第8話 顔出しNGなのにどうしてモテるのか 7

入月くんがトイレに行ったきり戻ってこない。


本当に彼は人の気持ちも知らずにトイレにばかり行って…


もう、ライブなんて人生で初めてなんだから早く戻って来なさいよッ!!


何故か入月くんの前だと素直になれず、ライブ慣れしているような雰囲気を出してしまったり、本当に何しているのかしら、私…


それにライブ会場という所は、こんなに激しいところだったなんて知らなかったわ!


鮨詰めで息苦しいし、1人になると余計に不安になってしまう。


入月くんが戻って来たら、絶対に懲らしめてやるんだからッ!


そう心の中で決意した瞬間、突然会場の照明が全て消えて思わず身体がビクっと反応してしまう。


キャッ! なに?急に暗くなったけど、もしかしてもう始まってしまうの?



「「「うぉおおおーッ!!!」」」



会場が暗くなると同時に、観客たちの興奮も今までとは比べ物にならないほどの盛り上がりを見せ始める。


そして、ステージに色とりどりのライトが点滅し、レーザービームが辺りを飛び交いながら、大音量でイントロが流れ始めると、先程まで騒いでいた観客たちが一斉に静まり返った。


ついに始まるんだ…


《Godly Place》のライブが…



再びステージに明かりが戻ると同時に爆発するようなも大音量が会場に響き渡る。


そのあまりもの衝撃に、私はつい耳を塞いでしまったけれど、いつの間にか耳に当てていたはずの手は私の頭より高く上がり、身体がリズムに合わせて動き出していた。


私は全身で《Godly Place》の音楽を感じていた。


身体の芯が震えるベース音とバスドラムの重低音、掻き鳴らすギターの心地良さと心に響く歌声… そのどれもが私の心を掴んで離してくれない。


今までの私の人生で、間違いなく一番の感動と喜びを味わっていると実感していた。


最高の時間は瞬く間に過ぎていった…



「次が最後の曲になります… 」



えッ!? ユウさんが喋った?


確か、ユウさんは歌う時以外は喋らないということは、ファンの間でも有名な話だったはずなのだけど…


変ね… ユウさんの優しい声、何処かで聞き覚えがあるような気がする…



「これから歌う最後の曲は、僕がどうしても演奏したくて、本番のちょっと前にメンバーに無理を言って、急遽演奏させてもらえることになりました」



わざわざMCで言わなくてもいいことを律儀に話しているユウさんは本当に優しい人なのだろう。


だから、尚更どうしてあんな変なお面を被っているのか疑問で仕方がない。


ユウさんというキャラとお面とのギャップがあり過ぎて、何とも言えない不思議な気持ちになってしまう。


でも、ユウさんの素顔が分からないからこそ、私の大好きだった父の面影を重ねられるのかもしれない…



「それでは聴いてください…《限りない蒼の世界』」



あ…


私の大好きな曲だ…


ユウさんがどうしてもやりたかった曲というのは、この曲だったんだ…


ミュアさんが弾くピアノの流れるような伴奏からユウさんがそっと儚い声で歌い始める。


まるで、一雫の水が水面に落ち、その波紋が伝わっていくように、私自身がまるで蒼い世界の水面に立っているような、そんな感覚を覚える。


そして、ユウさんの聴く人に優しく問いかけるような歌に、私の心を探られ、自分でも隠そうとしていた想いが、リボンを解くように簡単に開かれていく…





……


………





物心つく前、私は父の弾くギターがすごく好きだった。


いつも男の子のように走り回っていた私も、父がギターを弾いて歌う時だけは、父の隣に座り大人しく聴いていた。


父の歌声はとても心地良く、優しい歌声だった…


ある日、母が私に「父は遠いところへ行ってもう帰って来ない」と話した。


私を悲しませないようにと必死に笑顔を作りながらも、時折言葉を詰まらせてしまう母を見て、幼かった私でも父は死んでしまったのだと直ぐに理解できた。


私は、母に見つからないように布団に潜り、声を押し殺すようにして泣いた。


父のギターや歌声だけでなく、父のことが大好きだったのだと、その時初めて気付いた。


時が経つにつれ、いつの間にか父の顔が思い出せないことが増え、写真で確かめてもまたすぐに忘れてしまうようになってしまった。


きっとそれは私が自分で望んで忘れようとしていたのだと思う…


女手ひとつで私を支えてくれている母のため、いい子になろうとずっと努力してきた。


勉強も運動も頑張り、クラスでは毎年学級委員に推薦される程になり、風紀委員では副委員長を任されている。


先生やクラスの皆からも信頼され、期待もされている。


そして何より、母が喜んでくれる!


私にはそれが嬉しい… 誇らしい… はずなのに! それだけでは、ぽっかり空いた心の隙間は埋まらない…!


どうしてかなんて分かってる! だってしょうがないの!


もう、私の父はいないのよ!


どんなに頑張っても褒めてくれない! 悪いことをしても怒ってもくれない!心地良いギターの音色も、歌声も、もう何も! 何にも残ってないのよ…


ねえ… お父さん…


どうしてお父さんは…


死んじゃったの…?





……


………





『限りない蒼の世界』は私の心をさらけ出したまま終わってしまった…


苦しくて今にも胸が張り裂けそう…


この曲を聴くと大切だったお父さんを思い出すことができて大好きだったのに、実際の演奏を目の前で聴いてしまうと、こんなにも自分の心が荒らされ、曝け出されえしまうなんて思いもしなかった。


もう二度とこんな曲は聴けない…


いいえ、もう二度と《Godly Place》の曲は聴けない…


そう思った時だった。



『ーー 僕は此処にいるよ 』


「えっ…?」




顔を上げると、照明が落ちたステージの上で、ユウさんがギターを弾きながら違う曲を歌っていた。


確か、ユウさんは『限りない蒼の世界』が最後の曲と言っていたはずなのに…



『ーー 君の心の中、辛いとき悲しいときも』


『ーー 君の名前をずっと呼び続けているよ、ただ1人の愛する人』


『ーー この広い蒼の世界には思い悩みも痛みもない』


『ーー 空へと羽ばたいたその翼を縛るものは何もない』



初めて聴いたはずの歌なのに、ずっと前から知っていたような懐かしい感じがした。


まるで、お父さんが私を励ますために歌っているような、そんな暖かく優しい歌だった。


曲が終わった途端、私は急に肩の荷が降りたような脱力感に包まれ、その直ぐ後に今まで心の奥底に溜め込んでいたものが、洪水のように溢れるのを感じた。


いつの間にか目の前の柵を強く握りしめていた手に、何か冷たい物が当たった感じがして、その時初めて自分が泣いていることに気付いた。


こんなに泣いたのはいつ以来だったかしら…


最後に憶えているのは、確か父が亡くなった日だった気がする。


歌が終わっても、誰ひとりとして歓声や拍手をする者はおらず、ただ静寂が会場を覆っていた。


ふと周りを見回すと、私と同じように目の周りを赤くして泣いている人や、座り込んで泣き崩れている人もいるようだった。


そうか… ここにいる人たちも皆んな、私と同じように何か問題を抱えていて、その隠したい部分に優しく触れられたのだろう。


直ぐにガップレのメンバー全員がステージの1番前に並び、一斉に深々と頭を下げると、会場の彼方此方から小さな拍手が起こり始め、すぐに大喝采へと成長した。



「ありがとーう!!」

「ありがとーッ!!!」



と、いろいろな場所から聞こえてきた。


私もこの気持ちをどうしてもガップレに、ユウさんに伝えたくて…



「ガップレありがとーうッ!!」



と、大声で叫んだ。


その時、ユウさんが私の方を向き、また軽くお辞儀をしてくれた。


もしかして、私の声がユウさんに届いたのかも知れない…


その後もしばらく拍手と歓声は止むことがなかった。

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