研究員の日記 四月十日(プロローグ 2/25)
研究員の日記 四月十日
〈遺跡〉を動かすところを初めて見た。カメラが映したモニター越しではあったが。
それほど感慨深いと言ったような感動を憶えなかったのは、前もって聞かされていた事象と全く同じ結果であったためであろうか。
防護服を着た研究員が灰色の壁面パネルを操作する。
操作パネルと思われる複雑なボタンやレバーなどは、押し込む、引くといった物理的な作動を起こすものは一切なく、触れた部分がほのかに光り、操作が成されたことを教える。
レバーとはいっても、突起した何かを動かすのではなく、滑らかなパネルの上を指でなぞるだけだ。その指の動きの残像のように、レバー(の役割を果たすもの)の表面に光が残る。
一連の操作を終えると、透明なチューブの表面に穴が空いた。
通常、チューブには一切切れ目、接合面のようなものは見られない。
そのチューブの一点に小さな穴が空き、それが広がっていき大きな穴が開ききるのだ。
完全に開ききったその穴の大きさは縦2.5メートル、横1メートルほどになる。
チューブの高さ、すなわち床から天井までの高さが約3メートル、チューブの直径が約1.5メートルなので、その穴はチューブの四分の一ほどの表面積を奪ったことになる。
穴の下端はほぼ床に接している。このためチューブの中に人が入り込むことは容易で、これは、そもそも人間が入るためのものなのではないかという憶測が可能だ。チューブの直径も人ひとりが入るのに十分な大きさだ。
しかし、未だ人体実験は成されていない。今までの実験結果を見るに、それもやむを得ない。
別の、これまた防護服を着込んだ研究員が、両手で抱えながら今回の〈被験体〉を持ってきた。
今度のそれはパソコンだった。コードの類が一切刺さっていないので、黒い鉄の箱といった印象を受ける。
研究員はそのパソコンを持ったままチューブに入り、中央にパソコンを残して、自らは急いでチューブを出る。
「自分も一緒に〈被験体〉にされてはたまらない」といったふうだ。
壁面にいた研究員が再びパネルを操作すると、チューブに空いた穴は先ほどとは反対に映像の逆回しのように徐々に小さくなり、完全に消えてなくなった。
いったいどんな仕組みなのだろう。本当はこれだけでも驚愕すべき現象なのだが、カメラ越しということもあり、映画の特殊効果のようにしか見えない。生で直接見ることができればまた別なのだろうが。
チューブの透明な壁を境に、パソコンは完全に断絶された。
研究員がメインカメラに向かって、開始します、の合図を送る。
こちら側のモニター前の研究員はそれを見て振り向く。その視線の先にいるのは、
「では始めて下さい」
とマイクに向かって言った。その声は遺跡の部屋にあるスピーカーから、向こうの研究員にも聞こえたはずだ。
モニターの中の研究員は、今度は、了解、の合図を送って、再び壁面に顔を向けパネルの操作を開始した。
チューブの中に光が満ちていく。中には何も光源はないのに、チューブ自体が光を放っているかのように内部全体に光が満ち、その光は置き去りにされたパソコンの姿を完全に包み込んだ。
今やチューブは輝く光の柱と化した。
眩しい。眩しいが、目視できないという程ではない。私は一部始終をその目に焼き付けるため、目を逸らさずにモニターを凝視し続けた。
光の柱の状態は数秒間続いた後、徐々に光の明度は弱まっていった。光がチューブ内を満たした時の映像の逆回しを見ているようだ。しかし、これは逆回しではない。リアルタイムに起きている映像なのだ。その証拠に……
「消えた……」
私は呟いていた。
そう、チューブ内に確かに入れられていたパソコンが、跡形もなく消えている。
遺跡にいる研究員は、念のためか、チューブの周りを一周して、確かにパソコンが消えていることを確認する。そして再び元の位置に戻り、またメインカメラに向かって合図を送る。
それを受けたこちら側の研究員も、先ほどと同じように藤崎所長に確認を取る。所長も繰り返しのように頷いた。
「お願いします」
こちらからの、その声を受けて、研究員はパネルを操作する。またしてもチューブ内に光が満たされる。その光はパソコンを消した時と同じくらいの時間輝き、また、同じようにゆっくりと明度を弱めていく。
「おお……」
私は思わず呟いて唾を飲み込んだ。
私以外には、誰ひとりとして感嘆したような声も表情も出さなかった。
昨日ここに配属になったばかりの私ひとりだけが、ため息を漏らし、体を震わせていた。
いや、私の他に何人かの研究員もため息を漏らしはした。しかし、それの意味するものは私とは全く違う理由だったはずだ。
「駄目です」
モニターの前の研究員が、分かりきったことを話すかのように口にした。
「次回の実験は明後日に行う。各員、有効と思われる被験体のアイデアがあったら、遠慮なく教えてくれ」
藤崎所長はそう言い残して席を立ち、部屋を出た。モニターの中の〈実験結果〉にはほとんど目をくれていなかったようだ。
所長が出て行くのを合図に、他の研究員たちも徐々に帰り支度を始める。
次々に帰って行く研究員たちの足音を背中に、私ひとりだけがモニターからまだ目を離せずにいた。
私はこの日記の冒頭で、それほど感動しなかった、というような言葉を記したが、どうやらそれは間違いだったようだ。
今こうして、日記に記すため実験に立ち会った記憶を思い起こしているが、自分でも意外なほどに興奮したような描写になっていたことに驚く。
記憶に戻り、実験結果を記すことで、今日の日記を終わりにすることとする。
光が完全に消え、いつも通りの状態となった透明なチューブの中。そこには再びパソコンが姿を現していた。正確には、先ほどまでパソコンであったもの、だ。
パソコンは大きくその姿を変えていた。
「見るも無惨」とはこういう状態のことを言うのではないか?
パソコンは、完膚無きまでに破壊され尽くし、鉄とプラスチックの残骸へと姿を変えていた。実験映像を見ていなければ、これがパソコンであったと看破できるものはいないであろうほど粉々に。
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