崩壊序曲Ⅰ - Seven steps to hell
「……ううーっ」
俺は大きく伸びをする。──朝7時。終業時間だ。
小さな白い部屋は明るくて……まだ昼夜の切り換えがついてない身にはかなり堪えた。
「そんじゃ俺、帰るな」
あまり期待を持たずに、子供達に声をかける。が。
「お休みなさい」
ローレルの手許を覗き込んでいた女の子──タイム、か。彼女が返事を返してくれた。
他の子供達も、軽く頭など下げてくれる。シナモンは仏頂面なままだけど。
「……お休み」
俺は、静かに扉を開け……その部屋を退去した。
──ほんのちょっと、嬉しくなった。
***
扉の閉まる音が鳴った途端、子供達の視線が彼が去ったあとに集中する。
最初に声を上げたのはセージだった。
「ミントぉ」
「何だ」
「あの人間さぁ、飽きもせずよく俺らのこと見てたよな」
「ああ。ろくに暇つぶしの道具も持ってきてないようだからな」
そう言うと、ミントはうつむいて読みかけの本のページをめくった。
「……リュシィも最初はそうだったわよ」
部屋の隅っこに座っていたジンジャーがぽつっと言う。こちらもあまり興味はないようだ。
「そうだったっけー?」
「でも、優しそうだよ。ね、ローレル」
嬉しそうにタイムが言う。それに対するローレルの返事は、あっさりしていた。
「……さぁ」
「『さぁ』って……もー、ローレルってば本当に愛想ないんだからー」
「間抜けそうには違いないわね」
ばっさりと切り捨てたジンジャーに、タイムが拗ねたような声を上げる。
「ジンジャーぁ……」
セージはまだ扉のほうを見ている子供のほうへ声をかけた。
「シナモンは? どう思う?」
「……俺の獲物……」
「いい加減諦めろよ」
呆れたように、マロウが呟いた。
むっとした顔で、シナモンがマロウを睨みつける。
取っ組み合いが始まった。
***
勤務時間を終えて子供達の部屋から退出した俺は、朝出勤してきたリュシュカさんに会った。
「おはようございます」
「お……はようございます」
先手を打たれ、俺は慌てて挨拶する。
「どうでした? あの子達は」
「あれからはおとなしかったですよ。おかげですごく暇でした」
率直な感想を述べると、彼女はくすくす笑った。
ばつが悪くなり、俺は無理やり話を切り替える。
「そーいえば、このラボの区画って、女性しかいないですね……男性はいないんですか?」
今朝から気になっていた。表の守衛所のおっさん以降、男性に会ってないのだ。
「ああ、気付かれましたか」
彼女がにこやかに言う。
「このプロジェクトは、立案したときの研究員が全員女性だったんですよ。それはたまたまだと思うんですけど、プロジェクトが採用された際人員を募集した時も何故か男性の参加がなくって……気がつけば女性の大所帯になっていたんです」
……ってことは、ここ、内部に男は俺だけなのか。
ま、あいつらもいるけど……そこはそれ、子供だし。
「……この仕事、募集は男性になってましたよね」
今更ながら確認してみる。
「ええ」
彼女は変わらない笑顔で言った。
「あの子達をお願いするには、男性のほうがいいかと思ったんですよ」
「それは……」
どうして、と続けようとしたが、彼女の言葉にさえぎられる。
「初めての男性メンバーということで緊張したんですけれど……データの顔写真見たら、大丈夫かなって」
……気にしていることをあっさりと言ってくれる。
俺の最大のコンプレックスは童顔なのだ。
一応25歳になるけど……未だにハイスクールの学生と間違われる。まぁ、俺ハイスクールには行ってないんだけど。
「あら、どうされました?」
「いえ……いいです」
これ以上この話を続けると深みにはまりそうなので、この話題は打ち切ることにした。
「そうだ、俺今日すごく暇だったので……本とか持ってきたいと思ってるんですけど」
ダメもとで、私物の持込について訊ねてみる。
「……書籍、ですか?」
「えぇ」
そりゃあ仕事は監視ではあるんだけど。あの部屋にいる以上、ずっと彼らを見続ける必要はない訳で。
「どーにも退屈で……でも、面談の際に私物の持込は許可が必要って書いてあったんで、どんな感じなのかなぁと」
勝手に自分の判断でいろいろ持ち込んであとでとやかく言われるのも嫌だし。
うーん、と彼女は難しい顔をする。そんなに大変なことなのか、それ。
「マットさんが持ってきたものに興味持たなきゃいいんですけどね……好奇心旺盛だから、あの子達」
……とてもそうは思えなかったけど。
「リュシュカさんはこの仕事を行なっていたときに、どうやって時間をつぶしてたんですか?」
「私? 私ですか……パズルの本とか、持ち込んで解いてましたけど」
パズルかぁ……俺、苦手なんだよな。
リュシュカさんはくすっと笑って、言った。
「入り口に守衛がいますから、申し出てください」
「えっと……基本的にダメなものって、何でしょうね?」
「ダメなもの?」
「申し出ても、許可がでないもの」
「そうですね……物語とか、新聞とか……」
……は?
うーん、想定していたものをばっさり封じられてしまった。
「ゲームとかはいいですよ。パズルとかクイズとか」
……何だそりゃ。そんなもん、家にないぞ。
「んー、わかりました。何か考えます」
唸りながら返事をした俺に、リュシュカさんは鞄を肩にかけ直しながら言った。
「……それじゃ私、行きますから」
「あ、すみません、つまんないこと相談して」
「いえ。何かあったら、何でも訊いてください」
軽く会釈をして、リュシュカさんは俺のもときた方向へ進んでいった。
俺は今夜からどうしようか悩みながら──扉の外へ出た。
***
「……あ」
彼女は慌てて振り返った。
彼の姿は、既に扉の向こうだ。
「しまった……」
今日はあの子達夜間演習だからラボには来なくてもいい、と伝えなければならなかったのに。
鞄から携帯電話を取り出し、ボタンを押す。
「リュシィ!」
廊下の向こうの扉から、上司の呼ぶ声が聴こえた。
「ちょっといいかしら……昨日の結果について」
「はい、すぐ行きます」
ちらっと携帯をみる。
あとでかけ直せばいいかしら。これから家に帰って眠るんだろうし……
彼女は画面をリセットし、鞄の中にしまいこむ。そして、足早に上司の呼ぶ部屋に歩いていった。
***
21時。
たくさんの計器が立ち並ぶ部屋で、研究者達が忙しそうに立ち回っている。
その更に奥──小さな扉の向こうで、子供達が待機していた。
傍らには大量の配線が組まれた七機の手術台のような機械。それはさながら鋼鉄のベッドのようだった。
「……じゃ、今日の演習だけど」
「わかってるわよ。いつもどおりでしょ」
ジンジャーが不機嫌そうに言う。
「そうだけど。義務だから」
言い聞かせるように、注意する研究者。重ねるように、ミントがジンジャーを制する。
「ジンジャー、無駄口を叩くな」
「了解」
ジンジャーはわざとらしく溜息をついた。
ミントとジンジャーが、研究者達と夜の演習について打ち合わせている間。
ローレルは、ちょっと離れたところで黙って座っていた。
その横に、寄り添うように座っているタイム。
部屋の真中で気ままに喋っているセージ、シナモン、マロウ。
「だーかーらー、俺のほうが強いにきまってるだろー」
「お前のその根拠のない自信は何処から来てるんだよ」
自信たっぷりに言い切るシナモンに、マロウが冷静に茶々をいれる。
「何だとー」
「あぁ、もうやめろよー。よく飽きねぇなぁお前ら」
もううんざり、とばかりにセージが仲裁を入れる。だが、二人とも聞いていない。
──ミントが冷静に、2人に声をかけた。
「シナモン、マロウ。5分後だからな。それまでに終わらせてくれ。怪我はするな」
シナモンとマロウが、襟をつかみ合った状態で静止する。
「……やーめたっと」
シナモンがマロウの襟を突き放した。よろけたマロウの身体をセージが受け止めた。
「ったく、つまんねぇな。たまにはみんなと混ざれっての」
「これからV.W.S.で同調を行う。つまらん意識を混ぜられても困るからな」
ミントがシナモンの言葉をあっさりと却下する。
「へいへい」
シナモンが肩をすくめて返事した。
ベッドの向こうのモニターから声がする。
「ミント。ちょっと早いけど、始めるわ。お願い」
「はい」
子供達が目を合わす。
ミントが目で合図すると、彼以外の子供達はベッド型の重機によじ登り、左手首にコードのついたリングを巻きつけると、そのまま体を横たえた。
「準備できたわ」
ジンジャーが声をかける。追って、次々に他の子供達からも声が上がる。
全員の声を確認したところで、ミントがモニターに向かって声をかけた。
「シナモン、ジンジャー、タイム、ローレル、セージ、マロウ、以上6体V.W.S.チャンバへの接続完了しました」
モニターの中の女性は頷いた。
「それでは、ミント。貴方も準備してちょうだい」
ミントは頷くと、最後に残ったモニターに一番近い位置の装置に横たわった。
モニターの向こうから、研究員達の声が聞こえる。
「V.W.S.プロトコル『ミント』のホログラフィックネットワークに接続を確認。TYPE01『MINT』からのKitten6体へのプロトコル変換効率99・98%」
「『アースシミュレータ』上に仮想空間展開終了。V.W.S.サーバへの接続を確認」
警告音が鳴る。オペレータが背後を振り返る。
「主任。TYPE01のホログラフィックネットワーク内で微弱ではありますが、神経断絶が発生しています。止めますか?」
「……続けましょう。承認された計画とはいえ、予算が無限にあるわけでもないし」
「了解しました」
オペレータがモニターに視線を戻した。
「V.W.S.開放。Kitten全感覚野、仮想空間に接続されます。──モニタリング開始」
***
21時30分。
ようやく休憩時間に入れたリュシュカはカフェテリアの開いた席に座り込んだ。
忙しい日だった。明日が休日でなければ、へたばっているところだ。
食べそこなったお弁当を机の上に広げる。昼に「食べられない」と見越したところで、そのまま冷蔵庫に入れておいた冷たいサンドイッチ。
「はあ……」
溜息をつき、売店の時計を見る。……何か、大事なことを忘れているような……
あああっ!
心の中で悲鳴をあげる。──彼に、連絡を入れていない。
どうしよう。家は近いって言ってたから、間に合えばいいんだけど。
呼び出し音が鳴る。──出ない。留守番電話に廻されてしまう。
ついてない。ましてや、自分の失敗というのが癪に障る。
電話を切り、もう一度かけ直そうとした時──大きな音が鳴り響いた。
***
……早すぎたな。
俺は腕時計を確認してそう思った。1時間以上早い時間だ。
昨日の監視時間がかなり暇だったため、夕方目覚めてから食事の買出しを兼ねて家を出た。
久し振りに廻る近所の商店街はかなり物珍しく──ここしばらく食料品店以外の店を見たことがなかったのだ──買出しの予定が、思わずカフェに入って食事をしてしまった。
気付けば時間は20時を過ぎており……ラボとはあさっての方向へ出かけていた俺は家に帰るのをとりやめ、直接ラボへ向かうことにした。
昨日は自転車で家から出向したため30分とかからず到着したが、今日は歩きであるためいつもより時間がかかった。それでもこの時間だ。遅刻よりはいいだろう。
ラボの入口の守衛所でチェックをうけ──とはいえ、俺はほぼ手ぶらで来たためノーチェックに近かったが──玄関に入る。
正面の時計は21時30分。
昨日館内の地図でカフェテリアがあるのは確認してあったので、そこへ向かうことにした。
結局持ち込めないかもしれないので、書店には立ち寄ったものの本は買ってこなかった。せめて新聞か雑誌が置いてあるといいんだが。
そう思いながら歩き始めた時、神経を逆撫でするような、大きい音が研究所内に鳴り響く。
──警戒警報。
それが俺には偽りの日常の終わりを告げる、鐘の音に思えてならなかった。
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