154:最悪のタイミング

(やれやれ……、なかなかに壮絶な光景ですね……)


 かろうじて重力の魔法の効果範囲からは逃れたものの、発生した攻撃の余波によって付近を流れていた流れるプールに叩き込まれていた静は、しかしむしろ都合がいいと余波が収まるまで水中に隠れてやり過ごし、その後水面から顔を覗かせて周囲の様子をうかがって心中でそう嘆息した。


 見れば、まるで巨大な怪獣にでも踏み潰されたかのように、周囲の床がその上にあった物ごと扇形に陥没してしまっていた。


 詩織の様子にただならぬものを感じ、彼女に従う形で一目散に逃走の道を選んだ静だったが、この光景を見てしまえば詩織があそこまで焦っていた、その理由もわかろうというものだ。


 こんな物、生身の人間が喰らっていたら間違いなくただでは済まなかった。

 確かにこれなら、詩織が迷わず逃走を選択したのも納得できる。通常の魔法ならばまだ魔法による防御という手段も使えたかもしれないが、しかし重力という攻撃の性質を考えると、この攻撃が盾の様な防御魔法で防げたとも到底思えない。


(こんなことなら、不意打ちのアドバンテージを捨ててでももっと早く姿を見せて加勢しておくべきだったでしょうか……?)


 自分たちが姿を見せていれば、瞳もここまでの無茶はしなかったのではないかとも考えたが、流石にこればかりは今さら言っても仕方のない話だった。そもそもあの状態の瞳と静達がまともに連携をとれたとも思えないし、下手に出て行って足を引っ張る羽目になっては目も当てられない。


 そんなことを考えながら、とりあえず静は更なる状況の把握のためにプールサイドから顔を覗かせる。

 堂々と出ていくことも考えたが、今の状態の瞳に見つかるのは危険かもしれないととりあえず身をひそめ続けることにした。


 詩織はああいっていたが、静は今の瞳が本当に敵味方の区別がついているかは正直に言って怪しいと思っていた。

 あるいは、詩織だけならば姿を見せても味方として認識してもらえるかもしれないが、つい先日会ったばかりの静ではそうと認識してもらえず、攻撃の巻き添えを喰らってしまう可能性すらある。

 特に根拠がある訳ではない、どちらかと言えば直感に近いよくよく考えれば不思議な感覚だったが、しかしこの時の静は、彼女の前に姿を現すことになんとも言えない不吉な感覚を覚えていた。


 とは言え、だからと言っていつまでもそうしてプールの中に隠れているというわけにもいかない。

 あの後アパゴがどうなったか、そのことも確かめる必要があると、そんなことを考えつつ、上にある者の一切を無視して平らにならしたかのような周囲の光景へと視線を巡らせていた静は、直後に平らになった床面から、なにかが盛り上がるのをその視線で捉えることとなった。


(――あれは……!!)


 地面にめり込んでいた状況から身を起こすようにして、見覚えのある男性が起き出し、立ち上がる。

 静達と違い、重力による破壊にもろに巻き込まれたのか服などはかなり汚れていたが、しかし驚くことに重力によるものと思われる負傷などは特にみられず、その全身にうっすらと、なにやら消えかけのオーラを纏わせたアパゴ・ジョルイーニが五体満足なままの状態でその場所に存在していた。


(あの攻撃をもろに喰らって耐えきったということですか……? それも【纏力スキル】の技と同じ、オーラ系の魔力だけで……?)


 そんな自身の予想に、静は内心で『そんな馬鹿な』と眉をひそめる。

 同じくオーラ系の魔力を使っているからわかるが、あの手の魔技はそこまで効果の高いものではない。

 威力の低い魔法ならばまだ無力化したりすることもできるかもしれないが、魔法の規模や威力が上がれば流石に受けるダメージを緩和する程度の効果にとどまり、それとて受ける魔法の威力によっては焼け石に水程度の効果にしかならないはずだ。


 静の見た限り、先ほどの魔法に使われていた魔力は竜昇の【迅雷撃】に匹敵する魔力量。威力に関しては系統が違う故に単純比較はできないものの、しかし周囲の惨状を見れば【迅雷撃】に決して引けを取らないものだったはずだ。


 にもかかわらず、そんな魔法の直撃を受けて、オーラ系の魔力だけでほとんどダメージを受けずに耐えきっているなどどう考えてもあり得ない。技量の差、習得している魔技の性能差というのもあるのかもしれないが、しかしそれだけでは埋められない、決定的な威力が先ほどの攻撃にはあったはずなのだ。


 とは言え、今の静にはそのからくりについて考えるだけの猶予ない。


「――ッ、見ツけたァッ!!」


 直後、視線の先でアパゴが素早く真横に跳び退くと、その場所に筋肉の塊のようになった少女が砲弾のごとき勢いで着弾して来る。

 手にした金属棍をハンマーへと変えて直前までアパゴがいた場所へと叩き付け、勢い余ってそのまま床を削って滑るようにその場を行き過ぎながら、瞳が野獣のごとき殺意を乗せた視線でアパゴの姿を睨み付ける。


 とは言え、そんな明らかにやる気ならぬ殺る気に満ちた瞳に対して、しかし対するアパゴの方はと言えばこれ以上この場で瞳と事を構えるつもりはないようだった。


 見ようによっては大きな隙を晒しているともいえる瞳を一瞥しただけで済ませ、その身に先ほどまでとは別のオーラを纏うと、瞳に背を向けて猛烈な速度で走り出す。


「あ、逃げる……!!」


 その姿に、先ほどから静の少し後ろの水面から顔を出して様子をうかがっていた詩織が思わずそう呟いた。

 それは見間違いなどしようはずもない、誰の目にも明らかなアパゴの逃走。

 そして誰の目にも明らかということは、すなわち思考能力が制限された現在の瞳であっても理解できてしまうということだ。


「逃、ガすかァッ――!!」


 案の定、敵が逃げ出したと理解するや、瞳が全身に纏った赤いオーラをさらに燃え上がらせて、力を増した全身の筋肉にものを言わせて宙へと飛び上がり、体重を感じさせない跳躍力でもってアパゴの後を追っていく。

 その圧倒的な速度を前に、その光景を見る二人はただただ水面からそれを見上げるよりほかにない。


 わずかな間のあと、ようやく我に返った詩織が慌てた様子で今自分がするべきことを思い出す。


「あ、あっ、どうしよう、二人が――!!」


「ええ、急いで追いかけましょう」


 詩織の言葉に対して、すでにプールから上がっていた静が彼女を引き上げるべく素早く手を差し伸べる。

 実のところ、詩織と違って静が二人の後をすぐに追わなかったのは、なにも目の前の光景に呆然としていたからというわけではない。

 静が追わなかったその理由は、単純にあの状態の瞳の前に出ていくことを危険視したが故であり、二人を追跡するための【纏力スキル】による三重強化などはすでに自分の体にかけなおしている。


(それにしても、先ほどの誠司さんの召喚獣……)


 詩織をプールから引き上げるべく手を貸して、同時に彼女の体にも三重のオーラを纏わせながら、静は先ほど瞳が走り去っていった際、その後を追跡していったフクロウの存在を思い出す。


 恐らく先ほどまでと同じように、瞳の援護と彼女の制止のために動くと思われる誠司の召喚獣。

 そんなフクロウが瞳を追って跳び去る際、それを見上げていた静と、一瞬だったがその視線が合ったような気がしたのだ。


 なにぶん相手が召喚獣の体を借りた表情の読めない存在であり、しかも時間が短かったがゆえに静の勘違いという可能性は否めないものの、しかしあの一瞬のうちにフクロウの向こうにいる誠司が、隠れていたこちらの存在に気付いた可能性は十分にある。


(これはひょっとして、さぼっていたと思われましたかね……)


 敵が襲来しているというのに戦いに参加せずにいた我が身を省みて、ふとそんな考えが頭をよぎる。

 冗談めかした言い方だったが、しかし実際にそう思われてしまうのは状況が状況故にあながち笑えない。


 とは言え、これもまた、やはり今考えても仕方のない事柄だった。今できることと言えば、せいぜい彼らに追いつくその前に、納得してもらえるような言い訳を考えておくよりほかにない。

 むしろ今重要なのは、その言い訳をする相手になるだろう相手の現在の動向だ。


「詩織さん、先ほどは馬車道さん一人しかこちらに来ていませんでしたが、他の方はいったいどこにいらっしゃるのですか? 中崎さんは一応、召喚獣を飛ばしてきていたようですが……」


「一応、中崎君の方もヒトミに合流しようと、この先の方には向かってるみたい。元々、急を要する事態になった時にヒトミを召喚獣と一緒に先行させるのは、中崎君がよくやる常套手段みたいなものだから、いつもどおりと言えばいつも通りではあるんだけど……」


「なるほど……。いつも通りでない部分があるとしたら、相手が生け捕りにしなければならない人間であるということと、馬車道さんがいつも以上に理性を失ってしまったという点でしょうか……。ちなみに詩織さん、他の方々は?」


「待ってて……」


 詩織が音に集中するその間にも、向かう先から激しい破壊音が響いてくるのが静の耳でも聞き取れる。恐らくアパゴを追跡する瞳が、先ほどと同じ様子で激しい追撃を加えているのだろう。

 まずいことに、二人が向かっているのはプールエリアを出て、ロッカールームなどへと向かう通路の方角だ。

 恐らく無手のアパゴが長物武器を使う瞳と相対するにあたって、開けた場所よりも狭い空間を探そうとした結果そうなったのだろうが、このルートはいざという時の避難場所であるあのホテルとは別方向である反面、竜昇達がいるはずの入浴エリアに、静達が通ってきたルートとは違う道筋で繋がるルートでもある。


 このままでいくと、ホテルへと避難しようとする竜昇達が、【決戦二十七士】の一人であるアパゴや、理性を半ば失っている瞳と鉢合わせる事態になりかねない。

 竜昇一人ならばそれでもある程度対処はできるだろうが、この階層に潜む敵からの精神干渉を受けて、正気を失っている城司の存在を考えるとやはり危険だ。最悪の場合、竜昇があの状態の城司を抱えたまま、二人の戦闘に巻き込まれる事態になりかねない。


「マナと先口さんの二人は、今もホテルにいるみたい。けど、竜昇君と城司さんの二人の音は、ごめん、聞こえない。この階層、結構防音がしっかりした壁が多いから……」


「……いえ、まだホテルに避難できていないことがわかっただけでも、状況把握としては十分です」


 一つ上の階層では音だけで階層全体の構造さえ分析していた詩織だったが、それはあくまでも拘束された詩織が、音だけに意識を集中したからこそできた芸当だ。

 加えて、あの時は音による構造解析にかなりの時間を費やしていたし、監獄の構造自体が音を反響させやすかったという環境的な要因もある。むしろ今のこの状況で、姿の見えない誠司たち三名の居所がわかっただけでも良しとするべきだろう。


 そもそもこれだけ激しい戦闘音が響いている状況で、竜昇がむざむざ城司を連れて戦闘区域に足を踏み入れるとも考えにくい。

恐らく竜昇も、これだけの音が響いてきた段階で、戦闘区域から離れるべく行動しているはずだろう。懸念事項があるとするならば、この状況下で精神干渉を受けた城司がどう行動するかわからない点だが、これに関しては竜昇が何とかしてくれると信じるよりほかにない。


「なににせよ、とりあえず今はあの二人のあとを追いかけるしかありませんね……。詩織さん、すいませんが、あの二人が向かっているところまでのナビゲートをお願い――」


「――ちょっと待ってッ!!」


 と、静が詩織に対して要請しようとしたまさにその時、突如詩織が様子を変えて静に対して待ったをかける。

 急がねばならに状況だというのにそれでもなお足を止め、ホテルのある方向へと視線を向けた詩織のその横顔を目の当たりにして、即座に静は彼女が察知したなにかの、その正体にあたりを付けた。


「……まさか、聞こえたのですか――!? 魔力の、それも朝のものと同じ、精神干渉・・・・の魔力の音が・・・・・・……!!」


「――うん、それに、どうしよう……!! この方向、マナたちがいるホテルの方から――」


「……!!」


 二人に危機が迫っている。

 端的にそう理解して、しかし同時に静はそれとは全く別の疑問を胸のうちに抱く。


(ですが、なぜ今このタイミングで……?)


 単純にアパゴへの対処で守りが手薄になったのが理由かとも思ったが、しかしこの時静の脳裏には、それとは別にもう一つ違う考えがよぎっていた。

 否、それは考えというよりも、より単純な疑問と呼ぶべきか。


(はて、そういえば……)


 それは思えば今まで考えてこなかった、しかしもっと早くに気付いていてもよかったような、そんな可能性。


(そういえば、あのアパゴさんは……、【決戦二十七士】の方々は、私たちのように精神干渉への耐性を持っているのでしょうか……?)






 自身がつくづくまずい状況にあることを、アパゴ・ジョルイーニは努めて冷静な思考で受け止めていた。

 もとより、部族の代表としてこの戦いに参加するにあたり、戦士として死を迎える覚悟はとうに済ませていた身である。例え命の危機に陥ろうとも、揺るがぬくらいの精神をアパゴはとうの昔に己のうちに築き上げている。


 とは言え、いたずらに命を投げ捨てるような真似も、アパゴは矜持にかけてするつもりはなかった。

あくまでも死するのは最善を尽くした後と、アパゴはこの状況でもなお逆境の中を切り抜けて生存の道を探るつもりで行動していた。


 負傷した脇腹、鈍い痛みを訴えるその箇所に治癒促進のオーラを集中させながら、残る力で身体強化を施してアパゴは必死の逃走を測る。


 小娘と思い侮ったつもりはなかったが、しかし遭遇した敵は予想していた以上の手練れだった。

 装備の大半を失い、負傷した今のアパゴでは流石に分が悪い。

 せめて動きに支障が出ないくらいにまで傷を治癒させ、治癒促進に回している分の力を戦闘につぎ込まねば危険だというのが、アパゴの自身の分析だった。


 そう思い、ひとまず身を隠せる場所を探そうと狭い通路に飛び込んだアパゴだったが、しかしなじみのない施設故に隠れられる場所などどこにあるのか見当もつかない。

 先ほどの娘は、己の装備の特性故に狭い空間に入ることを躊躇したのか追ってくる様子がなかったが、しかし娘のそばを飛び回っていた『鳥』の存在を考えれば仲間がいるのは恐らく間違いない。


 待たせるのも悪い・・・・・・・・早く・・着替えて・・・・彼女らの元へ・・・・・・向かわなければ・・・・・・・


 そう考えて、ロッカールームに足を踏み入れたアパゴは、しかしふと、自分が着替えるも何も・・・・・・・水着の一着も・・・・・・持ってきていない・・・・・・・・ことに気が付いた・・・・・・・・


「――ム?」


 否、おかしい。今疑問に思うべきはそんなことではなかったはずだと、そんな巨大な違和感が胸のうちより湧き上がる。

そもそも本来何をするべきだったのか、自身の認識と状況の間に決定的な齟齬が生じているような、そんな感覚が急激に襲ってくる。


 そう、自分は今、敵から逃れてここに逃げ込み、身を隠す場所を探していたはずだ。

 それなのにどうしてこそこそ隠れて、待っている皆を・・・・・・・待たせているのか・・・・・・・・。いや、そもそも、プールに来た・・・・・・というのに・・・・・着替えの水着を・・・・・・・持ってきていない・・・・・・・・のはなぜなのか・・・・・・・


今日の自分という人間はつくづくどうかしていると、呑気にそんなことを考えかけて、直後に自身のそんな不可解な思考にたまらず足元をふらつかせた。


「――ジムッ、セリグ、ミ……」


 思わず額に手を当てる。

 これは不味いという焦燥だけは湧き上がって来るのに、なにがまずいのかが一向によくわからない。にもかかわらず、何かをしなければという焦燥感だけが確かに胸の内にある。

 こういった時、確か対処する方法があったはずだと思うのにそれを思い出せない。


 焦りがある。こんな結末は絶対に受け入れられないという危機感も。

 どうすればいいのかと必死に考える。対処する手段はあったはずだ。この展開を自分は知識としては知っていたはず。そんな思いで必死に頭を働かせ、血走った目で目の前のロッカーの扉を見つめ続けて――。


「――アア、ソウいえば……。受付ノ近くに水着ヲ売っテイる売店があったノだった」


 ――意外とあっさりと、忘れた水着の代わりを調達する、その方法をアパゴは思いついていた。

 まったく自分は本当にどうかしていると、懐は痛むが水着を買いに行かねばと、そんなことを考えて、ふとアパゴは男子ロッカールームの入り口に、一人の少女が立っているのを視認した。


「――オイオい、ここは男子更衣――」


 次の瞬間、少女がその手に持っていた金属棍を振り抜いて、アパゴの意識はあっさりと暗黒の中へと転落した。

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