月の女皇帝 - All the worlds

 足音は勢い良く壁の向こうから近付いてきた。


 15時。

 扉が開く。シンは一旦キーボードを叩く手を止め、そちらを振り返った。

「おはようございます」

 返ってきた不機嫌そうな挨拶にも動じず、そのまま仕事を再開する。

「何かあったか」

 緩んでいたネクタイを解きながらクレイグは訊いた。

 午前に表の顔であるところの警備会社にて役員会議が催され、開放された時にはもう14時を過ぎていた。

「報告書が3通届いています。今日は午後からと伺っていましたので至急のものに関してはご自宅の端末に電子データとして送付してありますが」

「──俺、昨日は家に戻ってないから」

 悪びれない返事にシンは溜息をついて、端末脇から薄いケースにはさんだ書類を取り出す。

「……かも知れないと思いまして、コピーは取っておいてあります」

「助かる」

 クレイグはケースを受け取り、ぱっと目を通して再び書類をしまい込んだ。

 その様子を横目で見ながら、シンは溜息を吐く。

「無断外泊は業務に差し支えない程度にして下さい」

「ガキじゃあるまいし勤務時間外は俺の勝手だろう。……着替えてくる」

 クレイグは足早に部屋を出て行った。

 しばらく後再び扉が開き、ミューラーがクレイグの去った方向の廊下を覗きながら入ってきた。

「到着したのか、あいつ」

「いつも通りみたいです」

 無愛想に答えるシンに苦笑をこぼす。

「……隊長のことは尊敬していますが、あれだけは理解できません」

「まぁそんなにカリカリするな。婚約者一筋のお前には分かりづらいだろうが」

 コーヒーサーバーのポットを手に取り、ミューラーはプラスチックのカップを手に取った。

「私のことはどうでもいいでしょう」

 メガネを中指で軽く持ち上げ、シンは素っ気無く言い放つ。

 無愛想だった表情は不機嫌に移行した。

「まぁそうムキになるな」

 ミューラーはカップに注いだコーヒーをシンのデスクに置き、新たに自分のコーヒーを注ぐ。

 シンは『どうも』と呟き、画面を切り替え入力中のデータを保存した。

「──あれはあれで、それなりに一途な部分があるんだがな」

「隊長がですか」

 怪訝そうな顔でシンが問い返し、そのままコーヒーに口をつける。

「……たまに勤務時間外に姿を見かけますが、連れている女性、そのたびに違いますよ」

「言うな、お前」

 苦笑いの表情を崩さず、ミューラーはコーヒーを一口含んだ。

「……本命がいてな。もう10年越しになるか……」

「……」

「嫌われている訳じゃないようだが、どうなることやら」

 シンは黙り込んだが、やがてぽつりと言った。

「詳しいですね」

「大学からの腐れ縁だからな」

 シンは飲みかけのコーヒーをデスクに置いた。

「──前々から不思議に思ってることがあるんですが」

 ミューラーが表情で続きを促す。

「ミューラーさんも隊長も、国立大学卒ですよね」

「ん」

 迷いを含んだ表情でシンが問いを口にする。

「……軍人を生業にする必要なんてなかったでしょうに」

「それを言ったら、華僑の坊ちゃんであるお前が軍人を選ぶ理由もあるまい」

 切り替えされた言葉にシンは途惑いの色を深める。

「それはそうですが」

 小さな音が鳴った。

 シンは端末に視線を戻し、タスクを切り替え──

「来た」

 静かに呟いた。

「読み通りだな」

「ええ」

 表示された本文を選択し、印刷をかける。

 シンは半分残っていたコーヒーを一気に喉に流し込むとカップをデスク脇のごみ箱に落とし、立ち上がって出力された紙を手に取った。

 背後から扉の開閉音がする。

「──来たか」

 私服に着替えたクレイグが部屋に入ってくる。

「はい。想定落下地点より少々離れましたが、許容範囲内です」

 クレイグは出力されたばかりの書類を受け取り、目を通した。

「まあまあだな」

「ああ。──いるか?」

 ミューラーがプラスチックのカップを指差して問う。クレイグは手を軽く横に振る。

「自分で淹れるからいい」

 そう言いながら、そのまま薬缶をコンロにかけた。

「贅沢な奴だな」

「都会にいるときくらい好きなものを飲ませてくれ」

 クレイグは自分の椅子に掛け、机の上に重ねられた書類に目を通していく。

「……で。回収にいくんだろ」

「ああ。ここからが肝心だからな」

 ミューラーの言葉に、書類から目を離さぬまま答える。

「ここであれを奪い返されたら、元も子もない。──シン」

「はい」

「俺とミューラーは今晩現場まで移動する。そのまま明日の朝からサルベージ作業に入る。調整を頼む」

「はい」

 簡潔な返事をして、シンは端末のキーボードを叩き始めた。

「──いよいよ、エンプレスに謁見できるって訳だな」

「……『エンプレス』?」

 シンが手を止めて聞き返す。

「それっぽいだろ。地球上に存在する『月の石』の中では最も大きいんだしな」

「……女性か。お前らしい命名だ」

「抜かせ」

 場に生まれた苦笑を、PnRCの着信音が遮った。

 シンが素早く内容をチェックする。

「──あ」

「何だ」

 湯気を立て始めた薬缶の火を止め、クレイグが聞き返した。

「例の『魔法遣い』が博士の許に現れたそうです」

 持ち上げた薬缶を一旦コンロの上に戻す。

「……で?」

「部屋で交わされた会話のサンプリングデータが録れたようなんですが──聴きますか?」

 すぐに返事はしなかった。

 スプーンで紅茶の缶の蓋を開け、ポットに茶葉を落とす。改めて薬缶を手にとり、湯をポットに注いだ。

 茶葉が落ちるのを待ち……最後にポットの中をさっとスプーンでかき回し、蓋をする。

 軽やかに鳴った音は、そのポットが本当の白磁であることを証明していた。


 ……またか。

 ティーカップに茶を注ぎながら、クレイグは考え込む。

 博士の身柄を移送した先──SCの首都にあるホテルは、国賓をも取り扱う建物だ。警備の重厚さは、先だっての隠れ部屋の比ではない。


 無言でミューラーとシンにも紅茶を配り、自分の分をデスクに置くとクレイグは椅子に着いた。

「音声データ、よこせ」

 了解の言葉を返すと、シンはキーボードに向かう。

 クレイグは机の隅に転がしてあったヘッドフォンを拾うと、プラグを端末の出力に差し込んだ。

 ヘッドフォンを装着し、転送されたデータの再生を開始すると──そのまま腕を組んで椅子に沈み込み、軽く目を閉じた。


『……あれから、どのくらい経ったかな』

 うっすら漂うノイズの中、初老の男性の声が会話の口火を切った。



   ***



「あれから、どのくらい経ったかな。──アルフレート君」

「8年……になったと思います」

 完全に窓を封鎖されたその部屋で、青年は初老の男性の言葉に応えた。

「あの連中が本当に君を見つけ出してくるとは思わなかった」

 青年──アルフレッド=ジーリングは軽く組んだ指を膝に乗せ、長椅子に座っている。

「……だが、私が不可能と思っていた願いがこうして叶えられたのだ──これは、この道を選べという神の思し召しなのかも知れん」

「──教授(せんせい)は」

 躊躇いがちに、青年は言葉を紡いだ。

「教授は、私のことを赦されないと思っていました」

 初老の男はふっと微笑う。

「……その呼び方はやめてくれたまえ。今の私はカウフマンという名の一研究者に過ぎん」

「しかし……今も大事な恩師であることに変わりはありません」

 生真面目な返事に、笑みが苦笑に変わる。

「エミリ=タッカーは……」

 その名前がカウフマンの口から出た途端、ジーリングの表情が曇る。

「先にいきました」

「そうか」

 カウフマンは一人掛けのソファに腰を下ろし、背もたれに身体を預けた。

「大体の処は風の噂で聴こえてきてはいたが」

 沈黙がたゆたう。

 カウフマンはうつむいたまま顔を上げずにいるジーリングをじっと見つめ──言葉を続けた。

「……確かに、あの時私は『人が不死を得るなどただの傲慢に過ぎん』──そう言った」

「……」

 カウフマンは軽く息を吐く。

「その考えは今も変わらん。君があの計画の検体として参加すると知ったときにはそれなりの疑問も抱いた。だが……人の生き方を縛る権利は私にはない」

「……教授」

「ただ、これは──私が君の師になった、という感情から出てくる勝手なものに過ぎんのだが──少なくとも、君の背中を気にかけていた人間がいる……それだけは、覚えていて欲しい」

 ジーリングは、軽く笑みを浮かべた。

「──はい」



   ***



 ──音声が途切れる。

 クレイグは音声ファイルを閉じると大きく息を吐き、外したヘッドフォンを軽く机に放り投げた。

 少し冷めてしまった紅茶に口をつける。

「お疲れ様です」

 シンクの前で洗い終わったカップを拭きながらシンが声をかけた。

「……何が」

「さぁ」

 怪訝そうな視線を送ったクレイグに、シンは穏やかに笑みを返す。

「『さぁ』ってな」

「何となく、です」

「……アジア系ってのは曖昧だよな」

 そう。──あの、正体不明の魔法遣い(マギウス)も。

 目の前で消えてみせたあの顔が浮かび──クレイグは溜息をついて、脳裏から映像を追い払う。

 厄介な考え事は後回しだ。

「言っておくが、これは福利厚生の一端だからな」

「……?」

「エリートなんざ人の嫌がる仕事をやって何ぼだ。だからこれは俺の仕事であってそこに気遣いはいらねぇ」

「はい」

 クレイグは残っていた紅茶を飲み干した。

 カップを手際よく片付けるとミューラーに声をかける。

「ミューラー」

「何だ」

「準備は」

「問題ない」

「よし」

 自分の荷物であるザックを右肩にかけ、クレイグは振り返りシンに告げた。

「じゃ、賓客を迎えに行く。──頼んだぞ」

 行くぞ、と親友でもある副官を促す。

「いってらっしゃい」

 シンは上官である二人の背中を見送った。



   ***



 翌日、早朝。

「じゃ、頼んだぜ」

「ああ」

 敬礼の形は決めながらもそんな言葉を交わしたあとクレイグは自走海上ドックの水密エリアから潜水艦に乗り込むミューラーを甲板より見送った。

 一旦水中へ潜ってしまえば、再び水面へ浮上してくるまで連絡をとることはない。だから残った者の役割は妨害が入らないよう出来うる限り周囲の警戒を行いながら無事の帰還を祈ることだけだ。

「異常はないか」

 ──甲板から指揮室へ戻り、部下に声をかけた途端。

「こんにちは」

 聞き覚えのある声がクレイグを出迎えた。


「……どっから湧いてきやがった」

 ひとまず出てきたのはそんな言葉だった。

「ひとまず自分の身辺整理がつきましたので、お約束どおり馳せ参じただけですが」

 さして動じもせず、ジーリングが切り返す。

「……直接教授の許へいくとか言ってなかったか」

「そんなことも言いましたね」

 ジーリングはあっさりと肯定した。

「顔は出してきたんですが長居するのも色々面倒がありそうなので……ひとまずプロジェクトが始まるまでは動けない教授の代わりに情報収集をさせてもらおうかと」

「……お前な」

 不機嫌に応えるクレイグに、ジーリングは穏やかに言う。

「あなた方に協力はしますよ。けれど、それは教授の意志に対する協力ですから」

 ……博士に対してこちらが怪しい動きをするなら、牽制するということか。

「──まぁそれはこちらも同じだな」

 受け流しながら、クレイグは自分の部下達を観察する。

 傭兵組織『プルートニク』。この組織は自分とミューラーで作り上げたようなものだ。

 その自分達が育て上げたものが、この男たった一人に手玉にとられている。さすがに愉快とは言い難い。

 しかしこのオーダーを引き受けたからには、予想外の要素も受け入れざるを得ない。──それが『リスク』であろうとも。

「……エンプレスが深度3500メートルの深海でお迎えを待っている」

「エンプレス?」

「拾い物だ」

 ああ、とジーリングが頷く。

「ルナリウムですか」

 やはり、予想はつけられていたか。クレイグは訊ねた。

「──実物を見たことはあるのか」

「いえ。……でも大学在籍中に、学術誌の写真は見たことがあります。爪の先ほどのサイズのものでしたが」

 クレイグはジーリングの返事を聞いて黙り込む。──が、やがて口を開いた。

「ルナリウムについては、どの程度知っている」

「大雑把ですが、大体のことは」

 ジーリングは表情を変えず答え……静かに問い返す。

「いいんですか、ここでそんな話をして」

 『ここで』というのは自分の前で、という意味だろう。クレイグはそう解釈して言葉を続けた。

「お前がこれから博士の助手を勤めるのなら、どうせ実物を見ることになる。それに緊急の状況が起こらない限り、俺達はただこうやって警戒しながら時間をつぶしているだけだ」

 言葉を切る。軽く息を吐くと、そのまま言葉を接いだ。

「──これから回収に行くのはただのルナリウムじゃない」



   ***



 西暦2020年。

 月資源採掘施設『REVNA003』の作業員が採掘中に不思議な石を見つけた。

 その色は蒼。発見されたほとんどは透明に近い淡い色味の球形をしており、ありふれた鉱石を掘るためのその場所で作業員はその「綺麗な石」を家族への土産として自分の作業着のポケットに紛れ込ませた。


 その石は後に科学者達により検証され、未知の鉱石と判定、『月の石』──『Lunarium(ルナリウム)』の名を得る。


 西暦2022年、『REVNA003』併設研究施設『ジグルムント』が突如消滅する。公式には核融合炉の暴走事故が原因と発表されたが、現場の映像は公表されることはなかった。にもかかわらず、世界各国のマスメディアは示し合わせたかのように異議を唱えず、沈黙した。

 『ジグルムント』で行なわれていた研究は、ルナリウムだった。


 時系列は遡り西暦2021年、研究室レベルにおいてルナリウムが熱エネルギーを発生させる現象はすでに確認されていた。

 『ディメンジョンシフト』と名付けられたその現象は、『ルナリウムに一定の圧力を加えると真球状のフィールドを形成し、そのフィールド内に取り込まれた物質の質量を熱エネルギーに変換する』というものだった。

 最大の特徴として、圧力を加えられたルナリウムは一度形成したフィールドを半永久的に維持し、熱エネルギーをいつ果てるともなく放出し続けた。

 ルナリウムが発生させる熱エネルギーは、そのルナリウムの大きさとフィールド内の『質量』に比例し、1ミリに満たない極小ルナリウムでさえ、直径数メートルのフィールドと核融合にも匹敵する熱量を生み出す。では、その数倍、数十倍の大きさのルナリウムに、フィールド励起に必要な圧力を加えたとしたら──


 しかしその疑問は、記事として取り上げられることはなく、学会でさえ『ルナリウムのエネルギー利用はその特性から不可能と断定する』という明らかに不審な対応を取るも、いつしか情報は希薄となり──幽霊や宇宙人と同じレベルの思い出したように語られる程度のものとなっていった。

 このことが、世界を二分する泥沼の戦争へと突入させるきっかけとなることを知る由もなく。



   ***



「と、そこまでは聴いたことがあるだろう」

 クレイグは唐突に確認するかのように問い掛けた。

「──有名な話ですからね」

 それまでただ相槌を打っていたジーリングが応える。

「……だが、この話にはまだ先がある」

 ここからが肝心だ、というようにクレイグは呼吸を整え──再び話し出す。

「『ジグルムント』はその後USFEの国土内に再建され、事故のどさくさに紛れて月より輸送したルナリウムで実験を再開……その2年後、ようやく足を踏み入れることのできた月面の旧『ジグルムント』跡地でそれは見つかった」

 クレイグの言葉を、ジーリングは神妙に聞いていた。

「『Ruinen』だ」

「……『廃墟』?」

 ジーリングが異議を唱える。

「あの場所は2年もの間、封鎖されていたのでしょう」

「……『廃墟』じゃない。『遺跡』だ」

 クレイグはジーリングの言葉を訂正する。『Ruinen』は『荒廃したもの』の意味でどちらとも解釈可能だ。

「『遺跡』……」

「そこは、人類ではない何者かによって作られた遺跡の入り口だった」

「……! ……」

「その最深部で見つかったのは、直径1.5メートルにも及ぶ、今まで発見された最大サイズを遥かに超える真球状ルナリウム。──それが今、水深3500メートルの深海でお出迎えを待っている『女皇陛下(エンプレス)』って訳だ」

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