第4話

 僕のしがない木造のアパートの前に、新品の真っ白なレクサスが意気揚々と幅を利かせて止まっていた。高給取りの証券会社に勤めるサラリーマンが着る目の覚めるような白いシャツを着たような車の中から、馴染みの楽天的なだらしない表情が現れたとき、僕は心の底からほっとした。犬は無地の白いTシャツに花柄の水着みたいなハーフパンツを履き、足元は丁寧に編みこまれた白いサンダルだった。かけていた大きなサングラスを外すと、乗れよと合図した。


 僕は助手席に座り、シートベルトをしてシートを限界まで倒した。寝そべるような体勢で広い車内を眺めた。見事な車だった。ドアもハンドルも革のシートもアクセサリーも、冷房の風すら見事に感じられた。


「こんな高級車どうしたんだ?」


 犬は車を発進させた。


「買ったんだよ。今トヨタを買わないでどうする。もしGMなんかを買おうとしている奴がいたらただの馬鹿だし、売国奴だ。そんな奴ら日本人じゃないよ。日本人なら今こそトヨタを買ってJALに乗らなきゃ」


 出会った頃から変なところで愛国心のある男だった。その癖、戦争になったら真っ先に国外に逃亡するだろうというのが、僕の見立てだった。


「前の車はどうした?」

「売っぱらってやったよ。外車になんて乗っていられるか。今日がお披露目なんだ。だから誘った」

「光栄だね。でも何人もいるガールフレンドに悪いんじゃないか?」

「女の話なんてやめろよ」


 犬はハンドルから手を離して講義するように大きく手を振った。僕は倒していたシートを戻して万が一に備えることにした。愛国心以上に運転の信じられない男だったからだ。


「何で俺がいつも無地の白いシャツを着ているか分かるか?」


 考えてそう言えばと思ったが、僕は首を横にふり分からないと言った。


「あいつらは、みんなこのシャツの柄なんだよ。それ以上でも以下でもない。俺はシャツの柄を選ぶ感覚で女を連れて歩いるだけなんだ」

「本気になったことはないのか?」

「あるよ」


 そこで犬は顔を歪ませた、まるで自分が許せないとでも言うように、後悔の念がにじみ出ていた。


「何度も本気になった。だけど全部幻だったんだ。結局、何も残らないで終わってしまったよ。女に本気になったことあるかい?」

「どうだろう」

「らしい答えだ」


 犬は笑った。それ以上女の話はしなかった。車内では犬の大好きなアメリカのバンド「ザ・ライフ・ライン」の曲が流れていた。もう随分な付き合いになるが、犬がこのバンド以外の曲を聴いているところを見たことがなった。


 アメリカのベトナム戦争時代にデビューした四人組のバンドで、サマー・オブ・ラブなんかにも参加していたバンドだった。メジャーに押し上がる前に不運な出来事で解散してしまっていたから、アルバムは一枚しか世に出ていない。

 しかし、もし不運な出来事でバンドが解散していなければ、間違いなくアメリカでナンバーワンのバンドになっていたと、犬は何度も熱弁した。唯一世に出ることになった事実上のベストアルバム「ライフ・イズ」は、今でも熱狂的なファンがついていて、今日まで売り上げを伸ばし続けていた。


「俺は今でも思っているんだよ。こいつらがちゃんと世に出ていたら、間違いなくあのくそったれのアメリカって国は変わっていたってね。でも、アメリカの政府のくそ野郎の白豚どもは、そんな偉大なるバンドを殺しちまったんだ」


「ザ・ライフ・ライン」を解散に導いた不運な出来事は、確かにいわくつきの出来事だった。警察当局の公式発表では、彼らが乗っていたバンが何もない路上で突然スリップして炎上、しかし目撃者の証言では、車が突如爆発したと言う。その証言者はその後に、これまた不運で事故で死亡している。確かにアメリカ的な話で、ちょっとしたゴシップ話だった。犬はそのアメリカ政府の陰謀論を頑なに信じていた。

 余談だが、これを書いている今現在ですら、その真相は明らかになっていない。そして一つだけ間違いのないことがある。この「ザ・ライフ・ライン」ってバンドが本物ってことだ。未だに売り上げを伸ばしているし、アメリカの後世に影響を与えた偉大なバンド十組にランクインしたこともある。犬の言っていることは、その点においては間違っていなかった。


 真っ直ぐに国道を走っていく車内では、犬の一番お気に入りの曲、「ライフ・ゴーズ・オン」が流れ始めた。ポップでキャッチーなメロディに合わせて、ボーカルのモンロー・ウォークがぶっ飛んだイカれた感じに声を上げる。決して演奏が上手いわけでも、歌が飛びぬけて上手いわけでもない。それでもこの曲には、人の心を引き付ける何かがあった。この曲の和訳を犬に教えて貰ったことがある。英語が分からないわけじゃないけど、このボーカルの歌い方は独特で、ぶっちゃけた所、何を言っているのかさっぱり分からない。

 サビの部分で、「人生は続いていくのさ、嫌でもね」と、何度も繰り返している以外は、本当にさっぱりだった。しかし和訳をもらっても同じで、歌詞を読んでも言いたいことはさっぱりだった。歌詞の内容を少しだけ紹介しておく。



 凄くハイな気分なんだ。別に葉っぱを吸っている訳じゃないぜ。でもとにかくハイなんだ。だって可愛い女の子が幸せそうな顔でアイスクリームを舐めながら歩いていたんだぜ。


 金持ちの糞野郎と金髪の白豚どもが世界にバターとケチャップをかけまくっておいしく戴こうとしている。だから俺は言ってやったんだ。それ以上太ってどうするんだって。


 俺達は何だってできるんだ。平和も戦争も選ぶのは俺達次第なん。愛こそが全てじゃないけど、人生は続いてくんだ。嫌でもね。



 歌詞が優れているかどうかはおいておくとして、この曲の優れたところはモンロー・ウォークがサビの部分をワンフレーズ歌ってしまえば、次は自分も口ずさんでいるって点なんだと僕は思う。僕でさえ知らぬ間に「人生は続いていくのさ、嫌でもね」と口ずさんでいたくらいだ。この曲には人の心を一つに纏める力を持っていた。



 人生は続いていくのさ、嫌でもね。



 何度もそうリフレインしながら車は前へ前へと進んで行く。しがらみを振り切るように、自由を求めるように、スピードはぐんぐん伸びていった。音楽は最後にモンロー・ウォークが「立ち止まるな」と叫んで終わった。車は立ち止まることなくスピードを上げて進んでいった。


 それから十五分後には、白バイに捕まって切符を切られていた。

 僕が肩をすくめると、彼は博愛主義者のような穏やかな笑顔を浮かべてこう言った。


「人生は続いていくのさ、嫌でもね」

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