいた筈だ。


「気がついたら持っていた。誰かがこっそり忍ばせた魔導具かと思ったんだが…ただの装飾用にしか見えない」


「誰かが君に渡したものなんじゃないか?ちなみに僕じゃないからね?…あぁ、それで思い出した。君から借りてたままのショートブレードなんだけど」


 大氾濫の終息前に、武器の折れたベルに投げ渡して貸したショートブレード。片刃の斬る事よりも引き裂くことに焦点をおいたドワーフの作り出した業物。それは、ベルフェルドの祖父から訓練を終えた選別代わりに受け取った品。


「あぁ、すっかり忘れてたな…お前の爺さんにぶん殴られそうだ」


 苦笑するベルも同様に祖父の指導を受けた身。彼の祖父が放つ剣圧は、身に染みている。


「一応修理に出して、新品同様。二ヶ月程度な工房に持ち込まなくても使えると思う。ここから出れたら君に返すよ」


「正直、ここで静かに処理されると思っていた所だが」


 流星の中では、この地下から出してもらえないと考えていた。良くて誰も知らない辺境の地に移されるか、ここで消されるかが濃厚だろうと踏んでいる為、外に出られると楽観視しているベルに渋い顔を見せる。


「よくない冗談はやめてくれ。流石にそんなに愚かだとは思いたくない」


 流星の返事に僅かに歪ませながら答えるベルフェルド。

 彼もまた、あの日の重臣達の態度を見ている為、流星の言う可能性を見ない振りをしてきただけだ。存在するだけで、王国に与える影響が計り知れないからこそ、流星は誰も訪れない地下へ幽閉されている。


「ま、どうなるか分からないとはいえ、あまりここに出入りすると団長さんの綺麗な経歴に傷が入るんじゃないか?」


「それは…」


 言い淀むベルの言葉は、開け放たれたドアの音に遮られる。開かれたドアの先から姿を見せたのは、この国の重臣ハーウェルズ公爵。

 

「その通りだ、ベルフェルド団長」


流星は、この王国を動かす重臣の一人にして、ナンバー2に当たる人物だった筈だと記憶を辿り、その真意を探る。


「ハーウェルズ公爵?なぜ、こちらに…」


 突然現れたこの国の重臣の一人に困惑しながらも姿勢を正すベル。上から数えた方が早いような立場の人間が、薄暗い地下室に現れたのだから困惑するのも仕方のないことだろう。


「ふむ…本来なら私が執行する立場だったんだが、いい見せ物が見れそうだ」


 ハーウェルズは、懐から黒い金属の塊を取り出し、それにあるものを詰め込んでいく。それは、この世界では見た記憶はないが元の世界ではあらゆる場面で使われてきた有名な武器。


「拳銃?なぜそんなものがこの世界に」


 彼に手渡された特徴的な回転式弾倉を備え、堅牢で簡単な構造に加えて信頼性を高いその武器は、回転式拳銃。本来、この世界にない武器に困惑しながらも、その真意に気がついた流星は、ベルのいるタイミングで、持ち出さなくてもいいだろうにと舌打ちする。


「流石に出身世界の武器のことは知っているようだな。これは以前召喚した異世界人が持ち込んだものだ。エングレーブやグリップは、私が後から加工させたものだがね」


 手にした玩具を見せびらかすような大げさな仕草。量産すれば、異世界からの召還なんて必要ないんじゃないかと思う流星は、渋い顔を見せる。


「不慮の事故で戻れなかった異世界人がいてねぇ…。まぁ、この武器をコピーすることは叶わなかったが、弾については多少目途が立ったわけだ」


 不慮な事故。まるで、意図的に消されたかのような口ぶりだが、本体はともかく弾は生成できたと言うのはどういうことだろうかと探ろうとするが、あいにく元一般人である流星にそれを外見だけで突き止めることは難しい。


「弾の製作を聞き出したわけじゃなさそうだな…?」


「安心しろ。歴史の修正には、十分効果があることは証明されている」


 困惑を続けるベルには、これから起きることがまだ理解できないようだ。これから起きる出来事は、歴史の修正。


「それを撃って、俺をいなかったことにするということだな」


 伝承を実行させない為に歴史を彼らにとって、もっとも都合のいい方法で使って、物理的に修正するだけのことだ。


「公爵!?いけません!彼は、この国の為に共に」


 表情を変えて、公爵を止めようとするベルだが、恐らくそれは無駄な行動だろう。むしろ、彼の身を、家族を危険に晒す行為。


「ベルフェルド、最後まで言わないと分からぬとは…。いいか、その男はすでにこの世界にいない。すでに召喚された異世界人は、無事に全員がこの世界を去ったじゃないか?」


「それが通るとおつもりか!王の名のもとに貴方を」


 腰に提げた王国の量産品である長剣の握るベル。魔素をすばやく脚部にまわした流星は、ベルの傍へと駆け抜けて、状況を理解していないままベルの腕を掴みあげて拘束する。


「流星、何をしているんだ!?公爵は、君を…」


「ベルフェルド、君は王国の意思に弓を引くつもりか?この場には、貴様の正義はない」


「そういうことだ。今のお前の行動は、反逆罪で捕らわれてもおかしくない」


 諭すように視線を合わせるが、その目はまるで納得していない。これから行われる歴史の修正を意地でも止める覚悟を持っているような瞳。


「さて、ベルフェルド。君の今の行動には、目を瞑るとしよう。もっとも、これを彼に向けて引けばだがな」


「私に彼の命を奪えと命じるお積もりか!」


「そうだ、奴に構えて引き金を引け。奴は、生きているだけでこの国を終わりへと導く存在。お前は、身ごもった妻や家族に迷惑をかけるつもりか?」


 半ば無理やり拳銃を握らされたベルは、震える手で手に握る拳銃を構える。ベルの剣よりも少々軽い程度の重さだが、その重さは今の彼には大剣よりも遥かに重い。


「ハンマーは倒してある。後はその引き金を手前に引くだけだ」


「ベル、引き金を引いて俺を撃て。この命で、お前の家族と立場が守れ」


「できるわけがないだろ。大切な友の…いや、兄弟のような人間の命を奪うことなんて」


「お前はこの国に必要な男。俺は、すでにこの世界にいない男だ。お前が反逆罪で捕らわれたら副官だってどうなるか分からないんだぞ!」


「この国にとって、伝承通りに事が運ぶことは都合が悪い。団長、彼は必要な犠牲だ。分かるだろう?」


 ベルの震える手に公爵は手を添える。後は、彼が引き金を引くだけで伝承は回避されて、国に繁栄がもたらされ、ベルが反逆罪で捕らえられることはない。


「俺はお前を責めたりしない―――撃て」


「ッ!!」


 地下室に響く回転式拳銃の爆音。

 発射された弾は、ベルの動揺であらぬ方向に飛び、机の上に置いてあった水差しを派手に吹き飛ばした。それは、予想できた結末。


「ダメじゃないかベルフェルド。動揺で仕留めそこなうとは、本当に我が国の騎士団長か?私が手本を見せてあげよう。君には追って処分を…」


 流星は、見下すような目でベルに視線を送る公爵に待ったをかける。


「ハーウェルズ公爵。ベルは、まだ銃から離していないんだろう。俺が手を貸して自分で終わらせるから処分は見逃してくれないか?」 


 今、公爵を止めなければ、ベルの家族まで被害が及ぶことを察した流星は、あまり取るつもりはなかった案を実行に移す。


「よろしい、それならベルフェルドの失態も見逃してやろう。異界の友に感謝するんだな」


 公爵の了承を取り、膝から倒れ込むベルの手にしたリボルバーのハンマーを起こす。連動して動くシリンダーから覗いた弾の行方を見守り、準備が終わる。

 後は、引き金が撃鉄を倒せば全てが終わる。


「よせ、やめてくれ…流星!やめるんだ」


「なんて、顔してるんだよ兄弟」


 左手で離そうとする彼の手を握りしめ、右手でシングルアクションの軽い引き金を引き絞る。地下室に響く2度目の爆音と共に体の中を何かが突き抜けていく感覚が残る。


 ふらつきながら、ベットの傍に座り込むと腹部にできた風穴から溢れるように流れ出した鮮血が、石造りの地下室の冷たい床にできた継ぎ目に流れ込んでいく。


「そんな…そんなの…逝くな!流星、しっかりしろ!!」


「これで…終わったんだ」


 溢れるような痛みと止まらない血。徐々に黒く染まる視界の中で、ベルの手から零れ落ちた拳銃を握るハーウェルズの姿が映る。彼は、口元が動かしてベルに見えないように何かを伝えると、その手は再びハンマーを倒す。


 そして―――――賽は投げられた。



「もう眠れ、異界の者」


 地下室に断続的に響く音が鳴り響き、その場に静寂が残され、物語は静かに終わりを告げる。

 こうして、召喚された全ての人間達は、過去にこの世界を訪れて国を救った同郷の者達と同様に国を救う英雄となり、元の世界へと帰還した。

 


 だが、その物語の終わりは、同時に新たな物語の始まりも告げた始まりでもあったのかもしれない。

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