横田等のロサンジェルス・ダイアリー =6=

*** 8月21日 月曜日 ***



    グレイスさんが週末にカネをどこでどう工面したかは見当もつかないけど、社員たちはみな、きょう、小切手を受け取ることができた。


    だれかの分が不渡りになる惧れはまだ残っているにしても、まずは、やれやれという結末だ。


          ※


   それにしても、会社でのちょっとしたエピソードの背後にあれだけの、つまり、ほら、時の流れとともに移り変わってきた日米関係や、アメリカに渡ってきた日本人とその子孫たちの暮らしのドラマが、どのページからも見えてくるような、そんな歴史があるんだから、すごいよね。


   いや、もちろん、『毎日』や『朝日』、『読売』にもそれぞれ会社の歴史はあるわけだけど、そういうのが、皮張りの厚い表紙に金文字でタイトルが書いてある分厚い本の中にいかめしく納まっているって感じなのに対して、『日報』の歴史は剥き出しで、温かくて、そう、そこで人が生きてるって、そんな感じがしない?


   僕は何か新しいことを知るたびに、〈ああ、僕はいま歴史の中にいるんだ〉〈日本人移民の生きた歴史の中で仕事をしているんだ〉と思って、ずいぶん感動してしまうんだよ。…自分はたまたま南カリフォルニアにやってきている留学生でしかないんだ、ということを忘れてしまってね。


          ※


   と、そこまでしゃべったところで、ふと思ったんだけど、僕がいま働いているのがかりに(『日報』でなくて)『日米新報』だったとしても、僕はおなじように感じていただろうか?おなじ感動を味わっていただろうか?


   『新報』については表面的なことしか知らないわけだから、はっきりしたことは言えないよ。でも、どうも違うんじゃないかって気がするな。


   つまり、(日本からの移民が集中した北・中・南米、それにハワイがほとんどを占めているにしても、とにかく)世界に十数紙はあるらしい海外日本語新聞社の中で〔経営の優等生〕といわれている『新報』では、僕はそんなふうには感じていなかったんじゃないかな。


   というのは…。どうやら僕は、〔判官びいき〕というと、なんだか、江波さんが好んで使いそうな言葉で、古くさい感じがするし、ちょっと違ってもいるようだから、言い直すことにすると、そう、〔マイナーびいき〕、野球でいうなら〔アンチ・ジャイアンツ〕タイプみたいなんだ。…二代つづけて経営者に人を得なかったからそうなったというだけで、同情することなんか、ほんとうは、ないはずなんだけど、『日報』がいま、変化する時代にうまく対応できずに四苦八苦しているところが、みょうに気の毒に思えてしまうし、そんな会社でいま自分が働いているってことに、なぜか、すごく満足しているんだよね。


   幼いころからずっと、ちょっとできの悪い末っ子だった僕には、そんな環境がかえって居心地よく感じられるのかな?


           ※


   もちろん、給料の小切手が不渡りになるのは嫌だよ。だけど、おかしなことに、〈この小切手はちゃんと現金になってくれるんだろうか〉なんて思いながらそれを受け取るのは、スリルがあって、悪くない気分なんだよ。…タイピストの井上さんに〈あなたは結局、おカネに不自由しない家のお坊ちゃんで苦労したことがないから、気楽にそんなことがいえるのよ〉なんて叱られそうだから、声に出しては、そんなこと、絶対に言わないけど。


   ほら、『日報』って、荒波の上で沈みかけている(船長がいないも同然の)船を、操縦法も行く先も分からないまま、船員たちがみなでなんとか走らせている、みたいな危ういところがあるじゃない。いや、企業としては、そんなことじゃだめだと思うよ。でも、ここでは、半年間しか働かないつもりだった僕みたいな者でさえ、〈ああ、自分もいくらかは助けになっているんだ〉って実感することができるし、それに、そんな危うさの中で働いている人たちって、みんな、なかなか魅力的なんだよね。…『日報』には(今村徳松が築いた、コミュニティーに支持された)あれだけの輝かしい歴史があるのに、こんなことになってしまって、なんて感傷的な気分で見るから、余計にそんなふうに見える、という面もおおいにあるんだろうけど。


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(ストーリー中の人物、企業、団体などはすべて創作されたものです)


*参考著書*


「アメリカの日本語新聞」田村紀雄(新潮選書)


「藤井整の言論活動 - 『加州毎日』創刊から日米開戦まで」関宏人(慶応大学卒業論文)


  <無断転載・コピーはお断りします>

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