第6話 学び舎の花巡り~冬2
「……というわけで、今度もまたお預けだったんだ……」
フェンネルへ報告のために訪れて、涼汰は疲れた声で報告を終えた。
「なるほどねぇ……一度目と二度目は次の季節を待たないと掘り出せない場所に埋めて、三度目は殺気立ってて受験がひと段落するまで近寄りがたい三年生の教室か。その暗号を隠した人、ずいぶんと焦らすんだねぇ。……あ、パウンドケーキあるよ。食べる?」
大量に並んだポインセチアに水をやりながら、乾はバックヤードを指差した。どうやら、常連客からクリスマスのお菓子をおすそ分けしてもらったようである。
「……よく常連さんからおすそ分け貰ってるみたいだけどさー……乾のおっちゃんも間島さんも、クリスマスプレゼントくれたり、ケーキを焼いてくれる彼女とかいないわけ?」
「それ、言わないでくれる?」
「いたら、二十四日と二十五日にシフト入れたりしてないよ?」
乾は悲しそうな顔をしているし、花の剪定をしていた和樹は笑顔がどこか怖い。これ以上突っ込んだらいけない話題のようだ。
「……ってか、間島さん。試験勉強が忙しいんじゃなかったっけ? 今日、バイトしてて良いわけ?」
「正直ギリギリだけど、勉強以外の予定も入れておかないと気が滅入りそうなんだよね……」
風邪と二日酔いは治ったようだが、目が死んでいる。どうやら、本当にギリギリのようだ。
「……うちの姉ちゃんが、試験やレポートは、教授の性格や好みを把握していれば八割はできたも同然って言ってたけど」
「……一理ある。特に俺みたいな文系だと本当に一理あるんだけど……男性教授の性格や好みを把握するのに心血を注ぎたくない……!」
「……涼汰くん。これが残念なイケメン改め、ダメな大人の見本だからね。できる事があるのにグダグダと理由を作ってはやろうとしない、そんな大人になっちゃダメだよ?」
「……わかった」
頷いてから、バックヤードから個包装のパウンドケーキを頂いた。
「そ、それにしてもさぁ!」
残念なイケメン改めダメな大人、もとい、和樹が話題を変えようと声を張り上げた。
「その暗号を考えて埋めた人、本当にどんな人なんだろうね? どうやら、園芸部の関係者で、葉南東中の卒業生みたいだけど……」
「えっ?」
パウンドケーキをくわえたまま、涼汰は和樹の顔を見た。
「どうしてわかるのさ? 暗号を埋めた人が園芸部の関係者だとか、卒業生だとか……」
「そりゃ、話を聞く限り、花壇のかなり奥深くに埋まってたんでしょ? そんな作業、五分や十分でできる作業じゃないし、誰もいないところで一人作業していたら目立つじゃない。それが誰も気付かなかったって事は、暗号を埋めた人は花壇で長時間作業をしていても不思議に思われない人、って事になるよね?」
「あぁ。だから、園芸部」
「用務員さんの可能性も考えましたが……修学旅行に行かないとわからないネタを暗号に盛り込んできていますから、生徒の可能性が高いですよね」
そう言ってからはさみをしまい、和樹は手を洗った。剪定を終えたようだ。
「生徒となると、最新の暗号が隠されているのは三年生の教室だという事だから、これらの暗号を仕込んだのは現在の三年生か、既に卒業した人という事になる。ただ、この一連の暗号は最後に見付かる物から順番に仕込んでいく必要があるわけで、そうなるとどれだけ最近であっても暗号を全て隠したのは、涼汰くんが暗号を発見した五月下旬よりも前という事になる。もちろん、涼汰くんが暗号を発見したのは春の花壇の始末をしている時で、箱を埋めたのは春の花壇に種や苗を植える前という事になるから……」
「だとしたら、俺が入学する前……今年の二月か、三月ぐらいだ」
和樹は、頷いた。
「その時、三年生の教室を使っていたのは? 今の三年生じゃなくて、先代の三年生。つまり、卒業生だよね? ひょっとしたら、一年以上暗号は誰にも見つからなかったのかもしれない。だとすれば、もっと前の卒業生が暗号を埋めた人物という可能性もある」
「だから、暗号を作って隠した人物は卒業生か。なるほどねぇ……」
乾が頷いたところで、ドアベルがカランコロンと軽快な音を立てた。どうやら、客が来たようだ。
「いらっしゃいま……あ、三宅さん、この前はどうもね!」
客は三宅だったらしい。顔見知りであるので、涼汰も出ていって挨拶をする。
「あ、涼汰くんも来てたんだ」
顔と名前を覚えてもらっていた事が、少しだけ嬉しい。
「三宅さん、今日はどうしたの?」
「クリスマスが近いので、家に飾るポインセチアを買いに。……良いの、ありますか?」
「うん、きれいなのが入ってるよ! どれでも、好きなのを選んで!」
乾に示された棚の前に移動し、三宅は真剣な表情でポインセチアを選び始めた。そして、一鉢選ぶと、レジでお金を払う。
「毎度ありがとうね。……あ、ところでさ、三宅さん」
「はい、何ですか?」
ポインセチアを受け取りながら応じる三宅に、乾はしばし、言葉を探す顔をした。えー、とか、あー……という言葉にならぬ声がしばらく続く。
「三宅さんってさ、中学校ってこの辺だった?」
「中学ですか? えぇ、葉南西中ですけど」
「……惜しい」
残念そうに、乾は拳を握った。何を訊き出そうとしているのか察したのだろう。和樹も、乾と三宅の会話に耳を傾けている。
「えーっとさ……変な事訊くんだけど……三宅さん、隣の葉南東中出身者で、知り合いとかいないかな?」
「え? ……何人か、いるにはいますけど……?」
「じゃあさ、その人達から、こんな話を聞いた事って無い? 学校の花壇をかなり深く掘って、いくつも暗号を隠して、宝探しを仕掛けちゃった人!」
「……は?」
三宅が、意味がわからないと言いたげに首をかしげた。それは、そうだろう。前情報を何も知らないまま聞いたところで、さっぱり意味がわからない。
「そういう話は聞いた事、無いですね。東中の女子文学部員と西中の男子文学部員が文化祭の時に出会ってロミオとジュリエット状態になったとか、病気がちでほとんど学校に来れなかった子とか、卒業式の直前に事故で亡くなっちゃった子とか、修学旅行で東大寺の大仏に登ろうとして怒られた子がいたとか、そういう話なら結構聞きましたけど」
「け、結構濃い話を聞いてるんだね……」
顔をひきつらせながら、乾は視線を和樹に寄せた。和樹は頷き、三宅に近寄る。
「三宅さん、良かったら……なんだけどさ。そういう話、もうちょっと詳しく集められないかな? ちょっと……知りたい事情があってさ」
言いながら、涼汰の肩をぽんと叩く。それで何事かがあると理解したらしい三宅は「わかった」と頷いてくれた。
「その話を聞いた子達に連絡をとってみるわ。年末だし、久々に会って女子会をするのも楽しいかもね」
「ありがとう! さっすが三宅さん! 文学ゼミの頼れる姐御!」
乾と涼汰が「あ」と言う頃には、時は既に遅かった。三宅が、顔を真っ赤にして和樹の事を睨んでいる。
「だから……中学生の前で変な事言わないでって言ったでしょ!」
パァンという、乾いた良い音が店内に響く。涼汰と乾は顔を見合わせ、二人揃ってため息をつき、そして声を合わせた。
「本当……残念なイケメン……」
# # #
二月下旬。園芸部の三年生で、三組に所属している先輩が私立に合格し受験を終えた、という話を聞き付けた涼汰と山下は、早速三年三組の教室に足を向けた。一応、まだ受験が終わっていない生徒の事を考えて、授業が終わってかなりの時間が経ってからだ。
南校舎三階にある三年三組の教室へ行ってみれば、そこには既に園芸部の先輩、速水しか残っていなかった。
「速水先輩、すみません。無茶言っちゃって……」
二人して頭を下げると、速水は「いいって」と笑ってくれた。
「受験が終わっちゃえば、三年生はヒマだしね。それで、教室の中で宝探しをしたいんだっけ?」
「はい」
頷くと、涼汰はポケットから、十二月に掘り出したメモ用紙を取り出した。
霧を生みたる葵の学び舎。
朗々たる音響く箱。
横に築きし朱塗りの宮の。
筆と寄り添い睦み合う。
今のところ、解けているのは一行目だけだ。今日だけで残りの三行を解いてしまおうと、涼汰と山下は気合を入れる。
「えぇっと……朗々たる音響く箱……速水先輩、この教室に、CDプレーヤーとかって常備されてますか?」
「CDプレーヤー? 無いわよ、そんな物。この教室に常備されてて、音が出る物なんて、あれぐらいじゃないかしらね?」
変な物を見る目で二人を見ながら、速水は黒板の上を指差した。校内放送を流すためのスピーカーが設置されている。なるほど、たしかに〝朗々たる音響く箱〟だ。
「……え? って事は、〝横に築きし朱塗りの宮〟って……」
眉根を寄せながら、涼汰は視線を少しだけ横にずらした。
何と、スピーカーの横に神棚が設置されている。朱色に塗られたお宮の模型まで飾られていて、かなり立派だ。ほこりの積もり具合を見ると、このクラスの誰かが作って置いた物ではなく、かなり前からここにあるのだろう。
「あぁ、あのミニ神社? 三年生の教室全部に設置されてるわよ。四月になったら、山下も毎日見る事になるわね」
「あぁ、受験必勝祈願的な……」
うんざりした顔で、山下はミニ神社を眺めている。そして、うんざりした顔のまま、速水に問うた。
「ところで、神社ってたしか、ご神体とかあるんスよね? あの神社にもあるんスか?」
「あるわよ」
速水はあっさりと頷いた。
「バチが当たるから覗くなって言われててね。それでも、中身を知らないと覗きたくなるのが人のサガでしょ? だから、四月早々に先生が教えてくれたわ」
「それってもしかして……筆、ですか?」
「そうよ。知ってたの?」
驚く速水の前で、涼汰と山下は頷き合った。そして、椅子を一脚ミニ神社の前まで持ってくると、山下がそれに登り、ミニ神社の本殿部分に手を突っ込む。
「ちょっと、山下! 何やってるのよ? バチが当たるわよ! やめなさい!」
「すぐ降りますってー。……っと、あった!」
何かをつかむ動作をすると、山下はひょいと椅子から飛び降りた。手には、小さな紙を持っている。……あのメモ用紙だ。
「やったな、浅海。ビンゴだぜ」
言いながら、早速二人でメモ用紙を覗き込む。
ホタルブクロ
ダブルシャイン
ハオルチア
スノードロップ
エゾムラサキ
「……何だこれ……」
「今までずっと詩歌風だったのに……いきなりカタカタ語の羅列!?」
凍り付いたようになった二人の横から、少し怒ったような顔をした速水が覗き込んでくる。
「あんたらねぇ、さっきから何なのよ? 一体何を見て……あれ? そのメモ帳……。そうか、宝探しって……春に見付けたアレの続き、まだやってたんだ?」
「あ、はい……」
速水によく見えるようにメモの角度を変えながら、涼汰は頷いた。
「うわ、何これ……」
メモの中身を見て、速水は顔をしかめた。
「一番目と、四番目と五番目は植物の名前で聞いた事あるけど……何? これって何か意味あるの?」
「ある……と思うんスけどね……」
困ったような山下の顔を見てから、自身も困った顔をして。涼汰はこれまでの経緯を話した。そして、今までに出てきた暗号のメモ用紙も見せる。それらを見て、速水はまた顔をしかめた。
「ふぅん……何を考えて、こんなの残したのかしらね、佐原先輩は」
「そうなんですよねぇ………………え?」
「ん? 何?」
二人分の視線に気付いて、速水は顔を上げた。目の前で、涼汰と山下が目を見開いている。
「ちょっと……どうしたのよ、あんたら?」
「速水先輩……ちょっとうかがいたいんスけど……」
「これを埋めた人……佐原さんっていうんですか!?」
「そうだけど……え? 浅海はともかく、山下も知らなかったの!?」
「初耳っスよ!」
そこで、三人で顔を見合わせ。同時に深呼吸をした。
「オーケー、落ち着きましょう。まず、どこから話せば良い?」
「とりあえず……その佐原さんって、何者なんですか?」
涼汰の質問に、速水は「うん」と頷いた。
「私の、一つ上の先輩よ。……と言っても、園芸部じゃなかったんだけどね。園芸部だったのは、同じ学年だった水谷先輩。……こっちは山下、あんたも覚えてるわよね?」
「……はい」
山下の顔が、少し強張った。何なのだろうか。
「この水谷先輩が、例の佐原先輩と友達だったのよ。佐原先輩は体が弱くて、どこの部活にも所属してなかったんだけど……仲の良い水谷先輩がいたから、よく園芸部に出入りしていたわ」
「その佐原先輩が、これを埋めたんですか? ……どうして……」
「正確には、最初に浅海が掘り出した物だけが佐原先輩が埋めた物。夏と秋の花壇に埋まってたって言う箱は、体の弱い佐原先輩の代わりに、水谷先輩が埋めたんでしょうね」
そう言って、速水は四枚の暗号メモを見た。教室の中が薄暗くなってきたから、そう見えるだけだろうか。悲しそうな顔をしている。
「どうしてこんな物を埋めたのかまでは、わからないわ。ただ佐原先輩は、こう言ってた。もしこれを掘り出した人がいたら、怒らないで、好きなようにさせてあげてね、って」
「それって……」
「自分で考えた、暗号を辿っていく宝探し。誰かに、挑戦してもらいたかったのかもね。だから、浅海がそれを見付けた時も黙ってたんだけど……」
「……あー。佐原先輩って、ひょっとしてあの人っスか? よく水谷先輩と一緒にいた、色白で小さい……」
速水は、頷いた。そして、「そっか」と呟く。
「よく水谷先輩と一緒にいて、園芸部にいるのが当たり前になってたから……佐原先輩が何かしてても、気にならなかったのかもね。だから、山下も覚えてなかったんだわ」
「それで……その佐原先輩は、今は……?」
自分の仕掛けた宝探しに挑戦して欲しかったのであれば、それが解かれる瞬間を見たい事だろう。だが、速水は顔を暗くして、首を振った。
「……亡くなったわ」
「……え?」
ぞくりと、背中が寒くなった。うつむいたまま、速水は早口になる。
「元々、体が弱くて……中学を卒業するまで生きられないって言われてたそうだから。去年の二月中旬にあの箱を春の花壇に埋めに来て、これなら卒業できるんじゃないかって思ってたんだけど……その一週間後に容体が悪化して……ね……」
「そんな……」
この暗号を作った人間は、もうこの世にいない。つまり、この暗号を作った真の意図は、永久に知る事ができないのだ。
「……いや、知っているのは、佐原先輩だけじゃない……」
呟き、涼汰は顔を上げた。
「その……水谷先輩は? 佐原先輩と仲が良くて、暗号を埋めるのを手伝ったのなら……その暗号にどんな意味があるのか、水谷先輩は知っているかもしれませんよね?」
「……」
「……」
速水と山下が、二人揃って黙り込む。速水が、首を横に振った。
「……ダメなの」
呟く声が、弱々しい。
「水谷先輩も、亡くなってるの。佐原先輩があの箱を埋めた二週間前に、交通事故で……」
「なっ……」
絶句し、そして涼汰は理解した。
初夏からずっと涼汰を振り回してきた、この暗号たち。その真の意図を知る者は、最早この世界に、一人も存在しないのだという事を。
# # #
朝から、霧のような雨が降っている。二月の寒気と相まって、とても寒い。白い息を吐きながら、乾が店の中に入ってきた。
「うー……寒い寒い。これだけ寒いと、今日はお客さんは来ないかもしれないなぁ」
そう言いながらバックヤードに入り、ファンヒーターに手をかざす。その後では、椅子に腰かけ、マグカップからココアをすすりながら、和樹が第四の暗号メモを眺めていた。正面の椅子には、暗い面持ちで涼汰が腰かけている。
「暗号を作った人が亡くなってしまっていたのは、残念だったね……」
メモから目を離し、和樹は涼汰に声をかけた。
「うん……」
頷き、小さくため息を吐く。
「俺、さ……結構、楽しみにしてたんだ。この暗号を解いていって、最後の宝物か何かに辿り着くの。それで、こんな風に人を振り回すような暗号を作ったヤツの目の前で、「どうだ!」って言ってやって……そいつが驚く顔が見れたら面白いな、って思ってた……」
「……うん」
和樹は、小さく相槌を打った。涼汰は、先ほどよりも少しだけ大きなため息を吐く。
「……けどさ。作った奴が死んじゃってるんじゃ、「どうだ!」って言ってやる事も、驚かせてやる事もできないじゃんか? そう考えたら、何か急に、俺何やってんだろ、って気持ちになっちゃってさ……」
「……うん」
和樹は、相槌以外の言葉を発さない。涼汰の次の言葉を待っている。
「暗号を解いてる時、俺……結構ワクワクしてたのに。そんなワクワクできる物を考えた奴が、実はあと何日生きられるかもわかんない状況でこんな物を考えていたなんて……何考えてたのか、わかんないよ。この佐原先輩が、何を考えて、こんな暗号を作ったのか……さっぱりわからない……」
「それは……この最後の暗号を解けば、わかったりして」
和樹が、暗号のメモ用紙を振って見せた。だが、涼汰は首を横に振る。
「……も、良いよ。これ以上解き進めて、もっとわかんなくなったら嫌だし。俺はもう、この暗号に挑戦するの、やめる。山下先輩も、やめるって言ってた……」
「そっか……」
「うん……」
「じゃあ、今日はその報告?」
ファンヒーターで少しだけ温まった手をこすり合せながら、乾が問うた。涼汰は頷き、「それと……」と言いながらポケットをまさぐる。白くてシンプルなメモ用紙を、一枚取り出した。
「卒業式に、先輩たちに贈る花束の注文。三人分で、予算はこんだけ」
メモを受け取り、乾は頷いた。
「はい、ご注文承りました。花束は、当日取りに来る? 少し遅くなっても良いなら、学校までお届けするけど。……和樹くんが」
「俺ですか」
「若者は動かなくちゃ」
「都合よく、自分をおじさん扱いしだしましたね……」
「和樹くんも、あと四年もすればこうなるよ」
笑いながら、乾はカウンターから予約票を持ってくる。そこに必要事項を書き込み、受取日と連絡先を記入させると、控えを涼汰に手渡した。
「じゃあ、これで注文は完了。宅配は……」
「届けてくれるなら、それで。十時半ぐらいって、大丈夫?」
乾は、カレンダーを確認した。
「……うん、この日の十時半なら大丈夫だね。じゃあ、それぐらいの時間に学校に届けるから、携帯電話はいつでも取れるようにしておいてね?」
「うん」
頷くと、涼汰は立ち上がった。バックヤードから出て、店の出入り口へと向かう。
「じゃあ……間島さん、乾のおっちゃん。今まで、ありがとうございました」
頭を下げて、店を出る。ドアベルの軽快な音が、鳴り響いた。傘をさして、とぼとぼと歩く。
途中、誰かとすれ違った。直後にまたドアベルの音が聞こえたので、フェンネルの客だったのだろう。
振り向く事無く、涼汰は家への道を歩いていった。
# # #
「今、そこで涼汰くんとすれ違いましたよ。傘をさしていたから、気付かなかったみたいですけど」
言いながら店に入り、三宅は「ん?」と眉根を寄せた。店内の空気が、何やら湿っぽい。
「……何かあったんですか?」
「あー、うん……ちょっとね」
苦笑しながら、乾と和樹は三宅を出迎えた。
「それで……三宅さん。今日は何の用?」
和樹が問うと三宅は、はぁ、と大袈裟にため息をついて見せた。
「間島君が言ったんでしょ。葉南東中の噂話を詳しく調べてくれって」
「……そうでした」
あははと笑って誤魔化そうとする和樹に、三宅は再びため息を吐く。
「……まぁ、良いわ。大して詳しい事はわからなかったし」
そう言いながら手帳を開いた。
「あの後、葉南東出身の友達や、その兄弟、後輩なんかとも会って話をしてみたんだけどね……結局わかったのは、この前話した事件に出てきた子達の名前くらい」
「名前?」
首をかしげる和樹に、三宅は頷いた。
「ロミオとジュリエット状態になっちゃった子達は、大川正人くんと野村みやびさん。病気がちであまり学校に来れなかったって子は、佐原香澄さん。卒業式前に交通事故で亡くなっちゃったって子が水谷茜さんで、東大寺の大仏に登ろうとして怒られたっていうのが加地星太くんと、田辺凛々奈さん。……以上ね」
三宅の報告に、乾と和樹は何とも言えない顔をしている。
「……大仏に登ろうとした子、二人もいたんだ……」
「アグレッシブな学校ですね。葉南東中……」
「涼汰くんを見てると、とてもそうは思えないけどねぇ……」
「その子達だけが特殊なんだと思うけど……」
ひとしきり三人で、苦笑した。そして和樹は「ふむ……」とうなる。
「どうしたの、間島くん?」
「いや、三宅さんに調査を頼んでおいて良かったなぁ、って」
さらっと言ってのけた事で、三宅の顔が照れて紅潮する。しかし、それに和樹は気付いていない。
「……乾さん」
「ん?」
首をかしげた乾に、和樹は真剣な目を向けた。
「葉南東中の卒業式に、園芸部用の花束を届ける日……俺が、配達に行くんですよね?」
「うん。そのつもりだけど?」
「なら……」
言いながら、和樹はちらりと手元を見た。涼汰が置いていった、佐原による最後の暗号だ。
「その日、ひとつやりたい事があるんですけど……」
その言葉に、乾と三宅は顔を見合わせ、首をかしげた。
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