第12話 現れた少年

「ひいっひいーっ、少し休憩しようよー!」


 オボロはあえぎながら、叫ぶ。

 心臓はバクバクと脈打ち、肺は大量の酸素を吸いこもうとしている。

 走るという行為の記憶は、もう何年もない。

 N市内の街中を駆ける、三人と一匹。


「わっはっはっはっ、情けないなあ、これくらいで。

 オボロよ、そんなんでは私の手助けはできないぜー」


「ホントでございますわあ。

 普段から悪巧みしか考えていない御仁ごじんですからして、いわゆる運動不足に陥ってるのですわね」


 エンマとシミョウは軽やかな足取りで、ジンタに先導されている。


「好き勝手なことをいってら。まあ、運動不足は認めるけどさ」


 ジンタは瞬時にサクラのにおいを感知するのか、迷うことなくビルの谷間をひた走る。

 一行はセントラルパークを抜け、表通りから奥へ走っていく。

 工事中の防音幕の張られた、三階建てビルの前で止まった。

 大手スーパーマーケットが建つようだ。流行のショッピングモールである。

 ジンタは、ハアハアと舌を出しながら三人を見上げている。

 エンマはビルを睨んだ。


「ふーむ、どうやらこの中にいるようだな」


 ジーッジーッ、とバイブレーターの音が、シミョウのタスキ掛けした真っ赤なショルダーバッグの中から聞こえた。

 シミョウはタブレットを取り出す。


「アッ、大王さま! なぜか突然、亡者の所在感知ができましたわ」


「なに、壊れていたんじゃなかったのか」


 エンマはタブレットをのぞきこんだ。

 オボロは膝に両手をのせて、口を開くのもままならぬ格好で、ぜえぜえ、と肩で息をしている。

 シミョウは指先で画面をスワイプする。


「こ、これは!」


「やはり、壊れているのか?」


 キッと視線をビルに向け、シミョウは指さした。


「大王さま、追跡中の亡者は、このビルディングの中でございます」


「どういうことなんだ、私にも説明してくれよ」


 オボロは汗を浮かべた顔を上げた。


「なんだ、意外に頭が悪いなオボロ。もっとたんぱく質を摂取せねば、だめだぜ。

 そうだ、すき焼きなんてどうだい? 松坂牛まつざかうしのさ。美味しいだろうなあ」


 ヨダレをたらしそうなエンマを横目に、シミョウが継いだ。


「この霊獣れいじゅうのご主人と、私たちが捜索している脱獄犯が、この中にいるってことでございますわ」


「いっしょに? なんで? どういうことなのか、さっぱりわからない」


「えーい、ごちゃごちゃとうるさい! とにかく乗り込みますわよ」


 シミョウはタブレットをバッグに入れると、おもむろに目の前の黄色い鉄柵に手をかけた。


「フンッ!」


 気合と共に、ダンボール紙を破るように鉄柵を両手で引き裂いていくのであった。

 エンマは見慣れた光景なのか、口元に笑みを浮かべて両手を腰にあてている。


「ば、化け物ッ」


 オボロはいまさらながら、シミョウの超怪力にあんぐりと口を開けた。

 三人と一匹は、破られた鉄柵の中へ入っていく。

 建築資材らしい鉄筋の束や、足場を組む鉄板がそこかしこに積まれている。

 柵の内側は、張られた電線から一定間隔でつりさげられた電球のみだ。それでも周囲のビルからもれる明かりで、視覚を奪われるほどではなかった。


「キャーッ!」


 暗いコンクリートの壁の向こうから、甲高い少女の叫び声がオボロの耳に響いた。


「あの、声はサクラか――」


 オボロはコンクリートの壁に張り付いた。


「どこか、入口を探さないと」


 エンマたちを振り返ったときだ。

 シミョウがせーの、と掛け声をあげながら拳を振り上げているのを見た。


「エエッ! いくらなんでもっ」


 そう言おうと口を開いた。

 ドッガーンンンッ、と、まるでダイナマイトを仕掛けたような轟音と共にコンクリートの破片と粉じんが舞いあがったのである。


「あ、あっぶないー!」


 オボロは寸でのところで床に転がる。

 エンマとジンタは事前に察知し、数メートル離れた位置に立っていた。


「ほほう、さすがシミョウ。大したもんだなあ」


「まあ、大王さまにお褒めのお言葉をいただけるなんて、シミョウは嬉しゅうございますわ。

 オホホホホッ」


 オボロはハットや上着に散ったコンクリート片を払いながら、シミョウの開けた穴へ飛び込んだ。


「サクラーッ! どこだあ」


 裸電球がいくつか光り、ビルの中をぼんやり浮かび上がらせている。

 オボロの横を、一陣の風が通り過ぎる。

 ジンタが飛び込んできたのだ。

 ジンタは一直線に、闇の中へ向かって駆けていく。


「そっちか!」


 オボロも走り出した。

 ビルの一階はまだコンクリートを打ったばかりのようで、柱や工事用のさまざまな道具が置かれている。裸電球の灯りだけでは全体を見渡すことができないため、オボロの速度は自然と遅くなってしまう。


「サクラー! 返事をしてくれえ! 私だ、オボロだっ」


 オボロのサングラスに、コンクリートの柱を背にしたサクラが写った。

 その足元には、小さなジンタが牙を向き前方を睨んでいる。

 サクラ、と叫ぼうとしたとき、暗がりの中から奇妙な影がのそりと現れた。

 それはオボロが度々古い文献で目にしたことがある、亡者そのものであった。


「ま、まさか、本当にこの世に現れていたのかっ」


 亡者はヌメリとした赤黒い焼けただれた肌であり、枯れた木の枝のような両腕を持ち上げた。


「サクラッ! 逃げろっ」


 オボロは声をふりしぼるように叫んだ。

 サクラの顔がゆっくりとオボロを見る。


「――?」


 オボロは叫んだ姿勢のまま、サクラの顔が恐怖ではなく、満面の笑みを浮かべていることに気が付いた。

 サクラは柱を背にし、左足をじりじりと動かす。


「あなたも遊びにきてくれたのねえ。いまこのヒトとオニごっこしてるの。

 楽しいわよーっ」


 サクラの身体がふいに左足の方向へ向き、走り出した。

 亡者は不気味な咆哮を上げながら、飛びかかる。


「キャーッ、捕まらないわよー!」


 嬉しそうにサクラはパタパタと走って、奥へ逃げていく。

 亡者はきびすをかえして、追いかけて始めた。


「え、えーっと」


 オボロの聞いたサクラの声は、恐怖の叫び声ではなく、楽しげな嬌声であったのだ。


「おお、やっと発見したぞ」


 後方から、のんびりとしたエンマの声が聞こえる。


「それでは、ちゃっちゃっと逮捕して、地獄へ強制連行いたしますわ」


 続いてシミョウの声が重なった。

 シミョウはバッグから拘束用と思われる、しなやかな革製の赤いロープを取り出した。

 三人の目の前を、暗闇の奥からジンタをつれたサクラが現れ、笑顔で走り過ぎていく。

 その後ろから、亡者が追いかけてきた。


「はい、そこまでっ」


 シミョウは亡者の顔に、強烈なウエスタンラリアットをくらわす。

 カウンターで決まった。

 ボギュッ、という音とともに、亡者の首が九十度に折れた。

 シミョウの手から赤いロープが伸び、大蛇のように亡者に巻きついていく。


「やれやれ、やっと捕まえたっと」


 エンマは長い脚をあげ、かかとから亡者の顔面を踏みつぶす。


「そんなことしたら、死んじゃう……死んでるか」


 オボロの声に、エンマは初めて残忍な目つきで振り返った。


「脱獄犯には、それはそれは楽しい地獄が待ってるんだぜえ。

 しかもこいつは人を喰らったからよう。未来永劫、その罪を懺悔ざんげさせてやるよ」


 オボロは絶対に悪いことには手をださないと、固く誓ったのである。

 走りすぎて行ったサクラがジンタとともに、同じ速度でもどってきた。


「あらあ、そのヒト捕まえちゃったのかな。わたしがオニで逃げていたのに」


 オボロは背をかがめ、ほっとため息をつきながらサクラの顔を正面から見た。


「無事で良かった。心配したんだよ、サクラちゃん」


 サクラはきょとんとした表情で、人差指で口元をさわる。


「心配? どうしてかなあ。

 わたしは緑色のおにいさんに誘われて、ここまで来たみたいなのだけど。そしたら、このグルグル巻きのヒトがオニごっこしようって、遊んでくれていたんだよ。

 そうそう、ジンタが見当たらなくて、心配はしてたんだけど、遊ぶのに夢中になっちゃって」


 てへへっと舌を出しながら、サクラは膝を曲げてジンタの頭をなでた。

 オボロは、エンマとシミョウを振り返る。


「緑色のおにいさんってえのは、誰なの」


 エンマは腕を組んで、首をかしげた。


「はて、思い当たる節はないなあ。シミョウはご存知かい、グリーン・ブラザーって」


「いいえ、存じ上げませんですわ、大王さま。

 今回の亡者脱走につきましては、姉のシロクより連絡がありましたが、そのようなおにいさんについては、何も言ってはおりませんでしたですわ」


 シミョウは言いながら、むき出しのコンクリートの上で拘束されている亡者を見下ろす。

 赤いロープはどんな繊維でできているのか、亡者の全身を包みこんでいた。時折、ピクピクと動くさまは、なにやら真っ赤な巨大芋虫のようで、オボロは思わず鳥肌をたてていた。


「みんな、知らないの? ほら、あそこで手を振っているおにいさんよ」


 サクラはニコニコと笑いながら、オボロたちの背後を指差した。

 三人はいっせいに顔を向ける。


 コンクリートの柱が、奥に向かって並んでいる。つり下げられた電球では見通すことはできない。十メートルほど先の柱の横に、白い顔が浮かんでいるのを発見した。

 マントをはおっているようであるが、暗がりのためによく見えない。白い顔の横で、同じく白いてのひらがゆっくりと振られている。


「誰だっ」


 オボロは誰何した。

 どうやら少年のようだが前髪を下ろした顔は、幼さの下に得体の知れぬ怖さが見え隠れしている。

 距離があり、照明が心もとないこともあるが、オボロは瞬間的に顔相を観た。


(意志が強く、己を貫き通す頑固さがあるが、非常にカリスマ性が強い。先導者としての類まれな資質を持っており、百年に一度出るかどうかの天才……

 だけど、あの瞳の輝き方は尋常じゃない)


「うむむっ?」


 腕を組んでいたエンマは、奇妙な声を上げた。隣に立つシミョウも、のほほんとしていた目に真剣味が入りだした。

 オボロは油断なく少年を見つめる。

 やおら少年は口を開いた。


「なんだ、せっかく実験しようと思っていたのにな。

 でも、少し趣旨を変えることにしようか。

 うふふ、素敵な夜を迎えることができそうだよ。だって、神は捕まえたし、そのうえ閻魔大王えんまだいおうまでじきじきに登場してくれるなんて。

 ねえ、エンマさん」


 少年はくったくのない笑顔で、首をかたむけた。


つづく

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