ショートショート「リテラシ」
「先生、先生……ご無事ですか……先生……」
囁くような声が、だが、確かに聞こえた。
闇の中から誰かが私を呼んでいる。他に生存者がいるのだ。
車からはい出し、大声で返事をしようとして、すんでのところで思いとどまった。落盤の危険性に気づいたからだ。
そう、私は今、崩落したトンネルの中にいる。
「ここだ……ここにいるぞ……」
私の必死の呼びかけはどうやら届いたらしい。足音が、私の目の前で止まった。
「三枝先生、三枝先生ですか?」
「ああ……君は?」
「私です。○○新聞の後藤です」
告げられた名前に、図らずも嘆息してしまう。
この後藤という男は、典型的な偏向論者だ。
報道の自由を傘にきて、特定の政党をひたすら誉めそやし、敵対する勢力は容赦なくこき下ろす。新聞記者の風上にもおけない男なのだ。
そして現在、後藤の標的となっているのが、外ならぬ、この私である。
危機的状況にもかかわらず、よりにもよって、という思いが湧き上がってきた。
「先生、ご無事でしたか」
「なんとかな」言葉に険が混じるのを隠せない。「まったく、なんて休日だ」
「こんな山奥に来るからですよ」
「君の尾行を撒くためだろうが。とにかく、何とかして脱出せねばならんな」
「出口を探しましょう」
「こう暗くては仕方ない。待ってろ、いまライターを出す」
「いけません先生!」後藤の制止は鋭かった。
「ガソリンが漏れているかもしれない。火や電化製品の使用は避けるべきです!」
「なら、どうすればいいんだ!?真っ暗闇の中を手探りで進むのか?」
沈黙の後、後藤は低い声で答えた。
「……わかりました。私に任せてください」
ゴソゴソと何かを取り出す音がした。
次の瞬間、暗闇の中に後藤の姿が浮かびあがった。
忙しなく手を動かす後藤、その全身が、ボウッと光っているのだ。
「私が先導します。とりあえず、入口まで行きましょう」
後藤は光り輝きながら、呆気にとられる私に顎をしゃくった。
数時間後。 出口に辿り着き、瓦礫をかき分け、私たちは奇跡的に生還した。
これも全ては、後藤が放つ光のおかげだった。
「認めたくないが、君は私の命の恩人ということになるな」
「お礼は結構ですよ、ただ、今日のことは黙っておいてくださいね」
「一つ教えてくれ。君はトンネルの中で、いったい何をしていたんだ」
「普段通りですよ。手帖にボールペンで、例の政党に媚びへつらった記事を書いたんです」
「じゃ、じゃあ、あの光は何なんだ。どうして君は発光できるんだ」
「そりゃあ光りますよ」後藤は自嘲的に笑った。
「僕の書くものは全部、提灯記事ですから」
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