177区 陸上バカ多数・・・・

その後は阿蘇山に登り、火口を見て、今日の宿泊所である黒川の温泉宿へと向かう。


葵先輩曰く、この初日の宿泊こそが熊本コースの醍醐味なのだそうだ。


阿蘇山から少しだけ離れていることもあり、宿泊所へと到着する頃には、辺りも薄暗くなる。


だが、その薄暗さが宿の魅力をより一層引き出していた。


敷地内には木々がたくさん植えられ、灯籠の明かりが道を照らす。


人里離れた場所ということもあり、周囲に音はなく、しんと静まり返っている。その空気に同調するかのように、物静かで気品のある和風の建物が私達を出迎えてくれる。


これが本日の宿だ。素人の私が見ても、絶対に宿泊費が高いだろうと容易に想像がつく。


なるほど。熊本コースだけ他のコースより一泊少ないのも頷ける。


あくまで噂だが、温泉宿の宿泊費が半端じゃなく高いので、熊本コースは日程を一日減らさざるを得ないそうだ。


私達駅伝部4人が泊まる部屋に入ると、ビックリしたことに、部屋に露天風呂が付いていた。4人一緒に入っても十分にゆとりのある広さだ。


食事の時に他の人に聞いてみると、どの部屋にも付いているらしい。

この露天風呂に入りたいがために、生徒からの不人気さとは逆に、引率の先生方は熊本コースが熾烈な争いになるのだと、永野先生が語っていたのを思い出す。


その時はただの噂話だと思っていたが、この露天風呂を見る限り、事実のような気がしてならない。


夕食に出て来た料理も、宿の外観や雰囲気に負けないくらいに豪華だっだ。


「あたし達、明日死んだりしないわよね?」

あまりに豪華な食事を前に、麻子は変な心配をし始める。


食事が終わると、すぐに自由時間となる。もちろん、やることはひとつしかない。


「風が冷たくて気持ちいい!!」

「いや、あさっち。周りは木々が生い茂って、柵もあるし、薄暗いけど、最低限は隠した方がいいかな」


そう、この露天風呂の照明は、灯籠が3つあるだけなのだ。だが、その薄暗さが温泉の魅力をより引き出していた。


その前に麻子……。


生まれて初めての露天風呂で興奮しているのだろうが、隠すべき所を一切隠さず、両手を高々と上げ、全身で風を感じるのは辞めた方が良いかと……。


これには晴美も紗耶も苦笑いだ。


そんな麻子の頭を、わりと本気で叩いた後で、体を洗い、みんなで湯船に入る。


「あぁ~温まるわ~!」

まるでお年寄りのような声を出しながら、麻子は湯船から空を見上げる。間違いなく今の「あぁ~」には濁点が付いていた。


「あたし、将来は桂水市内でこういうところに住みたいな。市内でも田舎の方って意味じゃなくてさ。ほら皇居があるじゃない。あんな風に桂水市内の真ん中に木々で囲まれた隠れ家を作りたいのよ」


「いや、麻子バカでしょ」

「失礼な聖香ほどじゃないわよ」


「あら? この前の定期テストはどっちが上だったかしら」

私が勝ち誇ったように麻子を見ると、麻子は口の辺りまでお湯に沈み、悔しそうな目でこっちを見返して来る。


実は努力が段々と身を結び始め、私はついに麻子よりも成績が上になったのだ。ちなみに麻子も、入学当時と同じか、それより少し上の成績をキープしてる。つまり、麻子が落ちたのではなく、私が上がって来ての結果だ。


「前から疑問に思ってたんだよぉ~。せいちゃん、一年くらい前から急に勉強を頑張りだしたよねぇ~。一番最初のテストはボロボロだったのに。何かあった?」


紗耶からすれば、純粋に興味をもっただけなのだろう。


しかし、私からすれば、かなり答えにくい質問だった。


いや、理由ははっきりしている。高校教師になって長距離を教えたいからだ。でも、それを言うと、どの科目の先生になりたいのか。なぜなろうと思うのかを聞かれるだろう。


永野先生に憧れたという正当な理由はあるのだが、部員の前で発表するのは、とっても恥ずかしかった。


ただ、話題を変えることも難しそうなので、

「ちょっと将来やりたいことがあってね」

と大まかに説明する。なぜかみんなそれで納得してくれた。


「てか、あなた実業団とか陸上が強い大学には行かないの?」

「うーん……。多分行かないわね。行きたい大学に落ちたら考えるかも知れないけど」

「つまり行くってことね」

一瞬、麻子の言う意味が分からなかったが、分かると同時に、麻子の顔めがけて思いっきりお湯をかける。


「てことは、せいちゃん。来年のクラスは文系にするか、理系にするか決めてるのぉ?」

「うん。理系にする」

私が即答すると、質問した紗耶が驚いていた。


「私は文系かな。将来の夢も決まってる」

「え、はるちゃんも? わたしも文系に行こうとは思ってるし、大学にも進学するつもりだけど、どこに行きたいとかはまだ具体的に決まってないんだよぉ~。あさちゃんは?」

紗耶は、私と晴美が目標を持っていたことに焦りを感じたのか、麻子にも話を振る。


「あたしは体育大学に進学するつもり。将来的には、スポーツジムのインストラクターとかいいなって。自分が体を動かせる仕事に付きたい」


「うそ! あさっちが具体的に将来の夢を持ってるのが、一番驚きかな」

それを聞いた麻子は、さっき私が麻子にしたように、晴美の顔にお湯をかけていた。


「そう考えると、当然とはいえ、高校を卒業したら私達バラバラだね」


「と言っても、実家は桂水市周辺なんだし、携帯だってあるし。連絡は小まめに取れるんじゃないかな。それに、こうやって年に一回くらい集まって、旅行に行くのもいいかな」

晴美が提案すると、私も麻子も紗耶も顔を見合って何度も頷く。


お風呂から上がり、布団の上でごろごろしながら雑談をして、夜遅くに就寝。


でも、私の携帯は朝5時にアラームが鳴る。

修学旅行中にせめてジョグをしようと、走る道具を持って来ていたのだ。

アラームを止めて起きると、なぜか紗耶と麻子も起きていた。


「まさか、あなた達までシューズを持って来てるとは思わなかった」

「県駅伝が近いし、当然でしょ」

「今、練習を休むわけにはいかないんだよぉ~」

どうやら3人とも考えるていることは一緒だったようだ。


晴美を起こさないようにそっと部屋を出て、3人でジョグに出かける。


部屋に帰って来ると、晴美がふて腐れていた。


「本当に信じられないかな。起きたら誰もいないってあり得ない。もちろん、県駅伝が近いのは十分に承知してるかな。でも、あさっちをどうこう言う前に、聖香もさやっちもやっぱり陸上バカかな」


口をとがらせる晴美に「それは多分私達3人には褒め言葉だね」と言ったら、枕が飛んできた。

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