2
朝食後、朝の診察、投薬が終われば、昼食までは誰も来ない。この数日で、それはほぼ確かだった。
ルークは昼食後の空き時間に訪れるし、ウルドは朝に弱いので、午前中にくる可能性は低い。抜け出すならば、この時間しかなかった。
いつも通り処置を終えた担当者が決まり文句のように「絶対安静」を唱えて部屋を出ていく。しばらく、部屋の外に耳を澄まし、様子をうかがっていたキルリアだったが、部屋の外側から人の気配が消えると、そそくさとベッドから這い出した。
抜け出すための変装用ローブは、なんとか手に入れることができた。それを隠していたベッドの下から引っ張り出し、寝間着の上から着て、フードを被る。こうすれば、この青く目立つ髪を隠すことができる。また、下位の魔術師用のローブなので、王宮内でも、外でも目立つことはない。
準備のできたキルリアが扉に向かおうとした時。不意に扉の外に人が立つ気配を感じた。
ルークでもウルドでもない、医者のようでもない。しかし、キルリアが訝しむ間もなく、その人は扉をたたいた。
キルリアは慌ててローブを脱ぎ、丸めてベッドに隠し、自分もベッドに潜り込み、上体を起こしたまま、息をつく。そして、内心動揺しながらも、そんな様子はおくびにも出さず、入室の許可を出す。
「……どうぞ」
入ってきたのは、見知らぬ術者。先ほどキルリアが着ていた下位の魔術師用ローブを着て、そのフードを被っていたその人は、何も言わず、部屋にはいると扉を閉めた。
その様子を訝しげに見ていたキルリアは、その人がこちらに歩き出した瞬間、目を見張り、息を呑んだ。しかし、その人物は構わず、ベッドの側に立つとそっとそのフードを外した。
「……国王、陛下」
唖然と呟くキルリアに、その人は少し考えるように口元に手を当てる。
「うむ、私でも、こうも簡単に抜け出せるなら、城の警備をもう少し考えねばならぬな」
「何故……」
「ああ、そろそろ抜け出そうとする頃かと思ってな」
「……」
見抜かれていたことも驚きだったが、それ以上に『国王』の登場に驚いたキルリアは、唖然とその人を見上げていた。そんなキルリアに、国王は優しく笑いかけると、そっとキルリアの頭に手をやった。
「大きくなったな、リリュート」
優しい声に、キルリアははっとして、国王を見上げる。優しい瞳がキルリアを映している。
その手の温もりも、優しい瞳も、懐かしい。全てを許されて、過去に戻ったかの様な錯覚すら起こす。
「……伯父様」
口をついた言葉に、キルリア自身も驚いた。そう呼んでいたのはずっとずっと昔のこと。記憶すら薄れる遥か昔。それでも、自然とそう口をついてでた。
「辛い思いをさせて、すまなかったな」
そう言って、優しい大きな手が、キルリアを抱きしめる。込み上げてくるその思いに、キルリアは耐え切れず、嗚咽をこぼした。涙があふれて、止めようと思うのに、止まらない。そんな押し殺すように泣くキルリアの頭を優しく撫で、抱きしめる。
しばらく、キルリアのすすり泣く声だけがその部屋に響いていたが、やがて、国王はキルリアの背をなでながら、静かに言った。
「ルークから聞いた。何故、出ていこうとする?」
その言葉に、はっと気づいたキルリアは身を固くする。その様子を感じた国王は、ゆっくりとキルリアを離し、その顔の高さに視線を合わせ、幼い子供にするように聞いた。
「私たちが信用できないからかい?」
まっすぐに見つめてくる国王の瞳に、キルリアは気まずくなって、そっと瞳を伏せる。
「そういうわけでは……」
「では、何故だい?」
言いあぐねるキルリアに、国王はそう問うと、その答えを待つようにじっとキルリアを見つめていた。言い逃れようにも、逃れられず。キルリアは口をつぐんでいたが、じっと待ち続ける国王に、やがて、静かに口を開いた。
「……もう、遅いのです」
「何が、遅いんだい?」
「私は、もう……」
ポタポタと、俯いたキルリアの瞳から雫がこぼれ落ちる。嗚咽を堪えるように唇を噛み締めるキルリアに、国王は眉を寄せた。
幼い彼女がこれほどまでに思いつめるその理由は、わからない。それでも、これ以上、国王には彼女を苦しめる事はできない。
「……私たちにも言えないことなのかい?」
できるだけ優しく問う国王に、キルリアはフルフルと首を横に振る。
「私は、伯父様を、従兄様たちを、傷付けたくないんです」
「分かっているよ、リリュート」
「でも! このままでは、私は……」
縋るように国王の腕を掴んだキルリアは、国王を見上げて訴える。
「私を、どこか遠くへやってください。理由は何でも良い。いくらでも罪は被ります。だから、どうか……」
「……それはできない」
「陛下!」
国王の言葉に、思わず声を大きくするキルリアは、国王の瞳を見て言葉を飲んだ。その静かな瞳の奥には、冷静さに隠れた激しい感情が微かにのぞいている。思えば、国王自身、弟夫婦を魔王に殺されているのだ。その思いに恨みが込められていたとしても、不思議ではない。
国王は静かに言う。
「それだけは、リリュートの願いでも聞けない。私はおまえが帰ってきたからには、もう手放さないと弟たちに誓った」
「しかし……」
国王の思いもわかる。それでも、キルリアは納得できない。自身に魔王が施した術は、キルリアの意志でどうなるものではないのだ。
「大丈夫だ。なんならウルドをお前に付けてやってもいい。あれも、仮にもライトリアだ。多少は役に立つだろう」
「……それでは、何の解決にもなりません。私は魔王の使い魔となってしまう」
そう答えるキルリアに、国王は優しく笑いかけた。
「大丈夫。お前は私たちの“光”なのだから」
「……」
“光”という言葉に、キルリアは返す言葉失った。それは、あの日、〈光〉と名乗った少女を思い出させたからだ。“光”は必ずしも正しいとは限らない。“光”が毒となることもある。そう、国王に返すべきだ、とわかってはいた。しかし、キルリアには返せなかった。
それは、光を信じる彼らにわかってもらえることではないから。闇がそれこそを真とするように、彼らには光こそが真なのだから。どちらの世界も知るキルリアにしてみれば、どちらも同じだ。
ただ、彼らにそれを納得させている時間はない。
「私たちはリリュートの味方だ。これ以上ひとりで苦しませはしない」
「伯父様……」
国王の言葉に優しさを感じて、キルリアは思わずそう呼ぶ。その声に、国王は微笑み、キルリアの頭を幼い子にするように撫でて言う。
「どこかに行きたいのならば、まずは体調を完全にしなさい。それでも、出て行きたい、と言うのなら考えても良い」
「……」
それでは遅い、とは、キルリアには何故か言えなかった。
「とにかく、今は休みなさい」
「……はい」
仕方なくそう頷いたキルリアに、もう一度、国王は微笑みかけた。
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