第27話:「どうなるか楽しみですな、蒋校長」

 「鎮圧しろとは命令していないぞ」

 「申し訳ありません! しかし事態は切迫しておりました、それで……」

 「言い訳は後で聞く。まずは事態の収拾が先だ」

 「はい!!」

 憲兵隊長はそう答えると慌ただしく軍営を離れて行った。蒋中正は彼の後ろ姿を見ながら、溜息を漏らした。

 「先輩、僕も行った方が……」

 「必要ない。お前はここに残っていろ」

 「ですが……」

 蒋中正は返事をしないまま、黙って彼を見詰めるだけだった。彼女の目には怒りの色は一切なく、代わりに訴えかけるような印象があった。

 ここに留まって傍にいてくれ、お願いだ。

 彼は蒋中正の瞳に、そんなメッセージが込められているような気がした。

 (先輩がこんな動揺した様子を見せるなんて、珍しいことだ)

 彼は蒋中正の後ろで興味津々といった様子で彼女を見詰めている汪精衛に目をやったが、すぐに視線を移し、彼女に頷き返すと、毛沢東と一緒に軍営の留まることにした。

 周恩来が報告のため校長室に飛び込んだ時、彼女はすぐに彼の意図を汲み取り、汪精衛に向かって「私たちの話はまた後でしよう」という言葉を投げつけると、その場にいた人間と共に校長室を飛び出していた。彼らのそんな行動は汪精衛の目に写っていながら、彼はそれに対して何の衝撃も感じていない様子で、ただ微笑を浮かべたまま、ゆったりと彼らの後に着いて来ていた。

 彼らは憲兵の案内で、周恩来と毛沢東が通りかかった運動場へとやって来た。この時点ですでに宵闇が降りていたが、運動場は付近の建物から照明が投げかけられているせいで、辺り一帯は昼間のように明るかった。周囲には隙間なく盾や暴動鎮圧のための装備を整えた憲兵らが押し寄せ、運動場は異様な緊張感に包まれていた。

 彼らが訪れた運動場唯一の軍営は、憲兵が臨時で設置した暴動対策用の軍営でもあった。憲兵隊長やその部下たちは蒋中正が姿を現すと、その場でさっと気を付けの姿勢になり、同時に状況説明が始まった。

 中山艦の乗組員たちが集まり出したのは、黄昏時のことだった。最初、彼らのデモ行動は平和的なものだったが、彼らの行動は憲兵たちの神経を刺激することになった。憲兵らは彼ら乗組員のデモ行動を阻止しようとしたが、これに失敗、だんだんとデモ行動が過激化することになってしまっていたのだ。乗組員たちは埠頭にある物資を使い、埠頭に通じる主要な道路を封鎖、同時に秩序維持のために出動していた憲兵らに向かって投石していた。憲兵隊長の指示によって増援が集められることになり、全校から千名余りの憲兵が暴動鎮圧のため、緊急出動することになった。

 憲兵隊は埠頭を包囲しつつ、木製の警棒で抵抗する乗組員たちを殴打した。双方のぶつかり合いは激しさを増していったが、増援隊と合流した憲兵隊の人数が勝っていたこともあり、周恩来たち一行が軍営までやって来た時には、埠頭の暴動はすでに落ち着きをみせているところだった。

 憲兵隊長が軍営を出てからそう経たない時、

 「いや、けっこう。けっこう」

 汪精衛がそういって拍手を始めたことで、その場にいた者全員が彼の意図が分からず、困惑の表情を浮かべることになった。

 「あなたはまたどういうつもりなんだ?」蒋中正が彼に冷ややかな視線を送った。

 「おもしろい、実におもしろいですな。中山艦の乗組員たちが、艦長のために暴動を起こすなんて思ってもみませんでした。蒋校長、あなたはどういう感想をお持ちですかな?」

 「……これも私の責任だ。今回の件は私自身で処理する。あなたの手を煩わせることはない。心配は無用だ」

 「心配? 私としては当然、心配しますよ。今回の事件は国軍に影響を及ぼすばかりか、国民政府のメンツにも関わるものです。万が一蒋校長がうまく処理できなかった場合、私としては今回の一件を党大会での審議にかけ、党内の長老がたの判断を仰がなくてはならなくなります。そうなってしまった時に、長老がたが蒋校長に国軍を任せておくことが適当かどうかについて、どんな判断を下すか分からないでしょう?」

 「戯言もいい加減にしろ!」

 「なんと、冷静になってください。私は一つの可能性に言及したにすぎません。全てはあなたの決定にかかっているのですから」

 「ちっ……!」

 蒋中正の怒りに満ちた視線を無視しながら、汪精衛は軍営から出る途中、振り返るとこう言葉を投げかけた……

 「もう夜も深い。私は広州城に帰らせて頂きます。明日、またお会いしましょう。充分期待していますよ。はははは!」

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