138区 全力疾走!

1500m女子決勝。


天気予報どおり、決勝のアップを始める頃から雨が降り始め、スタートラインに並ぶ頃には本降りとなる。


アップで温めた身体に冷たい雨が当たり、体から水蒸気が噴き出していた。


冷たい雨のせいもあるのか、スタート前から辺りは異様な緊張感に包まれていた。

私と貴島祐梨、清木千夏の3人はお互い一切喋らず、顔を合わせることもなく、スタート前の準備を行う。意識しているわけではないが、それぞれが相手に隙を見せないようにしている気がした。


少なくとも私はそうだった。今、彼女達と喋ると相手を有利にさせてしまいそうだ。私達3人の空気が他の12人にも伝染したのだろうか。今から走る15人全員が誰1人喋ることなくスタートの準備をしていた。


降っている雨の音すら聞こえてきそうなくらいの静けさだ。


だが、私達を取り巻いていたその静けさも、スタートを告げるピストルの音と共に消えた気がした。


私は最初の一歩目から全力で走り出す。


もちろん、清木千夏や貴島祐梨にも負けたくない。

でもそれ以上に、一ヶ月前にえいりんが熊本で出した4分19秒44というタイムを越えてみたい。


そのタイムを破ろうと思ったら、前半から手を抜くわけにはいかない。

自分の中で、これだけの勢いで飛び出せば、文句なしで先頭に出られると思っていた。


だからこそ50m走ったところで、清木千夏が私の前に出たことに驚いてしまう。

先頭が清木千夏。その真後ろに私がぴったりと付く。後ろからも足音が聞こえる。貴島祐梨だろうか。


ホームストレートに入ると同時に、スタンドのあちこちから応援の声が聞こえて来る。


「ゴーゴー! レッツゴー! レッツゴー! ゆ~り!」

「ゴーゴー! レッツゴー! レッツゴー! ゆ~り!」

城華大附属の選手たちが声を張り上げて応援しているようだ。


ちらっとスタンドを見ると、色とりどりの傘がまるで鮮やかな花のように咲いていた。


「こら、祐梨! 澤野聖香に追いつきなさい。たった3m差よ」

応援の合間に山崎藍葉が叫んでいる。走っている私が聞こえるくらいだ。いったいどれくらいの大声を出しているのだろう。


「聖香先輩ファイトです」

「聖香! 前抜かせ!」

「せいちゃん落ち着いて行こぉ~!」

あ、桂水高校のメンバーも負けていなかった。

でも、これは嬉しい。応援はやはり力になる。


ホームストレートを走り、もうすぐゴール前を通過して300mになる。

ふと電動計時を見て一瞬取り乱そうになった。


48……49……50。


300mの通過が50秒? 清木千夏が先頭に立ち、私も負けずに付いて行った。多少はオーバーペースだろうとは思っていたが、目の前にいる敵とえいりんの記録を破ることを考えたら、ある程度は突っ込んで入ることも必要だった。


それでも300mを50秒はやりすぎだ。このままのペースで行けば1500mを4分10秒。あきらかにこのペースで最後まで走り切れるわけがない。


順位のみを狙うなら、一旦ペースを落とし、今は無理をしないほうが良い。でも記録を狙うなら、このまま突っ込み続けて行けるところまで行った方が良いだろう。


トラックを1周して400mを通過したところで、前を走る清木千夏のペースが若干落ち始めた。


私にとっては多少のオーバーペースでも、清木千夏にとっては、かなりきついペースだったのだろうか?


ここで判断を迫られる。


だが、迷うことはなかった。えいりんの記録を抜かしたい。私が狙うのは記録だ。


私は、スッと清木千夏の横に並び、そのまま抜きに掛かる。

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