異世界に取り残されたら

YU!

再起

第1話 終わりからの再開

 異世界召還。

 物語を終えた英雄たちの物語は、送還魔法で元の世界へと帰還して、幕を下ろしたはずだった。

 送還の失敗と召還魔法に伝わる伝承。

 これは、異世界に取り残されて幕を下ろした物語の続き。

 一度終わった物語の続きは、希望か絶望――それとも破滅呼ぶのか。



 辺境の村アスタルテ。

 帝国と共和国の国境線沿いにある行商人もめったに訪れない見放された場所。

 雪の張り付いたローブはためかせ、最小限の装備でこの村へと向かう旅に出た異世界から来た男、橘 流星がたどり着いた小さな村だ。事前の知識と照らし合わせた彼は、昼間というのに降り続く雪の中を足を雪に取られてしまわないようにゆっくりと歩き始める


「宿屋に入れば、この寒さも少しはマシになるか…」


 凍えるような風に煽られたローブを抜けた空気が、流星の体温を容赦なく削っていく。 

 本来ならば、洞窟を抜け半日もかからない筈の道のりも突然の大雪に見舞われてしまい大幅に回り道をすることになった為、保存食料が殆ど底をつきてしまった為に丸2日間、水以外口にしていない身体が、温かい料理に飢えている。

 この際、味が薄かろうが料理人のレベルが低かろうが関係ない。食に対する情熱が、身も心も凍え切った彼を動かしていた。


「ようやく…ついたか」


 視界を遮る雪から逃れるようにこの世界共通の緑の看板を掲げた2階建ての宿屋の前で軽く雪を払った後にドアを開けると一階の食堂は、村を訪れた行商人が来ているようで多少の賑わいを見せている。

 入り口で身体のあちこちに積もった雪を払っていると宿屋の娘獣耳を揺らしながら駆け寄ってくる。


「いらっしゃい!えーっと、お客さんは…お腹空いてそうだし温かいもの用意した方がいいよね?」


 軽く頷きながら、少女の案内で食堂へ向かう。

 木製の小さな机と椅子が2組のセットが4つほど並べられ、カウンターにも5脚ほど椅子が並べられた食堂の作り。木組みで作られた店内を彩り、暖を与えている薪ストーブは隠れ家的カフェを連想させるようだ。流星は、防寒ローブの止め具を外して、暖炉の傍にある空いてる席に着席する。

 流星の防寒ローブの下に隠されていた装備を見た行商人の1人が声をかけてくる。


「おお、その恰好は冒険者か?こんな雪の中、辺境まで来るなんて大変だな」


 胴体や手足を守る黒い革製のレーザーアーマー、ユーティリティベルトに取り付けられた幾つかの薬品の入った瓶と吊り下げられた片刃剣。

 中型サイズのバッグからは、冒険者が愛用する野営セットと魔物から回収した戦利品が見え隠れしている。

 その姿は、珍しい黒髪と彫りの浅い顔を覗けば、この世界では一般的な冒険者の姿と変わりない。


「突然の雪に襲われたお陰で、携帯食料が切れて丸2日水だけで過ごすことになって結局、強行軍する羽目になった」


 大げさに食料を入れていた袋を振りながら嘆息を漏らす。

 埃すら出てこない袋に行商人は酒の入ってるグラスを持ちながら、豪快に笑い声を上げる。


「そいつは災難だったな。この村に向かう道程で遭難なんてしたら、俺じゃ帰ってこれそうにないぞ」


「この辺りでこんな大雪は本当に珍しいんだよー!」


 温かい果実酒と1人用サイズの鍋を運んできた宿屋の娘。

 対面の椅子に座る辺り、このまま会話に加わるつもりらしい。

 目の前に置かれたご馳走が入っていると思わしき鍋に身体が、疼いて仕方ない。

 だが、それに待ったをかける声。


「まぁ、ここで会ったのも女神さまの縁とかいうだろう。いい素材あるなら換金するぞ?」


 行商人の男の提案はありがたいが、何分タイミングが悪かった。

 なにも匙を取り、鍋の蓋を開けてから素材の買取の提案をしなくてもいいだろうと内心頭を抱えながら、目の前で湯気をあげるクリームシチューを求める身体を意思で抑えつけて交渉の場に立つ。冒険者と言えど、食事をしながら取引をするのは品格を問われる。


「それは、助かる。これなんかどうだ?」


 バックパックから道中倒した魔物の素材を取り出すと魔物の素材に興味を持ったのか、宿屋の娘は見る角度を変えてじっくりと観察を始める。


「素材に興味あるのか?」


 こくりと頷いた少女は、ピコピコと耳を動かしながら素材を見つめる。

 少女が手に触れながら素材の状態を確認し始めた為、思わず止めに入ろうとするとそれを制して、にやりと含んだ様に笑う行商人。少女の手つきをじっと確認するとそこらの魔物素材の卸業者も顔負けの丁寧な素材の取り扱いとそれを見る目つき。


「これ、中型のボアの牙と皮だね!しかも皮に傷が入ってない上に綺麗に処理されてる。相場よりもいい値段で売れそうだよねー!…こっちはなんだろう?ボアにしては大きいし」


 少女の発言に大人顔負けの鑑定スキルでも持ち合わせていることに感心させられてしまう。


「よく知ってるな。…流石に素材を触りだした時はハラハラさせられたが」


「お父さんが、調味料を買いに行くついでにボアを一匹丸ごと抱えて持って帰ってくる癖に自分で料理も作れないから、私が捌けるようになったからねー」


 彼女の父は、一体何者なんだろうか。

 ジャイアントボアの身体は、平均的なサイズでも大の大人以上の体重がある。宿屋の主が、それを狩る姿もそれを抱える姿も想像がつかない。流星は、ボディービルダーのような筋肉の隆起させた父親を想像してみるが、可憐な宿屋の少女を見て、それはなさそうだなと苦笑する。


 宿屋に入った瞬間そんな暑苦しそうな父親が待ち構えていたら、外が大雪でも野宿も辞さないだろう。


「昔やんちゃしてたアイツの話は一端置いとくとして、寒冷地の洞窟に住むグラージボアの牙8本に皮だな。状態もいいし、これなら確実に買い手がつく」


「行商人のおじちゃん、この素材は何なの?」


「嬢ちゃん、これはクイーングラージボアの素材だ。冒険者のあんちゃんは、足を滑らせて巣の中にでも迷い込んだのか?」


 クイーングラージボアは、ボアを指揮する一回り以上大きく、美しい皮を持つ大蛇とでもいうべき魔物。クイーンと呼ばれる固体の皮は、観賞用としてだけでなく衣服の装飾など様々な用途に使われる高価な代物だ。全身の殆どの部位に価値があるが、個体数が少ない魔物でもある。


「西の山を抜ける洞窟の中に住み着いていたぞ。まぁ、そこを通ったとしても護衛だけでもなんとかなると思うが…」


「ボア4匹にクイーンまで出てきちゃ流石に分が悪い。赤字覚悟で、荷物は諦めないとどうにもならんさ」


 離れた位置に座っていた数人の護衛達は、同じように頷く。通常の個体に加えて、厚い肉質に守られたクイーングラージボアまで出てきた場合、強行突破しても彼らの運ぶ大切な荷物は無事で済まない。


「お兄さん強いんだねー」


 ニコニコと笑顔を振りまきながら素材を眺めている宿屋の娘を横目に行商人は、ここで色を付けて恩を売るのも悪くないと判断する。

 単独でボアの群れを撃退した流星の戦闘能力と丁寧な素材処理。

 目の前の冒険者は、そこらへんで燻っているような柔なランクの冒険者ではないと長年の勘が告げている。


「あー洞窟にまだ死体が残ってるはずだ。まだ素材が取れると思うぞ」


 多少遠回りになるが、その残った死体も回収するに越したことはない。クイーンともなれば云わば、金のなる魔物。

 行商人は、今回の遠征の臨時収入にほくそ笑む。


「よし、いいことを聞いた。素材の状態も完璧だし多めに色付けといてやるよ」


「そいつは、助かるが…早めに行かないともう骨だけになっているかもしれないぞ?」


「なーに、骨だけでも十分だ。それにクイーンの素材なんて臨時金が手に入ったんだ。今、お前さんに色を付けてもその倍で取り戻せる」


 ボアの素材を換金した行商人は、このまま共和国にある本店へ向かう予定らしい。未だ雪の降り続く中、慌てるように出発した行商人達を窓から眺めているとその勢いも少し小康状態になってきたようだ。


 白い風の様に襲い掛かった雪が、今ではすっかり儚げに空を踊っている。


「そういえば…あの時もこんな雪の降る日だったな」


 木の器に注がれた果実酒を飲みながら、窓の外に広がる雪景色を眺め続ける。飢えた身体に注がれた果実酒のように染みわたっていき、苦い記憶を呼び覚ます。




 雪。

 昨晩から降り続いた突然の雪は、街を城を白く染めた。

 そんな雪化粧された王城の一角で、この国で最も重要な儀式の一つである送還の儀式が行われている。建国以来幾度も国を救い続けた者達を呼び出し、元の世界へ送り出す歴史のある魔法陣の中心。

 勇者の召喚に巻き込まれるように召喚され、なし崩しに王国を魔物の氾濫から救うために最前線で戦った英雄の一人である橘 流星は、途方に暮れていた。


 共に戦った同郷の出身の者たちが帰還していく中、たった一人この異世界へ取り残されてしまった。儀式を執り行っていた数人の巫女たちがパニックになる中、魔方陣は徐々に光を失っていく。


 巫女とそれを補助する者達の必死の祈りも届かず、無常にも魔方陣は内包する魔力を失ってしまった。魔法陣の再起動させ、異世界へ送還するためには、長い年月をかけた莫大な魔力の補充と星の位置の計算が必要になる。

 再び同じ世界へ陣を繋ぐことは、おおよそ100年以上の年月を必要になると事前に告げられていた流星は、帰還する手段を完全に失ってしまった。


 悲痛な叫びが響く中、儀式の場は混乱に陥る。


 建国以来、召喚陣を使ったトラブルは一度も記録されていない。

そんな王国の歴史に傷を付けかねない重大なトラブル。そして、王国の伝承として残されていた非常事態。重臣達がお互いに責任を擦り付けあいながら、その後の対応に追われ始める。


 だが、そんな雑音も流星の耳に入ってこない。彼の心の中では、たった一人異世界に取り残されたという寂しさと仲間たちともう会うことができないという虚無感が広がっていた。

 

 最後の夜に交わした仲間たちとの再開の約束もゆっくりと色を失っていく。

 リーダーとして最前線に立ち続け、年頃に女性に興味津々な達樹との彼が成人祝いに夜のお店を案内する約束。

 人との直接交流が苦手な綾香とは、ネットゲームでもパーティを組んで一緒に遊ぼうという約束。

 異国の少女アーニャを連れて、みんなで日本の観光地を巡って写真を撮ったり、有名な映像作品のロケ地を見て回ろうという約束。

 果たすことが叶わぬ現実が、流星の心にナイフのように突き刺さっていく。


「あぁ…取り残されちまったのか」


 元の世界への送還失敗。

 流星にたった今、失ってしまったものたちが洪水のように押し寄せていく。

 一人暮らしを始めて5年目になるボロアパートの部屋に帰ることも適わず、部屋を我が物顔で通り道にしている隣の部屋に住む気分屋の猫に構う事もできない。

 学生時代の友人たちとの馬鹿騒ぎに仕事の愚痴りあい、子供自慢も聞くこともなく、現場にやれそうな範囲で無茶振りをする社長や入社したばかりの見栄っ張りな後輩を弄って楽しむやり取りもできない。


 自分の歩んできた20年と少しの年月が、全て手が届かない過去になっていく。何もかもが手を伸ばしても届くことはない。立ち竦んだままの流星は、現実逃避するように取り乱すことも、溜息をつくような反応を見せることもなくゆっくりとその場に座り込む。

 失ったものが大きすぎた彼には、自分の足で立つこともままらない。


「彼らが無事に元の世界に戻れますように」


 流星は、仲間たちの無事の帰還を祈り、空を眺め続けていた。魔力切れの影響で、ふらつきながらも流星の傍に駆け寄る召喚の巫女や騎士団長とその部下達。

 彼の見上げた空からは、止むことを忘れたように淡い雪が降り続けていた。



 送還失敗の事件後、王国では、国内外に向けた情報規制が行われ、現地にいた関係者は全員に口止めがされた。

 伝統のある異世界へ繋ぐ召喚術の送還失敗、それは王国の歴史が揺るぎかねないもっとも恐れられていた伝承の始まり。


 王国は、英雄たちの帰還を発表した。

 送還失敗の事実を隠蔽するため、伝承通りならばこのまま生かしておくのは危険であるとして、反対派の意見を押し切り重臣達は、流星の殺害に踏み切る。

 しかし、流星達を慕っていた一部の協力者と召喚の巫女の手引きで、なんとか王国から逃げ出すことに成功した流星は、巫女とある約束を交わし、彼女の出身地であるアスタルテへ旅立った。




 ずいぶん長い間、過去を思い出していたこともあり、宿屋の娘が運んできたクリームシチューもすっかり温くなっている。


「しまった…折角のクリームシチューが温くなった」


「冷める前に食べれば良かったのにー」


 自然と口から洩れた言葉に、行商人の見送りから帰った宿屋の娘が反応する。彼女は、流星が意識を別の場所に割いている間に戻ってきていたようだ。


「すまない、なんか腹ペコなのを忘れるくらい、考え事をしてた」


 王国から離れると彼女のような人族以外の種族とも会うことができる。つい2ヵ月前は、仲間と共に旅をしていた頃の懐かしさが過る。


「あの行商人さんから熱心にお店に来ないかって、誘われてたから仕方ないよねー。折角だしシチュー温め直そうか?温かい方が絶対美味しいよ!」


「ありがとう、助かるよ」


 心優しき宿屋の娘の提案に沈んでいた心も晴れる。


「珍しいもの見せてもらったお礼だよー!」


 待つ間にバックパックの荷物を整理しつつ、加熱されているクリームシチューを待ちわびる。徐々に漂ってくるクリームシチューの香りは、今の流星には暴力的だ。召喚されてから、数多くの激戦や困難を潜り抜けてきた戦士といえど、この香りに襲われては一溜りもない。

 流星の全身の細胞が、ただクリームシチューだけを求めている。


「はーい、おまたせしました!エル・ド・サーニ特製クリームシチューだよ!」


 彼女に温め直してもらったクリームシチューが、目の前に姿を現す。流星には、クリームシチュー温め直した行為1つで、彼女が女神に見えた。元の世界で使い慣れた言葉を、目の前の小さな女神にささげ、木でできた匙を口へと運ぶ。


「どう?美味しいでしょ!」


 世界が、世界が広がった。

 夕日が赤く染めた麦畑を舞台に少年と少女は、どこかへ駆け抜けていく。

 どこか懐かしい幻想世界が、口の中から全身に広がっていく。この世界独特の牛乳が産みだすどこか優しい味、数種類のキノコから出ているであろう旨みのエキス、白を色づけする鮮やかな野菜から溶けだした甘みとそれを引き立てる胡椒。元の世界で食べていたクリームシチューと比べると少々お肉が足りないと思うが、彼らはこの舞台の主役ではない。

 

 目の前で口元を緩ませている小さな女神が、作った舞台の主役たちは野菜だ。当然、彼女への答えは決まっている。


「最高だ」


 そう、これが料理だ。

 味のしないようなゴムのような肉を噛み、熱した水を飲みほして胃を満たしていた時とは違う。襲ってきた魔物を返り討ちにして、申し訳程度に肉の塊を炙ったものでもない。

 

 細かい言葉なんて必要ない。これが料理なのだ。抑圧されていた身体が、シチューを求め続け、匙を無言で進め続けていく。

 やがて、1人用サイズの鍋いっぱいのシチューは綺麗に空っぽになる。


「そんなに美味しそうに食べる人初めて見たよ」


「久々に料理に感動したからさ」


 宿屋の娘にお礼を告げて、果実酒を入ったグラスを飲み干した。とるにたらない話を続けながら、村に入った時から疑問に思っていたこと尋ねる。

 召喚の巫女の出身地なら、もう少し大きな村と思っていたのだが、随分と村の規模が小さい。


「そういえば、この辺りはどうしてこんなに人が少ないんだ?」


 そんな流星の質問にケモノ耳を揺らしながら、宿屋の娘は答え始める。


「月一の行商人が通る以外は、特産とかもないから通り道にされるような小さな村なんだよー」


「…まぁ、派遣された冒険者さん以外には、お客さんもめっきりだけどねー。お客さんも辺境の村より大きな町の方が住みやすくて好きでしょ?」


「でかい町にいい思い出は、あまりないからな。小さな村とか静かな山の中の方が俺は好きかもしれないな」


 珍しいものを見るとその瞳には、仲間を失った冒険者が宿屋に帰ってきたときと同じような寂しそうな目をしている。

 あまり話題に触れないほうがいいと判断した彼女は、留め具から外された武器に目をつける。宿屋で働く勘が働いたとでもいうべきだろう。


「あ、そうだ。その恰好に武器持ってるってことは、お客さん冒険者なんでしょ?依頼出してるからちょっと請けてくれないかな」


 留め具から外された片刃のショートブレードは、大氾濫に襲われた王国で使っていた予備の獲物。突き立てることよりも引き裂くことを目的にした薄刃の強化ブレードは、流星の命を何度も救ってきた思い出のある装備だ。


「受けるかどうかは見て判断するが、構わないな?」


 流星の返事に彼女は、耳を動かしながら喜びを見せる。

 彼らがいた頃は、彼女のように喜んでくれる顔をよく見てきたが、それは一変した。

 どこか申し訳ない顔をしながら、可憐で幼さの残る顔を涙で濡らしながら別れた召喚の巫女。大氾濫の襲う王国のために剣を握り、戦果を競い合いながら時に助け合った騎士団長の苦悩と絶望に満ちたあの時の表情。

 およそ2ヵ月振りに向けられる笑顔は、随分懐かしく感じてしまう。


「助かるよ!この村は、冒険者の人が中々寄ってくれなくて食材に困ってたんだよねー」


「ギルドから派遣されないのか?」


 辺境の支部には、定期的にある程度信頼の置ける冒険者で構成された複数のパーティが派遣され、常駐することになっている。それは、このアスタルテも同じはずだ。流星の疑問に彼女は、僅かに顔を曇らせる。


「前に派遣された冒険者のパーティは、変わったオークと遭遇してなんとか討伐に成功したけど治療院がある別の村に運ばれてね…今は、新人さんが2人ね」


「オークが巣作りでもしてたら、大変だな」


 変わったオーク、恐らく変異体のことだろう。流星の経験上、幾つかの悪い予感が過る。万が一、オークの巣作りを終えていた場合、アスタルテは、間違いなく炎に包まれる。変異体が出現したとき、狂暴性は並のオークではない。


 人間よりも一回りも大きい巨体から繰り出されるパワーは、肉体強化の使えない人間を簡単に挽肉に変え、強靭な筋肉を鎧に攻撃を受けながらも突き進む姿は、油断はできないこの世界でもポピュラーな魔物。


「不吉なこといわないでよー。遠出してるお父さん達が帰ってくるまで宿屋回さないといけないんだから」

 

 さらに種族関係なく襲い掛かり、ひき肉か繁殖用の苗床に変え、その数を増やしていく。流星も大氾濫の際に何度かオークの拠点を潰してきたが、その現場は地獄だ。


「そいつは失礼した」


 万が一の話ではあるが、恩人の出身地が悪趣味なオブジェの散乱するオークの巣窟になるのは忍びない。流星は、ショートブレードを留め具で固定して立ち上がり、丈の長い灰色のローブを羽織る。


「あぁ、そうだこれを」


 彼女に食事代よりも遥かに多い銀貨三枚ほど手渡すと目を丸くしながら両手をブンブン振り回す。


「うちのご飯はそんなに高くないよ!」


「分かってるよ、お詫びに暫く泊まるから一部屋用意してもらえるか?もちろん食事付きで」


村に来たときよりも軽くなった荷物を背負い直して、宿屋の扉を開け放つ。あの日以来の笑顔と暖かい食事を提供してくれたこの宿屋を支える小さな少女のお願い。異世界に取り残されたから関係ないと無碍にはできない。


「はい、まいどあり!あ、あといってらっしゃい!」


彼の見上げた空には、雲の切れ間から光が差し込んでいる。

雪は止んだようだ。

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