第9話
全力で走っている。なのに目的地に着かないというのは、何故だろう? 普段ならそんななぞなぞを出されたら答えられないかもしれないが、今なら確実に一つ答を出せる。
誰かに妨害されているからだ。
先ほどから、随分走っている。だが、八岐大蛇もさるもので、玉梓たちの攻撃を受けながらも、空いている首で幸多達を攻撃してきている。その攻撃を避けるために蛇行しているので、結果として全力疾走しているのに目的地に着かないという事態に陥っているのだ。
しっかり戦わないのが悪いと玉梓たちにあたる事ができないのはよくわかっている。先ほどから彼女達は、体が壊れるのではないかと思うほど懸命に戦っている。玉藻は毒を振り撒き続け、唾嫌はギリギリと大蛇の首を一本ずつ締め付ける。そして玉梓はその剣で大蛇の首を切りつけ、時には犬の正体を現して喰らいつき、噛み千切ろうと躍起になっている。その姿を見ているのに文句をいう事は、流石にできない。
だが、幸多も限界ギリギリだ。体に入ってくる空気よりも、出て行く空気の方が多くなったように感じる。足が勝手に走っているようで、体がついていかない。それでも、懸命に走った。華欠左衛門から離れないように。華欠左衛門と大蛇の間から外れないように。
目標までは、あと十メートルくらいだ。だが、ここで大蛇の首が突き進んでくる。
少し右にそれて走った。目標までは、あと十二メートルくらいまで延びてしまった。
それでも諦めず、懸命に走り続ける。何度大蛇の首が襲ってこようとも、足が自分のものではないようになっても、口が大きく開きっぱなしになっても、走り続けた。もう少しだ。もう少しで、社に着く。
十m……八m……九m……八m……七m……六m……五m……
あと、ほんの少しだ。ジャンプでもすれば、一瞬で着きそうな距離になった。幸多は、最後の力を振り絞る。漫画や映画で、ヤケになったり懸命になったりで必死に走る時、登場人物がやたらと「うわぁぁぁぁっ!」と叫んでいるシーンをよく見た事がある気がする。あれは、嘘だ。本当に必死に走っていたら、あんな声を発しながら走る余裕なんて無いと思う。そもそも、叫ぶための空気が肺に残っていないのだから。
そんな事を考えたかどうかもわからないほどがむしゃらに、幸多は走った。足が痛いとか、頭がくらくらするとか、そんな事はもう気にならなくなっている。
三m……二m……一m……!
「もう少しじゃぞ、幸多! あとは水晶を安置して、精霊王様が復活するのを待つばかりじゃ!」
社にすべり込み、華欠左衛門は輝かしい顔で社へ水晶をかざした。
「感動は良いから! 早く水晶を置いてよ、華欠左衛門!!」
幸多が急かし、華欠左衛門は少々不満そうに水晶を社の台座に安置した。当然の事ながら、今度は八岐大蛇の邪悪な声は聞こえてこない。代わりに、ほわっとしたピンクの光が、少しだけ強まった。
それと同時に、後でズズン! と地響きがした。幸多は嫌な予感がして、後を振り返る。
……嫌な予感は、当たっていた。
大蛇の首が、こちらを凝視している。背後には、剣を折られボロボロになった玉梓、関節が普段であれば有り得ない方向に曲がってしまっている唾嫌、毒霧を出し続けて疲労しきった玉藻が倒れこんでいる。
「みんなっ!!」
幸多は、玉梓達の元へと駆け出したいのを懸命に堪えた。精霊王はまだ復活していない。今この場を離れたら、精霊水晶は八岐大蛇に奪われて、人界も妖界も滅ぼされてしまう。
大蛇は邪悪な笑みを浮かべて幸多に言った。
「頼りとしていた兵は皆倒れたぞ。さぁ、大人しく精霊水晶を渡せ。そうすれば、命だけは助けてやるぞ?」
「嘘だっ!!」
咄嗟に、幸多は叫んだ。思わぬ自分の声に驚きながら、幸多は言う。
「渡したって、どうせお前が世界を滅ぼせばみんな死ぬんじゃないか! それに俺……華欠左衛門に水晶運搬を成功させるって決めたんだ! 華欠左衛門達に手伝うって、自分で言ったんだ! 自分の言った事には責任を持たないと……だから、だから俺は絶対に水晶をお前に渡したりはしない!」
「ならば、どうする? この場で死ぬか?」
苦々しげに呟く大蛇に、幸多は最後の勇気を振り絞って言った。
「知ってるんだぞ! 水晶は少しでも血がついたら、お前が望むような力は無くなってしまうって! だから、俺はこうする! 絶対に離れたりしないからな!!」
そう言って、幸多は安置されている精霊水晶に抱きついた。精霊水晶は血に弱い。ならば、こうして幸多が水晶と一体化している状態となれば大蛇は水晶にも幸多にも手が出せなくなる。……はずだった。
「ならば、お前をこの場から吹き飛ばせば済む話よ。お前と貧弱なカラス天狗がこの場から吹き飛び、ついでにお前ごと水晶が台座から離れてくれればあとは簡単だ」
八岐大蛇は苦も無く言い、辺りの空気を上限知らずのように吸い込みだした。その姿に、幸多は焦りと恐怖を覚え、華欠左衛門にすがるような目を向ける。
「どっ……どうしよう、華欠左衛門!? 精霊王は!? まだ復活しないの!?」
「精霊王様がそんなにお手軽に復活するわけなかろう! ともかく落ち着け! 玉梓のように諦めなければ、玉藻のように楽天的に考えれば、唾嫌殿のように自らの責任を全うしようとする意志が強ければ、何とかなるはずじゃ!!」
「そんな事言われても……!」
幸多は本日何度目になるかもわからない情けない声を出し、再び大蛇を見た。その目には殺意が宿り、今にも幸多達をゴミでも払うかのように吹き飛ばそうとしている。
「…………!」
幸多は、思わずギュッと今まで以上に強く水晶を抱き締めた。ほわっとしたピンクの光が暖かく、勇気と落ち着きを与えてくれる……という事は無い。それでも、幸多は水晶を守るように抱き締めた。約束したから。自分でそう言ったから。こうする事は、自分で決めた事だから。
ほわっとしたピンクの光が少しだけ強くなった。だが、幸多はそれに気が付かない。更にもう少し強くなったが、幸多も、華欠左衛門も気が付かない。ギュッと目を瞑っているからだ。
それでも、光は段々強くなっていく。
そして、八岐大蛇が幸多達を吹き飛ばそうとしたその瞬間、ピンクを通り越し、白く鋭い光を放った。
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