帰還
気が付いた時には僕とアカリは森の中に転がっていた。僕たちが先程までいたはずのダンジョンは綺麗さっぱり無くなっており、そこには木々が生い茂る普通の森が広がっていた。木々の中に違和感のある洞窟が紛れ込んでいることはもうなかった。
木々の隙間から差す木漏れ日が僕たちを照らして、それがとても暖かく懐かしい。これまでは、ずっとコケや石が放つ光の中で冒険していたため、久しぶりの太陽の光を浴びてすごく安心した気持ちで満たされる。
「アカリ、起きて……。外に出られたよ」
僕はアカリの肩を揺らして、アカリを無理矢理に起こす。アカリは「う~ん」と唸りながら、目をこすって起き上がると、アカリも同じことを感じたのか木漏れ日に向かって手を差し出す。そして不意に涙を浮かべる。
「やっと帰ってこれたんだ……。やっと終わったんだね……」
どれだけ強がっていても、アカリもやはり本心では怖かったのだろう。今の言葉とこの涙を見れば誰だってわかる。それなのに僕は、彼女に責任を押し付けるようなことばかり言って……。アカリはそれを必死で隠して、大丈夫な振りをして……。
だから自分の力が通用しない相手が出てくれば、護れないという重圧に負けて簡単に折れてしまったのだ。結局全て僕のせいじゃないか。
僕は一瞬歯噛みしたものの、やっと戻ってきた嬉しさに水を差すような真似はしたくなくて、アカリにばれないようにすぐに笑みを取り戻して立ち上がる。
「早く帰ろうか。エミリアさんがきっと待ってる。戻ろう、ホフンヘイムへ」
アカリは僕の差し出した手を、今度は何の躊躇もなく握り返す。僕は彼女の軽い身体を引き上げて立ち上がらせると、森の出口へと向かって指差す。アカリもそれに頷くと、二人で足早に森の出口へと向かう。
森を出るとそこにはちゃんと、カームタートルが行きに僕たちを下ろしてくれたのと同じ場所で、地面から生える芝生をムシャムシャと食べながら、僕たちを待っていてくれていた。
ずっと陽の光を浴びていない生活をしていたので、僕たちがどれだけの時間あの洞窟の中にいたのかわからないが、カームタートルがその間僕たちの帰りを待っていてくれたのかと思うと、それだけで嬉しさが込み上げてくる。
僕はカームタートルに走って近づくと、芝生を食べるために下げた頭をゆっくりと撫でてやる。
「ずっと待っていてくれてありがとう」
それがどんなものであれ、誰であれ、自分の帰りを待っていてくれる者がいるというのはそれだけで嬉しいものだ。それがモンスターであったとしても……。
アカリも僕の逆側に立つと同じようにしてカームタートルの頭を撫でる。
「ありがとね。寂しい思いさせてごめんね」
モンスターに寂しいという感情があるのかどうかは定かではないが、カームタートルもまた一人だったのだ。カームタートルはまるでアカリの言葉を理解し、それに答えるかのように鳴き声を上げる。
「ふおおおおおん」
象のような鳴き声を上げるカームタートルの様子を見て、僕たちは顔を見合わせながら笑った。やっと帰って来られた嬉しさに、今は笑うことだけしかできなかった。
カームタートルに感謝を告げた二人は、ホフンヘイムに戻るためにカームタートルに取り付けられた馬車の中へと入っていった。
馬車の中に入ると、アカリはすぐに寝息を立てながら眠りについてしまったが、僕はどれだけ寝ようとしても眠ることが出来なかった。まあ、そういうこともあるかな、と思いながら、やることも無いためとりあえず目を瞑って数時間を過ごした。
アイリスもどうやら眠っているようで、涎を垂らして何かブツブツと言いながら嬉しそうな表情を浮かべていた。
こうやってしていると、本当に可愛いんだけど、どうしてあんなに口が悪くなっちゃったのかな。本当に親の顔が見てみたいものだ。……ん、そもそも妖精の親って一体なんだ?妖精は妖精から生まれるのか?
などと、余計なことを考えている内に馬車の揺れは止まった。
馬車の動きが止まり、今まで差し込んでいた陽の光が消える。どうやら到着したらしい。僕はアイリスやアカリを起こすと、急いでそのドアを開ける。僕は先に降りてアカリが降りるのをエスコートする。
アカリが地面に足を着いたのを確認し手を放して視線を前へと向けると、そこに汗だくになって息を上げている美しい女性のエルフがいた。
彼女は一度動きを止めると、その瞳にブワッと涙を浮かべてこちらへともの凄いスピードで駆け寄ってくる。そして僕とアカリをそれぞれの手で抱き寄せる。
「も~う。帰ってくるの遅いから心配したんだよ。もしかして何かあったんじゃないかとか、色々悪い方向に想像しちゃって、夜も眠れなかったんだから。でも、カームタートルは帰ってこないから、きっと大丈夫なんだって信じてたよ」
後々聞いた話だが、カームタートルはどうやら人から発する何らかの信号を察知することが出来るらしく、彼らはその信号を発信する相手がいなくなると、勝手にホフンヘイムへと戻ってくるらしいのだ。逆にその信号が途絶えない限り、カームタートルはその場にい続けるらしい。
「でも、本当に良かった。最初に担当した子たちが帰って来ないなんてなったら、私も立ち直れなくなってたよ。君たちは私の初めてのお客さんなんだし」
その言葉に僕は苦笑しながら返事をする。
「なんですか?それじゃあ、まるで自分のために心配しているみたいじゃないですか」
それに対して、エミリアさんは子供のように舌を出していたずらっぽく答える。
「冗談よ。これはただの照れ隠し……。本当は、純粋に二人のことを心配してた。大切なお客様であると同時に、二人はもう私の大切な友達だから……。一緒にショッピングして、一緒にご飯を食べて。私たちはもう、立派な友達でしょ」
そう言うエミリアさんの表情は、天使のように慈愛に満ちた微笑みを浮かべていて、でもその瞳は涙で真っ赤に充血していて、とても人間味にあふれていた。
そんなエミリアさんの言葉や表情を見ていたアカリが唐突にその瞳に涙を浮かべて、あれよあれよという間に声を上げて泣き出しエミリアさんの胸に抱きついた。
それを見ていた僕も急激に涙が込み上げてくるが、流石に僕がアカリのようにエミリアさんの胸に飛び込む訳にはいかない。いや、そりゃちょっとノリでやってみようかと思ったけど、そこは自重するべきでしょ。
そんな僕の頭をエミリアさんは優しく撫でてくれる。頭を撫でるその手がとても暖かくて、僕は目を閉じてその暖かさを噛みしめる。目を閉じたときに涙が頬を伝って滴り落ち、地面を濡らす。
「二人が帰ってきてくれて、本当に嬉しいよ。二人とも、おかえりなさい」
そう言えば、帰って来たことを告げる挨拶を僕たちはまだしていなかった。僕とアカリは、エミリアさんに向けて、二人で声を合わせてその言葉を告げた。
「「ただいま」」
僕たちはエミリアさんに一度別れを告げて、エミリアさんが取っておいてくれた宿へと訪れていた。もちろん僕とアカリは別々の部屋である。
すっかり疲れ切っている身体を投げ出すように、僕はベッドに倒れ込む。
アイリスはいつの間にかベッドの上で小さく丸まるように眠っていた。アイリスも余程疲れていたのだろう。いつもの軽口を叩く暇もなく、この部屋に入って来るなりベッドに飛び込むように眠ってしまった。
「お疲れ様」
僕はアイリスを起こさないように、そっと頭を撫でてやる。アイリスは幸せそうな表情をしながら「んん」と少しだけ唸って、寝返りを打った。
それにしても、長い冒険だった。これまで経験したことのないような冒険は、少しは僕を変えてくれただろうか?まあ、これまでしたことが無いというよりは、現実世界では起こるはずのない冒険と言いうのが正しいのだろうが……。
僕は初めてのダンジョン攻略の記憶を一から順に思い出しながら感慨に耽っていると、僕の部屋の扉からノックの音が聞こえてきた。
「は~い」と僕は返事をして、誰だ?と疑問を浮かべながら、疲れ切った身体を叩き起こして扉へと向かう。
僕が扉を開けると、いつもと違う服装に身を包んだアカリが立っていた。現実世界のパジャマと同じような余裕のある薄着を着ているだけで、目のやり場に少し困るような格好をしていた。デザインはアカリのイメージとはちょっと違った可愛らしいものだった。
アカリは黙ったままその場所を動こうとしなかったので、僕はとりあえず彼女を部屋の中に招き入れる。
「とりあえず、中入りなよ」
彼女は軽く頷くと、相変わらず黙ったまま部屋の中へと入り、置いてあったソファーへと腰を下ろす。何か言いたいことがあるのだろうが、彼女が自らそれを言葉にするまで、急かすようなことはしない。ただ彼女が自ら口を開くのをゆっくりと待つ。
何これ?これからアカリに告白でもされるのかな?などと少し緊張しながらベッドに腰掛けて、彼女が口を開くのを待っていたのだが、やっと口を開いた彼女から発せられた言葉に僕は唖然とせずにいられなかった。
「黙ってないで、なんか話してよ……」
彼女がその言葉を発した瞬間、この場の空気が一瞬止まったかのように静まり返った。そして僕はものすごく間抜けな声を漏らしてしまった。
「へっ……?なんか用があったんじゃ?」
僕がそう尋ねると、アカリは少しだけ不機嫌そうな表情する。
「別に用なんかないわよ。ただ、眠れなくて暇だったからあんたの部屋に来ただけ。だから、一人になってボス戦のこと思い出して、怖くなってトオルの部屋に来たとかそういう訳じゃないんだからね」
たまに見られる、アカリのツンデレスキルが発動していた。まあ、恐らくは今日の昼間くらいのことだし(ダンジョンの中だったので、時間感覚が無い)、一人になって思い出したりしてもおかしくはない。
そんなアカリが可愛くて僕が少しだけ笑みを浮かべると、アカリが突っ掛かるように僕を睨み付ける。
「な、何笑ってんのよ。あんた、こんな年にもなって一人で眠れない私が可笑しいとか思ってんでしょ」
「違う、違う。ただ、アカリってやっぱり可愛いなって思って……」
その言葉に急にアカリが顔を真っ赤に紅潮させて、口をあわあわと動かし始める。
「なっ、あんた何言って……。やっぱり私帰る」
「ちょ、ちょっと待って。冗談だから。そんなに怒らないでよ」
立ち上がって扉へと向かおうとするアカリの肩を掴んで出ていくのを止める。ダンジョンの中とかこの時は必死だったから思わなかったけど、僕ってこっちの世界に来てから超自然に女の子の身体に触れているんだよな。
ジトッとした目でこちらを眺めると、溜め息を吐いてソファーへと戻る。僕もベッドに腰を下ろして、お互いにもう一度向き合った状態になる。
「それにしても、本当にすごい体験したよね、僕たち。なんか、すっかりこの世界に馴染んじゃったけど、ここは現実じゃないんだよな」
そう、ここは現実などではない。可能性として考えられるのは、僕が勝手に作り出した夢の世界。だから、幼馴染にそっくりの彼女が僕のパートナーになっているのではないだろうか、とそんなことを考えていた。
「まあね。元の世界のことは話せないけど、それでも、ここが現実じゃないって言うのは、確かな気がするわ。でも、夢って感じもしないのよね。夢はこんなにはっきりと見えるものじゃない」
それは僕も同感だ。現実ではないと言ったものの、これが夢かと言われればそれはそれで否定してしまいそうだ。
「でも、こういうのはあんまり深く考えたら負けなような気もするよ。流れに任せておくのが一番なんだよ。いつか真実がわかるその時まで」
「そういうものなのかな?なんか、私はこういうのには意味を求めちゃうから。って言うか、意味も無くあんな怖い思いをさせられた何て思いたくないし。……あっ」
どうやら、自分で怖かったことを公言したことに気が付いたようで、アカリはまた顔を紅潮させる。僕は気が付いていない振りをして首を傾げておく。
「ごほんっ……。まあ、その、私は私がここに呼ばれた理由がちゃんと欲しくて、その意味をちゃんと知りたいってだけ」
「それは、戦っていればいつか見つかるんじゃないかな。とりあえず、ラグナロクを止めるって言う目標が僕たちにはある。僕たちが呼ばれた理由は、それを完遂した時にちゃんとわかるような気がするよ」
僕の知っている主人公たちは、最初は些細な理由で冒険を始めて、いつの間にか魔王を倒すとか、すごく大きな目標にすり替わっていることが多い。だから冒険の始まりから意味を求めるのはきっと間違っている。
「そっか……。なんか私焦っているのかもしれないわね。ごめん、さっき言ったことは忘れて。それよりもさ、せっかく帰って来られたんだし、もっと楽しい話をしましょう」
そうして僕たちは他愛も無い話で盛り上がり、そうこうしている内に、アカリの頭がカクンッ、カクンッと揺れ始め、そこから数分も経たずにソファーに横になって眠り始めた。
僕はベッドにあった毛布をそっと肩からかけてあげると、小さな寝息を立てて幸せそうな表情を浮かべているアカリに向けて一言告げる。
「おやすみ」
そうして僕もベッドへと寝転がり、瞼を閉じる。そのまま闇の中に沈んでいくように眠りの世界へと落ちていく。
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