第65話 俺、予行演習の準備をする

 2日後の11月1日の朝。俺は普段より少し早く起き、学校へ行く準備を整えていた。

 今日は少し早めに行かないといけない。なんてたって体育祭の予行演習だ。

 コーン並べたり、線引いたり、と実行委員に入ると色々とやることがある。


「イリーナ、俺先行くからな」

 いつもより30分も早い時間に俺は、寝起きのイリーナに告げる。

「早くない?」

「はえーよ。でも、実行委員だから行かねぇーとダメなんだよ」

 昨日のうちに準備しておいた弁当を冷蔵庫から取り出しカバンにいれ、その上から夏冬用の体操服を押し込む。

「将兄が実行委員とかまじウケるんだけど」

「おまっ……。朝から失礼な奴だな!」

 更に水筒を押し込み、最後にタオルを入れる。あとはチャックをしめるだけだ。

「失礼って。普段の将兄知ってるから言ってるのに」

 こいつは……、俺を苛めたいのか? そうなのか?

「はいはい。冷蔵庫の中にイリーナの分の弁当もあるからな」

 こんなにデキル兄なんて絶対いねぇーだろ。

「あー、ありがと。でも、いまデキル兄とか思ったのバレバレだから」

 髪が寝癖であっち向いてホイのイリーナに、心の声を読まれ、思わず顔を顰めてしまう。

「ねぇ、バレバレなのよ」

 軽くあしらうように笑い、

「まぁ、頑張ってね」

 と、そっぽを向きながらイリーナは告げた。


***


「おはようございます!」

 体育教官室に轟く声。

 流石体育会系って感じだ。大声でこれを言わなきゃ殺される。特に五郎丸に……。

「おはよう。いい挨拶だ」

 深緑色の体操服を着たラグビーをやってそうな筋骨隆々の男──五郎丸は、渋い声でそう返してくる。

 そっすか。本当は言いたくないけどな、あなたが言わせるんだよ……。

「じゃあ、盛岡は分担された場所の線引きから頼む」

「分かりました」

 リーダーの資質の一つは、やっぱり声だな。渋く威圧感のある声ってだけで、リーダーって雰囲気がある。

 そんなことを考えながら、俺は体育教官室にカバンを置いてから、線引車ラインカーを取りに体育倉庫へ向かっていた。

「おはよう」

「……あ、おはようございます」

 すれ違う3年生に挨拶をされ、一瞬遅れで返す。

 いきなり飛んでくるから焦るわ。挨拶しますよーってオーラとか出れば、身構えできるしいいのにな。

 そんなふざけたことを考えながら、体育倉庫に着くと、中には数人の実行委員がいた。

 1人は副リーダーの恭子さんだ。後は見たことあるって程度だ。

 まぁ、一昨日、昨日と集まってるから見たことない人がいることはありえないのだが……。

「あ、おはよう。盛岡くん」

 中に人がいるので、奥へと進めず入口で立ち尽くしていた俺に、深緑色の体操服に身を包んだ恭子さんが声をかけてくれた。

 凛とした声で朝から癒される。

「おはようございます」

 五郎丸とか違い、妙な緊張感を覚え言葉が固くなっている。

「うふふ。そんな固くならないでいいのよ?」

 色白の肌に切れ長の目、スッと通った鼻筋、どれをとっても美人であることに変わりはない。そんな整った顔に悪戯な笑みを浮かべる。

「それは無理っすよ、恭子さん」

「あんまり年下からかっちゃダメですよ」

 奥から赤や黄色といった丸いコーンを手に持って出てきた、深緑色の体操服を着た男子生徒が苦笑する。

 体操服の色からして、恭子さんと同学年であろう。

「からかうって、私何もしてないわよ?」

 心外だわ、と言い出しそうな表情で恭子さんは告げ、俺の方に視線を向ける。

「いや。そこで俺に振られましても……」

 なんて言えば良いんだよ。俺は思考の果てに、苦笑を浮かべた。

「ほら、困ってるじゃないです」

 コーンを持った男子生徒は、微笑を浮かべそう言い体育倉庫を出ていく。

「で、盛岡くん」

「あ、はい」

 いきなり名前を呼ばれ、肩をびくつかせる。

「何でそんなにびっくりするのよ」

 恭子さんは困ったように笑い続ける。

「何でいつまでもそんな所で突っ立ってるの? 何か用事があるんじゃないの?」

「あっ……」

 恭子さんに促され、自分がなぜ体育倉庫に来たのかを思い出す。

「線引車を取りに来ました」

「うん、知ってる」

 恭子さんはいたずらっぽく笑う。そりゃあそうか。リーダーの独断で役割を振り分けるはずないよな。

「じゃあ何で聞いたんすか」

 軽く笑顔を顔に作り軽口を叩く。

「何となく、かな? じゃあ、そっちに並べてあるの持って行ってねー」

 恭子さんは体育倉庫の左端に、何台も並べてある線引車を指差し言う。

「ちょっと物がいっぱいあるから気をつけてね」

 平均台や工事現場によく立っている赤い先端の尖ったコーン、サッカーボールなどが入っているカゴなどを視界に収めてから、

「了解です」

 と返した。


***


 俺の任せられているエリアは、志々目さんや夏穂とリレーの練習をした、陸部の走り幅跳びの砂場がある辺りだ。

 体育倉庫からさほど距離はないが、その間に消石灰で線を引いてしまうと、どれが必要な線でどれが要らない線か分からなくなる。

 そのため、消石灰が出るところに蓋をしている。

 担当エリアまで来た俺は、その蓋を外し消石灰が出るようにして線を引き始める。

 ガラガラガラ、と妙に大きな音がなりはじめる。

 何でこんなに音がでけぇーんだよ。恥ずかしいじゃねぇーか。

 そう思い、集中している風を装い、引かれていく線だけに視線を向ける。

 直後、あらゆる方向からガラガラガラ、と俺が立てている音と同じものが鳴り響き出した。

 そこで俺は自覚した。誰か引き始めるまで待っていやがったな。本当の所は分からないが、俺はそう解釈した。

 リレーのレーンを書く。それが仕事だ。俺は、周りからも音がなっていることにより、当初抱いた恥ずかしさなど忘れて線を引いていく。


「よしっ」

 線を引き終えた俺は、自分の線を一瞥して声を洩らす。

 予想以上に綺麗に線を引けたことに、笑顔を零す。

 そして再度頷いてから、俺は線引車に蓋をして消石灰が落ちないようにし、体育倉庫へと向かう。

「お疲れ様です」

 途中、薄赤色の体操服を着込んだ女子生徒からそんな声を掛けられる。俺は当たり障りのない「お疲れ様」を呟き、体育倉庫の中へと入る。

「終わったの?」

 手先や鼻先を赤くした恭子さんが、優しい笑顔で訊ねてくる。

「あー、はい」

「そ。お疲れ様」

 薄暗い電灯に照らされる体育倉庫の中に、恭子さんの暖かさが満ちる。

 そして恭子さんは、そこに並べてて、と指で線引車が並べてある所を指す。

「りょーかいです」

 俺は視線を落とし、倉庫内に置いてあるものに線引車をぶつけないよう慎重に、運んでいく。


「うぅー、寒い」

 そんな時だ。恭子さんが震える声がポツリとこぼれ落ちた。

 俺はどう返せばいいのか分からず、聞こえなかった振りをし、線引車が並べられている奥へと進む。

 はぁーっと息を吐き出す音がした。もちろん、俺はやってないのでやっているのは恭子さんだろう。

「そんなに寒いですか?」

 体操服は長袖、冬用を着ている。

 俺は動いていることもあってか、そこまで寒いとは感じてないのでそんな質問をぶつけた。

「寒いよー。ここで番人やってると、ね」

 線引車を並べ終え、恭子さんの方を見る。

 自虐的な笑みで吐露する。元より色白の恭子さんは、寒さからかより一層白くなり、もはや幽霊レベルである。

「お疲れ様です」

 含み笑いでそう返すと

「ほんとにね」

 と、恭子さんは微笑んだ。


 体育倉庫を出て、体育教官室に寄りカバンを持った後、俺はある場所を目指していた。それは体育館前の自動販売機である。

 そこは生徒が自由に飲み物を買うことのできる自販機で、俺はカバンの中から130円を握りそこを目指していた。

 話す相手のいない俺を気遣ってくれたのは、恭子さんだけだしな。

 独りで苦笑し、強い朝日が広がる空を見上げた。


「恭子さん」

 片付けをしはじめた実行委員に紛れ、俺は体育倉庫の中へと足を踏み入れた。

 コンクリートの床の上に、砂塵が落ちている。

 それを踏む度にジャリ、ジャリ、と鳴る。

「何かしら?」

 肩口まで伸びた黒髪を右手で払うことにより、靡かせながら返す。

「これと言った用は無いんですけど……」

 うわぁ、いざ言うとなるとスゲェー緊張する……。

 右手の中はじんじんと熱く、汗を掻き始めてもおかしくない。

「もう、用が無いなら閉めるわよ。もう片付け終わったから」

 ちょっと怒ったふうに恭子さんは、艶やかな唇を小さく尖らせる。

「全部片付け終わったんですか?」

「そうよ」

 再度、振り向き倉庫内を見渡してから恭子さんは言う。

 なら誰も来ないな。

 そう考え、決心を固め、俺は右手の中でじんじんと熱いモノを差し出した。

「お疲れ様です」

「もうっ。それは聞いたわよ……。って──えっ?」

 どこを見てたのだろうか。俺は恥ずかしさから俯いていた為、恭子さんの視線がどこにあったかを知る由はない。

 しかし、手元を見てなかったのだけは確かだろう。

「こ、これは……?」

 俺の手の中にあるものを見て、恭子さんは明らかに狼狽えている。

「なんて言うか、差し入れ? 的なやつです。恭子さん、寒いって言ってたし……」

 照れ隠しのため、右斜め上を見ながら俺は早口でまくし立てる。

「で、でも……いいの?」

「いいですよ」

 狼狽える恭子さんに新鮮さを感じながら、朗らかな笑顔を浮かべる。

「じゃ、じゃあ……。ありがとっ」

 恭子さんは初々しく、頬を朱に染めながら恥ずかしそうに呟いた。

「はい」

 そう答え、俺は手の中にある"あったかい"で販売されていたカフェ・オ・レを手渡した。

「じゃあ、また後で!」

 渡してしまうと右手の中は妙に冷たくなり、寂しさを覚える。

 そしてその缶は今、恭子さんにぎゅっと握られ、温かさを共有している。

 それを見て俺は、ふっ、と微笑みを洩らし、教室へと向かって行った。

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