第34話
この宇宙が出来てから百数十億年。今の宇宙は様々な銀河や星、そして無数の命によって彩られている。でも、私たちの遠い先祖の頃から変わる事なく、『時間』は同じリズムを刻み続けている。ずっと長く続いているこの法則を変えるという話は、まだSFやファンタジーのような『おとぎ話』の世界でしか起こらないことだ。
でも、時々私たちは、その時間の流れを大きく歪んだ形で感じてしまう事がある。長い人生の中で、強烈な印象を抱いた時間や人生の岐路を迎えた時間、そして忘れようにも忘れられない思い出の時間。それらは私たちの頭の中で、まるでワイドショーの特集のように長く引き伸ばされ、様々な脚色を含ませた上で、時間の法則の限度を超えて認識される――。
――なんだか難しい話になってしまったけれど、今まで生きてきた中で、私の頭の中にはこんな感じに、一番長く感じた時間、そして一番鮮明に刻み込まれた記憶がある。
私とイケメンさんの――ううん、正確に言うと別れではなく、終わりでもない。でも、今までの楽しかった日々に日々に一つの区切りがついた、あの日の事を、私は絶対に忘れないだろう。
それは、私とイケメンさんが『最後』のデートをした日曜日の事だ。
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「いやー、お疲れ様ー」
「こちらこそ、お疲れ様でした……」
太陽も西に傾いた午後のひと時、私とイケメンさんはのんびりベンチに座り、今日のまとめに入っていた。
朝の早い時間に待ち合わせた私は、イケメンさんに連れられるままに街のあちこちを巡ってきた。ずっと前に行った大きな通りは勿論、古い郵便ポストが置いてあった木陰の道、少し古めの家が立ち並ぶ通りの外れ、新しいビルが続々建築されていると言うビジネス街、そして駅前の大きなデパートにも立ち寄った。あいにく二人揃ってそこまのお金は持ってきていなかったのでたくさんの買い物は出来なかったけれど、再びお揃いのアクセサリーを購入する事はできた。デパートにある衣服店の店員さんがお勧めしてくれた、木の実で出来たネックレスだ。
「結構似合うじゃん。いつも生き物に優しいからかなー」
「そ、それは……で、でもありがとうございます……」
とは言え、やはりイケメンさんの格好良さに比べると、まだまだ全然及ばない、と私は感じた。地味そうに見える服でも、少し古めの色合いでも、そしてちょっと変わったアクセサリーでも、イケメンさんが着るとあっという間に格好良く見えてしまう。今日のデートで、私は改めてそれを実感した。
そしてもう一つ、今回のデートで改めて実感したのが――。
「あ、あの……」
「ん、どうしたんだ……って、あれか!いやー、ちょっと腹へってたからさ、二十枚ほど……」
――イケメンさんの大食漢ぶりだった。
少し照れくさそうに自然に笑うイケメンさんだけれど、私にとってはあのバイキングレストランでの食べっぷりはつい驚いてしまうほどだった。確か最初のデートでも、ファーストフード店に入ってフィッシュバーガーを何個も食べ、おやつ代わりにポテトのLサイズまで空にしてしまうほどの実力を発揮していた記憶がある。でも、今回はそれ以上だった。
私が一つの皿に載せたご飯を食べ終えたとき、イケメンさんの前には何枚もの大きな皿が重ねられていた。焼肉や魚は勿論、野菜もご飯も何でも持ち込んでは次々に口の中にいれ、終いには近くの店員さんも驚くくらいに食べつくしていたのである。近くに居たどこかの学校の、多分運動系の部活の男子生徒の人たちも唖然とするくらいの量だから当然かもしれない。
「ま、まぁ……ほら、俺って結構……悪い悪い」
「い、いえ、大丈夫です……私は気にしていないですので……それよりもお金の方は……」
「あ、言ってなかったな!あの後、店長さんに呼ばれただろ?」
てっきり食べすぎで怒られていたと思い、私はずっと心配してしまったのだが、実際は全く正反対だった。こんなに美味しくご飯をたくさん食べてくれる人は初めてだと褒められ、なんと私と同じ分のお金だけで大丈夫だ、と言われたというのだ。確かにたくさんご飯をよそった後に残されればたまったものじゃないし、逆に全部食べてしまえばそれほど美味しかったのだろう、と嬉しい気持ちになるかもしれない。ただ、それを踏まえてもイケメンさんはとても幸運だったのは間違いないだろう。
それにしても、こんなに食べても一切体型に変化が無いなんて、本当に羨ましい。やっぱり影で色々と努力をしているのだろうか。
この時の私は、まだこんな呑気な考えが出来るほどの余裕があった。
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半日にも満たない時間だったけれど、今回のデートは今迄で一番賑やかで、一番楽しいものになった。そして、その終着点はいつもの場所、私とイケメンさんがいつも語らい、同じ時間を過ごしている、図書館の傍のベンチだった。少し古くて、ペンキも剥がれかけているけれど、ここにイケメンさんと座るだけで、私の中の疲れも苦しみも一気に吹き飛んでしまうのだ。
「……そういえばさ」
「な、なんですか……?」
ふとイケメンさんは、いつものように優しい口調で私に語りかけてきた。こうやって一緒の時間を過ごす事が出来てから随分と日にちが経った、と言う言葉に、私はいつも通り頷き、そうですね、と同意の言葉を返した。だけど、その瞬間から私はほんの少しだけ、イケメンさんの言葉に妙な違和感を感じ始めていた。
「色々と相談に乗ったりさ、逆に俺のほうから……」
「そうですね……私も色々と迷惑かけて……いえ、色々と感謝してます……」
ごめんなさい、と謝り過ぎは良くないぜ、とイケメンさんは何度も注意してくれていた。だけど、やっぱり癖はどうしても抜けない私がそこにいた。
イケメンさんと初めて出会ったのは、夕日が今にも消えようとする道の真ん中。突然道を尋ねてきたイケメンさんに、しどろもどろになりながら案内をした私には、まさかそれからずっと様々な面でお世話になっていくなんて言う未来は予想できていなかった。あの頃の私は、内気で気弱、体型もぽっちゃりしていた『ブタ子』だった。
でも、それから月日が過ぎても、私は相変わらずぽっちゃりした体型で、内気でつい気弱になってしまう。色々とイケメンさんに支えてくれたとしても、周りの環境が劇的に良くなったとしても、自分自身の内面は昔と全然変わっていない、とつい私は考えてしまった。そして、その気持ちは言葉となって、イケメンさんのもとへと伝わった。
「ま、そんなに気にすんなよ。
時間なんていい加減なものさ。時が過ぎれば大通りって……」
「あの……『熱さ過ぎれば喉元通る』では……」
「げ、そ、そうだっけか……たはは、俺も全然変わらないままだったぜ……」
変わらない『ままだった』。
ほんの僅かな言葉が私の耳に入ったとき、頭の中の神経はその言葉を心のうちにある嫌な予感に結びつけた。私がずっと否定しようとしていた、何かは分からないけれどとても嫌な気持ちになってしまうその予感で、私の胸の奥からどこかもの悲しいような、自分の感情を露にしたくなるような、そんな不思議な気分が湧き上がり始めていた。
そして、ようやく私は気づいた。イケメンさんの様子が、今までと違う事に。
「……俺も、ずっと頼られっぱなしだったからな、ずっと」
私の方に視線を当てず、イケメンさんは空に向けて語りかけているようだった。白い雲と心地よい風に包まれた、どこまでも青い空をずっとその目に焼き付けるかのように。その様子に、私は声をかけるのを躊躇してしまった。ここで邪魔をしてしまっては、イケメンさんが悲しむだろう、と感じたからだ。
「色々と、一緒に話して、悩みを消し去ったり、最近の話題を話したり……今日みたいに、デートもしたり」
本当に、色々な事があった。短いようで長くも感じるし、長いようで短くも感じてしまう。不思議な時間を、一緒に過ごしてきたのかもしれない。イケメンさんは、静かな口調で話し続けた。そして、その言葉と言葉の間が、次第に開き始めた。言葉を選んでいるようにも感じたけれど、何か別のことがあって、言葉を続ける事が出来なくなっているのかもしれない、と私は再び不安な気持ちに包まれ始めた。お昼のバイキングレストランでの一件とは訳が違う。今回は本当に、私に関わる重要な何かを、イケメンさんは語ろうとしている。
とうとう私は、いてもたってもいられず、イケメンさんの話を遮ってしまった。
「……あ、あの……」
その瞬間だった。イケメンさんが、私の肩に腕を乗せ、イケメンさんの方へと私を引き寄せたのは。
私の左半身とイケメンさんの右半身は、ほんの少し動けば密着しそうなほどに近づいていた。唇を合わせる訳でもないのに、私は妙に緊張し始めてしまった。大きな不安と少しの緊張、そしてほんの僅かな興奮が私の頭を覆い尽くそうとしたとき、イケメンさんがじっと私の方を見て、静かな声で言った。
「……ここからの事は、絶対に他の人には話さないでくれ――」
――丸斗敦子(まると あつこ)。
その単語を聞いた途端、私の顔はあっという間に真っ赤になった。それは、イケメンさんとの約束を絶対に守るという契約の朱印の代わりにもなってしまった。
イケメンさんと出会ってから、初めて私は、私自身のフルネームを呼ばれたのだ……。
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