第16話
「この馬鹿者どもが! 厳しくなるとわかっている戦いの前夜に徹夜をする奴があるか!」
朝一番に、ティグとパルにフィルの雷が落ちました。結局あの後二人で更なる資料探しに没頭し、気が付いたら夜が明けていたのです。眠い目をこすりながら前日の場所へと辿り着いた二人に、フィルは怒髪天を突く勢いで叱りつけました。
「うー……まずはやる気満々で頑張った事を褒めて欲しいがね~……」
不満げにパルが言うと、フィルは呆れた様子でため息をつきました。
「では訊くがな、パルペット。二人がかりで徹夜をして調べて、結局何かわかったのか?」
「……ウェスティガーは代々ツィーシー騎国を援けてきた凄い奴で、ツィーシー騎国では聖獣と言われているって事しかわからんかったがね……」
不承不承にパルが言うと、フィルは再びため息をつきました。その様子を見て、欠伸を噛み殺していたティグは慌ててパルの脇腹をつつきます。
「そうじゃないでしょ、パル! ほら、フィルさんに言う事があるんじゃないの!?」
「あ」
パルはティグに言われて、一瞬間の抜けた顔をしました。そして、そのまま顔を気まずそうにするとフィルと目を合わせます。
「……フィル爺ちゃん」
「……何じゃ?」
パルがこれから言わんとする事がわかるのか、フィルは少しだけ声音を優しくしました。その声に、どこかホッとした様子を見せて、パルは頭を下げました。
「昨日は、八つ当たりしてすまんかったがね!」
フィルは、何も言わずに微笑みました。そして、パルの頭を軽くぽんぽんと叩くとティグとパルの二人に言います。
「……調べたのであればわかったじゃろうが、ウェスティガーは風の化身と呼ばれておる。奴が風を操り、風に乗って宙を飛ぶ事からそう呼ばれるようになったのじゃろう」
二人は、黙ってフィルの話に耳を傾けています。
「そして、これは知られていない話じゃが……奴は、風の他に大地に眠る金属の力を味方につけておる」
「金属を……?」
「って事は、ヘイグの身体が鉄みたいに硬くなって剣が全く効かなかったのは……」
思わず顔を見合わせた二人に、フィルは頷きました。
「ヘイグに武器が効かないのは、ウェスティガーが力を貸しておるからじゃ。つまり、ウェスティガーを倒す事ができれば、君の剣でもヘイグを倒せるようになるというわけじゃよ、ティグニール」
〝そう。私を倒せば、ヘイグを倒し易くなる。逆を言えば、私を倒さねばヘイグを倒すのは困難を極めるというわけだ〟
降ってわいたようなウェスティガーの声に、一同はゆっくりと振り向きました。そこには、昨日と変わらずに白い毛皮を風になびかせているウェスティガーがいました。
「ウェスティガー……」
誰とはなしに、呟きました。それに返すように、ウェスティガーは穏やかな声で喋ります。
〝一晩経っても、私を倒す決意は変わらなかったか。……良いのか、フィル? 今退けば、まだ間に合うぞ。お前とて、穏やかな余生を過ごしたくないわけではないだろう?〟
「ほざけ。姫様をお救いせぬ限り、私に穏やかな余生など訪れぬわ」
〝ははは。こうと決めたらてこでも動きそうにないのは、六十年経っても相変わらずか。全く、見習い騎士の謁見の儀で初体面を果たした時から頑固そうな奴だとは思っていたが、まさかここまで歳をとっても頑固なままとはな〟
ウェスティガーは愉快そうに笑うと、前足を一歩踏み出しました。ざわり、と穏やかならぬ風が吹き、辺りの木々がざわめきます。
〝さて。一応は私もヘイグに仕える魔獣だ。お前達がヘイグと戦う意志を損なっていないのであれば、私はお前達と戦わなくてはならない。そうだな?〟
「くどいぞ、ウェスティガー」
「僕だって、ツィーシー騎国の騎士だ。ツィーシー騎国の騎士は、魔獣と戦う事を恐れたりはしない!」
「お前が自分の父ちゃんと母ちゃんの仇だって事は、一旦置いとくがね。セオ・フィルグ・ゼクセディオンの血をひく者として、パルペット・セレ・ゼクセディオンとして。フィル爺ちゃんとティグ兄ちゃんをばっちりフォローしてみせるがね!」
三人の言葉に、ウェスティガーは軽く頷きました。
〝そうか。ならば、遠慮はしない。……いくぞ!〟
一声咆哮したかと思うと、ウェスティガーは力強く地を蹴りました。土を掘り起こし、草を蹴散らして宙に飛び上がります。ティグ達三人は、すぐさま迎え撃つ態勢をとりました。ティグは剣を、フィルはセフィルタを構え、パルは魔法の杖を掲げました。
ウェスティガーの前足の爪が、ティグに襲い掛かります。ティグはその爪を咄嗟に剣で受け止めました。ギィン、という鋭い金属音が辺りに響きます。
「硬っ……!」
思わぬウェスティガーの爪の堅さに、ティグは目を見開きました。
「ちゃんと話を聞いておったのか、ティグニール! ウェスティガーは風の化身であるだけではなく、金属の力を味方につけておる。奴の爪や牙は当然、毛皮すらも鋼鉄の如く硬いぞ!」
言いながら、フィルはウェスティガーに向かってセフィルタを横に薙ぎ払いました。ウェスティガーは身体を捻り、しなやかな動きでそれを避けて見せます。ウェスティガーの爪を剣から外したティグは後ろに飛び退き、剣を構え直しました。そして、思いきりよく地を蹴ると今度はティグの方からウェスティガーに斬りかかります。ウェスティガーはそれもまた避け、後足で再び地を蹴ります。舞い上がる砂礫と共に、鋭い牙がティグに襲い掛かりました。
「ティグ兄ちゃん、危ないがねっ!」
咄嗟にパルが杖を振り、傍にあった岩を飛ばしました。岩はティグとウェスティガーの間に割り込み、鋭い牙がティグの喉笛に噛みつくのを防ぎます。そして、追い打ちをかけるようにフィルがセフィルタを振いました。一瞬風が断ち切られ、真空状態となったその場をフィルが駆け抜けます。
フィルはセフィルタを頭上に掲げ、勢い良くウェスティガーの脳天へと振り下ろしました。すると、ウェスティガーはくるりと身体を回転させ、その鋭い牙で振り下ろされるセフィルタを防ぎました。
〝聖剣セフィルタとはこの程度か?〟
嘲るようなウェスティガーの言葉に、フィルは軽く舌打ちをしました。そして、「まだまだ」とでも言うように再びセフィルタを構えます。
「ティグニール、同時にいくぞ!」
「はい!」
フィルの呼びかけに、ティグは力強く答えます。すると、後方でパルが叫びました。
「仲間はずれは関心せんがね! 自分も攻撃したるがね!」
「よし! いくぞ!」
フィルが頷き、フィルとティグはウェスティガーを取り囲むように剣を構え直します。パルが、杖を振りました。岩や飛礫が一斉にウェスティガーに襲い掛かります。ウェスティガーはそれを避けるように、跳び上がりました。曲芸師のように身体を捻りながら宙を舞い、静かに着地しようとします。
その地に足が付いていない瞬間を狙って、フィルとティグは同時に駆け出しました。フィルはウェスティガーの前方から、ティグは後方から、それぞれ同時に剣を振り上げます。ティグの剣の刃が、ウェスティガーの後足目掛けて弧を描くのが見えました。
その時ティグは、「いける」と思いました。このままなら、致命傷とまではいかなくてもウェスティガーの敏捷性を下げる事ができると、確信しました。
しかしその瞬間、ウェスティガーはフッと笑いました。
〝甘いな〟
ウェスティガーは宙で少しだけ体勢を変えると、事もあろうにそのままティグとフィルの剣が交差した箇所に着地して見せました。そして、そのまま剣を踏み台に再び宙へと跳び上がります。今度は、ティグ達が剣を振る間もなく地面に着地しました。
そして、着地と同時に駆け出しました。風が巻き起こります。目で捉えるのが困難なほどの速さで地を駆けるウェスティガーは、鋭い爪を宙に走らせ、フィルに跳びかかりました。フィルは素早くセフィルタを身体の前に構え、ウェスティガーの爪を受け止めます。ですが、走る事により勢いが付いていたウェスティガーの力に堪え切る事ができず、そのまま後ろに押し飛ばされます。道端に据えられた岩に背中からぶつかり、フィルは「ぐっ……」と呻き声をあげました。
「フィルさん!」
「フィル爺ちゃん!」
ティグとパルが同時に叫びます。それを全く気にする様子も無く、ウェスティガーは追い打ちをかけるようにフィルへと襲い掛かりました。フィルはまだ、剣を支えに立ち上がったばかりです。
「くそっ!」
ティグは、何も考えずに走り出しました。間一髪間に合った剣がウェスティガーの牙を受け止め、ギィン、と音を立てます。
「いかん! かわせ、ティグニール!」
「え!?」
剣とウェスティガーの牙ばかりを見ていたティグは、フィルの声でハッとしました。その時にはもう、眼前にウェスティガーの爪が迫ってきています。
刹那、鋭い痛みがティグの腕と腹を襲いました。次いで、その部分が次第に熱くなっていきます。
「うっ……」
思わず、ティグは剣を握っていた手の力を緩めました。その隙を突くように、ウェスティガーはティグの腹に頭突きを喰らわせます。
「くっ……!」
一気に息を吐き出しながら、ティグの身体は吹っ飛びました。吹っ飛んだ身体は茂みに受け止められ、ガサガサっという音を立てます。
「ティグ兄ちゃん!」
パルの声が、聞こえました。痛みを堪えながら顔を上げれば、青ざめたパルが二人の元へと駆け寄ってきます。
「来ちゃ駄目だ、パル!」
茂みから立ち上がりながら、ティグが叫びます。その声に、パルはビクリと足を止めました。その横では、二人の様子を気にしながらパルがセフィルタでウェスティガーの牙を受けています。フィルは肩で息をしています。このままではまずい、とティグは思いました。
次の瞬間には、ティグ同様にウェスティガーの体当たりを食らったフィルがティグの元へと吹っ飛んできました。二人はそのまま折り重なるように茂みの中に倒れ伏します。
「っつ……フィルさん、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫だ。ティグニール、君はどうじゃ?」
「僕も大丈夫です。まだ……戦えます!」
言いながら、二人は身体を起こしました。ティグは一瞬、ウェスティガーにやられた腹と腕の傷の痛みに顔をしかめました。そんな二人に、ウェスティガーがじり……と迫りました。二人は剣を構え、持ちうる限りの気力を持ってウェスティガーを睨みます。
ウェスティガーが跳躍しました。襲い来る爪を、ティグの剣とフィルのセフィルタの二本がかりで受け止めます。二人の顔が、苦痛で歪みました。
〝まだ意地を張る気か、フィル。悪い事は言わない……ヘイグを倒す事は諦め、何処かで穏やかな余生を過ごせ。いつまでもメイシアに拘るな〟
「私がそこではい、そうですか。と引き下がるような人間ではないという事は知っておる筈じゃろう、ウェスティガー。お前こそ、何故ヘイグに加担する? ツィーシー騎国建国を援けた聖獣であるお前が、何故!」
〝私が認め、援けるのは初代ツィーシー騎国王、ニグト・トウ・ソーデシアのみ。ツィーシー騎国建国を援けたからと言って、その後もツィーシー騎国を守る義務は私には無いと思うが? フィル〟
「だが、お前はニグト王亡き後も度々ツィーシー騎国と歴代の王を援けてきたと聞く。ニグト王しか援けないというのであれば、何故……」
噛み殺さんと言わんばかりの表情で、フィルがウェスティガーに問いました。すると、ウェスティガーは淡々と答えます。
〝ニグトとの約束だからだ〟
「約束?」
ティグが呟くと、ウェスティガーは頷くような口調で言います。
〝ツィーシー騎国建国の折に、私はニグトと約束をした。ニグトの後を継ぐ者を守るとな。だが、ただ子孫を守るだけではもし内部分裂による反乱などが起きた時私には収められないと考えたのだろう。ニグトは、私にこう言った。「私の王冠を継いだ者を守れ」とな〟
「ツィーシー騎国王の、王冠……」
ティグは、マジュ魔国の王宮でヘイグと戦った時の事を思い出しました。あの時確かに、ヘイグは王冠を被っていました。元ツィーシー騎国王の首から奪い取ったという王冠です。
「たかが王冠一つの為に……ツィーシー騎国を滅ぼしたヘイグに加担しているというのか、ウェスティガー!!」
〝私にはニグトの子孫を守る義務は無く、私から見ればツィーシー騎国とマジュ魔国のどちらが正義なのかもわからぬ。ただわかるのは、ヘイグはニグトの王冠を被っている……それだけだ〟
それだけ言うと、話は終わりだとでも言うようにウェスティガーは尾を振り上げました。身体をしならせ、鞭のように尾を振います。尾は、情け容赦なくティグの横腹に当たりました。
「うっ……」
まるで金棒で殴られたような衝撃が襲いかかり、ティグの口から苦痛を示す呻き声が漏れます。ティグは思わず膝を折り、その場にくずおれました。
「ティグニール!」
フィルが、ティグに声をかけます。ですが、心配する暇も無くフィルの横腹にもウェスティガーの尾が叩き込まれます。元々一人でウェスティガーの爪を受け止めるには力が不足していたところに衝撃を受け、フィルもその場に膝をつきました。
ウェスティガーが、残念そうな顔で二人を見下ろします。二人は剣を支えに立ち上がろうとしますが、身体に力が入りません。首を上げ、ウェスティガーを睨みつけるのが精一杯の様子です。
〝そろそろ終わりにしよう、フィル。あの世で、先に行った仲間達に詫びると良い。このまま捨て置かれるよりも、その方が気が楽だろう?〟
そう言って、ウェスティガーはとどめを刺そうと前足を振り上げました。フィルはウェスティガーを睨み、ティグは思わず目をつぶりました。その時です。
「やらせんがねっ!」
パルの叫び声と共に、数え切れないほどの剣がウェスティガー目掛けて飛んできました。ウェスティガーは咄嗟に飛び退き、剣を交わします。
突然の事に、ティグとフィルはパルの方に振り向き、そして目を丸くしました。パルの後ろには、剣を初めとする武器類類が山と積まれていました。その全てに、マジュ魔国の旗印である一角髑髏が刻印されています。
「マジュ魔国の武器……って事は、パル……これ!」
半ば呆れたような声で、ティグは言いました。パルは、胸を張って頷きます。
「ウェスティガーがティグ兄ちゃん達ばっかりに気を取られとったのが不幸中の幸いだがね。今度こそ、マジュ魔国の武器庫はすっからかんだがね!」
言いながら、パルは杖を振りました。山と積まれた武器達が、次々に宙へと舞い上がり、ウェスティガーへと襲い掛かります。ウェスティガーが飛び交う武器を避けている隙に、パルはティグとフィルの元へと駆け寄りました。そして、青い液体の入った瓶を二本取り出すと、二人に投げて寄こします。
「今回限りの、特別出血大サービスだがね! とっととそれ飲んで、怪我を治しゃー!」
言いながら、パルはフィルの前にしゃがみ込みました。そして、フィルの肩を優しく撫でて地面に腰を落ち着かせると、今までフィルが支えとしていたセフィルタに手をかけます。
「フィル爺ちゃん、ちょっとコレ借りるがね!」
それだけ言うと、パルはセフィルタを手に駆け出しました。
「待て、パルペット! セフィルタは……」
慌てて立ち上がろうとして、フィルは膝を折りました。気張ってはいますが、やはりウェスティガーの攻撃で受けた衝撃は生半可ではないようです。倒れ込むのを支えようとするティグを片手で制止し、フィルはティグに言いました。
「私の事は良い。それよりも、君はパルペットの傍についていてやってはくれぬか?」
言われて、ティグはフィルとパルを交互に見ます。確かにパルはかなり心配ですが、いつになく深手を負っている様子のフィルの事も気になります。どちらの傍に行くか決めかねているティグに、厳しい顔でフィルは言いました。
「セフィルタは、確かに闇をも切り裂く聖剣じゃ。じゃが、その扱いは非常に難しい。ただ振るうだけでは、普通の剣となんら変わらん。私とて、セフィルタを託されてから聖剣として扱えるようになるまでに四十年かかった……」
「! じゃあ、今のパルは……」
「魔法使いが普通の剣を持って魔獣に挑んでいるようなものじゃ」
フィルの言葉に、ティグは全身の血の気が引いていくのを感じました。すぐさまパルを振り返り、片手で瓶のコルク栓を抜きます。きゅぽん、という心地よい音を楽しむ余裕も無く、青い液体を一気にあおります。甘苦い味がして、喉がスッとします。少しずつ痛みが引いていくのを待つ間もなく、ティグは茂みから飛び出しました。背中に、フィルの声が届きます。
「少し休んだら私も行く。それまで、パルペットを頼んだぞ、ティグニール!」
ティグは寸の間振り返り、軽く頷くと脱兎の如く駆け出しました。前方を見れば、パルはセフィルタを不格好に構え、じりじりとウェスティガーに近寄っています。どうやら、宙を舞う武器を避け続けるウェスティガーに決定的な隙ができるのを待っているようです。
瞬間、ウェスティガーがパルに背を向けました。それが合図であったと言うかのように、パルは一気に駆け出します。宙を舞ってる武器達は、パルが通る時だけはその動きを止めました。
難なくウェスティガーに近付いたパルは、そのままセフィルタを振り下ろしました。パルの体格には不釣り合いに大きな剣であるセフィルタは、ふらふらと波線を描きながらもウェスティガーへと向かっていきます。
セフィルタの切っ先はウェスティガーの首筋をかすめ、ギギキギギ……という金属で金属を引っ掻くような音がしました。その音と衝撃にウェスティガーは首を巡らせます。ウェスティガーはパルと目が合うと、即座に後ろに飛び退きました。いくつかの武器が毛皮に当たり、カチンと音を立てて地面に落ちました。
ウェスティガーの毛皮のうち、武器の当たった箇所、セフィルタが引っ掻いた場所には、薄っすらと血が滲んで見えます。恐らく、毛皮の部分は硬いとは言え、爪や牙ほどではないのでしょう。ティグやフィルであれば、致命傷を与える事ができそうです。
しかし、パルは魔法使いです。剣の扱いは不慣れな上に、体力も腕力も二人には確実に劣ります。ならば、と、懐から薄桃色の液体が入った瓶を二本取り出しました。一本の中身はティグがやったようにセフィルタの刀身に振りかけ、もう一本は一息に飲み干しました。
「やったるがね!」
空になった瓶を投げ捨て、気合いを入れる為に叫びます。そして、再び不格好にセフィルタを構えて走り出しました。薬の効果からか、その速さは今までとはまるで違います。その姿を、ウェスティガーは逃げるでもなく身構えるでもなく、見詰めています。
「うわぁぁぁぁっ!」
雄叫びをあげながら、パルはセフィルタを振いました。先ほどとは違い、切っ先の軌道はふらついてはいません。
〝……っ!〟
ハッと我に返ったような呼吸をし、ウェスティガーが後ろに飛び退きました。刃は再びウェスティガーの首筋をかすめ、白く輝く鋼鉄の毛が宙に舞い散りました。
「まだまだぁっ!」
叫びながら、パルはセフィルタを振い続けます。ウェスティガーはそれを、全て紙一重で避け続けます。ティグやフィルと戦っていた時には見る事ができなかった光景です。
〝太刀筋は良くないが、鬼気迫るものがある……。パルペット、と言ったな。お前は、やはり私が憎いか? お前の村の仲間を、お前の父と母を殺した私が……〟
「当たり前だがね! どこの世界に、聖人君子でもないのに親の仇を憎まない奴があるかね!」
パルが振り回した剣の勢いに思わずよろめいた隙にウェスティガーが問うと、パルはその場で即答しました。その後すぐに、「けど……」と言葉を継ぎ足します。
「今こうして、慣れない剣を振るってまで戦ってるのは、仇を討ちたいからじゃないがね。確かにお前の事は憎いがね。けど、お前を倒したところで父ちゃんも母ちゃんも帰ってはこないがね! それよりも!」
言いながら、パルはちらりと後を振り向きました。多少は回復したのか茂みから姿を現したフィルと、こちらに駆け寄ってくるティグの姿が見えます。
「このままだとお前がフィル爺ちゃんとティグ兄ちゃんまで殺してしまうのが嫌だがね! 父ちゃんと母ちゃんが死んでまった今は、あの二人が自分の家族だがね! 自分は、もう二度と家族を自分の目の前で死なせたりはしないがね!」
それは、昨夜暗い書庫の中で一人考えた末にパルが辿り着いた結論だったのでしょう。パルは言い澱む事無く、まっすぐにウェスティガーの目を見て言いました。
「フィル爺ちゃんもティグ兄ちゃんも、絶対に死なせたりはしないがね! 自分の家族を傷付けようとする奴は、誰であろうと容赦はせんがね! 例え相手が聖獣だろうと、ヘイグだろうと! 自分は家族を守るために、戦ってみせるがね!」
〝そうか……私に家族を殺された哀れな娘程度にしか捉えていなかったが……そういう事なら話は別だ。ヘイグに本気で楯突く事を決意したお前を敵と認識し、全力で戦わせてもらおう!〟
叫び、ウェスティガーはパルに向かって突進を始めました。パルは、ぐっと足に力を込めてセフィルタを構えます。
刃が、ウェスティガーの牙を受け止めました。そしてその力を受け止めきる事ができず、パルは身体が後ろに吹っ飛びそうな衝撃を覚えます。
「パル!」
ティグの声が、すぐ後ろで聞こえました。それと同時に、パルの背中をふわりと温かい物が包み込みます。
「ティグ兄ちゃん!?」
何とか吹っ飛ぶのを踏みこらえたパルは、目を丸くして振り返りました。そこにはティグがいて、パルの背中を両腕を広げて抱き止めています。ティグはその場で剣を閃かせると、ウェスティガーに斬りかかりました。ウェスティガーは跳躍して飛び退きます。
今のうちに一撃を与えようと、パルがセフィルタを構えました。すると、その両手にティグが片手を乗せ、窘めるように言いました。
「駄目だよ、パル。この持ち方じゃ剣が安定しないから、振っても太刀筋が滅茶苦茶になっちゃうよ?」
そう言うと、ティグは一旦剣を鞘に納め、両手を使ってパルの手に正しくセフィルタを握らせました。その隙にも、ウェスティガーは再びティグ達に突進してきます。
ティグは、自分の剣を抜いて応戦する余裕は無いと見てとったのか、パルの手の上からセフィルタを握りました。そして、教えるような口調で剣を振り上げました。
「それで、振り上げる時は、こう!」
ティグが腕を動かすのを感じ、パルは慌てて合わせるように腕を振り抜きました。いつものティグより若干遅く振られた剣は、しかしそれでもウェスティガーの爪を受け止め、キィン、と甲高い金属音を鳴らしました。それとほぼ同時に、ウェスティガーの白い毛皮にパパッと赤い飛沫が飛び散ります。
「え……?」
〝何だと!?〟
思わぬ事態に、ティグもパルも、ウェスティガーさえも目を見開きました。ティグとパルは瞬きをし、ウェスティガーを凝視します。
鋼鉄の硬さを誇る筈のウェスティガーの爪が、確かに欠けています。そして、同じく鋼鉄の如き硬さである筈の白い毛皮には筆で線を描いたように赤い血糊が付着しています。
フィルが使っていない今は普通の剣同様である筈のセフィルタでウェスティガーに大きな傷を負わせる事ができた事に、ティグは心の奥底から驚きました。
「何で……」
唖然とした声で、ティグは呟きました。その横では、パルがぽかんと口を開けています。
「考え方は様々じゃ。お前達二人の〝仲間を守りたい〟という気持ちにセフィルタが応えたのか、一人では扱う事ができなかったセフィルタを二人で振ったから扱う事が出来たのか、はたまたただの偶然か……」
「フィルさん!」
「フィル爺ちゃん、もう大丈夫なのかね!?」
驚いた二人の声に、フィルは微笑んで頷きました。
「うむ。心配をかけて済まなかった」
言いながら、フィルは二人の頭を撫でました。皺だらけの乾いた手が、くすぐったく感じます。パルは、フィルにセフィルタを差し出しました。
「フィル爺ちゃん……セフィルタ、返すがね。やっぱりこの剣は、フィル爺ちゃんが持っとるのが一番良いがね」
すると、フィルは首を緩やかに振ると、セフィルタをパルの手に握らせました。
「危なくなったら、私が援護をする。パルペット、今はセフィルタをお前に預けよう。戦って、けじめを付けて来い」
パルの目をまっすぐに見て、フィルは言いました。そして、自身は地面に落ちていたマジュ魔国の名も無き剣を拾い上げます。そして、もう一度パルの目をまっすぐに見ました。
「……わかったがね!」
力強く頷いて、パルはセフィルタを構えました。それを援護するように、両脇でティグとフィルが剣を構えます。
〝面白い。だが、それで良いのか、フィル? お前がセフィルタを振るった方が、確実に私を倒せるだろう?〟
少しだけ嘲るような口調で、ウェスティガーがフィルに問いました。すると、フィルはニヤリと笑って見せました。
「パルペットを甘く見ると痛い目にあうぞ、ウェスティガー。……ティグニール!」
「はい!?」
突如名を呼ばれ、ティグは驚いて振り向きました。
「ウェスティガーに認められる事は、ツィーシー騎国の騎士として非常に誉れ高き事とされておる。君は……ウェスティガーに認められる、最後のツィーシー騎国の騎士となれ!」
「! ……はい!」
ティグはキュッと表情を引き締めました。パルと共に、足を一歩踏み出します。
ウェスティガーが地を蹴りました。鋭い牙が、爪が、鎌鼬のような風と共にティグとパルに襲い掛かってきます。
金棒のような尾が、唸るような音をたててパルに向かいました。咄嗟にフィルが剣を投げます。剣は見事尾に当たり、カチンという音を立てて尾の勢いを殺しました。尾を食い止めた剣は、そのまま地に落ちました。刃こぼれした刀身は根元から折れ、二度と使い物にはなりそうもありません。
自分達の真横で起きたその出来事に気を取られる事無く、ティグとパルはただ一心不乱に剣を振り上げました。ティグの剣とパルのセフィルタが宙でクロスし、二本の刃がウェスティガーの牙と爪を受け止めます。
その瞬間、交差した二つの刃から今までにない力が湧き上がったようにティグは感じました。ティグとパルはその力を借りるように剣を握る手に力を込めます。そして、剣を交差させたまま、二人は更に一歩、踏み出しました。そして、全ての力を振り絞るようにして、互いの剣を思い切り振り抜きます。
剣は、弾かれる事無くウェスティガーの喉元を切り裂きました。白い毛皮に赤い「X」の文字が深々と記され、激しく血が吹き出します。
ウェスティガーは、一声咆哮したかと思うと、その場にドッと倒れ伏しました。そのまま動かなくなったその姿を眼下に納め、ティグは気が抜けたように座り込みました。横眼で見れば、フィルもホッと胸を撫で下ろしています。
そんな中、パルだけがセフィルタを持ったままウェスティガーに駆け寄りました。彼女はウェスティガーの前にしゃがみ込むと、その首を抱き上げるようにして持ち上げました。首筋からは、トクントクンと言う鼓動をゆっくりながら伝わってきます。
「まだ……生きとるがね」
暗い声で、パルが言いました。そして、相手の意識を確かめる事無く、ぽつりぽつりと問いかけます。
「お前、最後に何で手加減したがね……。フィル爺ちゃんに弾かれたあの尾……すぐにもう一度振り上げれば、きっと自分の手からセフィルタを叩き落とすくらいワケはなかったがね。なのに、何で一度弾かれたくらいでやめたのかね?」
〝……お前の両親を殺した事への、贖罪とでも言って欲しいか……?〟
薄っすらと目を開け、ウェスティガーが問いました。すると、パルはふるふると首を振ります。
「そんな風には見えんかったがね」
〝そうか。……そうだな、あれはお前への贖罪ではなかった。だが……〟
少しだけ、ウェスティガーは言い澱みました。ひゅっ、と喉元から嫌な音がしました。魔獣でなければ、喋る事などできないほどの傷です。恐らく、ウェスティガーはもう長くはないでしょう。
〝お前達と戦っているうちに……ヘイグに従うのに嫌気がさしてきたのかもしれん。ヘイグに従っている限り、私はヘイグに敵対する者と戦わなければならん。そして、お前の両親のように戦う意志の無い者や、お前達のような未来ある若者をも殺さなければならなくなる……〟
「だから自分に更に攻撃をするのを躊躇った……そういう事かね?」
パルが顔をしかめて問うと、ウェスティガーは声だけで笑いました。
〝そうかもしれんな〟
パルの腕の中で、ウェスティガーはビクリと痙攣しました。最期の時が、近付いています。
〝パルペット、それにティグニール……と言ったな。最後の攻撃は、見事だった。私は初代ツィーシー騎国王ニグトの朋として……ツィーシー騎国の聖獣として、お前達を誇り高きツィーシー騎国の騎士であると認めたいと思う〟
パルが一瞬だけ、複雑そうな顔をしました。魔法使いなのに騎士と認められるというのは、変な感じがしたのでしょう。
〝二人がかりながらセフィルタを振るう事ができたお前達とフィル……三人の力を併せれば、ヘイグを倒す事も可能かもしれんな……〟
ウェスティガーは、言いながら視線をフィルに移しました。フィルはただ、黙って事の次第を見守っています。
〝フィル〟
「……何じゃ」
呼び声にフィルが返事をすると、ウェスティガーはティグとパルを見ながら言いました。
〝良い若者達だ。この二人が道を踏み外したりしないよう、お前がしっかりと導いてやれ〟
「言われんでも、そのつもりじゃ」
不機嫌そうにフィルが言うと、ウェスティガーは楽しそうに笑いました。そして、ひとしきり笑うと顔を引き締めます。
〝油断するなよ、フィル。私やイストドラゴン、ノスタートゥルはお前達に倒されたが、だからと言ってヘイグの化け物染みた強さが損なわれたわけではないぞ〟
「わかっておるわ。元々、奴は魔獣の力を借りんでも化け物染みた強さを持っておる。それに、まだサウヴァードも残っておるしな」
ムスリとした声でフィルが言います。すると、ウェスティガーは力無く首を振りました。
〝そういう事ではない。私達四匹を倒しても、私達がヘイグに貸していた力が完全に失われるわけではない、という事だ〟
「!? どういう事じゃ!?」
思わずフィルはウェスティガーに詰め寄りました。ですが、その時ウェスティガーの身体は再び痙攣しました。消えかかった声で、ウェスティガーは言います。
〝……どうやら、時間切れのようだ。すまんが、あとは自分で考えてくれ。……フィル〟
「何じゃ!?」
絞り出すようなウェスティガーの声に、フィルは鬼気迫る表情で答えました。すると、ウェスティガーは顔を綻ばせ、最後の力で言いました。
〝頑張れよ……〟
それだけ言うと、ウェスティガーは動かなくなりました。完全に事切れてしまったのでしょう。パルの腕の中でウェスティガーの首はどんどん重くなっていき、身体は少しずつ冷たくなっていきました。
「……フィルさん」
ティグは、かける言葉が無いままにフィルに声をかけました。フィルはウェスティガーの最期の言葉にぽかんとしていましたが、ティグの声でハッと我に返ると、すぐさまいつものように表情を引き締めました。
フィルは立ち上がり、パルからセフィルタを受け取ると鞘に納めました。そして、不安そうな表情をするティグとパルに言います。
「ウェスティガーが言わんとする事はまだわからぬが……今はただ進むしか無いじゃろう。少し休んだら南へと向かうが……良いな?」
フィルの言葉に、ティグとパルは頷きました。
「一応、次の魔獣で最後って事になるがね」
パルに言われて、フィルは頷きます。ティグは、次の行き先を確認しようと地図を取り出して広げました。そして、そのまま目を丸くします。
「あれ? フィルさん、次の場所って……」
その顔は、少しだけ青ざめているようにも見えます。地図の南には、なだらかな丘の絵が描かれていました。そして、そこにははっきりと「元ツィーシー騎国領」と記されているのです。
フィルは、険しい表情で頷くと言いました。
「そうじゃ。次の魔獣……君がやられた炎の鳥サウヴァードは、南の丘に住んでおる。つまり……最後の魔獣はツィーシー騎国に隠れ住んでおるという事じゃ」
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