第7話

「ほう……やはり戻ってきたか。流石は精霊王狂いのカラス天狗。己だけではなく同胞の命までも危険に晒してまで、精霊王を復活させたいと見える」

 一の首をもたげた八岐大蛇は、不敵に笑いながら呟いた。その邪悪な声に、華欠左衛門は気力を振り絞って言葉を返す。

「黙れ! たかが八本首の蛇風情が偉そうな口をきくでないわ! 精霊王様はこの世の理! 精霊王様の復活は、そのままこの世の繁栄にも大いに繋がる! それがし達が精霊王様を復活させる事で皆が心安く暮らせるのであれば、この命などいくらでも散らせて見せようぞ!!」

 華欠左衛門の言葉に、他の者も続いた。玉梓は腰の剣を抜き放つと、白刃を八岐大蛇に突き付ける。

「貴様のような奴がのさばっているというのは気分が悪い。その昔、敵将安西景連の首を一瞬で落としたように、今度は貴様の首を八つ全て落としてくれる!」

「アタシは別にそこまで支配者とかにこだわりは無いんだけど、何百年も前に玄翁和尚様に成仏させられて以来全然出してなかった毒をそろそろ出しちゃいたい気分なのよね。本当は宿敵、安倍泰成に使いたいところだけど、あの人は人間だからとっくの昔に冥界入りしちゃってるし。折角の機会だから、ここで使わせてもらうわ!」

 玉藻が本気か冗談か判断しかねる言葉を連ね、それに唾嫌が続いた。

「こんなに小さな華欠左衛門や嬢ちゃん達がここまで言ってんだ。なら、一番図体のでかいワシがこいつらを守ってやらなければな」

 意気込む彼らを眼前に、八岐大蛇はさもおかしそうに笑う。

「やれるものならやってみるが良い、小さく弱き者どもよ。貴様らが精霊王を目覚めさせるか、私が貴様らから精霊水晶を奪うか……どちらが早いか、試してみようではないか!」

「! くるぞ! 散れっ!!」

 玉梓が叫ぶ声が木霊し終わらないうちに、八岐大蛇はその巨大な尾を華欠左衛門たちに向かって叩き付けた。一同は辛うじて難を逃れ、四方に散る。尾が叩き付けられた地は、あっけなく砂礫と化した。

「チッ……何てぇ馬鹿力だ……喰らったらひとたまりもねぇぞ、玉梓嬢ちゃん!」

「だったら喰らわないように気を付けろ! 華欠左衛門! 何があっても、水晶を手放すな!」

「わかっておるわ! 誰に向かって口をきいておる!?」

 叫び返しながら精霊水晶を抱えて右往左往する華欠左衛門に、玉藻が言う。

「華欠のおじ様! このままじゃ埒が明かないわ! とりあえず、この乱暴なしっぽをどうにかしちゃいましょ!」

 そう言うが早いか、玉藻はケーン! と一声高く鳴いたかと思うと、タンッ! と軽やかに宙に舞い上がり、鮮やかに空中一回転を決めて見せた。それがストンと地面に着地すると、もうそこに華やかな娘姿の玉藻はいない。大きな尾を九つ持った、金色の狐が一匹そこにいるだけだ。

「もう! ブンブン振り回したら危ないでしょ、そのしっぽ! こうやって動けなくしちゃうんだから!!」

 声は玉藻のその狐がブン! と九つの尾を思い切りよく振ると、その尾々の間からは黒と紫を混ぜたような毒々しい色合いの霧が漏れ出し、大蛇の尾を包み込んだ。すると、霧に包まれた大蛇の尾は、たちまちのうちにカチコチと石へ転じていく。

「どう? 玉藻ちゃん特製の毒霧よ! これで数え切れないくらいの生き物を殺してきたんだから! 妖界に来てからの数百年間暇だったから、更に石に変える能力まで付加されてるわよ!」

「南の原が石原と化しておったのはおぬしの仕業か!」

「玉藻嬢ちゃん、やり過ぎると人界どころか妖界にもいられなくなるぞ……?」

「やりっ放しにするな! 遊んだら元に戻しておけ!」

 ウインクしながら上機嫌で言う玉藻に、即座に残りの三人が苦言を呈した。それにブーッと人間の頬に当たる場所を膨らませながら、玉藻は華欠左衛門に言う。

「そこまで言わなくたって良いじゃないの。それよりも、華欠のおじ様! しっぽは動かなくなったわよ! 水晶を置きに行くなら、早く行った方が良いんじゃないの!?」

「言われんでもわかっておるわ!」

 不愉快そうに怒鳴りながら、華欠左衛門は翼を羽ばたかせた。現在地から水晶を安置するための社まで、距離はおよそ二十メートル。重い水晶を抱えていても、一気に飛べない距離ではない。自分ばかりを狙ってきた尾は動きを停止している。これなら、いける!

「早いのは精霊王様の復活のようじゃな、八岐大蛇!!」

 自らを鼓舞するため、前進しながらも華欠左衛門は叫んだ。だが、猛烈なスタートダッシュを切った彼に、八岐大蛇は不敵に笑う。

「フ……舐められたものよ。私の攻撃手段が尾だけだと思わないことだ」

 言い終わるか終わらないかのうちに、大蛇はその八つ首をブン! と振ったかと思うと、一時に華欠左衛門に突進させた。遠心力の加わった首は、まるで槍投げの槍のように鋭く向かってくる。

「華欠左衛門! 退け!」

 突然の大蛇の攻撃に一瞬我を失っていた華欠左衛門は、玉梓の声でハッ! と我に返った。だが、その一瞬が逃げるタイミングを遅らせた。

 華欠左衛門は精霊水晶を持っている。もし彼が倒れれば、精霊水晶は大蛇の手に渡り、世界は滅ぶ。その華欠左衛門を攻撃させまいと、玉梓は剣を鞘に納め、懸命に走った。最悪、自分の体を盾にしてでも、華欠左衛門だけは守らなければいけない。

 唾嫌もそれを感じているのだろう。懸命に体を伸ばし、何とか大蛇の首を抑えようとしている。伸ばすあまりに、唾嫌の関節が嫌な音を立てるのを、玉梓は聞いた。

 だが、到底間に合いそうにはない。懸命に走るあまり、玉梓はいつの間にか正体を現していた。二足歩行をやめて四足走行になり、顔からも手足からも毛が生えた。白い毛並みに八つの黒いぶちを持った、巨大な犬だ。娘姿の時よりもずっと速い。それでも、間に合いそうにない。

 八岐大蛇に挑むには、仲間が少な過ぎたと、玉梓は心のどこかで思った。脳裏を、あの優柔不断な人間の少年が過ぎった。もし、あの子供がこの戦いを手伝ってくれていたら、戦況は変わっていただろうか? ……いや、変わりはしなかっただろう。あの子供は、何もできやしない。一人では帰ることすらためらうような少年だ。いたところで、どうせ足がすくんで動く事もできなかっただろう。守る対象が増えて、自分達の負担が増えただけに決まっている。

 そう結論付けて、玉梓はがむしゃらに走ることに専念した。恐らく、間に合いはしないだろう。だが、諦めたら本当にそこで全てが終わってしまう。どうせ終わるのなら、最後まで粘り続けたい。里見義実の御前で、必死で生き延びようとしたその時のように。

 玉梓の、その必死の想いが近くに眠る精霊王に届いたのだろうか? 八岐大蛇の首が華欠左衛門に届くかと思ったその瞬間、声が響いた。

「華欠左衛門っ!!」

 その声は、少年のものだ。それも、玉梓が知る限り、最も脆弱で最も頼り無くて、最も幼い人間の少年の声だ。

 声の主は、華欠左衛門の背後にある茂みから飛び出してきたかと思うと、華欠左衛門の首筋を掴んでグイッと引き寄せた。

 大蛇の首が華欠左衛門に届くのが、一瞬だけ遅れた。

 その一瞬があれば充分とでも言わんばかりに、犬の姿をした玉梓は後足で地面を思い切り蹴った。体がグンと前に進み、華欠左衛門と少年の前に転がり出る。

 彼女は、瞬時に人間の姿に戻ると息つく暇もなく腰の剣を抜き放った。剣は大蛇の額に押し付けられ、玉梓は首を止めようと躍起になって剣に力を込める。

 だが、如何せん体格差があり過ぎた。加えて、向こうには勢いもある。止めきる事はできず、彼女は後の華欠左衛門と少年もろとも吹っ飛んだ。それでも、彼女が間に合わなければ華欠左衛門は死に、精霊水晶は奪われていたであろう事を考えるとでき過ぎているくらいだ。

 彼女は、再び茂みの中に転がり込んだ少年を見た。転がった弾みで両足が顔まで投げ出され、股から顔がのぞいている。その横には大きな穴。見るからに深く、もしあと数十センチ横にずれていたら少年は穴に落ち、打ち所が悪くて死んでいただろう。

 運良く生きていた少年に、少々あきれ返った声で玉梓は言った。

「なるほどな……先ほど逃げる際に使った、唾嫌の穴を通ってきたのか。道理で追ってくる気配が無かったはずだ」

 言われて、少年――宮本幸多は、どうして良いのかわからない、といった様子で泥だらけの頬をこりこりと掻いて見せた。

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