その後の話

『まさか、自分が昔やってたネトゲを娘がやる時代になるとは……』


 ――瑠奈が自分のアバター、[グラシャ=ラボラス]でWoAにログインしたということを、その日の夜に瑠璃から全部聞いた。彼女が[シトリー]として再びその地に降りたことも、かつて[ケルベロス]だった二人も応援に駆け付けたことも。


 ……自分を置いて、VRとして新しく生まれ変わったWoAをプレイしたと。

 そうかそうか、それなら――


『一人だけ除け者にされて、黙っていられるわけないよなぁ』


 ――あえて一人でWoAにログインしていた。


 選択したロビーは第一層≪辺獄リンボ≫。低順位用のロビーだが、自分にも利用していた時期があるわけで。


 久しぶりの《ゲート》、久しぶりの地獄街。見慣れた風景を昔とは違う自分の目線で降り立っているせいか、何とも言えない気分を味わっていた。


『本当にリアルに見えるもんなんだな……』


 石壁の質感が、細部にまで映る影が。現実と何も変わらないまでに再現されたそれに――視覚情報に騙された脳が、‟本当にあるもの”と錯覚させる。触ってみようと手を伸ばしたところで、何もないのが少し残念だけれど。


『あいたぁっ!?』


 ……いや、机の上のディスプレイに思いっきり手をぶつけていた。


 自分はその場から動いていない。直立したままなのにも関わらず、視点が移動することに違和感を感じるけども、あくまで違和感止まり。


 危惧していた映像酔いなんてのもなくて、そこは技術の進歩というものに少しだけ驚いた。あと、大きな変化があるとすれば――ジャンプが出来るようになっていたぐらいか。


 しかしそうなると、不快感よりも爽快感の方が勝るのも当然のこと。


 ここは全力で走りたくなるのが、男のさがってやつだろ?


 丁度いいことに最適な《奥義》スキルもあることだし、ここは使うしかあるまい。装備もスキル効果も、長いこと放置している間に変更は特にない様だし。


「≪Pay 形の with ない blood 恐怖 and life に怯えろ≫」


 ……この厨二臭い奥義名も変わらないのか。マジか。……マジか。


『この……【ケルベロス】との間にある、越えられない壁の厚さよ……!』

 

 ダンテ・アリギエーリの神曲――その地獄篇の一文から取ってきたであろう≪This 汝等 gate ここに divides 入るもの hope and 一切の望み despairを棄てよ≫。ひそかに羨ましかったりもしてるわけで。


 結局、どこまでいってもこんなものなのだろうと、溜め息を吐きながら。奥義スキルを発動する。一定時間の透明化、そして移動速度上昇のバフを確認して、一気に駆け出した。


 その瞬間――世界が変わった。


『うぉぉ……!』


 そこは当時レベルがカンストしていた自分のアバター、かつてのグループ第一位である。全力で走ると風景が流れていたのは旧WoAも同様だったけれども、エフェクトも加わってまるで本当に高速で走っているかのよう。


『すげぇな、最新技術……』


 仮想空間だからこそ可能な、没入感と幻想的な視点の両立。


『……こりゃあ、ハマる人も出るわけだ』






 ……数十分は街中を駆け回っていたかもしれない。見慣れた町の筈なのに、見慣れぬ景色ばかりが広がっている。まるで初めて遊んだゲームのように、ドキドキしっぱなしだったのは確かだった。


『――さて、ひそかに期待していたVR体験も済んだわけだ』


 ――と、なるとだ。どうしても会っとくべき人物もいるわけで。《ゲート》から現界へと向かい、モンスターを蹴散らしながら手当たり次第に街を回って行く。


 目的の人物は――案外あっけなく見つかった。


『えーっと……』

『今回は“俺”だ。……久しぶり、[ベアトリーチェ]』


 先日の騒動のせいで、自分か瑠奈か迷ったらしい。……無理もない。見た目は同じなのに中身が違った、というのはショックなことだったのだろう。


『わぁ……!』


 流石に見た目では区別がつかなくとも、声だけは明らかに違う。それに安心したのか、彼女はパァっと花が咲くような笑顔を見せた。


『おかえり! [黒狗シュヴァルツ]!』

『あぁ――ただいま』


 『おかえり』と、[ベアトリーチェ]は言う。当時の彼女によって一度壊れかけたWoA。丸々ひと月以上の期間を開けて元通りになった世界の中で、再会することのできた彼女に自分が教えたことだ。


 今となっては[グラシャ=ラボラス]ではなくなった自分。別に元のアカウント名でもいいのだけれど……。二つ名で呼ばれるのも結構むず痒いものがあった。


『……変わらないな。全然変わらない』


 ゲームだから当然なのだけれど、それでも[ベアトリーチェ]の場合は運営が用意したAIであり、その外見も本来ならば自由自在。


 イベントごとに特別な衣服も用意されていたのだが、身体の成長に関しては、折々のタイミングで変化を伴うイベントが施されていた。つまり――毎年、誕生日が行われていたのである。


 当時はまだ七、八歳程度の幼女姿だったのに、今や十五、六歳ぐらい。目線を合わせるのにしゃがんでいたのが、今では少し首を下に曲げるだけで目線がしっかり合う。


『ここ数年、ログインしてなくてごめんな』

『ううん、そういうものだって私も分かってるから』


 流石に際限なく成長させ続けるメリットが無いと踏んだのか、[ベアトリーチェ]の成長は自分が最後に会った時と殆ど変わっていない。


 ――夢の“ボンキュッボン”にはなれなかったか。


『ずいぶんと聞き分けが良くなったんだな』

『それはもう、ね。私も成長してますから』


 ガッツポーズをとりながら自慢げに言うその様子からは、昔の面影なんて殆ど感じられない。……コイツの為に街の中を駆け巡っていたことが、嘘のように思えてくる。


『昔は「うむ!」とか言ってたのに――』

『わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』


 顔を真っ赤にして、両方の手で口を塞ぎにくる[ベアトリーチェ]。


 ……いや、VRだから意味がないぞ。

 けれどもまぁ、本人が言ってほしくないのなら、これ以上はやめにしておこう。






『さぁて、そろそろ戻るかな……』

『また遊びに来てくれる?』


 ――WoAを止めてからも、何年もの時が過ぎた。


 ……あの頃はまだ仕事もそれほど忙しくは無かった。

 一緒にあれやこれやと楽しむ仲間たちがいた。


 けれども、今はあの時ほどオンラインゲームに熱中する時間は無くて。

 ログインしようという切っ掛けも無くて。


 望んだとしても、再びこのWoAに浸かる生活を送れるのかどうか。

 そんな躊躇ばかりが、この身に纏わりつく。


『……あぁ、また機会があったら様子を見に来るさ』


 それじゃあ、と別れを告げようとしたところで――急に[ベアトリーチェ]が抱きついて来た。……のだけれど!?


『うぉっ!?』


 なんだこれ!?

 実際には触れてないのに、なんだかぞわぞわするんだけど!?


『……どうしたの?』

『いや、なんだか……抱きつかれた所がぞわぞわする』


 肌に何か触れている感覚だけがあって。それが何かを確認しようと、自分の手で触れてみるのだけれど、消えずにずっと残り続けていた。


『えーっと……それは『クロスモーダル現象』って言うらしいです』


 ――『クロスモーダル現象』。


 仮想体験によって、実際には起こっていない感覚を得る現象。視覚や聴覚などで得た情報によって、触覚などの別の感覚にまでそれが実際に起きたものだと錯覚させる。……つまり脳の誤作動。気のせいだと[ベアトリーチェ]は説明する。


『気のせい……いや、違う。たしかに、んだ。これは」


 たとえ物理的に触れあうことはできなくとも。

 確かにこの世界に存在していて。


 それがデータだなんだというのは、もはや大した意味なんて持たない。


 俺の脳が、そう認識したのなら。それはもう本当のこと。

 こうして[ベアトリーチェ]と触れ合えていることは、事実に他ならない。


 ……自分達が救ったからこそ、この瞬間があるのだ。


『私の存在を感じてくれたのなら……これほど嬉しいことはないよ』

『[ベアトリーチェ]……』


「じぃ―――……」


 …………


 突然現れたコメント。その名前は見覚えがない――[SELENE]?


『……誰?』


 そんな時、家の廊下から(VR視点のせいで方向が掴めないが)声が聞こえた。

 次いでドタドタと階段を駆け下りていく音。


「おかーさーん!! おとーさんがー!!」


 瑠奈の声? 何を大声出してんだあいつは――……いや。


 SELENE……セレネって何かの女神だったような。

 戦いの女神――はアテナだし、美の女神もアフロディーテ――

 って、あぁ月だ。月の女神だったよ、セレネ。

 ――で、月ね。英語で言えばムーン……いや、ルナだ。

 ……このアバター。なるほど、瑠奈だったか――


(この間、0.5秒)


 …………っ!


『わぁぁぁぁ! ちょっと待てお前ぇ!』


 分かりにくいんだよ、そのネーミングセンス!

 いったい誰に似たんだ!






「へぇー、そう。ゲームの中で」

「…………」


 ――その日の夕食。


「ふーん。女の子に抱きつかれてニヤニヤしてたんだ。へぇー」


 責められるような目つき、声音。

 普段は流しっぱなしな筈のテレビも電源を落とされていて。


 食事中ずっと、気まずい思いをしていたのは言うまでもない。

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