第17話 迷宮の罠

「あなた、本当にお身体をもっと鍛えませんと、大王さまの下僕として用をなしませんですわよっ」


 シミョウはオボロを引きずりながら振り返り、怒鳴った。

 二人は一階のフロアを、積まれた資材の間を跳ぶように走っている。

 夜目が利くのか、シミョウは障害物をうまく避けて行く。しかし、手を引くオボロのことはまったくお構いなしのため、角材や積まれたポールの角が何度もオボロの身体を襲う。

 オボロは悲鳴を上げながら、ぶつけた箇所を診ることもかなわず無理やり走らされている。


 一晩のうちで、こんなに走った記憶はとんとなく、オボロの肺は焼けつきそうになっていた。

大量の酸素を欲しているのか、大きく口を開け、さかんに呼吸を繰り返す。


「こんなだらしのない殿方を召し抱えるとおっしゃる大王さまは、やはりできたお方ですわ。

 ヒトさまの未来を占うだなんて、詐欺まがいの生業なりわいを自慢げに吹聴して。

 閻魔帳えんまちょうもこのところ、少々甘いですわねっ。

 帰ったらシロクに頼んで、もっと正確かつ詳細な経歴を入れられるようにバージョンアップをしてもらいますわ」


「も、もう、好きにしていいから、休憩しよ。ねっ、ねっ」


 オボロは息も絶え絶えに申し出るが、あっさりと却下される。


「ジョーダンではありません!

 あるじの一大事、家臣である私たちが駆け付けないでどうするのですか。

 亡者はともかく、あの常夜とこよから現れた怪人はただ者ではないのです」


「と、と、トコヨって、いったい何なんだ?」


 ここにいたっても知識欲旺盛なオボロは、風を切って走るシミョウの長い髪に顔をなでられながら問うた。


「常夜、読んで字のごとく、永久に明けない夜のみの世界。

 異人たちの魂が彷徨さまよう世界。

 その世界に比べたら、地獄なんて、かわいい遊園地ですわ」


「ちょっと想像つかないけど。

 でもその異人たちって、大勢いるのかな」


 シミョウはちらっとオボロを振り返る。


「さあ、私ではわかりかねますわ。

 常夜については、十王じゅうおうさま方のみが把握されておりますゆえ。

 言えることは、あなたさまが間違っても行く世界ではありませんってことですわ。

 なにせ、言葉巧みにヒトさまを煙に巻いて、小金をかすめ取るだけのケチ臭いご商売でいらっしゃいますからして。オホホホッ」


 そういうアンタの主だって、食い意地の張っただけの、亡者から逃げ去ってしまう大王じゃないか! と言い返す気力体力もなく、オボロはもつれる足をひたすら動かすのみであった。


 二人はひた走る。


 オボロはヒーヒーとあえぎながらも、ある違和感に気がついた。

 このビルって、そんなに広いのかな――であった。


 相変わらず薄暗い照明の中、障害物を避けながらの走行ではあるが、いっこうに風景が変わっていないように感じるのだ。

 その場で足踏みをしているなんてことは、考えられない。

 正確に時計を確認しながら走っているわけではないが、それにしてもおかしいと思う。


「シミョウさんっ」


「なんざましょ」


「私たちはどこを走っているのか、わかる?」


「どこって、ここでございますでしょーに」


「いや、そうじゃなくて。このビルのフロア面積って、ちと広すぎやしないかい?」


「はあっ?」


 オボロの前を駆けるシミョウは片眉を上げた表情で、睨んでくる。


「あれだけ走ったのなら、もうとっくにビルの突き当りについていてもおかしくない」


 シミョウは素早く周囲を見回し、キキーッとブレーキを踏むように止まった。

 オボロは荒い息をついたまま、その場にしゃがみこんだ。


「たしかに、おかしいですわね。

 主を救出することで頭がいっぱいでしたが、あらためて言われると、そうですわ」


 胸元で腕を組み、壁や柱を観察する。


「面妖な事態ですわ」


「エンマさんやサクラが逃げ回っている声も音も、ほら、なにも聴こえなくないかい?」


 二人は口を閉じ、耳を澄ませる。

 ビルの外部の喧噪が雑音として聴こえるが、それだけである。

 シミョウはバッグからタブレットを取り出すと、何やら操作し始めた。


「それは?」


 オボロの問いに、画面から目をそらせずに答える。


「亡者追尾用の探査アプリ、とでも申しましょうか。

 それに大王さまは、たまーに迷子におなりあそばしますゆえ、シロクに頼んで大王さまも追跡できるように改良しておりますの。あっ、このことは大王さまにはご内密に。

 配下にいらぬ心配をかけると、心優しい大王さまがお嘆きになりますから」


 それはエンマが勝手にアンタから逃げられないように、首に鈴をつけていたいだけなのだろう、とは言葉に出さず、オボロは黙ってうなずいた。


「あらぁ、おかしいですわよ、これは」


「どうしたの?」


 シミョウはオボロに言った。


「大王さまも、亡者も、この建物の中にいるのは間違いないのです」


「でもそれならサクラも一緒だろうから、あの子の嬉しそうな笑い声が響き渡っていてもおかしくはないのだが」


「そうですわねえ」


 シミョウはタブレットの画面から、視線を周囲に向けた。


「もしかすると私たちは、のかもしれませんわ」


 オボロはその意見に賛成した。


「あの天草あまくさとかいう怨霊が、なんぞこのビルに仕掛けたとかは考えられないかな。

 私たちはこの一階のフロアを、堂々巡りさせられていると思うんだけどね」


「なーるほど。

 姑息な手段を使う怪人には、卑劣な感性の持ち主でなければ対応できませんわ。

 やはりあなたさまを下僕に選んで、正解であった、ということですわね」


「その物言いは、まるで私が下賤な人間みたいに聞こえるのだが」


 シミョウは見下すような視線を向ける。


「いまさら何をおっしゃるのやら。閻魔帳で、すでに確認済みの事項ですわよ。

 それよりも、早くこの迷宮を脱しませんことには先に進めませんわ」


 オボロは大きくため息をつきながら、下唇を突き出す。


「そんな言い方されると、さすがの私でもムカつくんだけど」


 言い終わらないうちに、シミョウはタブレットを操作し、画面をオボロに見せた。

 そこには自宅マンションで土下座し、何でも言うことをききます、というオボロのあられもない姿が音声付で映しだされている。


「わかった、わかりました! 私は忠実な家来でございます!

 チッ、死ぬまでこき使われる運命か、私は」


 舌打ちをしたものの、やはりサクラの身が心配なオボロは、しゃがんだまま自分のバッグを開けた。

 オボロはその中から、三十センチ四方の木板を取り出した。木板の表には中心に方位磁石が取り付けられており、それを囲むように金色で円が枠いっぱいに描かれている。


その円にはさらに中心に向かっていくつもの円が描かれてあり、直線によって細かく仕切られていた。仕切りの枠の中には、十干じゅっかん十二支じゅうにしを組み合わせた文字が筆文字で書かれていた。

十干とは、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、葵、の十種であり、十二支は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の十二種のことである。これを組み合わせて六十を周期とする数詞を作るのだ。


「また怪しげな代物で、何かおっぱじめるおつもりかしら」


 シミョウの問いかけに、オボロはちらりと視線を送る。


「これは、風水ふうすいで使用する方位盤さ。

 風水は土地や水脈を観て吉凶を占うのだけど、それを使ってみるさ」


「どういたしますの?」


「私がこの場所から、どちらに行くべきなのかを観るのさ」


 シミョウは疑惑に眉を寄せて、オボロの顔を覗き込んだ。


つづく

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