第5話 キャッツアイ

「ラ、ラチ……」

 ラチを連れた新田たちが支部に戻ると、宿舎の前で首を長くしていたアセスが泣きながらラチを抱きしめた。

 この数時間、祈るような思いでラチの帰りを待ちわびていたのだ。むりもない。

「お、お父さん……」アセスのなかでラチがふるえる声をしぼりだす。

 新田がほっとする。ひとことも言葉を発することがなかったラチを見た新田は、ラチが話せなくなったのではないかと心配していたのだ。アセスの顔を見て、緊張の糸がほつれたのか、ラチは笑みをこぼした。

 これだけの目にあったのだ。しばらくは元のような明るいラチの笑顔を見ることはできないかもしれないが、助かってよかった。

「お前ら、どこに行ってたんだ!」

 感動の再会を遮るように、背後から怒号が聞こえた。

 新田が振り返ると、深澤洋平(ふかざわようへい)が駆け寄ってきていた。深澤はCOREの一員ではない。この支部を担当している自衛隊員だ。常駐しているわけではないが、毎日のようにきては、COREの任務の指示や補佐をしている。

「じ、実は」

「休みの日になにをしていようが関係ねぇだろ」説明しようとした新田の言葉を遮って鼓動が告げる。

 新田ははっとした。今回の一件が深澤の耳に入ったらメンドくさくなることに気づいたのだ。ラチを助けるためとはいえ、任務以外で戦闘をしている。助けたかどうかは問題ではない。戦ったこと自体が問題なのだ。それに、ラチも金髪へ酒瓶を投げたのだ。ことが公になれば、ラチも罪に問われるかもしれない……。

「関係ないことないだろ! 休日とはいえ、COREの一員としての自覚を持ってだな」

「なにか、あったんですか?」素知らぬ顔で佐藤がたずねる。

「緊急の仕事だ」話のこしを折られた深澤がため息をつく。「説明するから自衛隊基地へきてくれ」 

 鼓動が愚痴る。「せっかくの休日なのによ」

「いいから、早くしろ!」釘をさした深澤は車へと向かった。

「今回の任務はいままでとはちょっと違うぞ」制服に着替え終えた新田たちが車に乗り込んだことを確認すると、深澤は乱暴にアクセルを踏み込んだ。

 いままでとは違う……。一体、どんな任務だろうか。深澤の形相から察するに単純な人探しなんかではなさそうだ。

「うっぷ」考え込んでいた新田の体に山下の吐瀉物がかかった。

「や、山下さん!」新田が叫ぶ。どうやら、酔いつぶれた山下の体調はまだ回復していないようだった。

「く、車のなかで吐くな!」

 怒鳴る深澤に山下が謝る。

「……ご、ゴメンなさい!」しぼりだす声とともに、山下はふたたび吐瀉物を吐きだした。


 廃墟街を越えると、新田たちを乗せた車は日本人街へとやってた。

 もうすぐ自衛隊基地にたどり着くはずだ。

 車が露店のそばを走り抜ける。

 自衛隊関係者が多く住んでいるというのに、このあたりでは日本の映画やアニメの海賊版が多く売られている。もっとも、製造しているのは現地人らしいが、懐かしさもあって、多くの日本人が海賊版を購入しているようだ。

 一昔前こそ、先進国の一員として日本は名を馳せていたが、少子化の影響も手伝い年々、国内総生産は減り続けていた。海賊版に抵抗のあった日本人も、総収入自体が減少したいまとなっては、当たり前のように海賊版を購入するようになった。売られている映画はほとんどが十年以上前のものだった。高齢化社会となった日本では若者向けの作品が作られなくなったのだ。日本で流行っているほとんどが時代劇などの年寄り向けの作品である。若者向けに作品を作っても市場自体が狭く、若者は娯楽に金を払える余裕もない。それゆえ、高齢者向けの作品ばかりになっていき、若者たちは過去の作品にすがるしかなくなったのだ。

「着くぞ」

 深澤の声につれられて、新田が視線を前方へと向けると、大きな建物が建っていた。

 車から降りた新田が圧倒される。

 権威を見せびらかすように建っているファシズム建築。玄関は大理石でできていた。

 圧倒された新田がつぶやく。「……相変わらず、凄いですね」

 鼓動が苦笑する。「これ、全部税金だぜ。こんな建物、建てる金があるなら、税金を減らしてくれればいいのにな」

 深澤があわてふためいた。「ぼ、防犯上の問題でだな、」

 深澤の言葉を鼓動が遮る。「じゃあ、俺たちの基地も大理石で玄関を作るか。俺たちの方が最前線で危険だしな」

「……くっ」言葉につまった深澤が声を荒げる。「早く行くぞ!」

 深澤が逃げるように建物へ入っていく。新田たちは笑みをこぼしながらあとに続いた。


「ね、猫男?」

 新田たちの姿は自衛隊基地内部の研究所にあった。最新型のパソコンに囲まれた室内は妙な空気が漂っている。新田が想像していた依頼とはかけ離れた言葉が耳に入ってきたからだ。

「ええ」思わず声をあげた新田に立花(たちばな)麗華(れいか)が説明する。「ここ最近、あちこちで猫の瞳を持った男が目撃されているの」

 山下がつぶやく。「ね、猫の瞳?」

「ええ。猫のように瞳孔が縦に細長く伸びているのよ」

 新田は苦笑した。「そ、そんな人間、本当にいるんですか?」

「さぁ」麗華と瓜二つの姿をした立花(たちばな)麗菜(れいな)が首を傾げる。「その正体を掴むため、あなたたちには猫の瞳を持った男を捕まえてほしいのよ」

 麗華と麗菜は双子の姉妹だ。外見こそ同じだが、性格は対照的でその違いは服装にも反映されている。短いスカートから自慢するようにスラリと足を伸ばしている麗華と、豊かな胸を隠すように首元まで閉じた服を着ている麗菜。戦時下に置かれた兵隊たちのコンディションや兵器や精神的なプレッシャーが住人たちへ与える影響等を調べるために、彼女たちはこの地へ派遣されてきた。元々の専門は遺伝子学らしいので、猫男のような、怪しげな噂にも興味があるのだろう。

 佐藤が腕組みをする。「なにかの見間違いだろ?」

「そうかもね」麗菜が同調する。「ただ、あまりにも目撃者が多いのよ。だから今回は、それが単なる都市伝説なのかの確認も含めてお願いしたいの」

「くだらねー任務だな」鼓動が口を開いた。「俺たちは紛争を止めるために日本からきたんだぞ? もっと人のためになることがしたいんだがな」

 呆れるように新田はため息をついた。普段、紛争を止めるために行動なんてしていないくせに。おおかた、この任務では人を殺せそうにないから、ゴネているのだろう。

「もちろんタダとはいわないわよ」麗華が笑みをこぼす。「これは自衛隊ではなく、私たちの研究所からの依頼。報酬ははずむわ」

「いくらだ」鼓動がたずねる。

「三百万」麗華が鼓動に告げた。「生きて捕獲できたら一千万だすわ」

「い、一千万!」山下が驚く。

 鼓動が笑みをこぼした。「いいだろう」

 やぱり、結局、金なのか。金、金、金。鼓動は集めた金を一体、なにに使っているんだろう。ことさら、贅沢をしているようにも見えないが……。

「じゃあ、契約成立ね!」麗菜は新田たちにマタタビを配った。

 呆気にとられた山下が声をもらす。「……マ、マタタビ?」

「え?」麗菜が首を傾げる。「猫はマタタビが大好きなのよ。知らないの?」

「知ってますけど……」まっすぐに見つめてくる麗菜に新田はなんといっていいか、わからなかった。

 鼓動がマタタビを見ている。「どうせだったら、武器の一つも許可してくれよ」

「そんなの無理に決まってるだろ!」深澤が鼓動に怒鳴った。「自分の立場をわきまえろ! COREが武器を持ったら、大変なことになるんだぞ! マタタビなんて素晴らしいじゃないか。人に危害は与えないのに、猫男をおびき寄せることができる。麗菜さん! これは素晴らしいアイディアですよ」

 深澤が麗菜の手を握る。

「ホント?」べそをかきそうな麗菜が不安げにたずねた。「これ、日本から特急便でとり寄せたのよ」

「特急便……」一瞬、深澤は困惑したものの、麗菜への賛辞を続けた。「ありがたいですよ! これで簡単に猫男を捕まえることができます!」

 新田は呆れた。結婚しているくせに、深澤は麗菜のことが大好きなのだ。女気のないCORE、並びに自衛隊基地のなかで美人の立花姉妹の人気は凄まじいものがあるが、深澤の露骨な感情にはため息しかでなかった。

「よし! では、行きましょう!」深澤が新田たちの背中を押す。

 猫男なんて本当にいるのだろうか。そう怪訝に思いながらも新田たちは自衛隊基地をあとにした。

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