離れても

禎波ハヅキ(KZE)

離れても

 『一緒に高校行こうね』

 彼女とそう約束を交わしたのは、夏休み中の暑い日だった。中学最後の夏休み。受験勉強と称して涼しさを求めて逃げ込んだ、図書館の中でのことだった。


 私と彼女の付き合いは、実はそんなに長くはない。大きくない中学校のことだから入学した時から顔くらいは知っていたけど、しっかり話すようになったのはクラスメイトになった3年生になってからだった。

 しかし不思議なことに、そんなに時間をかけずとも私と彼女の付き合いは一気に深まった。気が合った。そうとしか言いようがない。休み時間も帰り道も一緒に過ごすようになり、それはとても心地いい時間だったのだ。

 臆病で引っ込み思案な私とは裏腹に、彼女は明るい性格をしていた。普段の私だったらそういう明るい人は眩しくて近寄りがたいのだけれど、彼女の明るさはなんというか冬の陽だまりみたいで、それに触れたらいつまでもそこに居たくなってしまうような明るさだった。


 中学3年というと、受験勉強が本格的に始まる時期だ。特に私の家は親がうるさく、通っている進学塾では2年生の3学期からもう受験勉強に手をつけていた。私は気持ちが責め立てられているようで落ち着かなかった。

 一方彼女はのんびりしていた。彼女のご両親は好きな高校に行けばいいと構えていてくれているという。そんな彼女の話が羨ましかった。彼女に言わせると、ちゃんとした目標校がある私の方が羨ましいとのことだったので、お互い無い物ねだりだったようだ。でも、彼女がそう言ってくれた私の目標校は両親が決めた高校だったので私は多少複雑な思いがした。

 そして彼女は緩やかに、私はキリキリと受験勉強をする中で、中学最後の夏休みがやってきた。私は塾で忙しかったけれども、時間が空いた時にはなるべく彼女と一緒に過ごした。夏の暑い中でも彼女は相変わらず柔らかい明るさで、受験勉強の辛さも彼女と一緒にいると忘れられた。


 彼女もそんなに激しい勉強はしてないとはいえ、受験生だ。二人で会う時は大抵図書館で勉強をしながら、時々話をするといった感じだった。

「受験嫌だな」

 夏の午後の日差しが緑のカーテン越しに差し込む図書館の自習室で、私は不意にそうつぶやいた。そのつぶやきを発した自分にまず驚いた。ずっと頑張らねばと思っていたし、実際に頑張っていると思っていた。勉強だってそれ自体はそんなに嫌いじゃない。だから、本音はずっとしまいこんでいたのに。そしてそのつぶやきを聞いた彼女も驚いた顔をしていた。

「ごめん、私今驚いちゃった。いつも頑張ってるからそういうこと言うのが珍しくて。でも言いたい時もあるよね。ごめんね」

 そう、彼女は謝ってきた。

「ううん、こっちこそ愚痴ってごめん」

 私も謝り返した。

「そんな愚痴るくらいいいんだってば。むしろどんどん愚痴りなさい。この私がお地蔵さんのように受け止めますぞー」

 彼女はそんな風に言ってお地蔵様のポーズをした。そんな彼女がおかしくて、私はおもわず笑ってしまった。

「じゃあお地蔵様、告白します。受験は嫌です。勉強は嫌いじゃないけど、期限と目標を決められて責め立てられるのが辛いです」

 私はお地蔵様のポーズのまま固まっている彼女に、素直に気持ちを話した。でも、それだけでささくれだった気持ちがほぐされるような思いがした。

「ふむ、そなたの心、確かに受け止めた」

 そう言って彼女はお地蔵様のポーズを解いた。そして、しばらくしてからこう言った。

「私も同じ高校目指そうかなぁ」

 彼女の発言に、今度は私が驚く番だった。

「え、なにがどうしたらそうなるの?」

「うーん、いやなんとなく」

「なんとなくなの」

「うん。でもそうだね。うん、決めた。私も同じ高校に行く」

「突然すぎない?」

 いきなりきっぱりと言う彼女に、私は思わずそう声をかけた。でも逆に彼女が聞き返してきた。

「一緒に受験勉強して、一緒に合格して、一緒に高校行くの、嫌?」

「そんなわけない!」

 私は思わず大声を出してしまった。周りから睨まれる。ここは図書館の自習室だった。私は肩をすくめて小さくなる。でも、小さくなりながら考えた。彼女と一緒に受験勉強して、一緒に合格して、一緒に高校に行く。それは、とても素晴らしいものに思えた。

 彼女も私と同様に小さくなりながら、ひそひそ声で話しかけてくる。

「じゃあ約束。一緒に高校に行こう」

 そう言って、小指を差し出してきた。私は、その小さな指にとても大事なものを結ぶように自分の小指を絡めた。

 それが、私と彼女の夏の約束。


 それから、私と彼女は一緒に勉強に打ち込んだ。おしゃべりする機会は少なくなったけど、お互い何も言わなくても一緒にいるだけで充分だった。

 あの約束の日から、モノクロだった目標校が鮮やかに感じられるようになった。元々は両親が決めた、私にとってはなんの価値もないはずだった学校だったのに。それは間違いなく彼女のおかげだ。私には、それが彼女の魔法のように思えた。

 目標校は私にとっても彼女にとっても挑戦校だったけど、冬休みが終わる頃には二人ともなんとか手が届くくらいになっていた。


 受験の日は、一緒に試験会場に向かった。行く途中も何も話さなかったし、帰り道も何も話さなかった。一緒にいるだけで心強かったし、お互いにどれだけ勉強してきたのか知っているのだから話すことなどなかった。


 そして合格発表の日。その日は卒業式の前日だった。両親は付いて行くと言っていたけど断った。彼女と二人で行きたかったのだ。彼女の方も両親は連れずに待ち合わせ場所に来た。きっと同じ気持ちだったのだろう。私と彼女は目を合わせると自然に手をつないだ。

 発表会場に向かうと、そこは人混みでいっぱいだった。嵐の海みたいな人混みの中、一緒につないだ手だけが頼りで、祈るように番号を探した。

「見つけた!そっちの番号あったよ!」

 彼女が喜んで声をかけてくれる。でも、その時わたしは青ざめていた。

 ない。番号が、ない。彼女の受験番号がない。

 わたしが黙っていると、彼女も気づいたらしい。手を握る力が強くなる。彼女がこちらを向く。そして、彼女が口を開こうとした瞬間、私は彼女とつないだ手を振り切って、全力で逃げ出した。


 怖かった。彼女と顔を合わせることが何よりも怖かった。私だけ受かってしまった。どんな顔をすればいいのか全然わからなくて、怖くて、私は逃げ出してしまった。家に帰ると、合格通知が届いていたらしく両親はお祝いモードだったけど、私はとてもそんな気分になれず部屋に閉じこもった。ケータイの通知も無視した。

 どうしよう、怖い。その気持ちで心がいっぱいだった。でも明日は卒業式だ。学校に行かないわけにはいかない。私はどんな顔をして彼女に会えばいいのだろう?

 きっと彼女は傷ついている。本当なら私はあそこで逃げ出さず、彼女に何か言葉をかけなければいけなかった。でも、何を言っても間違いのような気がして、私は何も選べなかった。そして逃げてきてしまった。最低だ。ますます明日、どんな顔をして彼女に会えばいいのか、彼女にどんな言葉をかけるべきか、わからなくて怖くなってしまう。考えれば考えるほど怖い。

 私はその晩寝付けないまま、卒業式の日を迎えた。


 私は彼女に何を言えばいいのか、ずっとわからないでいた。いっその事今日も逃げ出してしまいたいくらいだ。でも、それは出来ない。何かは言わなくてはならない。でも何を言えばいいのか。迷って、怖い気持ちのまま学校に着いた。

 教室に入ると、彼女の姿がある。彼女はいつものように明るく見えた。でも、彼女の目尻が少し赤くなっている。きっと泣いていたのだろう。それなのに明るく振る舞っていて、彼女がとても強い人に見えた。

 彼女がこちらに気づいた。

「よかった!いたー!」

 彼女は開口一番そう言った。まず挨拶から声をかけようと思っていた私は出鼻を挫かれてしまって、また何も言えなくなってしまった。でも、そんな私に彼女は明るく笑いかけて、こう言った。

「私たち、ずっと友達だよね」

 そう言われて私は、喉が詰まった。涙が溢れてきた。

「うん!」

 そう、私は泣きながら声を絞り出した。

 その時私は、自分が何をそんなに怖がっていたのか気づいた。彼女との関係が終わってしまう、そのことがなによりも怖かったのだ。合格した私が不合格だった彼女にかける一言で、二人の関係が終わってしまうことが怖かった。だから私は何も言えずに逃げ出したのだ。

 そして気づいた。彼女はきっとみんな分かってる。私が怖がっていたものが何だったのか。彼女はみんな許してくれてる。私の逃げ出してしまった臆病さを。

 だから、彼女の方から声をかけてくれて、笑いながら友達だと言ってくれた。

 彼女だって辛くなかったわけがない。彼女がどれだけ努力をしたのか、私はきっと先生よりも、もしかしたら彼女の両親よりもよく知っている。でも、それでも私に笑いかけてくれてる。その彼女の強さがとても眩しかった。

「私ね、すごく怖かった」

 私はやっとの思いでこう言った。

「私が何を言ってもあなたを傷つけてしまいそうで、二人の関係が終わってしまいそうで、すごくすごく怖かった」

「うん」

 彼女が優しくうなづく。

「だからね、あなたもきっと辛かったのに、ずっと友達だと言ってくれたのが本当に嬉しくて、ありがとう」

「うん、こっちもありがとうだよ」

「なんで?」

 そう言う彼女に、私は思わず聞き返した。

「だって、約束を守れなかったのは私だもん。ずっと一緒にいたかったのに、それが叶わなくなったのは私のせいだもん」

 気がつけば、彼女も涙を流していた。

「私も友達じゃいられなくなるのが怖かった。でもこうしてまた一緒にいてくれるんだもん。ありがとう」

「うん」

 今度は私がうなづく番だった。

 それを見て彼女は、そっと小指を差し出してきた。そしてこう言った。

「本当にしたかった約束をしよう」

「そうだね」

 私も小指を絡めた。本当に大切な絆を結ぶように。


「これからも、ずっと一緒にいられますように」

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