第10話 昭和四十三年の再会

 それから、時間がずいぶんと流れた。

 一九六八(昭和四十三)年の二月、大阪の阪神百貨店で、日本漫画協会大阪支部の誕生記念として『漫画百年展』というイベントが開催された。

 会場では、大阪支部に所属する漫画家達が、来場者の似顔絵を描いていくという企画も行われていた。

 催しは満員御礼の大盛況であった。

「いやあ、酒井先生。盛り上がっとりますな」

 そう言って目を細めたのは、大坂ときをであった。既に四十代半ばになった彼の頭には、近頃めっきりと白髪が増えてきている。

「ははは、似顔絵を描いている漫画家さんはたくさんおるけど、ヤノサンのところが一番人気やったわ」

 そう言ったのは、もはや青年ともいえない年の松葉健である。

 彼は手塚が東京に行った頃から、七馬の紙芝居を手伝うなどして、本格的に絵の道に入った。いまでは立派な漫画家となっている。

「当たり前や。わしの似顔絵は他の者とは年季が違うわ」

 そして、七馬である。

 既に六十三歳。老人といっていい年齢だが、その風貌からはさほど老いも感じさせない。チェック柄のしゃれたセーターとベレー帽を着こなしたその姿は、ダンディな紳士といった外見だ。

「何せヤノサンの似顔絵は闇市上がりやからな」

「あほう。似顔絵なんぞ戦前から描いとるわ。馬鹿にするな」

「おお、ヤノサンが怒った、怒ったわ」

 人間でごった返している会場の片隅で、既に二十年来の同志となっている三人は、穏やかに、つまらぬじゃれ合いを交わしていた。

 七馬と手塚の決別から、既に二十年が経過している。

 七馬はあれから、様々な作品を描きあげた。

 紙芝居の仕事もやったし、絵物語の仕事もやった。

 新聞に歴史の小説やコラムを連載したりもした。これは文章も挿絵も七馬が手がけるという、大変な仕事であった。

 アニメの仕事もやった。藤子不二雄の『オバケのQ太郎』の絵コンテを一時期担当したのは七馬である。

 どれも手抜きはしなかった。全身全霊で取り組んだ。

 自分のために、子ども達のために。 

 それは胸を張っていい。

 いいはずだ。

(しかし……)

 ふっと、七馬の心に隙間風が吹くときがある。

(わしはあのとき、東京に出なかった……)

 それで良かったのか?

 考える。

(あのとき選んだ紙芝居という仕事。あのときはまだ景気が良かったが……)

 七馬が紙芝居の世界に入ってから数年後、社会に漫画の雑誌が溢れ始め、また少しずつテレビが普及し始めた。すると、紙芝居の業界は一気に景気が悪くなっていった。

(もはや戦後ではない、ちゅうことやったな)

 紙芝居の仕事は失われ、七馬は前に述べた、絵物語や小説の仕事を行う。

 しかしどれも、大ヒットとは言いがたい作品だった。少なくとも『新宝島』のような圧倒的な人気と評価は得られなかった。

 この頃になると、七馬の漫画の仕事はほぼ失われた。挿絵やカットなど、小口の絵描き仕事で日々を暮らしている。

 だがそれでも、この年まで画業でめしを食えたことは、幸せかもしれない。

 かもしれないが――

(もしも、もしもやけど……あのとき、東京に行っとったら……)

「皆さん、どうもお揃いですね」

 明るい声が、七馬の耳に飛び込んできた。

「お久しぶりです」

 そう言って声をかけてきたのは、柿色のベレー帽に、ダンゴ鼻、そして黒縁のメガネをかけた中年の男性だった。

 それは手塚であった。

「手塚君、久しぶりやな」

「はい」

 手塚は頭を下げ、七馬と固く握手をした。

「大活躍やないか」

 七馬はニヤリと笑った。

 手塚はそれに対して何も言わず、ただニコニコ笑っている。

 東京に行った後の手塚については、もはや語る必要も無いほど、世間に知られている。『ジャングル大帝』は五年間の長期に渡って連載され、手塚にとって生涯の代表作のひとつとなった。

 さらにその後『リボンの騎士』『火の鳥』『ぼくのそんごくう』――

 そして『鉄腕アトム』を大ヒットさせ、現在では名実共に日本を代表する漫画家の一人となっている。

「酒井先生も、お変わりなく」

「お変わりなく、いうことはないやろ。もう六十過ぎのじじいやで」

「いえ、とても六十過ぎには見えませんよ。これはお世辞じゃありません、本当に」

 手塚はこのときの七馬の印象を「老いてなお健在だなと思った」と自著に記している。

 確かに七馬は、年齢の割には社交的で、かつ若々しい。

 だがそれでも、時として、恐ろしく物憂い表情になるときがある。そんなときの七馬はむしろ年齢よりも老けて見えた。

 後悔が、七馬の心を時として暗く沈ませる。

(結局わしは、子ども達を笑顔にさせられなかった)

 一時ならば、させたかもしれない。

 七馬の作り出した漫画や紙芝居は、子ども達を、敗戦や貧乏という苦しい現実を忘れさせ、笑顔にし、夢を見させたことだろう。

 だがそれは一過性のものでしかない。

 七馬がしたかったことはそういうことではないのだ。

(手塚君が正しかったのか?)

 手塚が描く漫画は、夢と希望を高らかに謳いつつも、しかし裏では現実の恐ろしさ、人間の醜さ、科学の恐ろしい一面を深く描写した漫画が多い。

 手塚の代表作である『鉄腕アトム』でさえ、そのような一面があることを、七馬は見逃さなかった。

(そんな作品が子ども達を笑顔にさせるとは、わしには思えんかった。しかし現実を見れば、支持されとるのは手塚君や。わしの作品は忘れ去られていった……)

 手塚と組んで発表した『新宝島』の栄光もいまや昔だ。いまの人達は終戦直後に出た漫画のことなど知らないだろう。また、時として漫画マニアなどが『新宝島』について語ることがあっても、それは手塚治虫伝説の始まりとしてであり、七馬の名前が出てくることは無かった。

(名声が欲しかったわけではない……)

 だがそれでも、悔しい。自分がこの世に何も残せなかったことが、悲しく、寂しい。

 日本中を笑わせる漫画を描きたい。

 ディズニーを超えるアニメを作りたい。

 そんな夢をもっていた頃が懐かしい。

 ディズニーの長編アニメ『白雪姫』が日本で公開されたのは、一九五〇(昭和二十五)年。七馬が紙芝居の世界に入った年の秋だった。

 フルカラーで踊る白雪姫を見て、激しく感動すると共に、絶対的な敗北感を味わった。こんなアニメーションを戦前から作っていたディズニーに、勝てるはずなどないと思ったのだ。

 しかし手塚は違った。必ず自分はアニメーションを作るのだと息巻き、努力した。そしてついに一九六三(昭和三十八)年、自作『鉄腕アトム』をアニメ化し、日本中を沸かせたのである。

 七馬は結局、ディズニーにも、手塚にも、置いていかれてしまった。

(けど、それもいまさら、どうでもええことかもしれんな……)

 七馬は内心の寂しさを隠し、手塚と、そして大坂ときをや松葉健と語り合った。

 手塚は忙しい。

 七馬達と語り合うのもそこそこに、急いでまた別の仕事へと向かってしまった。

「繁盛しているなあ、手塚さん」

「まったくや。あやかりたいな」

 そう言って、松葉健と大坂ときをは、去っていく手塚を見送った。

 七馬もまた、黙って見送った。

(もう会うこともないかもしれん)

 その予感は当たった。

 七馬と手塚、二十年ぶりの再会であったこの日が、永訣の日となったのである。


 七馬が手塚と再会してから半年後、夏も盛りの八月十五日のことだ。

 七馬は大坂ときをと共に、大阪駅に向かっていた。

 仕事である。

 奈良ドリームランドという遊園地で、夏休みマンガ教室と題したマンガショーに、七馬は出演することになっていた。

「遊園地なら、子ども達もぎょうさんおるやろ」

 七馬はニコニコ顔だった。いくつになっても、子ども達の喜ぶ顔が好きな男だった。

「ここ数年は、子ども漫画から離れた仕事が多かったが、今日は違うで」

 その通り、ここ数年の七馬は、新聞に歴史の絵物語を描いたり、マンガの描き方を本にして出版するなど、子ども向けの仕事はほとんどしていなかったのである。それだけに張り切り方も人一倍であった。

 大阪駅に着くと、漫画家達が数人、既に集まっていた。

 いずれも若い。

「こんにちは、酒井です」

「どうも、大坂です」

 そうして七馬達が挨拶をすると、若い漫画家達はペコリと頭を下げた。

「みなもとです」

 漫画家達のうち、一人がそう言って自己紹介をした。後に『風雲児たち』を描くことになるみなもと太郎である。このときのみなもとは、少女漫画でデビューしたばかりの新人であった。

「よろしゅう頼みますわ」

 七馬はそれだけ言うと、電車が来るまでのあいだ、喫茶店に入ってコーラを飲みながら、どんなショーにするかアイデアを練り始めた。

(やっぱり、アレかなあ)

 七馬が思い浮かべたのは、かつて闇市で行った、目隠ししながら絵を描くパフォーマンスである。

(あれは手品みたいやった。あれなら、子ども達は喜ぶやろ……)

 七馬はウキウキしながら、電車が来るのを待っていた。


 奈良ドリームランドは、大勢の子ども達で賑わっていた。

 さまざまな乗り物がある遊園地の真ん中に、板張りの舞台が作られて、いまは何やら手品らしきショーが行われている。

 子ども達はそれを見て、わっと大きな声をあげていた。

(受けているな)

 七馬はそれを見てニヤリと笑った。手品が受けるなら、自分の目隠しショーも受けるだろう。そう思ったのだ。

 やがて、その時がやってきた。

 遊園地側が用意した吹奏楽が鳴り響き、漫画家達が舞台に並んでいく。

 舞台の中央には壁があり、その壁には白く大きな紙が貼られていた。

「皆さん、こんにちは。私達はみなさんのために漫画を描いて、楽しんでもらおうと思っとる漫画家です」

 そう言って、マイクで司会を始めたのは、七馬である。

「皆さんはどんな漫画が好きかな? 手塚治虫かな? まあ、まあ……手塚治虫もええけれど、世の中には色んな絵がある。色んな漫画がある。それを本日は見てもらいましょうかね」

 七馬はそう言ってマイクを隣の大坂ときをに手渡した。

 そしてそのままクルリと振り返り、筆に墨をつけて、スラスラと絵を描いた。

 チョンマゲを付けた猿である。

 かつて闇市で笑いを取った、太閤秀吉の漫画絵であった。

「はい、漫画家の先生がおサルさんを描いてくれました~」

 大坂ときをが、絶妙なタイミングで解説を入れた。

「さて、このおサルさん、よく見るとチョンマゲがついています。なぜかな? 分かる人はいるかな~?」

 これは七馬と大坂ときをが事前に打ち合わせをしていたことであった。七馬が絵を描く、それを大坂ときをが、子ども達にクイズとして出す。お絵描きクイズというわけだ。

 しかし。

 子ども達は、一人も手を挙げず、仏頂面でその絵を眺めるのみだ。

「えー……誰か分からないかな? 分かる人は手を挙げて……」

 だが、誰も手を挙げない。

 子ども達の横にいる大人達は、お互いに顔を見合わせて、何やら小声でブツブツ言っている。

 ――まずい。

 七馬も大坂ときをも、空気を読んだ。

「えー、いまのおサルさんはちょっと難しかったかなあ」

「うーん、私の絵は古いからねえ!」

 大坂ときをと七馬は、うまく調子を合わせて場を盛り上げようとするのだが、それがなかなかうまくいかない。

 子ども達は白けた顔をしている。

 ――江上君。若い漫画家さんに描かせてみようや。

 ――そのほうがええですね。

 長年の付き合いである二人は、視線だけで会話を交わした。

 七馬はすぐに大坂ときをからマイクを受け取ると、

「えー、それではね、次は若い漫画家さんの出番です。お兄さんやお姉さん達に、絵を描いてもらいましょう」

 そう言って七馬は、他の若い漫画家達を呼んで、筆を渡した。

「突然ですまん。まあ適当に、いま風の絵を描いて子ども達を喜ばしてくれや」

「えー……」

 若い漫画家は明らかに困惑の色を浮かべた。

「僕、そんなのやったことありません……」

「やったことない言うても、漫画家やろ? 適当な絵でええねん。描いてくれ」

「できません」

 舞台の上で、若い漫画家達は次々と「僕もできない」「やれそうにない」と主張しだした。

(なんや、これは……)

 それは七馬にとって信じがたい光景だった。

(何もわしのときのように、目隠しをして描けと言っとるわけやない。ただ、この白い紙に絵を描くだけやぞ?)

 それは、七馬の世代ならば誰でもできたことだ。

 大きな紙から小さな紙まで、すいすいと絵を描く。それは漫画家ならば誰でもできることだった。

 だが、いまの漫画家は違った。

 彼らは規定通りの画用紙にしか、漫画を描けないのである。

(できへんのか!)

 子ども達が明らかに退屈そうな顔を見せている。中には会場を去る子まで出てきた。

「おい、このままやとまずいで。とにかく何でもええ、へたくそでもええから、描いてくれ!」

「できません」

「筆なんかで絵とか描けません」

 漫画家達のほとんどは、描けない描けないと言うだけだった。なんとか描いてみた者もいたが、それは漫画というよりただの落書きみたいで、場の空気はさらに冷たくなった。

 結局、若い漫画家達はほとんど何もできなかった。唯一、みなもと太郎のみが、現代風の漫画絵を見事に描いて、子ども達からの拍手を得ることができたのだが、他はさんざんであった。

(このままではあかん)

 とにかく、ショーを盛り上げて終わらせなければならない。そう考えた七馬は、奥の手を出した。

 目隠しをして、絵を描く例のパフォーマンスである。

「さあ、酒井先生の目隠し絵描きです!」

 大坂ときをが、悲しいほど明るい声で叫ぶ。客席の子ども達は、既に当初の半分近くにまで減っていた。

(手塚君の絵でいこう……)

 七馬は目隠しをしたまま、目の前(にあるであろう)紙に、スラスラと絵を描き始めた。それは鉄腕アトムの絵であった。

(こんなもん、お茶の子さいさいや……)

 七馬は手塚のタッチで、アトムを描きあげた。

「どうや!」

 七馬は目隠しを外した。

 目の前には、立派なアトムができている。

 実にうまかった。手塚本人が描いたのではないかと思われるほど、見事なアトムであった。

「さすが酒井先生、目隠しをしても見事なアトム! 素晴らしいです! 皆さん、拍手、拍手!」

 そう言って、大坂ときをが大きな声をあげた。

 だが、子ども達の反応は鈍い。

 保護者達と、小学校高学年と思われる背の高い子が、おざなりに拍手をしてくれているくらいで、笑っている子はほとんどいなかった。

(な、なんでや……)

 いよいよ七馬には理解できなかった。

(このパフォーマンスは、そんなにおもろないんか?)

 困惑している七馬の耳に、最前列の小さな子どもの声が入ってきた。

「アトムとかえらい昔やん……」

(……昔?)

 七馬には理解できない。鉄腕アトムは、つい一年半前までやっていたアニメではないか。

 ――そこに落とし穴があった。

 七馬の様に、六十歳を過ぎた人間にとって、一年半前は「つい先ほど」なのである。

 だが、子ども達にとってはそうではない。特に小さな、幼稚園児や小学校低学年の子どもにとって、一年半前は「えらい昔」という感覚なのである。

 鉄腕アトムはこの時期、既にアニメ放映が終了して一年半が経過しており、原作漫画もこの年の春に終了していた。

 のちに日本漫画文化の代表作と言っても過言ではない存在に成長する『鉄腕アトム』だが、この当時の子ども達にとっては、ずいぶん昔に終わったアニメ、という認識でしかなかったのだ。

(手塚君でさえ……アトムでさえ、昔の漫画なんか……)

 七馬は愕然とした。

(それならわしは……どうなるんや……)

 ロートル漫画家だとは思っていたが、現実はもはやロートルどころではないらしい。自分は完全に終わった漫画家なのではないか?

 胸が、締めつけられるようだった。

 とにかく、七馬は失敗した。

 夏休みマンガ教室は、結局、最初から最後までほとんど盛り上がらぬまま終了したのである。

(昔は、漫画の絵を描くだけで、子ども達は喜んでくれたのになあ)

 奈良から大阪に帰る途中、七馬はがっくりとうなだれながら、そう思った。

 そんな自分の思考に気付き、七馬はまた落ち込む。

(昔……か……)

 昔は……昔なら……。

 そんな文句を考えてしまう自分が、たまらなく嫌だった。完全に時代遅れの年寄りではないか。

(いや……)

 ――認めねばなるまい。自分が時代遅れの存在なのだと。

(わしは……何もできんまま……終わってしもうた)

 子ども達の笑顔を、せめてもう一度見たかった。

 自分の描いた漫画やイラストを見て、笑ってほしかった。

 だが、それはもう望めない。

(わしの漫画はもう要らんのや……)

 七馬は大阪に帰る電車の中、ただひたすら無言であった。


 それから半月ほど経って、季節が秋になりかけた頃、七馬は体調を崩した。



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