小説 「ひょんなことから」 (1995年)

Andy Eguchi

横田等のロサンジェルス・ダイアリー =1=

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(ストーリー中の人物、企業、団体などはすべて創作されたものです)

*参考著書*

「アメリカの日本語新聞」田村紀雄(新潮選書)

「藤井整の言論活動 - 『加州毎日』創刊から日米開戦まで」関宏人(慶応大学卒業論文)

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*** 1995年8月15日 火曜日  ***



   僕がほんの数か月後にこんなふうに気持ちを揺るがせていることを知ったら(ロサンジェルス市の東方五〇マイル、八〇キロメーターほどのところに位置する、人口二十二万人あまりの都市)リバーサイドの友人や知人たちはみんな、ずいぶん驚くだろうな。


   だって、当の本人である僕自身が、UCR(カリフォルニア大学リバーサイド校)のエクステンション・プログラムで英語を勉強していたころはもちろん、いよいよロサンジェルスに移ろうという三月中ごろになってからでも、自分が先で〈僕には可能性として二つの将来があるんじゃないだろうか〉と考え始め、その二つのうちのどちらを選ぶかで心がぐらつくことになろうなんて、夢にも思っていなかったんだから。まして、そのぐらつきがさらに進んで、九月半ばに予定していたアリゾナ州フィニックスへの移動はよしてしまおうか、フィニックスにある小さなプライベイトの大学でMBA(経営管理学修士号)を取得(するために勉強)しようという計画なんか捨ててしまおうか、なんて大胆なことを考えるようになるかもしれないなんて…。


   いや、中には、「〈九月までひまがあるし、ちょっとおもしろそうだから〉って理由だけでそんなところに首を突っ込むの、まずいんじゃないの」みたいに注意してくれた友人が何人かいはしたんだよ。だけど、その友人たちにも、僕がいまみたいな状態になりはしないかとまでは予想できていなかった。〈まずい〉ような気がするといっても、彼らは〈そんなところ〉をじかに見たわけじゃなかったし、そこが実際にはどんなところなのかについては僕以上に分かっていなかったわけだから、それも当然だったんだけどね。


          ※


   その〈そんなところ〉ってどこのことかって?


   日本語欄四ページと英語欄二ページという体裁の日系コミュニティー新聞をロサンジェルスで発行している『南加日報』(サザーン・カリフォルニア・ジャーナル)社のこと。


   そこで働いているうちに、気持ちがしだいに揺れ始めて…。


          ※


   何でか、って?


   それが、簡単には説明できないんだよね。


   とにかく、いまの僕は〈ロサンジェルスから立ち去りたくない〉って気分なんだ。…その新聞社での仕事をあっさりとは捨てたくないんだ。


   おかしいね。


   なぜって、それ…。


   おカネのことを真っ先にいうとちょっといやらしいんだろうけど、初めの三か月間の、いわゆる研修期間中には、一週間で一五〇ドル、四週間で六〇〇ドルにしかならなかった、そんな仕事なんだよ。…ちゃんとフルタイムで働いて。


   そんな(ひどい)条件の仕事がいまどきあるのかって?


   ああ,あったんだ。しかも、その仕事には〈八月に開かれる[リトル東京フェスティバル]が終わるまでは〔絶対に〕やめないように〉という、けっこう強い要求までついていたんだよ。


          ※


   〔絶対に〕は、まあ、分かるよね。でも、〔八月に開かれる[リトル東京フェスティバル]が終わるまでは〕というのは、なんだか変に短い、みょうに中途半端な〔要求〕だと思わない?だって、三月から〔八月まで〕なんだよ。


   でも、それ、事情が分かってみれば、そうでもなかったよ。というのは、その[リトル東京フェスティバル]というのは、ずっと昔、第二次世界大戦前からつづいている、南カリフォルニアの日系・日本人コミュニティーの最大の年中行事で、地元の日系新聞社にとっては、〈参加団体の紹介記事やパフォーマンス報告を賑やかに書いて、見返り広告や協賛広告を大量に取る絶好の機会〉だということだったからね。…編集員を募る広告を二月に出したとき、『南加日報』社は(できれば、長く働いてくれる人物を採用したい、と考えていたんだろうけど)とりあえずは、そのフェスティバルに備えて編集員を確保しておく必要があったんだね。


          ※


   だけど、正直に言うと、面接を受けたときの僕は、南カリフォルニアの日系・日本人コミュニティーと、『南加日報』社の両方にとってそのフェスティバルがどれほど大きな意味を持っているかなんて話には、ほとんど興味を引かれなかったんだよね。だって、あのときの僕は、何てったって、UCRで英語の勉強を終えたばかりの留学生で、ほら、さっき話したように、半年後の九月半ばにはアリゾナ州フィニックスに移るつもりでいたわけだから。


   たしかに、求人広告を見たときには〈雇ってもらえるのなら、この新聞社でしばらく働いてみるのも悪くなさそうだ〉と考えたし、だからこそ面接を受けにも行ったわけだけど、それは別に、地元の日系・日本人コミュニティーに大きな関心があったからでも、この日本語新聞社のために何か役立ってみたいと感じたからでもなかった。…そうじゃなくて、南カリフォルニアでそんなふうに時を過ごしていれば、UCRでいまも英語の勉強をつづけているガールフレンドの真紀と九月までずっと、それも時間を持て余す心配なしに、会いつづけることができるじゃないか、と考えたからだった。


          ※


   そんな調子だったから、実は、これからもらうことになる給料の額は、あのときの僕には、まあ、どうでもいいことだった。いくらと告げられても、他人事みたいに〈ここの社員たちはみんな、そんな低い給料で働いているのだろうか〉〈そんなので暮らしていけるのだろうか〉〈そういえば、机や書棚などもずいぶん古いものだな〉〈なんだ、新聞社だというのに(少なくとも日本語編集部のこの部屋には)一台のコンピューターも備わっていないよ〉などとあれこれ思いをめぐらせただけで…。


          ※


   あの日から、それこそ〔矢のような速さ〕で月日が過ぎてしまった。


   十日間ほどつづいたその夏のフェスティバルもおととい終わっている。


   ということは、僕は、二週間前に予告しさえすれば、いつでも仕事をやめることができるわけだ。…面接のときに了解してもらっていたとおりに、九月半ばにはフィニックスに移動することができるわけだ。


   にもかかわらず…。


   人が生きているあいだには思いもかけないような〔大転回〕が何度かはあるものだって言うよね。


   いや、もしかしたら、一般にはあまり言わないのかもしれないけれど、僕の父親は昔からよくそう言っていたよ。…特に、三人の子供たちの中で目立ってできの悪かった末っ子の僕をなんとかして励ましたいようなときにね。


   で、回りきるのか回りきらないのかまだよく分からない今度の僕の〔転回〕も、いま振り返ってみれば、やはり、 〔思いもかけないような〕ことがきっかけになっているんだよね。だって、真紀がある日唐突に「わたし、おいしいすき焼きが食べたい」とつぶやいたことから、これ、始まったわけだから。…すこぶる日常的だろう?〔人生の大転回〕なんかまるで感じさせないだろう?


   いや、真紀を責めているんじゃないんだよ。そうじゃなくて、人生はそんなことでだって、つまり、だれかがたまたますき焼きを食べたくなったことからだって変わってしまうこともあるんだなって、改めて感じ入っているだけなんだ。


   それに、真紀が〔おいしいすき焼き〕を食べたくなるのには、〈なるほど〉とうなずける、もっともな事情があったわけだし…。


          ※


   真紀がすき焼きを食べたくなった〔ある日〕というのは、僕がUCRで受けていた外国人向け英語コースのウィンタークォーターが終わりに近づいていた、二月の最後の木曜日(二十三日)だった。…翌日、夜八時に終わる講義を真紀が受けることになっていたから、曜日をちゃんと覚えているんだ。


   で、その木曜日は、あとで数えてみたら、阪神・淡路大震災から三十八日目に当たっていた。


   そうなんだ。突飛な組み合わせなんだけど、真紀の「わたし、おいしいすき焼きが食べたい」とあの大震災には関係があるんだ。それも、おおいにね。


   真紀はあの日、なんだかひどく思いつめたような口調で、僕にこう言ったんだ。「まだ四十九日が過ぎていないこと、わたし、分かってるけど…。自分からいいだしておいて、みっともないけど…。わたし、あした、どうしても、おいしいすき焼きが食べたい」


   これで関係が少し分かってきたんじゃないかな。


   ああ、僕たちは、大震災のことをテレビのニュースで知って以来、真紀の発案で、四十九日間の、なんというか、ちょっとした〔禁欲・精進〕生活に入っていたんだよね。


          ※


   ABC放送の[ワールドニュース・トゥナイト]で日本からのニュースを見ていた真紀が、画面の看板キャスター、ピーター・ジェニングスに向かって何度かうなずいたあと、「被災した人たち、ほんとうにかわいそう。お気の毒。太平洋を隔てているからって、わたし、知らないふりはできない。ね、わたしたちも何かしなくちゃ」と突然言いだしたのは、震災の被害の大きさがますます明らかになった一月十九日の夕方のことだった。


   僕は〈ああ、この子はやっぱりいい子だな〉って、たちまち感動してしまったよ。…だって、ふつうは、僕自身がそうだったように、そんなふうにはあんまり考えないじゃない。


   でも、僕のその感動は長くはつづかなかった。


   なぜって、その〔何かをする〕というのは、分かってみれば、たとえば、UCRの学生たちから義援金を集め、それを被災地に送る、みたいなアクティブだけども数日間限りの活動、というようなものではなくて、おもしろいことや楽しいこと、愉快なこと、心地よいことなど、とにかくそんなふうな、被災者が当分は味わえないたぐいのことは、僕たちも〔四十九日の喪があけるまでは〕いっさいしないでおこう、というずいぶんネガティブで継続的な、途方もなく気が疲れそうなことだったからね。


   僕の反応は、なんだか、かっこうの悪いものだったな。「そりゃあ、僕も気の毒だとは思うけど、二人とも東京生まれの東京育ちで、こんなときに〔幸い〕と言ってはなんだけど、被災した親類も友人もいないみたいだし、それに、ほら、東京じゃ大相撲の初場所だって〔満員御礼〕つきでつづいているっていうじゃない。つまり、日本でも、被災地以外では大方、みんなふつうに暮らしているんだよ。だから、僕らがそこまで…」


          ※


   真紀の善意の〔四十九日の喪があけるまでは〕提案に僕がそんなふうに(みっともなく)抵抗したのには、ちょっと口にしにくい(真紀の崇高な決意の前ではどうしても低次元に見えてしまう)理由があったんだよね。


   こんなこというの、恥ずかしいんだけど、僕はあのとき、ことのついでに真紀が「わたしたち、セックスもしないでいましょう」みたいなことをいいだすんじゃないかって(やたら先走って、それもそうとう深刻に)怯えていたんだ。だから、〔大相撲の満員御礼〕なんかはみんな、その(口にしにくい)怯えをおおい隠すための屁理屈の材料にすぎなかったわけ…。


   いや、真紀が望むのなら、たいがいのことは(いくらでも)よすことができる、と思ったんだよ。でも、あの方は…。ちょっと自信がなかった。


   だって、僕は若いんだし、真紀がそばにいるのに四十九日間もがまんしているなんて、とてもできそうになかったから。…ありがたかったことに、結局は、若いのは真紀もおなじだったからか、その件は僕の、いわば、とりこし苦労ということで終わったんだけど。


          ※


   で、その〔何かをする〕の中に、〈映画は、たとえトム・クルーズの新作が公開されても、見に行かない〉〈テレビのシチュエーション・コメディー(中でも、一番好きな[フレンズ])は見ない〉〈友だちが開くパーティーには出ないし、わたしも友だちを呼ばない〉〈デイヴィッド・コッパーフィールドのマジックショーは一度見てみたいけど、ラスベガスには遊びに行かない〉〈ケーキとハニーデューメロン、それに、やっぱり、ビーフとポーク、チキンは食べない〉などという、数多くの〔しない〕案と並んで「毎週金曜日の〔ちょっとぜいたくな外食〕もよしましょう」という案が含まれていた。


   つまり、真紀が言った「あした、どうしても」のその〔あした〕(二月二十四日金曜日)は、そんな禁欲宣言をしていなければ、その〔ちょっとぜいたくな外食〕をする日に当たっていたんだよね。だから、金曜日を前にして真紀が、何かおいしいものが食べたい、といいだしたのには、それなりの根拠があったわけなんだ。


          ※


   二月二十三日。真紀は密かに、大震災からその日までの日数を数えていたんだね。こうつづけたよ。「あしたが五週間と四日目だってこと、だから、まだ四十九日は過ぎていないってこと、わたし、分かってるんだけど…」


   僕はこのときも、〈ああ、この子はなんてかわいい子だろう〉と思ってしまった。…道徳上の大罪を告白しでもするかのような思いつめた表情がなかなかよかったしね。


   もともと仏教に格別の信心を抱いてるわけでもない真紀が唐突に〔四十九日〕などと言いだした動機があまり理解できていなかった僕には、〔すき焼きディナー〕に反対する理由は、もちろん、まったくなかった。というより、〔禁欲・精進〕あけは大歓迎ものだった。〈宣言どおりに、ケーキもメロンも、ビーフもポークも、チキンも食べなかった真紀は偉い!〉〈「白人と違ってアジア人の髪は毛が太くて重いから、うまくあんな形にはならないかもしれないけど、わたし、髪型を([フレンズ]の主役の一人である)レイチェル(ジェニファー・アニストン)とおなじにしてみようかな」と言っていたぐらいなのに、放送がある木曜日の夜は大学の図書館にこもって一度もテレビの前に座らなかった真紀は立派だ!〉とは思っていたけど、やっぱり、「どうしても、すき焼きが食べたい」という真紀の方が、無理がなくて、うんとすてきに見えたよ。


          ※


   もっとも、真紀が〔どうしても食べたい〕のが、なんで、ちょっと上品な感じがして、いかにも女の子が好みそうなケーキやメロンでなくて、少しおじさんっぽい〔すき焼き〕なのかは、僕にはすぐには見当がつかなかったけどね。


   いや、いまだって、ほんとうのことは分かっていないんだよ。でも、あえていうと、あれは、一か月あまり必死の思いで〔精進〕していた真紀の頭の中で、〔神戸を中心にした大震災〕―〔神戸牛〕―〔すき焼き〕という連想が、〔神戸牛―ステーキ、松坂牛―-すき焼き〕というポピュラーな関連をよじれさせた状態で、竜巻みたいにぐるぐる回りながら肥大しつづけていたからだったんじゃないかな。…そんな気がするよ。


   これって、なんだか変に生々しい想像だから、真紀にじかにたずねるのはためらってしまうけど、もしそうだったんだとしたら、こともあろうに、あの大震災とすき焼きを結びつけるんだから、食に対する人間の欲には、簡単には表現できない類のすごさがある、ということになると思うけど?


          ※


   だけど、まあ、そんなことはどうでもよかった。


   僕は勇んで真紀に、翌日三時に僕の(外国人に英語を教えるためのプログラム)ESLのクラスが終わったら、そのままロサンジェルスまで車を飛ばして、リトル東京にある[ヤオハン・プラザ]の中のスーパーマーケットで上等の(つまり、UCRの近くのスーパーマーケット[アルファ・ベータ]なんかで売っている脂身の少ない赤っぽい、ぱさぱさしたテリヤキ用の分厚いのとは違う、ちゃんとした〔しもふり〕の薄切り)牛肉を手に入れ、夜八時過ぎに真紀がアパートに帰ってきたときには、その〔おいしいすき焼き〕がすぐに食べられるようにしておく、と約束したよ。…金曜日なのに〔外食〕することにしなかったのは、リバーサイド市内とその周辺にある日本食レストランでその〔しもふり〕肉を出すところを二人とも知らなかったからだった。それに、すき焼きは、できあいを出されるよりは、自分たちでこしらえながら食べるほうが、やっぱり、おいしいじゃない。


          ※


   そのすき焼きを食べているあいだに真紀が話してくれたことだけど、あの子が〔四十九日〕などと言いだしたのには、こういうわけがあったんだ。


   真紀は、まだ小学校の低学年だったころ、ずいぶん可愛がっていたケンという名の子犬に交通事故で死なれたことがあるんだ。そのとき、母親にこんなふうなことをいわれたんだって。〈真紀、いい子にしてなきゃだめよ。わがままに、あれがほしい、これが食べたい、なんてことばかり言ってたら、ケンがそれを聞きつけて、〔ああ、真紀はこの世に不満があるんだ。自分の方に呼んでやろうかな〕って思うかもしれないわよ。死んだものの魂は〔四十九日間〕はこの世とあの世とのあいだをさまよっているっていうから、ケンもきっとそこからあなたを見ているわよ〉


   母親にそういわれたからといって、自分が死ぬということがどういうことだかよくは分かっていなかったし、真紀はすぐにわがままをやめたわけじゃなかったんだけど、高学年になって、今度は自分が交通事故に遭ってしまった。自転車に乗っていて、低速で走っている小型自動車の横側に自分の方からぶつかり、転倒して、左脚を骨折してしまったんだ。そのとき真紀は、母親に以前いわれたことを思い出したんだって。思い出して、〈そうか、あのときわがままをやめなかったから、わたし、こんな目に遭ったんだ。わたしを見ていたケンがいまになって、こんな形でわたしを呼ぼうとしたんだ〉 と考えたんだって。


   一月十七日、阪神・淡路大震災が発生したことを知ったとき、すぐに真紀の頭をかすめたのは(もちろん、被災者がかわいそうだ、気の毒だ、という思いが第一ではあったけれども)口から血を流して近所の路上に倒れていたケンの姿と自分の自転車事故のことだった。真紀は震えだしそうになりながら、こう考えたそうだ。 〈カリフォルニアは日本とおなじように地震の多いところなんだから、当分はわたし、何も不満に思っちゃいけない、わがままを言っちゃいけない、欲におぼれちゃいけない〉


   だから、その〔当分〕が二日後の十九日になって僕に〔禁欲・精進〕提案をした際に〔四十九日間〕という具体的な数字になったのには、(母親に昔聞かせられた話を真紀がいまでもそのまま信じているとは思えないけど)心理的には、まあ、自然なことだったわけだ。


          ※


   真紀のそんな話を聞き終えたとき、正直にいうと、僕は〈大地震で命をなくした数千の人たちとケンという名の飼い犬を対に並べて考えるのは、どうも釣り合いが取れていないんじゃないかな〉〈〔わがままを言わない〕 と〔欲におぼれない〕とをそんなふうに直線的に結びつけるのは、あまりも短絡的なんじゃないかな。その二つのあいだには言葉を千個重ねて説明しても埋め合わせることができないような、すごく大きな隔たりがあるような気がするな〉〈それに、ケーキやメロンを食べたからといって〔欲におぼれた〕とはいえないんじゃないかな〉〈地震の犠牲になった人たちにはそれぞれ、心を残す家族や恋人たちがいるだろうから、ケンとは違って、見ず知らずの真紀に目を向けたりはしないんじゃないかな〉 などと考えたけど、結局は黙っていた。…一歩間違えば死、というような事故に一度も遭ったことのない僕には、真紀が子供のころに味わった恐怖のほんとうの大きさが分かっていないはずだったから。


          ※


   すき焼きを食べ始めた真紀はもう、その日が三十九日目だなんてことはすっかり忘れているみたいだった。…自分が言いだしたことを守りきれなかったのは悔しいことだったんだろうけど、もともと固い信心から〔四十九日〕と言ったわけでもなかったのだし、ここではとりあえず、おいしいものを食べることができる満足感の方が勝っていたんだね。


   その方が自然でいい、と僕は思ったよ。


          ※


   というようなことで、僕は二月二十四日の午後、おいしい牛肉を真紀のために手に入れようと、片道一時間ほどかけて、リトル東京の[ヤオハン・プラザ]まで愛車の白い[ムスタング]を走らせたわけだ。…そのドライブの行き着く先に自分の運命の分かれ道があろうなんて、もちろん、


夢にも思わずに。


   なんて、表現が陳腐で、思わせぶりが過ぎているかな。


   でも、そんなふうにリトル東京に出かけていなければ、僕は、そのついでに立ち寄った(やはり[ヤオハン・プラザ]の中にある)[旭屋書店]で、日系・日本人コミュニティーで発行されている二つの新聞、『日米新報』と(問題の)『南加日報』を買うことはなかったんだよ。


   そして…。『南加日報』を買っていなければ、(『日米新報』と違って、文字が読みづらいうえに、なんだか変にうすっぺらな)この新聞の第三面の右下に〔囲み〕で出してあった〔編集員募集〕の広告も見なかっただろうし、見ていなければ、〔要英語力〕という文字に引かれてふと、〈これは自分の英語力を試してみるいいチャンスかもしれない〉なんて思うことはなかっただろうし、〈それに、フィニックスに移動するまでの時間つぶしにもなるじゃない〉なんて不遜なことを考えるようにもなっていなかったに違いないんだ。


   あの夜、UCRの近くのキャニオンクレスト・ドライブ沿いにある真紀のアパートで彼女と二人で食べたすき焼きは、いい牛肉を手に入れるためなら往復二時間ほどのドライブなんかどうってことはない、という熱意に十分報いて、というか、長い肉絶ちのあとの僕には、というか、とにかく、もう、文字どおり涙が出そうになるほどおいしかったんだけど…。願いどおりに〔おいしいすき焼き〕を食べることができてすっかり感動した真紀は、食事のあともずっとすごく優しくしてくれて、僕も最高に幸せだったんだけど…。


   なんだかおかしな〔人生の転回〕図だね、これ。


          ※


   『南加日報』でこのまま働きつづけてみようかな、というふうに僕の気持ちが揺れていることを、真紀はまだ知らない。


   いまの気持ちの傾きがもっと進めば、遅かれ早かれ、胸の中にあることをちゃんと真紀に話さなきゃならないことになるってことは、もちろん、分かっているんだよ。…だけど、どんなふうに?どんな機会に?


          ※


   父親が〈お前がMBAをちゃんと取得して日本に戻ってきたら、必ずそこそこの企業に入れてやる〉と請け合ってくれていなかったら、こんなことは初めから口にはできないんだけど…。たとえば、僕がいきなり〈〔フィニックスでの勉強を終えたあとは日本に戻って、ちょっとは名の知れた会社で働くんだ〕なんて考えは捨てることにしたよ、真紀〉 だとか、〈ロサンジェルスにある(月給が八〇〇ドルぐらいの、将来昇給したとしても一、〇〇〇ドルを大きく超えることはないはずの、うだつの上がらない、というよりは、正直にいうと、落ち目の)日系新聞社でしばらく働いてみることにするよ。だから君もそのつもりでいてくれないか〉だとか僕が言ったら、真紀はきっと、すごいショックを受けるよ。〈それはないんじゃないの〉 みたいな、まるで割り切れない、というか、ぜんぜん納得できない、というか、ひどく理不尽な、というか、とにかく、そんな気がするはずだよ。…裏切られた、と感じるかもしれないよ。


          ※


   そんなふうに決めつけなくてもいいんじゃないかって?話してみれば、僕の気持ちの傾きを真紀が理解してくれるかもしれないじゃないかって?


   〈分かったわ。それ、生き方として、美しくてすばらしいものだわ、等さん。そうしたら?あなたを必要としていてくれるその新聞社のために働いてあげたらどう?英語で話されたり書かれたりする報道からはちゃんとした情報が得られない日系・日本人コミュニティーの人たちに、日本語で書かれたいいニュースをあなたも提供してあげたら?そんな(条件の悪い)仕事に進んでつきたがる人、あまりいないでしょうけど、それ、なんだか、等さんにはぴったりしてるみたい。〔生涯カネに困りながら暮らすことになるんだぞ〕だって?何を言ってるのよ。おカネだけが人生の目的じゃないわ。それに、必要なら、わたしが少し助けてあげる。だから、そのままそこで働きつづけたらどう?〉 とでもいう具合に?


   違うんだよね。真紀はそんなふうにいうタイプじゃないんだ。つまり…。


          ※


   真紀は僕より二歳年下で、二十一歳。東京の、教育の高い家庭で(遅くとも、自転車に乗っていて事故にあった小学校高学年のころからは)しつけよく、しかものびのびと育ってきた、良くも悪くも、まだ無垢なところを残している、(僕が思うに)いまどきめずらしい子なんだ。英語教師に将来なろうとしている学生たちに英語を教える教師に日本でなりたい、と思って、東京の女子大で二年間勉強したあとこちらにきて、いまUCRで英語を勉強しているんだ。…UCRでの勉強を終えたら?おなじ女子大に復学して、そこを卒業し、それから大学院に進むつもりなんだって。


   偉いんだよね、あの子。


   とはいうものの、真紀は、一度決めたことはどうしてもやりとげるんだ、と思いつめている様子でもないんだ。…たぶん、日本の女子大学生の多くがそうであるようにね。


   そうなんだ。真紀は、自分も仕事をずっと持ちつづけようと(いまは)思っているわけだけど、それは、どちらかといえば、生き方に関する、そう、美意識上の問題で、(なんとなく、その方が現代的で格好がいいようだ、と感じているからで)、日本での英語教育に格別な使命感を抱いているわけでも、女も経済的に自立しなくちゃ、というふうに思想的に意気込んでいるわけでもないんだよね。それどころか、真紀は、僕がフィニックスにあるビジネス・スクールを修了して東京で(僕の父親がいう)〔そこそこの企業〕に就職したら、真紀に求婚し、(真紀自身が働きつづけるかどうかは別にして)ふつうよりはほんのちょっとはましでしっかりした暮らしを終世保証してくれるはずだ、と(こちらも、なんとなく)信じ込んでいるみたいなんだよね。


          ※


   そんなふうに思われていても、僕は、特に大きな負担だとは感じていなかった。


   というより、僕は、日本の女の子だったら、たいがいは似たように考えるだろうと思っていたし、MBAを取得しさえしたら、(就職の際には父親の助けがいりそうだけど)真紀に〔ふつうよりはほんのちょっとまし〕な将来を保証してやることが自分にもできるんじゃないかと、まあ、うぬぼれてもいたからね。


   だから、僕は、真紀が富や名声、地位、教育、身体・外見上の魅力などといったものを備えている人たちしか尊敬しない、というより、そんな人たちが多い環境で育ってきているから、そうじゃない人たちのことがあまり理解できない(つまり、そんなふうに〔無垢な〕)女の子だってことが分かってからも、危機感みたいなものは一度も抱いたことはなかった。だって…。


   いや、僕自身は、富や名声、地位などは当然持ち合わせていなかったし、これかも手に入れることはないだろうと感じていたけど、ほら、僕にはまだ〔教育〕が残っていたから…。MBAを取得すれば僕だっていまよりはちょっとはましになれるんじゃないか、と思えていたから…。


   真紀も、たぶん、そんなふうに考えていたはずだよ。


   そんな真紀にいきなり〈アリゾナには行かないことにしたよ〉なんていえば…。


          ※


   そこまで否定的に考えるのはやっぱり早すぎはしないかって?


   ほかにも選択肢がありはしないかって?ビジネス・スクールへの入学を一年間遅らせる、といったような選択肢が?


   〈一年間だけ、僕の好きにさせてくれないか、真紀。約束するよ。そのあとはちゃんとアリゾナに移って、猛烈に勉強して、できるだけ早くMBAを取って、日本に帰って、そして…〉みたいなことを真紀に言うことだってできるんじゃないかって?


   だめだよ、それは。


   そんなんじゃ状況がもっと悪くなるだけかもしれないじゃない。


   何より、来年の八月になったら、新聞社をちゃんとやめることができるわけ?いまとおなじように迷ったりは、絶対にしないわけ?


   そこだよね。…頭が痛いよ。


          ※


   真紀が僕のことを好きなんだったら…。僕がアリゾナ行きをやめれば、だから、フリーウェイを六時間も走りつづけなければたどり着けないようなところに行ってしまわなければ、つまり、ナショナル・ホリデイを加えて三日間になる〔ロング・ウィークエンド〕や春と夏の休み、クリスマス休暇にしか会えないなんてことにはならないんだから、真紀はかえって喜ぶんじゃないかって?


   違うんだよね。


   ほら、あの〔禁欲・精進〕事件。…そうなんだ。真紀は、どちらかというと、がまん強い女の子なんだ。僕がフィニックスに移ってしまえばもうまったく会えなくなる、という話だったら、たとえば、〈わたしも(フィニックス市のすぐ隣の市、テンピにある)アリゾナ州立大学に転校しようかな〉などといいだすといった具合に、ことは違って展開するかもしれないけども、ときどきは会える、というような状況には、あの子、けっこう耐えられるみたいなんだ。


   というより、真紀は、何かを果たすためには少しは何かに耐えなければならない、みたいに思い込んでいるようなところがあるんだよね。僕がアリゾナに行ってしまえば淋しくなる、だとか、そんなところには僕を行かせたくない、だとかいうふうには考えないようなんだよね。


   それに、真紀は、おカネに困る生活なんて考えてみたこともない子だから、経営の苦しい新聞社で働いて 〔清く美しく〕(実は、貧しく)生きる男なんかは、たぶん、初めから問題外。僕がロサンジェルスにとどまることになっても、MBAを取ろうという計画を捨てて、というんじゃ、あの子、喜んだりはしないはずだよ。


   じゃあ、その新聞社で働きながらそっちの勉強もすればいいじゃないかって?


   (あっさり一言でかたづけてしまうけど)無理だよ。…そんなこと、できっこないよ、僕には。


   そんな〔脳力〕と体力が僕に備わっているとは、とても思えないよ。


          ※


   そこでMBAコースを取ろうという大学の名前を僕がまだ口にしていないことからも想像できない?


   何をって?だから…。


   UCRのエクステンション・プログラムの進路相談サービスを通して願書を提出してあったいくつかの大学の中で、(テストと面接を受けさせてくれたのはほかにもう一校あったものの)僕を受け入れてくれたのは、結局、その大学だけだったんだよね。つまり、UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)なんかは難しすぎると分かっていたから、最初から外していたんだけど、日本でも名を知られている(と僕が思う)ロサンジェルス地域の大学にはみな、入学を断られてしまっているわけ、僕は。


   しかも、僕を受け入れてくれたそのビジネス・スクールの勉強にちゃんとついていけるかどうかだって、ほんとうをいうと、まだ怪しい。いや、いったん入学したあとは懸命にがんばるつもりではいるんだよ。だけど、ついていけるという自信が一〇〇パーセントあるわけじゃない。


   そんな具合だからね。たとえ、ロサンジェルス地域のどこかの大学院が僕を受け入れてくれたとしても、自分が勉強と仕事とを両立させられるとはとても思えないよ。


          ※


   ということで、結局、『南加日報』で働きつづけようかなんていうのは、真紀との関係を優先させて考えれば、ずいぶんばかげた考えなんだよね。


          ※


   それに、仮に働きつづけるとしての話だけど、ビザはどうするんだ?


   まず、第一に…。新聞社で、どころか、(数種のちょっとしたアルバイトを除けば)日本の実社会で働いたことのない僕に〔顕著な資格または能力を持っているワーカー〕に対して発行されることになっているHビザが取得できるはずはない。それははっきりしている。


   次には…。もっと重要なことだけど、一九八六年[移民手続改正法]が施行されてからは、法的に許可を受けていない外国人を雇用していることが知れれば雇用主も罰金を課せられるようになり、(以前は常套手段だった)〔いったん雇ったあと雇用主がスポンサーになり従業員に永住権を申請させる〕という(違法ではあったけれどもいちおう黙認されていた)道が事実上閉ざされてしまっている。…いや、移民局に知られないようにと願いながら(背に腹はかえられず、あえて)違法な雇用に踏み切る企業はあるんだけど、雇った従業員のスポンサーにはなかなかなりたがらない(そうだ)。それはそうだよね。だって、従業員の永住権申請書類にスポンサーとしてサインするのは、移民局に〔うちでは外国人を不法に雇っています〕とわざわざ知らせているようなものだからね。


   『南加日報』でもおなじだと思うよ。…何年間働きつづけたところで、僕はここではグリーンカード(永住権取得者に発行されるカード)を手に入れることなんかできないはずだよ。不法就労者でずっといつづけることになると思うよ。


          ※


   働き始めてからほんの数週間後にはもう僕にも分かるようになっていたことなんだけど、『南加日報』社は(僕に出している給料の額からも察することができるように)赤字つづきで、ちゃんとした報酬は出せないのに、日本語セクションでは、どうしても、〔かなりの英語力と日本語力を有し、日本と世界、アメリカ、カリフォルニア、ロサンジェルスの政治や経済、社会に関する相当の知識を持ち、さらには、地元日系・日本人コミュニティーに対して少なからず関心を抱いている、アメリカ国籍か合法的に働くことができるビザ(ふつうは永住ビザ)を取得している人物〕が必要だという、大きな矛盾に悩まされながらなんとか新聞を発行しつづけている、そんな企業なんだ。


   大きな矛盾?


   ああ、そうだよ。だって、そんな条件を備えている人物が、給料がたとえ一週三〇〇ドル、いや、四〇〇ドルに上がったところで、『南加日報』のために喜んで働くわけはないじゃない。そう思わない?そういう人物だったら、ちゃんとした企業で働けるだろうし、働けば、月額三、〇〇〇ドル、いや四、〇〇〇ドルを求めても高望みだとは思われないいんじゃない?


   で、現実に、『南加日報』が掲載した求人広告を見て面接を受けても、僕のほかにはだれも〈働かせてもらいましょう〉とは言ってこなかったんだよね。だからこそ、妥協策として、(〔かなりの〕にはほど遠く、ある程度の英語・日本語力があるだけだけども)とにかく給料の額に不平をいわなかった僕が(有効な〔学生ビザ〕を持っているから、万が一移民局に調査されるようなことがあっても言い逃れができるのではないか、という法的にはずいぶん危なっかしい解釈のもとに)急場しのぎとして雇われたんだよね。


   なんでそんな事情を知っているのかって?英語セクションで八年間ほどレイアウト(貼り込み)係をやっている(三十一歳の)前川さんが、そんな裏話を僕にしてくれたことがあるんだ。


           ※


   そういう状況だから、この新聞社の三代目オーナー社長のフレッド・イマムラさんも、日本語セクションの編集長の児島さんも、(僕が働くのは、結局は九月まで、という頭もあるから)自分たちの方からは僕のビザのことに触れたことはない。触れないで、成り行きまかせにしておこう、という考えのようだ。


   実は、働き始めてから一か月ほど過ぎたころに一度(軽い好奇心から)、グリーンカードはどうやったら入手できるのかを児島編集長にたずねたことがあるんだよ。編集長はずいぶん簡単そうに、こう答えたよ。


   「ここ何年間か、国務省が毎年、五万五千人に〔抽選〕で永住権を与えているから、それに応募して当たることだな。でなきゃ、アメリカ国籍か永住権を持っている女性と結婚するんだな。横田君、君は若くてちょっとは男前だから、あとの方法がましかもしれんな」


   その〔抽選〕永住権についてもう少し詳しく説明してもらったら、当選確率は数百分の一だとかいうことで、まともには当てにできないことが分かったし、僕には真紀がいるから、だれかと結婚してグリーンカードを手に入れるという方法もないんだ、と思ったけど、あのときは、ほら、僕の中で〔働きつづけようかな〕って考えはまだ育っていなかったから、まあ、そんなことはどうでもよかった。数か月あとになってそのことをまた(今度はけっこう真剣に)考えてみることになろうなんて…。


   いや、考えてみたところで、どうにもならないんだけどね。


          ※


   僕がなんとかしなきゃならないのは、真紀とビザのことだけじゃないんだよね。


   『南加日報』に残るとしたら、僕の両親にはどう説明すればいいんだろう?両親はいったいどんな反応を見せるんだろう?


          ※


   僕には姉と兄が一人ずついる。で、二人とも、いろんな面で、というより、実は、ほとんどすべての面で、僕よりは優れているから、両親の目はいつもそちらの方に向けられている…。


   実際、姉の緑は日本女子大出で、通産省に勤務している有望な若い公務員と結婚していて、来年(一九九六年)の早い時期に初めての子(つまり、両親にとっては初孫)を生むことになっているし、兄の孝は一橋(大学の経済学部)を出たあと三菱商事に入っていて、(そこで働く父の友人が父に話すところによれば)同期の社員の中では目立って優秀だといわれているらしい。…両親の目がそっちの方に向かうのは自然だろう?


   そういうのに比べて僕は、(やはり名を隠しておきたいような)二流の大学の経済学部(経営学科)を(卒業成績は悪くなかったものの)なんとなく出た、英語の適性がたまたまいくらかあったというだけの、親と親戚、世間の注目度が低い、そんな子なんだよね。


   だから、僕は、家族の中ではいまでも、(良くいえば)好きなことが一番やりやすい、気楽な子ではあるんだけど…。


          ※


   でも、僕には分かっていたよ。ほんとうは、両親は努めて僕に視線を向けないようにしてきたんだよね。僕に余計なプレッシャーをかけないようにね。


   二人は胸の中でずっと、〈等は努力が少し足りないだけで、やればできる子なのだ〉と思いつづけてきたんだ。見せかけよりはうんと僕に期待してきたんだ。


   そもそも、僕が〔等〕という名なのは、(ずいぶん当てつけの強い名じゃないか、と嫌った時期もあったけど)姉の緑と兄の孝に負けないで(賢い子に)育ってくれるように、と両親が願ってつけたからに違いないじゃない。その願いは密かにきょうまでつづいていると思うよ。だからこそ、ほら、アメリカに送り出す形で僕に、姉と兄に追いつくために、いわゆるセカンド・チャンスをくれもしたわけだ。


   〔トーフル〕(アメリカの大学への進学を望む外国人向けに実施される英語力テスト)で五七〇を超えることを目標にUCRで勉強していた僕が、その目標を初めの予定より一クォーター短い計二クォーターで達成した際に、(そのことを電話で知らせた僕に)僕がそれまで聞いたことがなかったような、心底から嬉しいといった声で「おめどう」と二人が交互に言ってくれたとき、改めてそう感じたよ。…だから、〈ああ、両親は僕のことをすっかりあきらめていたわけじゃなかったんだ。そうか、これは両親が僕に与えてくれた〔セカンド・チャンス〕だったんだな〉って。


   皮肉なことに、そんなふうに早く目標を達成していなきゃ、九月までの余った時間を『南加日報』で働きながら過ごそうなんて考えてはいなかったはずだから、僕はいまみたいにあれこれ思い悩むことにはなっていなかったわけだけど…。


          ※


   とにかく、そういう事情なんだから、アリゾナに行きもしないうちに僕が、MBAを取るのはよすことにした、なんて言いだせば、いったいどんなことになるやら。


   計画どおりにMBAが取得できなかったら、僕は、姉や兄よりは日当たりの悪い人生を送ることが決まったも同然だもんね。…ああ、両親は怒るよ。すごく落胆するよ。愛想を尽かすよ。愛想を尽かして、そうだな、何より先に、すぐに日本に引き揚げて来いっていうよ。そうさせようというんで、僕への送金をとめるはずだよ。


   恐ろしい筋書きだよ、これ。


          ※


   送金をとめられた、としての話だけど…。


   いまの一週間二〇〇ドルなんて給料で、僕はやっていけるんだろうか。


   一方で、このホテルに毎週六五ドルの部屋代を払いながら?


   残りの一三五ドルで、食べて着て?


   それに、去年の十一月に(勉学・生活費とは別枠で両親に送ってもらったカネで)買った一九九五年モデルの純白の[フォード・ムスタング]をちゃんと維持しながら?(僕は若いし、カリフォルニア州のライセンスを取ったばかりだったし、車種もスポーツタイプだったから、年間三、〇〇〇ドル近くになった)保険料や(日本の値段に比べればうんと安いけれども、生活空間が広く、動かなきゃならない距離も長いから、結局はけっこうな額になる)ガソリン代を払い、定期点検に出しながら?


          ※


   ついでに言っておくと、僕がこの(リトル東京のちょっと南、スタンフォード・アベニューのフォース・ストリートとフィフス・ストリートの中間にある)ちっぽけなホテル[エスメラルド]に住もうと決めた理由の一つは、この古い三階建てのホテルが、建物にすぐ隣接する、高いフェンスで囲まれた、監視カメラつきの客用駐車場を持っていたからなんだ。…だって、僕はあの[ムスタング]を自分の宝物だと思っていたし、いまもそう思っているからね。


   だから、あいつを手放さなきゃならなくなると…。


          ※


   それが〔理由の一つ〕ということなら、このホテルを選んだ理由はほかにもあるんだなって?


   ああ。…宿泊料が安い。それだね。


   いや、実際には、両親の配慮のおかげで、僕の銀行口座にはおカネがたくさん入っていたし、(いまもそうだけど)両親は僕への送金をつづけてくれていたわけだから、部屋代・家賃の高い、もっと安全な場所に住むことだってできたんだけど、あのときの僕はなぜか、自分が学生じゃないあいだは(できることなら)自分の収入だけでやってみよう、と決意しちゃったんだよね。


   一種の〔巣立ち願望〕だったんじゃないかな、あのあたりの僕の心の動き方は。…ずいぶん中途半端なものだったにしてもね。


   いや、いまでも中途半端のままだから、こんなふうにぐずぐず考えているわけなんだけど。


          ※


   そうそう、これも忘れるわけにはいかない。というより、一番大事なことかもしれない。…そんな収入で、いままでどおりに真紀とつきあっていけるんだろうか?


   できないよね。


   すき焼きの牛肉に何十ドルも平気で使ったことが、きっと、遠い昔の夢の栄華物語みたいに思えるようになるはずだよ。週末のリバーサイド通いはつづけるだろうけど、ガソリン代なんかをできるだけ節約しようというので、ラスベガスだとかグランドキャニオンだとかへの長距離ドライブはしだいに避けたがるようになるはずだよ。


   なんだか、ぱっとしない未来像だね。


          ※


   というわけで、初めの計画を放り出して『南加日報』で働きつづけるとなると、(さっき言ったように)両親は僕への送金をとめるだろうから、僕の将来は経済的に途方もないほど暗いものになるわけだ。…たぶん、真紀との関係がつづけられなくなるぐらいに。


          ※


   いや、だからこそ、ここは慎重にことを考えなきゃならないんだ。…そうなんだ。


   おおげさに聞こえるかもしれないけど、僕はいま、人生の岐路に立っているんだから。これは、僕の人生の、最初で最大のターニング・ポイントなんだから。


          ※


   というふうに少し気負いこみながら、僕は今夜、唐突に、こんなふうに日記をつけ始めた。…というか、先でちゃんとした文章にするつもりで、(急きょ買い求めた)小型テープレコーダーに向かって、言ってみれば、声のメモを取り始めたわけだ。…書いたものにしておけば、(僕が適当だと思う部分を)真紀(それに、もし必要なら、両親)に読んでもらえるし、読んでもらえば、(最後に僕がどう決意するにしろ)僕の心の動きを理解してもらいやすいだろう、と思ったからね。


   三月からこれまでに僕の周辺で起こった、いまでも起こりつづけている、さまざまな出来事を(真紀と会うことに決めている週末の二日間は無理だろうけど)毎晩こんなふうに振り返りながら、これからどんなふうに生きていくのがいいかについて、きょうからしばらく、僕はじっくりと考えてみるつもりだ。


   フィニックスに移動することにしていた日まで、あと四週間あまり。


   『南加日報』をやめるとしたら、その意思を児島編集長に伝えなきゃならない日まで、二週間とちょっと。


   -


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